266.「ブラックジョークと盗み聞き」
【熱川 カノン】
12月31日 午後11時
──お母様のお知り合いだという方に治療してもらい、テンとオルカさんは大事には至らなかった。
私の裏切りにも等しい妨害行為の件は、すぐにでも魔女協会や社長から何らかの追求がなされてもおかしくはなかったけれど……結局今のところそれもなかった。
今はただ、母屋の一室で目覚めないテンの寝顔をじっと見守っている。さっきまで一緒にテンの身を案じていたオルカさんも、いつの間にか椅子に腰掛けたまま眠ってしまっていた。
「……大変な、一日でしたものね」
眠っているオルカさんを起こさないように、そっと毛布をかけた。
一日どころか、ずっと大変だったに違いない。
この2人はきっと、お母様とお父様に護られ、甘やかされて育てられた自分には想像も出来ないような過酷な日々を過ごして来たに違いないのだ。
そう思うと、本当に自分なんかにこの2人を助けることが出来るのだろうかと、不安な気持ちが込み上げてくる。もう、覚悟は決めたはずだったのに──
「……う、うぅ……」
ベッドから微かに聴こえた声に、私は顔を上げた。慌てて駆け寄ると、テンがぼんやりと目を開けていた。
「……テン?」
「……カノン……なのか? どうして髪が伸びて……ここは……」
まだ意識が朦朧としているのか、薄らと開いたまぶたの奥は、動きが定まらずにゆらゆらと揺れていた。
「テン、ここは私の家です。何があったか、思い出せまして?」
「…………家? カノンの……?」
テンは少し考え込むようにまぶたを閉じて……急に電源が入ったように飛び起きた。
「……ッオルカは!? アイツはどこ行った!?」
「テン、落ち着いてください! オルカさんならあちらでお眠りになっています。傭兵の男は私が追い払いましたから、ここは安全ですの。だから……落ち着いてください」
パニックを起こしそうになっていたテンを抱き締めて、優しく背中を撫でた。テンは固まったまま、段々と落ち着きを取り戻していった。
「……なんで、俺たちを助けたんだ……魔女狩りなんだぞ……」
テンは、絞り出すようにそう言った。困惑と恐怖が入り交じったような、悲痛な声に聴こえた。
「……その質問は、もう何度もされてうんざりですの。テンは……言わないと分かってくれませんの?」
背中に回した手に、ギュッと力を込めた。彼の鎖骨に顔がくっついてしまうんじゃないかというくらい、強く抱き締めた。
そうすると、ゆっくりと壊れ物でも扱うように、テンの両手が私の背中に回された。大きくて、暖かい手……胸の奥が苦しくなって、涙腺がジンジン熱くなる──
「自分でもどうしようもないくらい、貴方を愛しています」
「……俺も、ずっと会いたかった。会って、こうしたかった……けど、俺は──」
テンがこの後何を言おうとしているのか何となく分かってしまって、私は続きを唇で塞いだ。
たった数秒間の……呆気なくて、ぎこちないファーストキスだった。
「……例え騙されていたんだとしても、魔女狩りでも、仇でも……全部捨て置きます。もう愛すると決めましたの。カノンは一歩も引きません。だから、無粋なことはおっしゃらずにテンも正直な気持ちを聞かせてください……たとえ貴方が私を拒んだとしても、貴方の為に出来ることは何でもいたしますから」
それが私の正直な気持ちだった。これを伝えずには、この返事を聞かずには、この先へは進めない。
けれど、明確な答えさえ知れたなら、私はきっとこれからどんな苦難に直面してもくじけずにやり通せる……だから──
祈るような気持ちで、テンの返事を待った。長いのか短いのか、時間の間隔がどこかへ行ってしまったような部屋で、私は待った。
「…………カノン、お前の事を愛してる」
テンはそう言って、私に口づけをした。やっぱり短くてぎこちないけれど、さっきよりもずっと柔らかくて暖かいキスだった。
