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25.「孕島と実験体」


 【轟龍奈】


 厨房から中華鍋を振る音が軽快に響き、その合間を縫うように、我が店が誇るポンコツ換気扇がカタカタと合いの手を入れる。


 私の隣に座るオルカが、店内に充満しだした香ばしい香りに興奮してか、鼻歌を歌っている。


 何故お父さんがせっせと鍋を振っているのかというと、招集されたメンバーの内、最後の二人がなかなか来ないことに痺れを切らしたオルカが朝ご飯をせがみだしたからだった。


 安藤兄は最初こそ妹を制止していたが、お父さんが快く炒飯を作ると言いだすと、『自分の分もいいですか』と言い出した。アンタも食べたかったんかい。


 結局、テーブルに座る五人の前に、特盛の炒飯が並べられた。朝からこれは正直重い。まあ食べるけども。


「やばい、超美味しそうなんですけど!」


「轟さん、すみません朝から押し掛けた上に飯まで作ってもらって、金はちゃんと払いますんで!」


「馬鹿言うな、俺の驕りだ」


 仁王立ちのお父さんがニヤリと笑った。格好つけてるつもりかもしれないけど、かなり笑顔が怖い。


 「僕たちの分までありがとうございます。ジャパーニーズソウルフード、とても美味しそうです!」


「レオ、炒飯は中華だと思うけど」


 勝手に出てきた炒飯を前にしたござる達は、案外空腹だったのか満更でもない様子で蓮華を手に取った。


「レオナルドとシャーロットはいただきます知ってるの?」


 唐突にオルカがそう言った。声をかけられたレオナルドとシャーロットは二人ともきょとんとしている。


「食前の挨拶、日本の文化ですよね。一応の心得はあります」


「おっけー! じゃあ今日の日直、龍奈よろしく!」


「はぁ? いつから龍奈が日直になったのよ!」


 急な無茶振りに抗議したけど、テーブルに座るみんなの視線が私に集まっているので、観念することにした。


「……それでは皆さん、手を合わせて」


 日直の私が渋々号令をかけると、全員がパチンッと威勢よく手を合わせた。外国人コンビも息ぴったりだ。


 ていうかすごい懐かしいわねこれ、小学生の時以来かしら。


「「いただきます!」」


 魔女狩りの緊急招集とは到底思えない緩みきった雰囲気の中、みんなが炒飯を口にしようとしたその時──


──ガラガラッ!


