237.「鴉と魔女狩り⑧」
【平田 正樹】
「──こころ、無事か!?」
けたたましい警報、スプリンクラーが撒き散らす冷たい水、轟 龍奈の放つ真っ赤な爆煙、五感で最悪を感じながら遮二無二走り続けて、俺はとうとうこころが居る治療棟へたどり着いた。
ここに来るまでの間に何人かの構成員を打ちのめして来たが、治療棟は既に静まり返っていた。
というのも、俺たちが駆けつけた時には既に、警備に就いていた構成員達が軒並み地面に倒れ伏していたからだ。
「……ダーリン!!」
この惨状を作り出したであろう張本人が、俺の顔を見るなり抱きついてきた。俺もこころの肩を強く抱き返したが、直ぐ我に返って引き剥がした。
どこか怪我をしたりしていないか念入りに身体を見回す……どうやら、大丈夫そうだ。
「こころ、時間が無いから手短に言うぞ。たぶん現在進行形で鴉の奴らがここを襲撃してやがる。俺たちはこの混乱に乗じて魔女狩りから抜ける……詳しいことは後で説明するから今は俺についてきてくれ」
「はい! 分かりましたダーリン!」
「即答かよ」
聞き分けが良すぎるこころに面食らっていると、隣の轟 親子から声をかけられた。
「……平田、アンタとはこれまでね。その陰気臭い顔をもう見なくていいかと思うとせいせいするわ!」
「ふん、こっちこそようやくツッコミから解放されるかと思うと嬉しくてたまんねぇよ……親父さんとなかよくやれよ」
「アンタこそ、上手く逃げのびなさいよね」
「……ああ、ありがとう」
こいつと行動を共にしたのは僅かな時間だ。けど、お互い似たような境遇同士、やっぱり通じるものもあった。
轟 龍奈だけじゃない……レオナルドペア、安藤ペア。姉狐ペアは……ちょっと分からんが、イレヴン回収作戦のメンバーはこの組織に入ってから初めて出来た友人のように思えた。
轟親子を除いた先の作戦はイレギュラーが重なって見事に失敗したが、幸い命を落とした奴はいなかった。
どうか、この先俺と同じ目に遭わないように祈るばかりだ。
「……ダーリン、気のせいだと思いたかったんですけど、もしかして今まで龍奈さんと一緒に居たんですか!? 二人きりで!?」
柄にもなくしんみりとした気持ちになっていると、こころが騒ぎ始めた。呆れるほどの通常運転に逆にホッとする。
「懲罰房のお向かいさんだ。お前を助けるために一時的に協力してたんだよ。お前の方も轟の親父さんと協力してたんだろ?」
「まあ、わたくしの様な絶世の美彼女がいるダーリンが、龍奈さんなんかにうつつを抜かすわけはないですもんね! ちなみに職員の方々が床でのびてらっしゃるのはわたくしじゃなくて轟父の仕業ですからね! わたくしは関与していませんとも!」
「……いや、お前も手伝えよ」
轟父に改めて頭を下げると、「むん」と唸ってうなづいた。この人常に仏頂面だから感情が読めないんだよな……。
「……というか、協力関係はここまでの約束だが、ちゃんと脱出のプランはあるのか?」
「ふん、バカにしないでよね! 外はすぐ海なんだから、壁に穴開けて海に出て、泳いで脱出するに決まってるじゃない!」
サイレンの音が止まったのかと誤認するほど、一瞬で空気が凍りついた。ふざけて言ってるんじゃなく、かなり真面目な顔で言っていたのが自体の深刻さに拍車をかけていた。
「……龍奈、壁に穴を開けて脱出は……さすがに無理だろう。死ぬぞ普通に」
「はぁ!? もしかしてお父さん泳げないの!?」
「泳げるとかそれ以前の問題なんだよ……ったく、海上1階の備品室に折りたたみのポータボートを隠してある。ギリギリ4人乗れるから一緒に行くぞ」
「な、さっきの別れのセリフはなんだったのよ!!」
「こっちのセリフだよ恥ずかしいな!!」
「ちょっとダーリン! あのボートってわたくしと海上遊覧デートするために隠してたんじゃなかったんですか!?」
「……話がまとまったんなら早く進んだ方がいいんじゃないか? 鴉と鉢合わせたらまずいことになるぞ」
轟父に言われて全員が顔を見合わせた。確かにその通りだ。こいつらのペースに呑まれるとツッコミ以外の事が出来なくなる。さっさと脱出しないと本当に鴉の魔女が来ちまうかもしれん。そう思った矢先だった──
「──見つけたぞ」
聞き覚えのない女の声とともに、部屋の中に血飛沫を撒き散らしながら警備兵が転がり込んできた。
そして、警備兵を吹っ飛ばしたであろう奴が、血の滴る大剣を肩に担いで現れた。
禍々しい角と竜のような尻尾が生えた魔女……異なる色に怪しく光る左右の瞳、あれは魔眼か?
