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233.「鴉と魔女狩り④」


【平田 正樹】


「──ダーリンの家に行かせてください!!」


 こころの奴がそんな事を言い出したのは、偽装交際を初めて一月と少しが経った頃だった。


「……なんだってお前を家に招かないといけないんだよ。無理だぞ」


「……なんと、ついに尻尾を出しましたね!?」


「なんだ藪から棒に」


「普通、(わたくし)のような絶世の美少女が家にお邪魔したいと言えば、生殖機能が健在な男子(おのこ)であれば……いいえ、たとえそうでなかろうとも『ウヒョヒョイ据え膳!』と大はしゃぎする事請け合いです!!」


「そんなことないだろ」


「だというのにダーリンのその態度……やはり家に愛妾(あいしょう)でも居るんですね!? だから大学の外では会ってくれないんですね!? ダーリンのバカ! 不埒者!」


「とんだ言いがかりだ」


 本当にこれはとんだ言いがかりである。俺に愛妾など居ないのは当然として、大学の外でこころと合わないのは、単純に暇ではないからだ。


 母が大切にしていた庭。形見と言ってもいいその庭を管理できるのは、今となっては俺しか居ない。

 ただでさえ大学前の短い時間では思うように管理が行き届いていないのに、大学後まで手を抜いたらあっという間に荒れ果ててしまう。


 だから基本的にこころの誘いは全て断ってしまっているわけだ。別に付き合ってやってもいい気持ちはあるのだが、如何(いかん)せん1人での庭仕事にかなり手こずってしまっているというのが現状なのである。


「じゃあ別に(わたくし)が家にお邪魔してもいいのでは!? なんの問題があるんですか!」


「……今の状態の家にお前が来ても、ろくなもてなしも出来ないからだよ。色々とごたついてるんだ」


 そう言うと、こころはハイライトの入っていない目を丸くして、急に得意げな顔になった。


「……ほう、ほうほう。つまり家に上げたくないのは(わたくし)を気遣っての事だったと?」


「まあ(おおむ)ねそうだ」


「ふふふ、そんな事気にせずともよいのです! 寧ろ、お手伝いに行きますとも!」


「行きますともって……何の手伝いだよ」


「なんでもお任せ下さい! (わたくし)才色兼備(さいしょくけんび)にして文武両道(ぶんぶりょうどう)八方美人(はっぽうびじん)のアルティメット偽装彼女ですから!」


