241.「鴉と魔女狩り⑫」
【平田 正樹】
こころが俺の家に住み始めて3ヶ月──
「ダーリンは男の子と女の子どっちがいいですか?」
「…………なんだ藪から棒に」
朝餉の支度をしていると、髪を乾かし終わったこころが急にそんなことを言うもんだから、ぎょっとして味噌汁をぶちまけそうになった。
「藪から棒だなんていやですねダーリン。将来のことを考えるのは大切なことだとは思わないんですか?」
「将来のことにも程があるだろ……子供なんて考えたことない」
「子供が出来るような事してるのにですか!? もしかしてわたくしのことは遊びたったんですか!?」
「いやそういう事じゃなくて! 順序がおかしいだろ。もっと先に……」
「先に……なんですか?」
「……もういい。飯できたからテーブルに運んでくれ」
本当は考えた事がなかった訳じゃない。こころと両想いになって、気持ちを重ね合って……身体も重ね合った。
すると当然、いつかはこいつと家庭を持つことになるんだろうななんて想像したりもする……というか、最近そんな事ばかり考える。
けど、まずは順序的に……結婚が先だろう。きちんと計画を立てたわけではないけど、大学を出たら就職して、自分の稼いだ金で指輪を買って……俺から改めてプロポーズをする。そういう漠然とした構想は出来ていたのだ。
ただ、そういう計画って大っぴらに本人に伝えるもんじゃ無い気がするし……何より柄じゃないっていうか、正直に言って恥ずかしい。
だから、この手の話題はあまり触れないようにしておこう。とりあえず、今のところは。
「わぁ、今朝も美味しそうなご飯ですね。毎日汗を流して自分で収穫した野菜を食べるって、とっても贅沢ですよね」
「ああ、そうだな。すげぇ贅沢だ」
こころの言ってる事には同意だけど、俺にとってはこうしてこいつと2人で食事が出来ることが、何よりの贅沢だと感じる。もちろんそんなこと、本人には言えっこないけど。
ブラウン管から流れるテレビの音を何となくBGMにしていると、こころがチャンネルを変えた。
毎朝この時間になると、こころが贔屓にしている占い師が出てくるのだ。
『本日もやって参りますこのコーナー! 当たり過ぎて怖い!! 最恐星座占い〜!!』
「ふふふ、わたくし今朝は寝起きが良いので、きっと今日の運勢の運勢も良いはずです」
「ややこしいわ。占いの結果を占ってんじゃねぇよ」
『早速行きます本日の1位は……ジャカジャン! 射手座でーす! 今日は数百年に一度の──』
テレビを目線の端で睨みながら、こころがムッとした表情になった。さっそく射手座に1位を奪われてご立腹らしい……ちなみにこころと俺は2人とも夏生まれの獅子座である。
「寝起き占いは当てにならんみたいだな?」
「……ダーリンの意地悪」
こころはもうテレビに興味が無くなったのか、いじけてきゅうりの浅漬けをパリパリやり始めたので、俺は何となく星座占いの続きを見ていた。
『ということで、最後に残ったのは獅子座!! 当然ながら本日は最低最悪の運勢!! やる事なす事上手くいきませんよー!』
「……ぐっ、ご無体な!!」
「おいこころ、二度と寝起き占いとかするなよ。たぶんそれせいだぞ」
「わたくしただ元気よく起床しただけですが!?」
1位ではないにしても、何だかんだやっぱり自分の星座は気になっていたようで、最下位という不名誉な称号を頂いたこころはえらくショックを受けていた。よく見ると目にうっすらと涙まで浮かべている……もうお前が獅子座の世界代表でいいよ。
『……であるからして〜胸の内に秘めた事なんかは、大切な人にきちんと伝えて下さいね!! 今日が最後のチャンスになる可能性大ですよ!! それでは皆さん素敵な1日を〜デイドリーム・フリーセルでした!!』
黒衣装に青紫のフェイスベールで顔を隠した、いかにもな格好の占い師は、ブラウン管の中から軽快に手を振って投げキッスしながらフェードアウトした。見た目とテンションを一致させてほしい。