 店の玄関が開き、二人の人物が現れた。


「あー、ここであってるよな? なんかすげー飯食ってるみたいだけど」

「あらあら小汚いお店ですね。ごきげんよう皆さん、地獄に仏がやって来ましたよ」


 店に入って来たのは当然お客ではなく、招集された最後の二人。遅れて来たくせに随分な態度だ。


 こいつらとは初対面だけど、既に第一印象は最悪である。特に女の方。


 男の見た目は二十代前半くらいか、黒い髪に天然なのかどうかは知らないけど、少しパーマがかかっていて気怠そうな表情と妙にマッチしている。


 女は黒い髪を背中まで伸ばしていて、端正な顔立ちは、まあ美人と言っていい。しかし、妙に目が暗く、吸い込まれそうな不気味な印象を受けた。


 神様はこの女の目にハイライトを入れ忘れたのかしら。


「おいお前、遅れて来たくせに小汚い店とは轟さんに失礼だろうが!」

「そうだよ、確かに小汚いけど、小汚ければ小汚い店ほど料理は美味しいんだから!」


 炒飯を寸止めされた安藤兄妹が何やらフォローしてくれているようだけど、あんまり小汚いを連呼しないでほしい。実際小汚いけど。


「はあ、わたくしって可愛いが故に初対面の人にもよく絡まれるんですよね。ダーリン、何やら騒がしい奴らがいますけど目を合わせてはいけませんよ? バカがうつります」

「バカはお前だ。ややこしくなるから黙ってろ」


 登場するなり妙に威圧的な態度の女を、横にいるふわふわ頭がたしなめる。しかし時既に遅し。店内には剣呑な空気が流れている。


「──よし、全員揃ったな。さっさと始めるぞ」


 張り詰めた空気を無理やり押し込めるように、お父さんの野太い声が響いた。前傾姿勢になっていた安藤妹が、フンッ、と鼻を鳴らして椅子に深く腰掛け直した。


「アンタ達もこっち来て座んなさい」


 私は空いている二つの席をアゴで指した。ふわふわ頭達はおとなしく言われた通りに席に腰掛ける。


 図らずも安藤兄妹達の正面に向かい合うような位置になってしまったけど、まあ仕方ないだろう。


「今日の緊急招集だが、上から指示を預かっている。本題に入る前にまずは先日起こった事件について共有しておきたい。平田、説明を頼む」


 家では結構頼りないお父さんだが、仕事の時はまるで別人のようだ。本人には絶対に言わないけど少しかっこよく見える。


「六日前、組織所有の研究島『孕島はらみじま』が何者かに襲撃され、そのどさくさに紛れて実験体が一体逃げ出した。島にいた構成員は俺達以外全滅、襲撃者は目下捜査中だ」


 六日前というと、かなり最近の事件だ。研究島のことも初めて聞いたし、私やお父さんが知らなかったということは秘匿性の高い案件だったのだろう。


「何者かって、レイヴン以外に誰が魔女狩りの施設を襲撃したりすんのよ」

「それが定かではないから『何者か』なんて言い方をしてるのが分かりませんか? 分かりませんよね、きっと貧相な身体と一緒で脳みそも貧相なんで……」

「だから黙ってろバカ」


 私はふわふわ頭に質問したのに何故か女が答えた。おまけにいちいち一言、いや二言多い。もふもふ頭が呆れた顔で制止しているけど、段々とあの女には腹が立ってきた。


「平田、説明ご苦労。で、今回の上からのお達しはくだんの逃げ出した実験体の捜索と、発見次第生きたまま確保することだ」

「確保って、ふふ……その逃げた実験体がどこにいるか分かるの?」


 シャーロットは癖なのか、栗色の髪をくるくると指でもてあそんでいる。


「詳しい事は知らされていないが、どうやらこの街に潜伏している可能性があるらしい。平田、資料を頼む」

「これに実験体の写真と、大まかなデータが載ってある。この資料はこっちで回収するから、目を通したら返してくれ」


 ふわふわ頭がカバンから数枚の資料を取り出して、全員に配った。配られた資料に目を落とすと、やけに見慣れた顔が写っていた。


「……」


 家の玄関で緊急招集の話を聞いた時から嫌な予感はしていたけど、見事に的中した。


 資料の写真に写っていたのは紛れもなくフーちゃんだった。今よりも髪が長いし、虚な眼をしているけど間違いない。


 ハレが数日前から面倒を見ている謎の少女、魔女だと言うだけでも仰天したのに、まさか研究島から逃げ出した実験体だったなんて──


「……龍奈、どうかしたのか?」


 声をかけられてハッとした。とにかく、フーちゃんのことは徹底的に隠し通さないといけない。


 本来単独行動が常の魔女狩りに、緊急招集までかけて探させる事を考えると、フーちゃんが絡んでいる案件が何かは分からないが、相当重要なもののはずだ。


