239.「鴉と魔女狩り⑩」
【辰守 晴人】
櫻子と平田の騒動が一応収束したあと、ものの数分でバンブルビーとラミー様と再び再開した。
無傷のラミー様とは対照的に、バンブルビーは身体中あちこち切り傷まみれで、特に右脚には深い傷を負っていた。そして、その隣には意識のないイースをおぶるスカーレットの姿が……。
2人を治療したフーから無事なことは聞いていたが、ボロボロになった服やおびただしい血の跡を目の当たりにすると、胸が締め付けられる思いだった。
「ごめんね辰守君。なんだか雲行きが怪しくなってきたから2人を連れて来ちゃった。スカーレットの方には事情を話してあるから」
ということらしかったが、スカーレットは俺の顔を見ても複雑そうな顔をするだけで、何も言わなかった。
「……スカーレット、ごめんなさい。何も言わずに勝手な真似をして……俺、ここに居たのに……2人が危険な目にあってるって分かってたのに、助けにいけませんでした。本当に、すみませんでした」
ジューダスが相手かもしれないと分かった時、すぐにでも俺が助けに向かいたかった。けど、感情的になりつつも頭のどこか冷静な部分は、自分が行ったところでなんの助けにもならないこと……むしろただの足手まといにしかならない事を確信していた。
そうして取れる手段の中で1番合理的なものを取ったのだ。バンブルビーに助けを乞うという、情けない以外の言葉が見つからない選択を……。
「……晴人君」
俯いていると、イースを治療台のベッドに寝かせたスカーレットが俺に抱きついてきた。スカーレットの髪からはまだ乾いていない血の匂いがした。
「……違うの。私、ジューダスに手も足も出なくて……もう少しで、貴方ともう二度と会えなくなるところだった……ううん、それならまだいいわ。もし、ジューダスの相手が晴人君だったら……そしたら、私は晴人君を守れなかった……それが、悔しくて、怖くて……私……」
スカーレットの肩は震えていた。スンスンと鼻をすするスカーレットを、俺は強く抱きしめることしか出来なかった。
「……けっ、ガキみてぇにチュンチュン泣いてんじゃねぇ。んなもん次やりあった時に勝ちゃあいいんだよ」
「……イース!」
ベッドに寝かされていたイースが意識を取り戻していた。スカーレットに負けず劣らずのやられっぷりだったらしいけど、目覚めるなり平常運転なのはさすがイースというか……今ばかりは救われる気持ちだった。
「……イース、無事で何よりだよ。で、ごめんね。ジューダス逃がしちゃった」
「おう、世話かけたなバンブルビー……それはそれとして、何で晴人とフーと櫻子が居て、魔女狩りの奴らと仲良くやってんだぁ?」
ベッドに座り直したイースは、腕の感覚を確かめるように肩を回したり手を握ったり広げたりしながらそう言った。目線はしっかりと龍奈と店長、ついでにラムを捉えている。
「悪いねイース。その辺りの事情はさっきスカーレットに説明したから、道すがらスカーレットに聞いてくれるかな。今はさっさとここから出るのが先決だ」
「……そういえば雲行きが怪しくなってきたって……何があったんですか?」
「さあね。世界一信用ならないやつが言ってた事だから、真に受ける事もないかもしれないけど、この施設がもうすぐ潰れるとかなんとか……万が一にも嫌でしょ? 泳いで帰るの」
「……絶対嫌ですね」
かくして、俺達は施設を脱出すべく再び海上フロアを目指して走り始めた。
* * *
「──死ねぇええええ!! このクソボケカスチビがあぁぁぁぁ!!!」
「むはぁ!!! オメーが死ねこのチンピラ白髪ぁぁ!!!!」
ルーを残してきたフロアの惨状は酷いものだった。海に面する外壁以外の殆どの壁が瓦礫に変わって、ワンフロアが1つの巨大な部屋のようになっていた。天井も床も所々崩れて、施設が潰れるとはこれのことではないのかと思う程の有様……。
そして、そんな状況になってもなお、ルーとバブルガムは戦い続けていた。ぞろぞろとやってきた俺達に気づく様子もなく。
「……ルー! バブルガム! 戦いをやめてください!!」
紫色の稲妻がほとばしり、瓦礫の破片が散弾のように飛び交う中で、俺は2人に向かって叫んだ。
「いいかげんくたばりやがれクソヤロウこの野郎デコ女ぁあああ!!」
「うるへー!! このおでこはチャームポイントだぞこんにゃろー!!」
二人の戦いは凄まじかった。バブルガムの稲妻を纏った双剣と、ルーの半曲刀の攻防は身体強化を発動しなければ目で追う事すら困難なレベル……。
一見すると実力は拮抗しているようにも見えたが、体に負っている傷は明らかにルーの方が多かったし、バブルガムの表情にはまだ余裕があった。
「……はい。そこまでね」
「むふぁッ!!??」
例によっていつの間にかバブルガムの背後に移動していたバンブルビーが、バブルガムの頭にゲンコツを落とした。黒い篭手を付けたままで。
「……つ〜!? むはぁ、バンブルビーおめー急に何すんだ!! とち狂ったのか!?」
「それはこっちのセリフだよ。こんな馬鹿みたいに暴れて、浸水したらどうするのかな?」
「……な、バンブルビー……それにシェリー達も、どういう事だこれは!! 説明しろコノヤロウ!!」
俺はバンブルビーと共に、今の状況を2人に話した。正直バブルガムにだけはできるだけ知られたくなかったけど、今はバンブルビーも一緒にいる訳だし龍奈と店長をすぐにどうこうは出来ないはずだ。
「……むふぅ、水くせーなー晴人! 私ちゃんにそーだんしてたら初めっから味方してやったのに!!」
「……いや、バブルガム前は龍奈の事見つけたら殺すって言ってたじゃないですか」
「むはは! それはおめーが金持ちの息子って知る前の話だろーが!! 今ならいつでも手をかすに決まってるじゃんね!! 100万で!!」
ほんの一瞬、俺はこいつの何処に惚れたんだっけと、婚約者に対して大変失礼なことを考えるところだった。危ない危ない。
はて、俺はこいつの何処に惚れたんだっけ?