「……朝っぱらから随分と物騒な占いだなおい」
「わたくしショックのあまり殆ど内容が右から左だったのですが、何とおっしゃってました?」
「……さあな。俺も夢中で聞いてなかった」
「わたくしにですか?」
「このナスビの浅漬けだよ」
「ナスビの浅漬けとわたくしにですね!! 照れちゃいます!!……あ!!」
バカを言いながら盛大にコップを倒して、麦茶をテーブルにぶちまけたこころを見ながら、俺は内心気が気ではなかった。
怖いほど当たる占い師……デイドリーム何某の今日の占いは異常だったのだ。なにが異常かと言うと、射手座も天秤座も水瓶座も……順位こそあれど占いの内容が殆ど一緒だった。
『今日は数百年に一度の大きな災厄が訪れる』
『逃げ場は無い』
『だから後悔のない時間を過ごすように』
生放送だからブラウン管の中で座っているキャスターや出演者達が、不穏な空気にざわついている姿もしっかり中継されていた。はっきり言って放送事故レベルだった。
「……うぅ、お茶をこぼしてしまいました……布巾を取ってきます……」
「ゆっくりでいいぞ。畳に茶が染み込む前にな」
「もう、だーりんの意地悪!!」
パタパタと炊事場に走るこころを見送りながら、俺はテレビの電源を切った。
所詮 占いは占いだ。馬鹿みたいに真に受けそうになってるのは、俺が急にオカルトに目覚めたわけじゃくて、きっと過敏になってるからだ。
こころと出会って、大切なものが出来たから……失う恐怖に過敏になっている。きっとただそれだけの事だ。
「──にゃあッ!!!!」
急にこころが奇声を発した。今度はなんだと目を向けると布巾を片手にうずくまっていた。
「……足の小指が……憎いです……」
どうやら食器棚の角に足の小指をぶつけたらしい。
「おい大丈夫か? 食器棚壊れてないか?」
「……ダーリンのばか!!」
「ふべ!!」
すごい勢いで布巾が顔面に飛んできた。
……ったく、既にやる事なす事上手くいってない気がするな──
* * *
「──りん……だー……ん!──」
真っ暗な世界に、どこかで聞いたような声が微かに広がった。段々と大きく、ハッキリと輪郭を帯びていくその声がこころの声だと分かった瞬間に、俺の意識は覚醒した。
「ダーリン!! 良かった、死んじゃったのかと……!!」
ボロボロと涙を流していたこころが、俺に抱きついてきた。唖然としていると、周囲の景色と共に段々と記憶が蘇ってきた。
俺とこころは直に来たる冬に備えてショッピングモールに買い出しに来ていたのだ。思い切ってベッドを買ってしまいませんかとか、YES/NO枕は売ってるのにどうしてYES/YES枕は売ってないんですかとか……バカを言うこころにツッコミを入れながらモールを回っていた。そしたら──
「……あの怪物……何なんですか……これは、本当に現実なんですか?」
「……怪物……?」
泣きながら震えるこころ。館内は照明が落ちて薄暗く、道には買い物袋やその中身が散乱している。あちらこちらから誰かの叫びが聞こえてくる。助けを呼ぶ声だったり、誰かを探す声……何かから逃げるような悲鳴──
そうだ。怪物だ……。
初めは何だか外が騒がしいなと思ったんだ。モールの中にいるのに、雷みたいな低い音が聞こえて来て、それが段々雷なんかじゃなくて、何かが爆発している衝撃音なんじゃないかと疑い始めた時、モールの中に悲鳴が広がり始めた。
俺とこころは3階の廊下の吹き抜けになっている部分から、悲鳴が聞こえる下のフロアを見下ろした。
見たこともない異形の怪物が、人間を殺していた。
俺とこころは声も出ずに固まっていたが、隣で同じように下を覗いていた女が甲高い悲鳴を上げた。
すると、下にいた怪物が首をもたげて俺たちの方を見上げた。俺は咄嗟にこころの手を引いてその場から飛び退いた。
次の瞬間には、さっきまで居た所が爆煙に飲まれて女が火だるまになっていた。
それから、それから──
「……俺は、なんで気を失ってたんだ?」
