236.「鴉と魔女狩り⑦」
【ライラック・ジンラミー】
──息を切らせて現れた駄犬の口からジューダスの名前を聞いた瞬間……黒鉄の表情が素に戻った。
日頃、あいつがどうして似合いもしない穏和な表情やら口調を取り繕っていのかは知る由もなかったが、たった今得心がいった。
バンブルビー・セブンブリッジは、数百年経とうとも裏切りの魔女への怨念を一向に忘れていないのだ。怒り、憎しみ、殺意……どれも己を見失わせるほどの強烈な感情だが、それらは大抵の場合時間とともに薄れゆくものだ。
だというのに、バンブルビーから感じるそれは……その鮮度は、もはや常軌を逸していた。
そしてそんな波乱を持ち込んだ駄犬の言い分はというと、自分の代わりにトカゲ共を助けて欲しいとの事だった。私は既に駄犬の企みを知っていたが、この駄犬がトカゲ共よりも幽閉されているドールを優先したのは意外だった。
……が、よくよく考えれば黒鉄に助力を乞うと決断した時点で、ドールの方を任せて駄犬自らがトカゲの元へ向かう選択肢も当然あったはず。
それを考えれば、むしろ優先されたのはトカゲ共の方なのか……?
「──ラミーついてこい」
物思いにふけっていると、フーを脇に抱えた黒鉄がそう言った。そして私が文句を言うよりも先に、猛スピードで走り出した。
「……ちっ、面倒事を持ち込んでくれたなぁ駄犬が。この借りは高くつくぞ。努努忘れるな」
駄犬にそう言って、私も黒鉄の後を追った。身体強化に加えて追い風を吹かせ、流れるようにバンブルビーとフーの匂いを辿る。
3つ上のフロアでようやく追い付いた時……ちょうどフーを降ろしたバンブルビーが、壁越しに隣の部屋のジューダスを蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされたジューダスは壁をいくつも破壊しながら吹き飛んでいった。外壁を砕いたらかなり厄介なことになるんだが、はたして黒鉄は分かっているのか……。
「……2人を頼んだ」
黒鉄はジューダスの後を追って、崩れた壁の奥へと消えた。どの程度冷静なのか、確認する暇もない。
「──イース、スカーレット! 大丈夫!?」
治療要員として駄犬が引き渡してきたフーが、部屋の床でボロ雑巾のようになっていたトカゲ共に駆け寄った。よく見ると酒カスのほうは右腕を切断されていた。
「……まてフー。まだ回復魔法は使うな。腕の切断面が塞がってしまう。この腕を元通りに固定してから回復魔法をかけろ」
私はイース・バカラの腕を拾い上げて、本体の方にくっ付けた。以前フーの回復魔法を目の当たりにしたが、あれは1級レベルだった。であるならば、切断された腕くらい容易く元に戻せるはずだ。
「わ、分かった! ありがとうラミー!」
「よし、いいぞフー。その調子だ」
フーが手をかざすと、暖かい光が発してそれに照らされた傷が見る見る癒えていった。つまらん事に腕も呆気なく繋がり、次いでスカーレット・ホイストの方も恙無く治療が終わった。
「……ラミー、どうしよう2人とも起きないよ?」
「心配するな。怪我自体は治っている。魔力が底を尽いたわけでもないようだし、直に目を覚ます」
「そっか、良かった! じゃあ私バンブルビーを助けに行ってくるね!」
「いや、お前はもう駄犬の元へ戻れ。色欲と魔眼に案内させれば迷うこともあるまい。黒鉄の助成には私が向かう」
「……ラミー、1人で大丈夫なの? 気をつけてね?」
「ふん、私の身を案じているのか? まあ、私が死ねば駄犬も道ずれになるやもしれんからな……」
「そんなの関係ないよ!! 私、ラミーのこと好きだから酷い目にあって欲しくないの!!」
「……そうか。まったく、愛いやつめ」
私はフーの頬をひと撫でして黒鉄の後を追った。
さて、どうしたものか。もし黒鉄がジューダスに殺されるような事があれば……その時は、私がめでたく自由の身になる訳なのだが──
* * *
【バンブルビー・セブンブリッジ】
──あの日、最後に見た時からジューダスは何も変わっていなかった。
レイチェルがよく羨ましがっていた長い銀髪。
ヴィヴィアンとウィスタリアが喧嘩して、城を半壊させた時にも崩さなかった、あの柔和な顔つき。
敵にだけ見せる、真冬の冷気のような鋭く冷たい魔力。
何もかもあの頃から変わらないジューダスが、今俺の目の前にいる。