「……とにかく、2人とも無事で何よりです。こうなってしまった以上、今後は仲良く……とは言いませんが、喧嘩しないでくださいね。なるべく、できるだけ、お願いですから」
「ちっ、気に食わんデコだがシェリーが言うなら仕方ねぇな。この辺で勘弁しておいてやる」
「むはぁ、おめーこそ命拾いしたなー白髪頭。晴人のお願いだから死なずにすんでんだぞー?」
「あぁ? やるかテメーコラコノヤロウクソ野郎!!」
「むはは!! ウェルダンにしてやるじゃんねー!!」
凄まじい。喧嘩をやめてと言って2秒でこれである。怪奇現象?
「はいはい。いい加減にしないと殴るよ二人とも。とりあえずこれでアビスとスノウ以外のメンバーが揃った。俺達 戦闘班はこのまま海上フロアに戻ろう」
バンブルビーがバブルガムの首根っこを掴みながらそう言った。ラミー様もイースもスカーレットも、皆異論はなさそうだ。
「じゃあ俺達はバンブルビー組と別れて別ルートで海上フロアを目指します。潜伏してるブラッシュからの指示を待って、戦闘班の皆とかち合わないタイミングでラテに拠点まで送って貰いましょう」
「えへへ、やっと皆で帰れるね!……そうだ、帰ったら皆でご飯食べに行こーよ! この前龍奈と行った焼肉食べ放題のお店!」
「え、そんなとこいつの間に行ってきたんだよフー」
「アンタが鴉にとっ捕まってSMプレイしてる時によ。このバカハレ」
なんと、俺がラミー様に調教されている時にそんな事が……というか、不可抗力とはいえやはりリンクはかなりまずいシステムだな……迂闊な事をするとフーとラミー様に何でも筒抜けになっちまう。
プライバシー保護の観点から緊急時以外は控えてもらうようにお願いしてみようかな……無理か。
「おいシェリー。SMプレイとはなんのことだ?」
「……はい?」
「晴人君、なんのことなの?」
「え、ちょ……なんのことってなんのことですか?」
他愛もない調教話にルーとスカーレットが食いついてしまった。脊髄反射でシラを切ったが誤魔化せている感じは一切ない。
「……ていうか、この協力者っていう魔女とはどういう関係なの? シェリーって……まさかそういう意味じゃないわよね?」
「お前こそさっきからアタシのシェリーに馴れ馴れしいぞコラコノヤロウ!」
「あ、アタシのですって!? 言っとくけど私は……」
「アタシはシェリーと生涯を誓い合った仲なんだよ!! 見ろこれを!!」
ルーが俺の手を掴みあげて、自分と俺の手に刻み込まれた魔法刻印をスカーレットに見せびらかした。
なんか結婚指輪見せるみたいなテンションだけど、それ魔力込めたら死ぬやつなんだよな……。
「……な……なな、浮気……!?」
「ふふん、ちなみに僕も……」
スカーレットにツッコむ間もなく、今度はラムが俺の手の隣に自分の手を上げて指輪を見せびらかした。
俺の指輪と同じく禍々しいデザインの指輪……もとい変形型の魔剣である。
まあ、俺が付けてる指輪も元はラムの持ち物だったんだから、似ているのは当然なんだが。
「……ペア……リング……? は、晴人君……どういうことなの? 浮気したら晴人君でクリームシチュー作って皆で食べるって話忘れちゃったの!? ねぇ、そうなの!?」
「そんな怖い話初めて聞いたんですけど!?」
スカーレットが物凄い剣幕でにじり寄ってくる。ルーは負けじと俺の前に立ち塞がって、ラムの奴はいたずら成功と言わんばかりに笑ってやがる。こいつめ!
「おら、いいからさっさと行くぞスカーレット!」
「ちょ、離しなさいよイース!! あいつら殺さなきゃ晴人君が……」
「ばぁか、晴人がそんな簡単に浮気とかするわけねぇだろ!! この俺様と付き合ってんだからなぁ!!」
意外なことにスカーレットを諌めたのは、横でため息をついていたバンブルビーではなく、イースだった。一緒になって俺をクリームシチューにするとか言い出してもおかしくないのに……なんにせよ、とにかく助かった。
「……晴人。話は後でたっぷり聞かせてもらうからなぁ……」
スカーレットを引きずっての去り際、イースが振り返ってそう言った。
浮気云々の疑いは別にしても、やっぱり怒ってることには違いなかった──