「……ぐすん、ひぐっ……屋上の駐車場に向かおうって……ダーリンと一緒に上のフロアに向かってたんですけど……人混みに揉まれて、わたくしが脚をくじいてしまって、ダーリンはわたくしを抱えて走ってくれたんですけど、急に床が崩れて……」
言われて上を見ると、確かにひとつ上のフロアの廊下が無惨に崩壊していた。周りが瓦礫で囲まれてるのはそういうわけだったのか。
「足以外に怪我はないか!? くそ……なにがどうなってんだ!!」
「わ、わたくしは大丈夫です……落ちる時、ダーリンが庇ってくれましたから……ダーリンこそ、本当に大丈夫なんですか!?」
「ああ、身体は無駄に頑丈でな」
『──今中継しているのは全て事実です!! 映画の撮影やでまかせではありません!!』
急にモールに光が戻った。予備電源が入ったのか何なのか……理由はよく分からないが、すぐ隣の電気屋のテレビが息を吹き返した。
走りながら撮っているのか、ブレまくる映像には鬼気迫る表情のアナウンサーが映っていた。
『信じられない光景です!! ま、街が燃えています!! 私たちの街が……家が、会社が……突然現れた無数の怪物によって襲われているのです!! この……この中継が届いているのか分かりませんが、どうか皆さん安全な場所を探して避難して下さい!! どうか……どうか…………かなこ! 見てるか!? 頼む、ゆみを連れて隠れてくれ!! 神様、どうか家族を──』
壮年のアナウンサーの中継はそこで途絶えた。一瞬映し出された街の風景は、惨憺たる有様だった。日の落ちた街は、しかし赤い炎でごうごうと赤く照らされて、数え切れないほどの黒い煙が、街中から夜空へ伸びていた。
今も尚耳に入ってくる悲鳴と何かが爆発する様な振動が、ブラウン管の向こうの出来事が今実際に外で起きていることなんだと証明していた。
「……いいか、こころ。悪い夢だと思いたいがこれは現実だ。とにかく、安全な場所を探して移動しよう。ここはいつ崩れるかわからない」
「……はい、けど……安全な場所ってどこですか」
「さあな、少なくともあの怪物から離れた場所ってのは確かだ」
俺とこころは当初の目的とは逆に地下へと向かった。地下からは無数に脱出ルートが広がっていて、単純に安全そうな所へと繋がる道が選びやすいと思ったからだ。
結果的に俺達は地下鉄のホームへと繋がるルートへ進むことになった。というのも、怪物にばったり出くわして、がむしゃらに逃げた道がその道だったのだ。地下鉄なんて、災害時に一番近寄りたくない場所なのに……頭の中で今朝の占い師が投げキッスをしている。
『やる事なす事上手く行きませんよー!!』……と。
「くそ、どうすりゃいいんだ……」
「ダーリン、大丈夫ですか? すごい汗です……一度休憩を……」
「だめだ、こんなとこで長居はできない。せめて地上に出てから……いや、地上は火の海かもしれない……」
「……ダーリン」
「……待ってろ、今考えてる」
「違いますダーリン! あそこ、人が倒れてます!」
「……!」
背中におぶったこころが指さす方を見ると、ホーム傍のベンチにもたれるように人が倒れていた。恐る恐る近くまで行くと、顔が腫れ上がった男がヒューヒューと息をしていた。
どうやら生きてはいるが、意識はないらしい。
「ひどい……人に踏まれたんでしょうか」
「みたいだな、気の毒だが今は構ってる暇はない」
「……それはそうですけど……このままというのは……」
男のボロボロのスーツにはおびただしい靴底の跡が付いていた。逃げ惑う群衆に飲まれて踏み倒されたんだろう。ただでさえ足を怪我したこころを背中におぶってる状況……助ける余裕なんてないし、そもそもこれはもう──
「……う、うぅ……」
瀕死の状態に見えた男が、微かに声を発した。おもわず通り過ぎようとしていた足が止まった。
「ダーリン、あの方……意識が!」
「まて、なんだか様子が変だ……」
