238.「鴉と魔女狩り⑨」
【馬場 櫻子】
『──櫻子さん、最近何か変ですよ。悩みとかあるなら……聞きますから』
頭の奥から痛みとともに、声が、景色が、感情が、湧き上がってくる。
『──櫻子さん、今晩時間はありますか? 一緒に夕食を食べましょう。なんなら家に泊まってもらっても構いませんから』
それは徐々に鮮明に、薄い輪郭をなぞる様に、はっきり濃くなっていく……。
『私は魔女協会に保護されて、七年間一度も外へは出れませんでした。保護と言っても、体のいい監禁ですから……だから、ようやく外へ出られると聞いた時は凄く嬉しくて、凄く不安でした。櫻子さん達との初対面は、ご存知の通りあんな事になってしまって……思い出すだけでもかなり恥ずかしいんですけど、それでも、やっぱり皆さんと出会えた事は私の救いです』
ここは、この風景は……エミリアちゃんの部屋だ。以前一度だけ皆で訪れたことがある。
けど、その時にこんな会話をした覚えはない。だとしたら、これはいったいいつの記憶なんだろう。
『──だから』
エミリアちゃんが続けて口を開いて、空いていたわたしの手をぎゅっと握った。
暖かい手の感触を確かめるように、わたしも彼女の手を握り返してみる。
『だから、私も櫻子さんやカルタ、カノンさんやヒカリさん、皆さんの力になりたいんです。何か悩みとか、問題があるなら……話してくれませんか?』
真剣な表情のエミリアちゃん……こんなにわたしのことを気にかけてくれるなんて……けど、どうしてこうなったんだっけ。
わたしは何を抱えて、彼女にこんなにも不安な顔をさせていたのか……思い出せない……。
『──エミリア、実はね……わたし、櫻子じゃないの……』
一際大きな頭痛が頭を駆け巡った。うたた寝から目覚めたように、意識が一瞬現実に引き戻される。
あまりの現実の曖昧さに、もうどっちが現実でどっちが白昼夢なのか区別がつかない……頭が痛い……。
『──急にこんなことを言われても信じられないかもしれないけどね、わたしの本当の名前は…………』
わたしの、本当の名前──
「──櫻子!!」
肩を揺さぶられて、我に返った。目の前には、心配そうな顔でわたしを見るハレ君と、フーちゃんの姿……。
「……ご、ごめん……なんかふらついちゃって……もう大丈夫だから」
「……無理もない、こんなに人が……死んでるんだからな。本当に気分が悪くなったら無理せず言うんだぞ?」
言われて見渡すと、廊下には銃を持った警備兵の死体がそこかしらに転がっていた。鼻を突く生臭い臭いに、改めてふらついてしまう。
「……本当に大丈夫だから、心配してくれてありがとう。早く行かなきゃ、もうすぐ着くんだよね? 龍奈ちゃんのところに」
「ああ、ラムの奴が先に突っ走って行ったから早いとこ追いつこう」
「……うん。そうだね、早く行かないと逃げられちゃう」
わたしはハレくんとフーちゃんの後に続いて走った。イー・ルーさんが聞き出した情報ではエミリアちゃんの殺害に関わっている平田とかいう奴は龍奈ちゃんと行動を共にしている筈なのだ。
早く行って見つけないと、逃げられてしまう。そうなっては、この割れんばかりの頭痛はずっと治まらない気がするのだ。
幻覚なのか、白昼夢なのか、それともあれは失った記憶なのか……何にせよ、これ以上耐えられない。止める方法があるのならば、それはきっと復讐を果たすことだ。わたしが復讐を果たすためにこそ、この記憶らしきものはわたしの背中を押しているのだと、そう感じる。
そして時はきた──
ハレくんとフーちゃんが、龍奈ちゃんとの再開を果たしてるのをわたしは部屋の外で見ていた。嬉しそうな3人と、それを見る三龍軒のマスター……そして、残った若い男女の二人。
黒髪の緩いパーマの男と、同じく黒髪で目にハイライトの入っていない女……この人達が、こいつらが、エミリアちゃんを──
無意識にクロバネを広げていた。広げた翼はザワザワと大きくなり続けて、廊下の壁を、床を、天井を覆って尚広がり続けた。絨毯のように足元まで広がった羽に手をかざすと、バキバキと音を立てて絨毯から剣が生えてきた。社長の魔剣、キャンセレーションだ。
剣を握り部屋の中に意識を向ける。ちょうど平田らしき男がこちらに向かっているところだった。
「──思ってた以上にブラック企業だったんでな。今や組織に殺されるかヴィヴィアン・ハーツに報復されるかを待つ身だ」
驚いたのは、わたしがこの手で誰かを傷つけるのに思った以上に躊躇いが無かったことだ。
まるで、誰かがわたしの身体を勝手に動かしていて、わたし自身はそれをただ見ている……映画でも眺めているような、そんな感覚だった。
わたしは彼が部屋の出入口に来たところで、腹部にキャンセレーションを突き刺したのだ。
刃が服と皮を貫き、肉を押し分ける不快な感触……彼は驚愕の視線をわたしに向けていた。
「……なん、で……お前が……」
