269.「年越しと目標③」
【馬場 櫻子】
──まずは落ち着いて状況を整理しよう。
「……この写真のわたしにそっくりな人が、今のわたし……なの?」
「ああ、確証はねぇけど確信はある。匂いが一緒だしよ」
言いながら、ヒカリちゃんは顔をグリグリ肩に押し付けて、ふごふごと匂いを嗅いできた。
「……使ってる柔軟剤が一緒ってこと?」
「ちげーよ、服じゃなくて櫻子本体の匂い!」
「ほ、本体?……ほんと鼻いいんだねヒカリちゃん……」
「何ちょっと引いてんだよ。傷付くんだけど」
ヒカリちゃんが見せてくれた写真……そこにはわたしと瓜二つの人物……というか、わたしが写っていた。
歳も名前も今のわたしと一緒の馬場 櫻子。違うところと言えば、病気のせいで酷く身体が弱かったらしいという事と……もう亡くなっているということ。
「……お前を見た時素直によ、生き返ったんだと思ったぜ……そんな事あるわけねぇのにな」
「……ヒカリちゃん」
「けど、鈴国から魔女狩りの人形の話を聞いて、ある訳ねぇって考えは変わった。それと同じかは分かんねぇけど、魔法ならあるいは……ってな」
「……鈴国さんって、事務所に来てたあの人か……わたしが記憶無い時にも合ってたっていう」
「ああ、胡散くせぇ奴だけどな……って、事務所に来てやがったのか?」
「うん、ヒカリちゃんがブラッシュさんに監禁されてた時に社長が呼びつけたの。実際すぐに見つかったし、凄い人だよね……なんか胡散臭いけど」
ヒカリちゃんの言うとおり、今のわたしが本当に過去に死んでしまった馬場櫻子なんだとして……だったら、鈴国さんとかと絡んでいた時のわたしはいったい誰なんだろう。
真実を紐解く鍵は、そっちの“わたし”が握っているような気がする。
「……記憶ない時のわたしって……どんなだった?」
「……小悪魔……いや、魔性の女だったな」
「え、なにそれ……ど、どういうこと……?」
「情緒不安定なとこもかなりあったけどよ、なんか急に大人びて……結構タラシだったぞ。ボディタッチも多かったし……あれ、天然でやってんならタチ悪ぃよ」
なるほど。どうやら“わたし”は結構大胆な女だったらしい……これ、ハレ君のこと天然ジゴロとか言えないのでは……。
「カルタが居んのに、エミリアにもちょっかいかけてたしな……何度か2人だけで飯食ったりとか」
「……エミリアちゃんと?」
なんということだ。記憶が無い間のわたし、アクティブにも程が有るでしょ……。
「……一体どうして」
「さあな、けど何かやたらと仲良くなってたのは確かだ。エミリアとバカルタをくっつける為にクリスマス会開いたりとか……そういや、そのあたりのやりとりメールとかに残ってねぇのか?」
「……スマホ、壊れちゃってて……バブルガムさんのせいで……」
「あンのデコッパチがぁ……ろくな事しねぇなマジで」
「他には、何か変わったこととかなかった?」
「んー……同級生シメてたり呑み会しようって言い出したりもしてたな」
「……」
アクティブとかそういうレベルを越えた情報に、わたしは言葉を失っていた。同級生って……一体誰を──
「お前が金貸してた女居ただろ……返したのか気になってアタシが問い詰めたら、すげぇ怯えて『ちゃんと返した』って……お前が魔女だって知ってたらあんなことしなかった、とか言ってやがったから多分あいつがシメたんだろ」
(……な、なんて事を……高橋さんじゃないそれ……)
「で、呑み会はアタシ等がもう酒呑める歳だって知ったら急に騒ぎ出してよ。会社のヤツら皆んな誘って速攻で買い出し行って……ああそうだ、カノンが来なかった代わりにあのデコッパチが来やがったんだよ」
「……は、ハチャメチャ過ぎて想像が追いつかないんだけど」
「……思い返しゃあ、いつの間にかアイツを中心に回ってた。結局何者かは分かんねぇけど、妙に人を惹きつける奴だったな」
テーブルのカップに目を落として言ったヒカリちゃんは、どこか寂しそうだった。
わたしにはその時間の記憶は無いけれど、ヒカリちゃんやエミリアちゃん……カノンちゃんにカルタちゃんも……皆は確かに同じ時を過ごして、皆の記憶にはそれが事実として残っているのだ。
(……誰だか分からないけれど、“あなた”は確かに居たんだね──)
曖昧な存在……ただその一点において、わたしは親近感を覚えた。わたしが感じている不安や寂しさを、彼女も感じていたのだろうか。
「……誰なのかは分からないけど、じゃあ何がしたかったのかな」