こころは男を指さして戻るように促したが、俺は妙な違和感を感じて、寧ろ後ずさりをした。
男の身体は微かに……そしてだんだんと激しく痙攣し始めた。
「……うう、う、うあああああああ!!!!!」
自分の見ている光景が信じられなかった。俺とこころの目の前で、悶え苦しみながら絶叫する男……確かに俺達と同じ人間だったその男が、ものの数秒で身体を膨張させて異形へと成り果てた。
「……クルルルルラル……フー! フシュー!」
喉の奥から不気味な音を鳴らして、荒い鼻息を漏らす怪物は、まるで産まれたての小鹿のように必死に身体を起こそうともがいている。
俺は踵を返して走り出した。アレが立ち上がったら俺達は殺される。そんな馬鹿みたいで確実な予感が俺の身体を動かした。
首に回されたこころの腕に力が入っている。喉が締まりそうになる程だけど気にしてる暇なんてない。むしろ全力疾走で振り落とされないようその方が助かるってもんだ。
とにかく走った。目の前に続く道を、何も考えずにただただ走った。
背後からアレが追いかけてくる音がする。ガンガンと壁にぶつかりながら、障害物を蹴散らす音が近づいてくる……。
心臓が破裂しそうだ。こころをおぶって走っているからじゃない……自分でも意味がわからないくらい今はこころの体重を重く感じない。
アレに追われているという事実。圧倒的な死のプレッシャーが、俺の心臓を締め付けているのだ。
無我夢中で走り続けて、気づけば地上へと向かっていた。改札を飛び越えて、階段を駆け上がり、何番だか分からない出口から外へと躍り出た。
酷い有様だった。そこかしらに人の死体が横たわっていて、駅前の道路では車の行列が轟々と燃え盛っていた。熱風が吹き荒れるなか、俺は尚も走った。
どこへ向かっているかなんてわからない。どこもかしこも燃えていて、あちらこちらで獣の咆哮がこだましている。
火が燃え盛る音、雷が落ちる音、建物が倒壊する音……まるで世界の終わりだった。
倒れた信号機や人の死体を避けながら走り、ちょうど大きな交差点に差し掛かった時だった。
俺とこころの身体が宙を舞った。
正確には、空に向かって浮き上がった……という方が正しいかもしれない。体が重さを失ったように地面から足が離れると、今度は空へ向かって落ちるように俺たちは猛スピードで地上から遠ざかった。
「……きゃあああああああああ!!?」
「…………っ! こころ!!」
こころは俺の背中から引き剥がされて、俺よりも数メートル上に遠ざかった。俺は上空に落下しながら、こころへ向かって手を伸ばした。
ふわり、と。上空への落下が急に緩やかになって、止まった。地上から何十メートルなんだろうか、ものすごく高くて背後の高層ビル以外の建物は屋上が見下ろせる。
ほんの数秒ほど、無重力になったように俺たちの身体はその場でふわふわと漂った。
周囲には、俺たちと一緒に浮き上がった瓦礫や車、死体や、まだ生きている人間……。
「……はぁ、はぁ、くそ……なにが起きて──」
周囲を見回して、再びこころの方を見上げると、こころが重さを取り戻したように落下してきていた。俺は反射的にこころに向かって大きく手を伸ばした。
「……きゃあああああ!! だ、ダーリン!!」
俺の手はこころの右手をしっかりと掴んだ。が、俺の身体も途端に重力を取り戻した。
「……くっそぉおお!!!」
恐怖のあまり閉じそうになる瞼を必死にこじ開けて、俺は周囲を見回した、すぐ真後ろの高層ビル……途中のフロアが抉れて鉄筋が突き出していた。
「……だあああああっ!!!」
俺は全神経を集中して左手を外壁から突き出る鉄筋に伸ばした。極限の状況下で研ぎ澄まされた俺の集中力は、猛スピードで落下する中、景色の流れをスローモーションにした。
突き出した鉄筋を掴んで、握りしめた。落下で勢いのついた2人分の体重が、俺の左手にのしかかる。
鉄筋を掴んだ手のひらがズルズルと抉れるが、それでも俺は渾身の力を込めた。
……ポタポタ、と。左の手のひらの出血が、肩や首を伝って、こころの顔に落ちる。