瓦礫の山から平然と起き上がったジューダスは、服に着いた砂ぼこりを払い落として、握っていた魔剣が折れているのに気づくと無造作に放り捨てた。
地面に当たる前に、魔剣は霧散して空気に溶ける。
「──ふふ、久しいわねバンブルビー。400年ぶり……とかかしら? 相変わらず凄い蹴り。ああ、あとその髪、長いのも似合ってるわよ」
自分の身体からおどろおどろしい魔力がドロドロと漏れ出るのを感じた。
ずっと、復讐を胸の奥にしまっていた。レイチェルが殺されたあの日から……ずっとだ。
俺が鴉を抜けなかったのは、あの日レイチェルに頼まれたからだ。本当ならすぐにでもジューダスを探し出して殺してやりたかった。その衝動を抑えて、半ば気の触れたアイビスに付き従ってきたんだ……。
400年前……この女はあの頃と変わらないままでここに立っている。レイチェルを……エリスやルクラブ達を殺しておいて……。
「──殺す前に、ひとつ聞きたい」
「ええ、どうぞ」
「…………なんで、レイチェルを殺した」
これだけは確認しておかなければならない事だった。今更知ったところで、何を取り戻すことも出来ないし、なんの慰めにもならない。
けど、納得したかった。ほんの少しでも、何か理由があったのだとしたら……そう思いたい気持ちがあった。
コイツは鴉を裏切ってレイチェル達を殺した憎むべき相手だ。だけど、こんな事になる前……ジューダスが俺たち鴉の一員であり家族だったことも事実なのだ。
だから、殺し合いの前にこの質問をするのはケジメなのだ……自分自身を、納得させるための。
「──私、自由になりたかったの」
「…………自由……だと?」
「ええそうよ。手に入らないと分かっているものを待ち続けるのって、時間の無駄だと思わない? あの日、私はそれに気づいて、ただ鎖を断ち切っただけよ」
「レイチェルがお前に振り向かないから殺したってのか」
「……バンブルビーは凄いわよね。想いを寄せてる相手が他の誰かと婚約しても、笑って祝福できるんだから。私にはとてもとても……けどあの子もあの子よ。あの日……あんな仕打ちを受けてまだアイビスから心が離れないんだもの。本人は気づいてなかっただろうけど、レイのあれはもはや依存症ね」
「黙れ! お前が気安くレイチェルの名前を口に出すな!! レイチェルの事を知った様な口を叩くな!! お前にそんな資格はない!!」
「怒鳴らないでよ。私はただ質問に答えてあげただけでしょ……まあいいわ。くだらない問答はこれで終わりよ。同じ女性を好きなった同士、仲良くしたかったのだけど……殺すわね。バンブルビー」
「死ぬのはお前だ。ジューダス」
俺は右脚で地面を踏みつけて、床と壁全体に魔力を流し込んだ。地属性の青魔法で部屋全体のコンクリートが黒鉄に染まる。
これで踏み込む度に床に穴が空いたりすることもないし、施設が浸水する憂いもない。思いっきりやってやる。
「真っ赤な部屋の次は真っ黒な部屋……下準備どうもありがとう」
ジューダスが新しい魔剣を精製して構えた。一瞬の視線の交差……お互い殆ど同時に攻勢に出た。
裂断卿 ジューダス・メモリー……戦いで扱う魔法は特級の身体強化魔法のみ。
だが、特級の身体強化の力に加えて数百年間磨き続けた剣技は、500年前の時点で“なんでも斬れる魔法”レベルまで昇華していた。
実際、さっきまでジューダスとイース達が戦っていた部屋の床には、真っ二つに切断されたスカーレットの“オールドタワー”が転がっていた。つまり、コイツの剣は避けるか、刃以外の部分で受けなければならない。
それを踏まえた上で、俺は繰り出される剣を右手で追った。剣の刃に触れないように、魔力で編んだ黒鉄の篭手で丁寧に捌いていく。
ジューダスの剣は何度弾いても、次の瞬間には直ぐに返す刃が体に迫ってくる。攻撃に転じる隙がない……それどころか魔剣を新たに精製し、二刀流になった事で数秒間の均衡が一気に崩れた。
隻腕を重荷に感じたことはないが、結局のところ剣2本と腕1本……リーチと手数を補う実力差もない。
瞬く間に身体に傷が増えていく。だが下がらない。はなからコイツと身体強化だけで張り合おうなんて思っちゃいない。
ギリギリで右手の剣を躱し、ついで襲い来る左手の剣を俺は掴み止めた。ジューダスは一瞬ギョッとした顔を見せたあと、直ぐさま右手の剣を振り下ろした。