「……さあ。けど、エミリア、ヴィヴィアン、鈴国……もしかすると他にもあるかもしんねぇけど、色々調べて回ってたのは確かだな。なりふり構ってねぇ感じがひしひし伝わってきたぜ」
「……なんでヒカリちゃんには聞かなかったんだろ。一緒に住んでたんだよね?」
「アタシじゃ知りてぇことの頼りにならなかったんじゃねぇの? エミリアと違って魔女協会にも入ってねぇし、ヴィヴィアンみてぇに長生きでもねぇからな……それに、色々聞いてアタシにバレたくなかったんだろ。一応は隠してたみたいだからな。バレバレだったけど」
「なるほど」
記憶がない時の“わたし”は手当り次第に情報を集めていた。
魔女協会に所属していたエミリアちゃんや社長から得られる情報が必要で、ヒカリちゃんやカノンちゃん達にはノータッチだった……これってどういう事なんだろう。
「……もしかして、記憶がない時の“わたし”も、記憶が無かったのかな」
「あぁ? そんな訳……ねぇこともねぇのか……けど記憶がなかったら『私はだれ? ここはどこ?』ってなるもんじゃねぇのか?」
「今のわたしみたいに自分の事は覚えてて、ただどうしてもこの身体にいるのかが分からなかったのかも……だとしたら、それって凄い怖い事だし……原因を探るんじゃないかな」
「……原因……犯人探しってことか……なるほどな。確かにそれならあいつの動きにも筋は通る。犯人探しの為にエミリアとかヴィヴィアンに聞き込みしてたわけか。ようやく監獄の件がスッキリしたぜ」
「……監獄ってなに?」
「あいつがヴィヴィアンに聞いてたんだよ。たしか……螺旋監獄とかいう魔女の監獄の話だ」
「……螺旋監獄……それ、監獄に入るくらいだから、そこには悪い魔女が沢山いるってことだよね」
「だろうぜ。そいつらの中に犯人の候補がいねぇか探ってたんじゃねぇのか?」
「じゃあもしそこに犯人が居たとすれば、その犯人の動悸は?」
「……そこまでは分かんねぇよ。アタシゃ探偵じゃねぇからな」
まあ、そうだよね。少しは自分で考えないと……今は彼女の足跡を辿って、ひとつずつ可能性をあげて検証するしか道はないのだ。
「……復讐、とかじゃないかな……だって、監獄に入ってるってことは、誰かに捕まって入れられたってことだよね?」
「……監獄から出てきた犯人が、お礼参りにあいつに何かして、結果的としてあいつが櫻子の身体に入ってたって事か?」
「……ない、かな……」
「無くはねぇ……とは思うが、櫻子の方の説明がつかねぇだろ。何で昔死んじまったお前が今ここにいんのかって」
「……はぁ、そうなんだよねぇ〜」
ヒカリちゃんの言う通り、わたしの仮説だと大きなピースがいくつも余ってしまう。
「“どうやって”の方はサッパリだけどよ、“誰なのか”に関してはいい線いってる気がすんだよな……ヴィヴィアン……鈴国……それに魔女狩りの人形、花合 火花……」
「……誰それ、ヒバナ?」
「鈴国に調べさせてた女だ。三龍軒って中華屋あんだろ。そこの娘のトドロキ某って名乗ってる奴が魔女狩りの人形で、そいつの本名が花合 火花なんだとよ」
「……ああ、龍奈ちゃんのことか。そういえば人形だったんだよねあの子……もしかして、記憶ない時の“わたし”と知り合いだったのかな……」
「……マジか。じゃあ本人に聞いてみようぜ! 今そいつどこにいんだ?」
「いや、居場所は多分分かるけど、この時間はさすがに……って、大変だよヒカリちゃん! もう年越してるよ!?」
壁掛け時計を見ると、既に新年を迎えて数分が経っていた。
「……うわ、アタシアレやってねぇじゃん……くっそ」
「え、あ、あれってなに? 何か大事なこと?」
ヒカリちゃんが拳を握りしめて悔しそうにするから、わたしは心配になって顔を覗き込んだ。
「……年越す瞬間、ジャンプして地上に居ないやつ……連チャン記録途絶えちまった……」
「うわ凄いどうでもいいことだった」
「よかねぇよ! ちきしょー、今年の目標は年越しの時間にスカイダイビングすることするぜ」
「どんだけ悔しいのヒカリちゃん……じゃあわたしの目標は、自分の身に起きたことを解明する……かな」
「……アタシもやっぱそれで」
「スカイダイビングはいいの?」
「……お前の問題を解決して、スカイダイビングもすんだよ」
優しく笑うヒカリちゃんを見て、わたしは胸の奥が苦しくなった。
新年早々重い気持ちにならないように、ワザとおちゃらけてみせたんだよね。そういう素直じゃない優しさが、不器用で……とっても愛おしい。
「……やっぱ、今からでもジャンプしとこっかな……ギリセーフなんじゃ……」
……いやこれ、もしかして本気のヤツか?