俺は今、高層ビルの壁に片手でぶら下がって、こころはその俺に片手でぶら下がっている。九死に一生……さっきまで俺達の周囲に浮かんでいた人や物は地上へたどり着いたようで、悲鳴は途切れ、車は爆煙を上げている。
「……こ、こころ……大丈夫か!? 絶対に手を離すなよ……今、引き上げるから……!!」
「……だ、ダーリン……血が……」
抉れた外壁からビルの内部に入ることが出来れば、ひとまずは安全を確保できる。こころを引き上げて、2人でそれからの事を考えよう。
──くそ。
「…………ぐ、あああああああああああああ!!!!」
渾身の力を込めてこころを引っ張りあげようとしたが、10センチも引き上げることが出来なかった。
「ふざ、けんなっ……あがれ、上がれぇええええ!!」
何度もこころと繋いだ手を引き上げようと力を込めるが、身体がぶらぶらと揺れるばかりでどうにもならない。それどころか、鉄筋を掴んだ左手が血で滑って、段々とズレ落ちてきている。
「……ダーリン」
非日常の最中、あまりにも普段通りの声で呼ばれて……俺は一瞬固まった。
「……こころ、なんだ!?」
「美人薄命とは言いますけど、あれ本当なんですね……絶世の美少女もいい事ばかりじゃないみたいです」
「……おま、こんな時に……何言ってんだ!」
「わたくし、ダーリンに伝えたい事が沢山あって……きっと全部伝えるのはもう難しそうなんですけど……2つだけいいですか?」
ズルりと、鉄筋から左手が滑りぬけそうになるのを必死に食い止めながら、俺はこころを見つめた。
「え、縁起でもないこと言ってんじゃねぇ! 話なら後でいくらでも聞いてやるから、ちゃんと手ぇ握ってろ!!」
「最初に言うか後に言うか迷ったんですけど、最初に言いますね。正樹くん、愛しています」
こころは微笑んでいた。こんな状況なのに、俺の顔を見あげて、微笑んでそう言った。
「……やめろ、ふざけんな……こころ……!」
「2つ目なんですけど、わたくしが死んだら……わたくしの分までしっかり生きて欲しいんです。長生きして欲しいとかじゃなくて、わたくしの分まで、諦めずに生きてください」
「……こころ、やめ──」
こころが、繋いでいた手を離して振り払った。
こころは、そのまま炎と煙が立ち上がる地上へと落下して……消えていった。
俺は叫んだ。喉から血が出るほど叫んで、何も考えられなくなった筈なのに、まるで誰かに操られたみたいに身体は外壁から這い上がってビルの中へ逃げ延びた。
滅茶苦茶になったビルの中、声にならない声で俺は泣き叫んだ。なんで手を離したんだ。なんでこころを引き上げられなかったんだ。なんでこんな事になったんだ。なんで、なんで──
いったいどれ程の時間そうしたのか分からなかった。気がつけば俺は意識を失っていて、目が覚めたのは全てが終わった後だった──
* * *
〜1年後〜
──おそらく、血液検査だったんだと思う。
後に魔獣災害と名前の付けられたあの事件の後、突如現れた“魔女”の協力によって目まぐるしい速度で世界は復旧した。
しかし、世界中に溢れた怪我人の数は多く、そのため健康な人からの献血が一時的に義務化された。
ご多分にもれず俺もその献血に何度か参加した。中には正式な機関が行っているものとは違うものも紛れていたりして、それでもみんな報酬の配給チケットとかがあると関係なく血を提供した。
たぶん、その中のどれかが“組織”に繋がっていて、俺の適正が見出されたのだ。
『あなたの恋人にもう一度合わせてあげれますよ』
魔女狩りに勧誘された時に、入る決め手になったセリフだった。
明らかに怪しい組織だし、まったく信じていなかったけど、それでも“魔法”の存在が認知されたこの世界で、俺はそんな眉唾にすがった。
思い返せばこころの命を奪ったのは魔獣が操る魔法だった。だったら、取り戻せる可能性もそこにならあるのでは……と。
