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265.「医者と豊胸」


【熱川 藤乃 もとい ウィスタリア・クレイジーエイト】


──十数年ぶりにアイツの顔を見た時から、きっとまた何か厄介な事になるんだって察しはついていた。


 バカみたいに取り乱した深夜との差はそこだ。こればっかりは経験してみないと分からない。

 アイツの言う言葉は、この先巻き込まれる厄介事を打開する為の言葉ではなくて、既に巻き込まれている運命の波に逆らって、転覆しない為の言葉なのだ。


 だから、カノンの初恋の相手が魔女狩りで、それを助けるという選択は必然だった。

 今私が拒んだとしても、あの子はきっと私じゃない誰かを頼るか、自力でテンくん達を助けようと奔走する……運命の流れは変えられないのだ──



* * *



「──ご機嫌きげんうるわしゅうウィスタリア。なんと ななんと なななんと、大人気占い師系アイドルであるこの吾輩わがはいが、あらゆるスケジュールをなぎ倒してここに降臨したのだよ」


 年末のクソ忙しい時期……半年前から一番高い鳳凰の間を予約していた客を出迎えると、そいつは元 レイヴンの魔女 デイドリーム・フリーセルだった。予約帳簿に星見ほしみ ろまん とかいう名前で書かれていたせいで、完全に不意打ちだった。


「……お願いだから、ただの休暇だって言って」


「この吾輩にただの休暇が存在するとでも? 無論しないとも。なにせ大人気故に多忙を極めているのだからね」


「じゃあ、さっさと“ありがたいお言葉”を授けて、次の予定へ向かって。出口は案内しなくても分かるわよね?」


「入口に入った途端に出口の話とは吾輩以上にせっかちであるな。こちらとしても直ぐにおいとましたいところではあるが、タスクをこなさねばならんので上がらせてもらう」


 デイドリームは白藍しらあいの髪に付いた雪を手で払って、ズカズカとエントランスに押し入った。


「……分かったから、取り敢えず私の部屋に来て。で、タスクとやらをこなしたらさっさと帰ってよね」


「もう〜結婚して丸くなったって聞いてたのに……相変わらずツンケンしちゃってさ! こっちはアンタの愛のキューピットなんだから、もっと敬意を払いなさいよね!」


「キャラ統一しろ。それと、ここでその話はしないで。絶対に」


『今日は日々更新される人生最悪を止める出会いがありますよ! 待ち人を逃さないためには自分の気まぐれを信じること! 以上、デイドリーム・フリーセルでした!』


……18年前、こいつの予言に従った結果……私は魔女協会セラフを追放されて、深夜と結婚するに至った。

 そしてカノンを授かり、それからは雲が晴れたように毎日が幸せでいっぱいになった。


 これ以上の幸せなんてきっとない。絶対に壊させない。そう思ってカノンは魔女の世界から遠ざけた。


 けど私の意思を嘲笑うように、気づけばカノンはヴィヴィアンの部下になって、魔女狩りに襲われ、友達をうしなった。


 まるで、そうやって翻弄される事があの子の運命だったみたいに。だから、このタイミングで現れたデイドリームの存在は心底不気味で空恐ろしかった。


 深夜と出会ってカノンを授かったのは、今日この日の為だったんじゃないかと……そう考えずにはいられないから──



──デイドリームを自室に招き、言われた通りに厨房に立っていた深夜も引っ張り出して同席させた。

 椅子に腰掛けたデイドリームは、脚を机の上に投げ出してこう言った。


「もうすぐお前らの娘が帰ってくるから、頼み事を素直に聴いてやれ。それがどんな内容でも協力は惜しむな。その結果波乱が目に見えていたとしてもな……この私からは以上だ」


 尊大な態度で言い放たれた言葉を、私はゆっくりと咀嚼した。大切なのは、この言葉が“誰の”運命を見据えているのかという事だ……私なのか、それもカノンなのか──


「……頼み事かぁ。いったい何だろうね藤乃さん……僕、カノンの頼みなら4匹目のワニも全然構わないけど……」


「……そうね。ワニだったらいいわね」


「藤乃さんも好きだもんね。こりゃあ気合い入れて稼がないと……というか、ロマンさんは藤乃さんのお友達? カウンセラーの方?」


 相変わらず呑気な事を言ってる深夜が羨ましくてジロっと睨んでいると、手を怪我していることに気がついた。


「……深夜それ、大丈夫?」


「ああこれ、さっき急いでたからちょっと包丁で切っちゃって。なんて事ないから心配しないで」


「ごめん、私が急に呼び付けたからよね……ちょっと見せて?」


 深夜の手を見ると、結構深い切り傷が付いていた。これ、なんて事ないどころか縫わなきゃいけないんじゃないの……?


「バカ、深いじゃない」


「……いやぁ、出刃でばでフグ捌いてたから……」


「どれ、吾輩に見せたまえ」


「え? いや、見ない方がいいよロマンさん。結構痛々しい感じだから」


「案ずるな。吾輩は医者だ……ほれ、お手を拝借」


 なんでさっきからデイドリームの事名前呼びしてんのよ、と若干イラッとしてる隙に、深夜が手を掴まれた。

 深夜の対面に座ったデイドリームは、テーブル越しに前かがみになる。この体制、深夜から胸元が丸見えなんじゃ……ちょ、谷間を隠せ谷間を!!


「……わぁ、凄い」


「す、凄いって何がよ!!……悪かったわね、私は凄くなくて!!」


 悔しさと羞恥心をギリギリ噛み締めながら、自分の胸元を手で覆って怒鳴った。やっぱり深夜も大きい方が好きなんじゃない……!!


「ふ、藤乃さん……手の事だよ? ほら、治っちゃったから……」


 見ると、深夜の手の傷が綺麗さっぱり無くなっていた。


「……あんた、回復魔法も使えたの……」


「いえーす! 私は大人気の医者系アイドルも兼任してるのです!……ああでも、美容外科学は専門外だから豊胸とかはうけたまわってないのであしからず!」


「……なッ、んな事言ってないわよ!!」


 私は煙管キセルとマッチを引っ掴んで部屋を飛び出した。何が豊胸よ……ほんと、胸がでかい女にはろくな奴はいないんだから……でもその手があったか……。


 何とか気持ちを落ち着けながら勝手口を開けると、背中と腕に怪我人を抱えたカノンが立っていた──



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