だが、剣が届くよりも先に地面から伸びた黒鉄の野太い棘がジューダスの腹を貫通した。
……否、すんでのところでジューダスは身を捩って棘を避けた。棘は服を切り裂くに留まった。しかし、剣を掴まれたまま無理に身体を捩ったジューダスは、大きく体勢を崩していた。
俺は掴んだ剣を振り上げて、そのまま地面に振り下ろした。剣を握っていたジューダスは猛烈な勢いで地面に叩きつけられた。
俺は剣から手を離し、地面に激突した反動で浮き上がったジューダスの身体に蹴りをお見舞いする。咄嗟に剣で防ごうとしたようだが、手応えはあった。右手の剣もろともに俺の蹴りはジューダスの肋を蹴り砕いた。
黒鉄で強化した壁に亀裂を入れる勢いでぶち当たったジューダスは、しかし片膝をついて持ちこたえた。
すぐさま追撃に出ようとしたが、鋭い痛みを感じて見ると、右脚の太腿がバックリと切れていた。どうやら蹴り飛ばした時に斬られていたらしい。傷口を黒鉄で石化させる。
「……ふ、ふふ……まさかこんなに強くなってるなんてね。驚いたわ、小細工が上手くなったのもそうだけど、まさか身体強化をここまでまで押し上げてるなんて……特級、とまではいかないけど、限りなくそれに近い。相当頑張ったのね……」
ジューダスは口から血を滴らせながら、左手の魔剣を、折れた右手の魔剣の柄で叩き割った。バラバラと黒い破片が地面に散らばる。
左手の魔剣はさっき掴み止めた拍子に石化魔法で支配してジューダスの手を拘束していたのだ。
あいつが地面に叩きつけられる時に剣から手を離せなかったのはそのせいだ。
「毎日死ぬほど修練しただけだ。お前を殺すことを思えばなんの苦でもなかった」
「ロマンチックなこと言ってくれるじゃない。どうしようかしら、あなたのこと好きになっちゃいそうだわ」
「……その減らず口、直ぐに黙らせてやる」
「強がっちゃって、分かってるでしょ? その脚じゃもう勝ち目は無いって。石化のせいで切り落とせなかったけど、骨まで届いていてる感触だったわ。血は止めれても、ろくに動かせないでしょう」
その通りだった。右脚は殆ど感覚がない。今は左脚1本と体幹で身体を支えている状態だ。だが、だからなんだってんだ。そんなのこいつを殺さない理由にも、殺せない言い訳にもならない。
「口からダラダラ血を流してる奴がなに言ってんだ。俺はこの数百年間片腕で鴉の悪たれ共を束ねてきたんだ。片足になろうが腕がもげようがお前をぶっ殺してやるよ、かかってこいジューダス!」
「熱烈なお誘いに応えてあげたいのは山々だけど、今日のところは仕切り直しとしましょう。そろそろタイムリミットだわ」
「……ふざけるな!! 逃がすと思ってるのか!?」
「ゾクゾクさせてくれたご褒美に教えてあげるけど、この施設はさっさと出た方がいいわ。あなた達がこれ以上何もしなくても、もう勝手に潰れるから……じゃあねバンブルビー。生きてたらまた会いましょう」
「……ッ待て!! 逃げるなジューダス!!!!」
ジューダスは懐から取り出した紙に魔力を込めて消え去った。転移魔法の魔法式……あれを使われたらどうすることも出来ない……。
「──ふむ、ジューダス・メモリーは退いたか。相変わらず何を考えているか分からん奴だ」
あまりの怒りと悔しさに叫び出しそうになっていたところで、ラミーが現れた。どうやら様子を窺っていたらしい。ラミーの呆れた顔を見て、俺は我に返った。
「……イースとスカーレットは……?」
「残念ながら無事だ。フーの回復魔法は優秀でな」
「……そうか。ならよかったよ…………ずっとそこで見てたの?」
「……ああ。加勢した方がよかったのか?」
「……いいや……気を使わせたみたいで悪かったね。2人の所へ戻ろう。なんだかきな臭くなってきた」
「それに関しては同感だ。さっさと下へ進んで仕事を終わらせようではないか」
さっきラミーが助成に入ったとしても、俺はそれを拒んだだろう。横槍を入れられたくはないし、そもそもジューダス相手にラミーがいては正直足でまといだ。
ラミーもそれが分かっていたから傍観に徹していたんだろうが……戦いに参加するつもりが無かったわりには、今も尚しっかりと彼女の手に握られていた魔剣“イグラー”が、俺には妙に怪しく光って見えた──