『この魔道装置であなたの記憶を読み取り、桐崎 こころさんの記憶を抽出します。それを元手に桐崎 こころさんを蘇生しますが、完全に記憶が再構築されるまで1週間から1ヶ月はかかります』
説明を受けた時は、何が何だか分からなかった。分からないまま妙な装置に寝かされて、その数時間後には目の前にこころが居た。
「…………こころ?」
病院服に身を包んだこころは、自分の足で立ってはいるが、意識は朦朧としているようで俺の言葉に反応を示さなかった。
けど、こころだった。俺の記憶の中にある通り、顔も髪もハイライトの入っていない瞳も……全部がこころそのものだった。
『初めにことわっておきますが、この身体は桐崎 こころさんのものではありません。あなたも知っての通り、オリジナルのボディは去年の災害で無くなっていますから……ああ、失礼、気を悪くしないでくださいね』
こころを連れてきた職員が無感情に淡々と説明した。
『この身体は魔女の身体です。幸いなことに変身付与を扱える職員がこの支部に来ていたので、見た目もオリジナルと同様にすることが出来ました。ついてますよあなた。で、肝心の中身の方ですが、これから徐々に復元していきますので、暫くはこちらで用意した施設に2人で滞在して下さい。出来るだけ沢山会話をしたり、昔話を聞かせたり……ああ、お2人は恋人ということですから性交渉なんかも記憶の復元を促進させるのに有効ですよ』
半分くらい、目の前の男が言っている内容が頭に入って来なかったが、俺には充分だった。もう二度と会えないと思っていた最愛の人に、会うことが出来たのだから──
* * *
「──明日からようやく忙しい日々ともおさらばですね! ダーリン!」
「……島の警護担当になったからって、別に暇になる訳じゃないからな」
「でもシフト制というのが素晴らしいです。これまで予定立てるの大変だったじゃないですか。これからはオフの日に何も気にせずデートしたりできるんですよ?」
「ああ、そうだな。この19年必死こいて働いて、ようやく手に入れた環境だ。しばらくお前のやりたい事に付き合うよ」
「ふふ、ずっとずっとダーリンと幸せに過ごせるなんて、わたくし魔女に生まれて良かったです!」
──こころは記憶を操作されていた。
2人で施設で過ごすうちに、日に日に記憶を取り戻して行ったこころは、最終的に自分が死んだ日のことを思い出しそうになった。そのタイミングでこころは職員に連れ出されて、戻ってきた時には自分は生まれた時から魔女で、俺と出会って俺を眷属にし、魔獣災害で家族と家を失ったという偽りの記憶を植え付けられていた。
『これ、記憶を安定させる薬です。毎日飲ませないと改ざんした記憶が段々と消えてしまうので、忘れずに飲ませて下さいね。本人には外装骨格の副作用を軽減するための薬だと思い込ませていますから』
毎日複雑な気持ちを押し殺して、こころが薬を飲むのを見ていた。
この薬が無くなれば、こころは全てを思い出してしまう。自分が死んだこと、俺の勝手で生き返ったこと、罪のない魔女を魔獣災害を引き起こしたテロリストだと思い込ませて捕らえさせていたこと……だから、この薬がある限り俺は組織から逃げることが出来なかった。
それでも、少しでも罪とリスクを減らしたくて、必死に組織で仕事をして地位をあげた。異端審問官 第9席まで上り詰めた俺は、ハング・ネック卿が新たに立ち上げた実験島 “孕島”の警護担当に志願した。
当分は魔女を狩る仕事をしなくて済むし、新設の秘匿性が高い施設なら、早々 鴉に嗅ぎつけられる心配もない。穏やかな日々を過ごせる。そう思っていた。
あの怪物幼女、ヴィヴィアン・ハーツが島を襲撃してくるまでは。
きっと俺の時はあの日で止まっていたのだ。20年前のあの日……あの日から、俺を追い立てる何かから逃れようと必死にもがいているけど、結局何一つ上手くいかなかった。
『やることなすこと上手く行きませんよー』
あの占い師の言う事は当たっていた。