「……エミリアちゃんの、仇よ……」
腹に突き刺した剣を引き抜いて、今度は心臓目掛けて放たれたわたしの魔剣は、しかし彼の命に届くことはなかった。
「……ダーリンッ!!!!」
黒髪の女が物凄い勢いでわたしの腕に飛びついてきた。地面にもつれ込みそうになったけど、蜘蛛の巣のように張り巡らされたクロバネが身体を支えた。
「……ッ!?」
女を引き剥がそうとした刹那、掴まれた腕に激痛が走った。堪らずに振りほどこうとするも、女は物凄い力で腕に組み付いて離れない。
わたしは拡がっていたクロバネを収縮して、女に突き立てた。けれど、見え透いた攻撃だと言わんばかりに呆気なく躱されてしまう。
わたしから離れた女は、ほんの一瞬追撃を警戒しつつも、すぐさま平田の元に駆け寄ると、手に持っていた赤い杭のようなものを彼に突き刺した。
「……なにを……!?」
いったい何が起きているのか、困惑しているわたしに追い打ちをかけるように、二人の前に龍奈ちゃんが立ちはだかった。
「……ちょっと、急に出てきて何のつもりよ!!」
龍奈ちゃんがわたしを睨みつけてそう言った。ハレくんから聞いて魔女狩りだっていうことは分かってはいたけど、他の魔女狩りを庇うなんて考えもしなかった。
「どいて!! わたしはその人達に友達を殺されたの!!」
「友達をって……ていうか、あんたよくみたらあの時店に来てた……魔女だったの!?」
「そっちこそ魔女狩りだったんでしょ!? 邪魔するんならハレくんの知り合いでも関係ないよ!!」
パニック状態だった……なんでわたしはこんな所にいて、人の死体に囲まれて、剣なんて握って、それを誰かに突きつけているんだろう……頭の隅にある冷静な感情が、悲痛にそんな事を訴えていた。
「……ま、待て2人とも!! とりあえず一旦落ち着け!!」
「……ハレ君……」
今度はハレ君がわたしと龍奈ちゃんの間に割って入った。わたしはクロバネを引っ込めて剣を下ろした。ハレ君はわたしの腕を治療しながら少しの間考えて、ゆっくりと口を開いた。
「…………ごめん櫻子。今更だし、俺にこんな事言う権利はないってわかってる。けど、やっぱりこんな事よそう……どんな理由があっても櫻子が手を汚すことなんてないはずだ」
「やめてどうしたらいいの!? エミリアちゃんが殺されたんだよ!?」
「……けどこいつらを殺したって亡くなった子が生き返るわけじゃない。その子だってこんなこと望んじゃいないはずだ……ほんとは櫻子だってわかってるんだろ」
「……………………じゃあ、わたしはなんでここに居るの……これからどうすればいいのよ……」
──ハレ君の言う通り、本当は分かっていた。エミリアちゃんは復讐なんて絶対に望まない子だ。けど、彼女の死に現実味を感じられないわたしが復讐をやめたら、それこそ本当に曖昧なわたしの存在が否定されるような気がした。
復讐に駆りたてるこの気持ちが、自分じゃなくって他の誰かのものだって、証明する事になってしまう気がしたのだ。
「……エミリア・テア・フランチェスカ・ヘルメスベルガーを殺したのは俺だ」
数秒の沈黙が続いた中、床に膝を付いていた平田がおもむろに口を開いた。いつの間にか蒼白だった顔色が元に戻って、腹部からの出血が止まっていた。
「そいつがなんと言おうと、お前には俺に復讐する権利がある」
「……ダーリン!!」
「だが俺はそんなこと覚悟の上でやったんだ。易々と殺されるつもりはない。やるってんなら相手になるまでだ」
「望むところよ!! 今すぐ殺して……」
「あの氷の魔女を殺したのは別の方達です!! ダーリンは誰も殺してません!!」
ハレ君を押し退けて剣を振り上げた腕が固まった。
「……こころ、お前は黙ってろ」
「黙りません!! 確かにダーリンとわたくしは魔女狩りですけど、この19年1人も殺していないじゃないですか!!」
まるで穴だらけのジェンガみたいに不安定に揺れていたわたしの心が、もう限界だと悲鳴を上げた。1人も殺してないって言葉だけじゃなくて、必死に大切な人を庇おうとする彼女の目を見て、わたしとなにも変わらない“人間”なんだと悟ってしまったからだ。
バンブルビーさんに復讐の相手を殺せるのかと尋ねられた時、わたしは「はい」と答えた。
けどそれは、相手が怪物だと思っていたからだ。血の通わない、残酷で非道な怪物だと思っていたからだ──
「…………もういい。行って」
「……櫻子」
心配そうな顔をしたハレ君が、剣を落として床にへたりこんだわたしの肩をそっと掴んだ。
「…………作戦の指揮を取っていたのは俺だ。言い訳するつもりはない……だが、悪かったと思ってる」
平田はそう言って、女の子と一緒にわたしの脇を通り過ぎて部屋を出ていった。
「…………なにしてるんだ……わたし」
床に落ちた魔剣がサラサラと細かい粒子になってわたしの身体に帰ってくる。
わたしはそれを何となく眺めながら、涙も出ない自分に心底絶望した──