「……今のをファーストキスという事にしても?」
「いいや、さっきのを忘れるなんて不可能だ」
二人して、囁くように笑いあった。クリスマス以降凍り付いたように固まっていた時間は、この暖かさに当てられてようやく動きだした……そんな気がした。
「たくさん話さなきゃいけないことがある」
「ええ、私もですの」
「じゃあとりあえず、最初にこれだけは言わせてくれ。あの日、カノンと出会ったのはたまたまだったんだ。魔女だなんてしらなかった……本当に偶然だったんだ」
テンは真剣な眼差しでそう言った。今となってはそんな事、もう殆ど気にしていなかったのだけれど……彼の中では大きなわだかまりになっていたらしい。
「……そんな事、信じられませんの」
「カノン……頼むよ。信じてくれ、本当に偶然だったんだ!」
「いいえ、あれは偶然なんかじゃありませんの」
「……じゃあ、何だと思ってるんだ」
「運命……ですわ」
テンは数秒間固まって、ようやく笑みをこぼした。
「心臓に悪いジョークだな……こんにゃろー」
「フフ、ブラックジョークには定評がありますのよ」
視線が交差する。お互いの瞳に吸い寄せられるように、私達は──
「──えっとぉ! ちょっとくらいはイチャイチャさせてあげようと思ったけど、なんかもう無限に続きそうだから喋るね!?」
「うわぁッ!? お、おお、オルカ!?」
「い、いい、いつから起きてまして!?」
反射的にベッドから飛び起きて、私はテンから離れた。オルカさんは椅子で足を組みながら、ジロっと私とテンを交互に睨んでいた。
「今起きたとこだよ。正確には、お兄がうぅーってうなり出したとこ」
「……それ、最初からじゃありませんの!!」
まさか全部妹さんに聞かれていたなんて……顔から火が出そうに恥ずかしいですわ!! もう!!
「だいたい、最初に言わなきゃいけない事なら“あっち”でしょ……お兄、ほんとバカなんだから」
「あっち、とはなんの事ですの?」
「いや、それが……言いづらいんだけど、エミリアの件だ……」
潮が引いたように、浮き足立っていた心が冷たくなった。
もう分かっていた事だし、一緒に背負うと決めた業だけれど、やっぱり言葉にして聴いてしまうと心が凍てつきそうになる。
「お兄説明下手だからあたしが言うけど、アイツ生きてたんだよ」
「……はい?」
「あの日ね、ウチらはエミリアと闘って捕まえようとしてた……実際その手前までは何とかなったし。けどバカお兄がエミリアを見逃がそうして、そしたら割り込んできたエキドナにエミリアがやられちゃったの」
「……あの、え?」
「あたしだって信じらんないけど、でも実際あたしらはさっきエミリアと闘ってたんだから。エキドナに治療して貰って一命は取りとめたとか……なんかごちゃごちゃいってたけど……」
オルカさんの言葉に、理解が追いつかなかった。だって、大前提としてエミリアはもう……死んでいるのだから。
私はつい昨日、あの子の葬儀に参列したばかりなのだ。
「カノン、今の話は本当だ。エミリアは生きてる……それで、たぶん魔女狩りの人形になってる……」
「……まさか、そんな……エミリアが、生きて……」
真っ先に頭に思い浮かんだのは、もちろんあの子が生きていた喜び。そして、次に『カルタに教えなくては』だった。
震える手でスマホを取り出して、カルタに電話をかけた。けれど、すぐに不通を知らせるメッセージ音……私は我慢ならずに、部屋を出ようと扉を押し開けた。
──ガンッ!!
鈍い音が響いて、扉が何かにつっかえた様な感覚……見ると、廊下にお母様とお父様とマゼンタさんが、三段重ねに倒れていた。
「……な、なな、いつから盗み聞きを!?」
「……い、今よ……正確には、大変な一日でしたものね……の辺りから……」
お父様とマゼンタさんに押し潰されながら、お母様が気まづそうにそう言った。
「……それ、最初っからじゃありませんの!!」