だから、今度こそちゃんと言う通りにしようと思う。
『しし座の運勢は最下位。数百年に1度の災いが訪れて、どんなに逃れようと思っても逃れることは難しいでしょう』
『だからこそ、大切な人には胸に秘めた思いをきちんと伝えましょう』
今度こそ、ちゃんと言ってやらないとな。結局一度も口に出して伝えてなかった。柄じゃないし、恥ずかしいけど……いつでも言えるわけじゃないってのは、身に染みて経験しただろうが。
「──こころ……」
切り落とされた脚を引き摺って、折れた腕をぶら下げて、俺はこころを抱きしめた。
「……だー、りん?」
朦朧とするこころは、それでも俺の背中に手を回そうと腕を動かした。足元には、制御を失いつつある触手が集まり始めている。
俺は覚悟を決めて、こころへ話しかけた。朦朧とするこころにも届くように、めいっぱい抱きしめて、耳元で声を発した。
「……こころ、ずっとお前に言わなきゃいけない事があったんだ」
今度こそ伝えなければいけない。あの日言えなかった事を、気持ちを……望んだ形ではなかったけれど、それでも、今ならまだ間に合うのだ。
「……ダーリン、なんですか?」
さっきよりも、ハッキリした声でこころがそう言った。精一杯、苦痛が声に混じらないように務めているのが伝わってきた。
俺は一層強くこころを抱きしめて、思いを声に出した。
「こころ、お前のことを愛してる。俺と結婚してくれ」
本当は、あの日に伝えなきゃならなかった事だった。こんな状況になる前に、もっと早く言わなきゃいけない事だった。
こころが頭を動かそうとしたのを感じて、俺は抱擁を解いた。こころは顔を血だらけにしながらも、それでも照れたように、幸せそうに笑った。
「……こんなわたくしですが、よろしくお願いします。正樹くん」
俺はこころにキスをした。
20年前と同じく……いやあの時よりも絶望的な状況で、きっと間もなく俺たちは死んでしまうだろう。
けど、満足だ。大切な人に愛を伝えて、キスをして、抱きしめあって、俺にしたら上出来過ぎる最後だろう。
2回目のチャンスもやることなすこと上手くいかない人生だったかもしれないけど、最後の最後で挽回したぞ。
褒められた生き方は出来なかったけど、それでも俺は幸せだ。こころと出会えて良かった。願わくば、生まれ変わってもこころとずっと一緒に──
* * *
気が付けば、俺は大学の食堂に居た。
目の前には、いつ頼んだのかすっかり冷えたカレーの皿。
なんでこんなとこに居たんだと考えていると、そこに、1人の女が現れた。
「──あなた、浮かない顔をしていますね。けれど、幸運というのは脈絡もなく訪れるものです」
俺は何を言うでもなく目の前に座った女を見た。そんなつもりはなかったけど、ともすれば睨みつけていたかもしれない。
女は続けた。
「ふふ、わたくしみたいな絶世の美少女に突然声をかけられて戸惑っているんですね。分かりますとも」
女は自信満々といった感じで、実際かなり目を引く容姿をしていた。特に、吸い込まれそうな黒い瞳は一際俺の目を引いた。神様はこいつの目にハイライトを入れ忘れたのだろうか……と。
「……」
「ふふ、よっぽど緊張しているようですね。ですが驚くのはこれからです! なんと、あなたをわたくしの彼氏にしてあげましょう!」
あらん限りのドヤ顔でそう言い放った女に、少し間を置いて俺は答えた。
「……そりゃ幸運だな。よろしくたのむ」
お読み頂きありがとうございます!
この小説を読んで、「面白そう!」「もっと読みたいかも!」と少しでも感じましたら、
ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価頂けましたら幸いです m(*_ _)m
読者様の応援が作者の何よりのモチベーションとなりますので、是非よろしくお願いいたします!
既に本作品をブクマ、評価済みだよ!という皆様、ありがとうございます!
是非完結までお付き合いください!