魔眼を持っているという話は聞いたことがなかったが、それ以外なら聞いたことがある特徴だ。鴉の蒼炎の魔女、あるいは赫氷の魔女……おそらくそのどちらかがこの女だ。最悪なことに……。
「……一級の火炎魔法に身体強化、貴様が轟龍奈だな。そして隣の男がテンチョーか」
魔女は大剣に付いた血を振り払うと、剣で轟親子を指した。
「な、なんで龍奈達のこと知ってんのよ!? ブラックリストにでも乗ってるわけ!?」
「我のリストに貴様の名は無い。我が邪悪なる盟友、ラインハレトの方に貴様の名があるのだ。リストと言っても救出リストだがな」
「……救出? ラインハレトって……もしかしてバカハレのこと?」
「ふむ、真名はたしか辰守 晴人だった気がするな」
「……辰守 晴人、だと……?」
「知ってるんですかダーリ……はっ、もしかして浮気相手!?」
こころは無視して俺は考えた。辰守晴人といえばイレヴンと一緒に模擬挙式を上げていたガキの名前だ。轟 龍奈はそのガキの始末を妖怪じじいに命令されて、それをしくじったから懲罰房に入っていた筈。
なんだってその辰守晴人が轟 龍奈を助けようとしてるんだ?
「……ラム、やっと追いついた! どうだ、龍奈達は……って、龍奈!! それに店長も!!」
その時、魔眼の魔女を追いかけるように辰守晴人が部屋に入ってきた。その背後には、イレヴンまでいやがる。
「ハレ、フーちゃんも!! アンタ達、ほんとに助けに来ちゃうなんて……もう、どんだけ馬鹿なのよ、ばか!」
轟龍奈と辰守晴人、それにイレヴンの3人が目に涙を浮かべて抱き合っている。だんだんと状況が読めてきた……。
「……なんでハレとイレヴンが……龍奈、これはいったいどうなってる」
轟父は困惑している。つまり、こういう事ではないのか。
轟龍奈はイレヴンが逃亡した後、何も知らずに辰守晴人と共にイレヴンを匿っていた可能性が高い。その後任務がくだり、イレヴンがターゲットだと知った轟龍奈は俺たちはおろか父親にすらその事実をかくし、逃がそうとしていた。
「……轟龍奈、お前最初から俺達を騙してたのか。イレヴンの居場所も知ってたんだろう」
「……そうよ。龍奈がフーちゃんを……イレヴンを匿ってたの。結局あんた達に見つかっちゃったけどね」
今目の前には枢機卿が欲しがっていたイレヴンと殺したがっていた辰守晴人が揃っている。コイツらを献上すれば、ヴィヴィアン・ハーツの件の失敗をチャラにできるんじゃないのか?
……なんて考えが頭をよぎった。
「……助けが来たんならもう行動を共にする意味は無い。じゃあな。いくぞこころ」
俺はこころを連れて轟龍奈達に背を向けた。
「待ちなさいよ、文句の一つも言わないわけ?」
「散々手を汚してきたけど、自分だけ被害者ヅラするほど腐ってねぇよ」
魔女狩りは俺達を見限った。分かっちゃいたけどここにいる限りずっと綱渡りだったんだ。この期に及んでそんな組織に縋ってもどうしようもない。
あの日死んだこころは今俺の傍にいる。その事実だけあれば充分だ。俺が自分の力でこころを守る……今度こそ。絶対に。
部屋の出口に向かう途中、辰守晴人と目が合った。随分と複雑そうな顔をしていやがる。殺し合いをした割には、表情が敵意だけに染まっていないのが不思議だ。
「……おいクソガキ。あの時、温泉街では悪かったな。俺達はもうあの街には近づかない」
「……魔女狩りを、抜けるのか?」
悪かったというのは本心だった。だからといって許されようと謝った訳じゃないし、無視されるか罵倒されるのが関の山だと思っていた。
けど、こいつは無視するでも罵倒するでもなく、単純にただ心配そうに、そう尋ねてきた。
「思ってた以上にブラック企業だったんでな。今や組織に殺されるかヴィヴィアン・ハーツに報復されるかを待つ身だ」
「……え、ヴィヴィアンって……!?」
驚いた顔をしたガキを横目に、俺は部屋を出た。あんな眷属になりたての高校生にまで名前を知られてるとは、さすが四大魔女だな。
「──ダーリン!?」
「…………は?」
背後のこころが叫んだのと、腹に火傷のような熱を感じたのはほとんど同時だった。
部屋の外には女が立っていた。黒髪で、鴉の制服を身にまとった女が……廊下いっぱいに黒い羽を広げた女が……恨めしそうな顔で、俺の腹に剣を突き刺していた。
「……なん、で……お前が……」
こいつの顔を俺は知っている。ヴィヴィアン・ハーツの部下の一人……エキドナを返り討ちにした“イレギュラー”の魔女。
馬場 櫻子だ──