 情報の秘匿のためなら関わった人間を消すくらいわけないだろう。


 つまり、もしフーちゃんとハレが魔女狩りに発見されるようなことがあれば、アイツの生命に関わるということだ。


 それどころか私がこの手でハレを、なんてことに──


「別に、どうもしないわ。結局いつもとやること変わらないんだって思っただけよ」


──そうならないためにも、まずここで私がボロを出すわけにはいかない。そして、学校なんて行かせてる場合ではない。まじで。


「てかさ、さっきの話からするとお前らも島にいたんでしょ? じゃあこれ完全にこのマヌケ二人の尻ぬぐいじゃん」


 しばらく大人しかった安藤妹が、ニマリといやらしく目を細めた。確かにさっきふわふわ頭は『島にいた構成員は俺たち以外全滅』とか言っていたか。


 別にわざわざ言及するほどの事でもないと思うけど、ただ単にオルカが揚げ足をとりたいだけだろう。喧嘩の大安売りだ。


「……なにか、おっしゃいましたか?」


 清楚な言葉遣いとは裏腹に、禍々しい殺気がどろどろと漏れ出ている。


 止めるタイミングとしては今しかないという感じだけど、正直こいつにはかなりムカついているから、少しは痛い目を見てしまえという気持ちがそれを邪魔する。


「あれ、聞こえなかった? みすみす襲撃者を取り逃すようなマヌケの尻拭いとか、まじ最悪って言ったんだけど」

「わたくしの名前はマヌケじゃなくて桐崎こころです。死にたくなかったらきちんと名前で呼ぶように、それとダーリンの事を悪く言うのも許しません。次は殺します」


 オルカの顔を穿つように見つめる桐崎の眼は、ブラックホールのような漆黒だった。本当に殺しかねないような雰囲気になってきた。


「……やってみろよ、ブス」


──オルカが鼻で笑った直後、テーブルが吹っ飛んだ。


 凄まじい衝撃音と共にテーブルが粉々になり、ホールに木片と炒飯の残骸が四散した。


「おいおいおい、何やってんだこころ!」


 ふわふわ頭が桐崎を羽交い締めにしながら叫んだ。桐崎は振り解こうと抵抗したが、すぐにやめて両腕をダランと垂らした。

 

「あ、あたしの炒飯に何してくれてんのよクソアマ!」


 しかし、そんなことは関係ないとばかりにオルカが羽交い締めにされたままの桐崎に殴りかかった。


「いい加減にしろ!」


 テーブルが吹っ飛んだ時よりも大きな声に、全員が固まった。お父さんが額に青スジを立ててオルカを嗜めるように一瞥いちべつした。


「……いいか、俺たちは全員崖っぷちだ。組織にとって『まだ使える』と思わせておかないと簡単に切り捨てられるだろう」


「今回の件は全員で協力しないと正直言って厳しい。分かるか? 喧嘩なんてしている場合じゃないんだ。仲良くしろとは言わん、けどな、ここいる奴らは全員、理解し合える部分があるはずだ。もっとお互いを尊重しろ」


 お父さんの言うことはもっともだ。今回の任務は成功すればいい点数稼ぎになるはずだ。


 けれど、そのためにフーちゃんを売るようなことをしたくはない。したくはないけれど、失敗すれば私達の評価は著しく下がることになるだろう。


 私はどっちを選ぶべきなのか、お父さんか、フーちゃんとハレか──


「……すみません、頭に血が上っていました。壊したものは弁償します」


 意外にも真っ先に頭を下げたのは桐崎だった。それを見て驚いたような顔をしたオルカも、すぐに続いた。


「あたしも、煽るようなこといってごめんなさい……」

「むん」


 互いに頭を下げて、和解したのを見届けるとお父さんはいつもの仁王立ちで一つ頷いた。『むん』て何よ。


「ござる達もごめんね、急に喧嘩なんかして……」

「僕たちは大丈夫だよ、このとおり炒飯も無事だしね」

「……アンタ達、結構(したた)かね」


 机が吹き飛ぶ一瞬の間に、ござるとシャーロットは炒飯をしっかりと死守していた。


「というか、君達いつまで僕のことござるって呼ぶの?」

「嫌なら別に名前で呼んであげてもいいけど、アンタ名前なんだったかしら?」

「レオナルドだよ、覚えやすいと評判のレオナルド!」


 炒飯を持った外国人が詰め寄って来た。どこで評判なのかは知らないけど、どうも外国の名前は覚えられない。海外の俳優とかさっぱりだし。


「あーはいはい、長いからござるでいいわね」

「ホワァイッ!?」

 すごくネイティブな絶叫だった──





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