「自画自賛のタイムセールかよ……まあ、そこまで言うなら別にいいけど。本当に大したもてなしは出来ないからな。後になって文句言うなよ……」


「予言します。ダーリンはこの後、(わたくし)の万能っぷりに驚愕することになるでしょう!」



〜1時間後〜


「ひぃいいいいい! ダーリン虫がっ!? こ、こっちにはカエルがぁ!? 助けて下さい身動きが取れませぇぇえん!!!!」


 ビオトープと畑の狭間で、ボロボロ涙を流して叫ぶこころ。俺はそれを呆然と眺めていた。


「ダァーリィィーン……怖いですぅう、助けて下さいぃぃぃい、なんで無視するんですかあぁ……!!」


「……いや、すまん。お前の無能っぷりに驚愕してた。予言通りでびっくりだぜ」


「うぇぇえええ!! 意地悪言わないでくださぁあああい……!!」


 草刈り用の鎌を片手に大泣きするこころ。非常にシュールな絵だが、さすがに可哀想になってきたのでそろそろ助けてやろう……そう思った時──


「……あ、雨だ」


 ぽつりと、雨のしずくが鼻の頭に当たった。数十分前までは晴れていたのに、気がつけば空は雨雲に覆われていた。

 嫌な予感に急かせれて、俺はさっさとこころの元へ向かおうとしたが、時すでに遅し。バケツをひっくり返したような夕立に見舞われた。


「きゃあああああ!! 雨まで降っできましだァァァァああ!!?」


 俺は持っていたスコップとバケツを放り捨てて、こころの元へ駆け寄った。既にパンツまでびしょ濡れだ。


「……くそ、泣きっ面に蜂だ!!」


「うぅぅ、どちらかと言うと泣きっ面に夕立ですぅう……」


「言ってる場合か!!」


「……ひゃあ!?」


 俺はこの期に及んで固まっているこころをだき抱えて、軒下へと走った。途中でこころが履いていた長靴が脱げたりしたが、構っている暇はなかった。


「……ったく、ポンコツのうえに雨女かよ。ちょっと待ってろ、タオル取ってくるから」


 だき抱えていたこころを縁側に座らせる。当然こいつもびしょ濡れだ。夏用の薄い生地が透けて、下着が丸見えである。


「……あ、あのっ……」


 脱衣所に向かおうとしたが、こころに服の裾を掴んで呼び止められた。


「なんだ、雨女って言った文句なら後にしてくれ……って、お前顔が赤いぞ、熱中症か!?」


 俺を見上げるこころの顔は真っ赤に染まっていた。7月中旬とはいえ今年の暑さはなかなかのものだ。蒸し暑い中あれだけ大泣きしてたんだから、熱中症になってもおかしくはない。


「おいちょっとデコ出せ!」


「ちょ、ひゃああぁ!?」


 俺はこころの額に手を当てて熱を測った。水で濡れているがやっぱり暑い……熱中症だ!


「頭痛とか吐き気はあるか? そうだ、水分補給……いや、その前に濡れた服を脱がせた方がいいのか!?」


「あわわ……だ、ダーリン落ち着いて下さいッ!!」


「ウッ……!!」


 こころの服をはぎ取ろうと覆いかぶさったところで、(したた)かにみぞおちを殴られた。俺は呼吸がつっかえて、ごろりと縁側に転がった。


「……す、すみませんダーリン……その、あまりの勢いについ……」


「……いや……すまん、俺がどうかしてた……ぐ、身体は平気か?」


「え、ええ、何ともありません。急にだき抱えられてびっくりしただけです……むしろダーリンの方が平気でしょうか。私ったら渾身の一撃を……」

 

「あ、案ずるな……大事ない……」


「……絶対嘘じゃないですか。喋り方が戦国になってますよ……」


 確かに嘘だ。しかしお前にだけは言われたくない。


「……ふぅ、ほんとに大丈夫なんだな?」


 しばらく息を整えた俺は、気を取り直してこころに向き直った。見たところ、さっきよりも顔から赤みが引いている。熱中症は早合点だったらしい。


「もう、急に心配し過ぎですよ……や、やはり(わたくし)のこと、好きになっちゃったんですね? ダーリンったら……」


「いや、それは無い……ていうか、お前さっきから下着が透けてるぞ。ちょっとは隠せ……へぶぅッ!?」


 ぶん殴られた。それもグーで。

 


〜2時間後〜



「──わぁーなんと美味しそうなパスタでしょう! やはり(わたくし)料理の才能もありますね!」


「……お前はトマトを湯むきしただけだろ」


 俺の顔面にアザが出来た後、結局タオルごときではどうにもならないと各々交代でシャワーを浴びた俺達は、雨上がりの庭を整備する係と、夕飯の支度をする係に分かれることとなった。


 当然俺が庭担当である。しかし、1時間半ほどして作業を切り上げると、こころのやつは炊事場でしくしくべそをかいていた。


 何故か泡まみれの米びつに、何かが猛烈に焦げた匂い。そこかしらに散乱する小麦粉と、割れた卵の残骸……地獄絵図だった。


 結局、急遽俺がパスタを作ることになった。

 “米を洗う”を額面通りに受け取めすぎたこころ様のおかげで、白米が全滅したためだ。


 メニューは朝のうちに庭で収穫したトマトを、ふんだんに使ったトマトパスタだ。父が最初に俺に教えてくれた料理で、家族皆の好物だった。ちなみにこころはトマトの皮を湯むきしてドヤ顔をしていた。


「ダーリン、もう食べていいですか?」


「どうぞ、召し上がれ」


 こころは花が咲いたみたいに微笑むと、子供みたいに勢いよく手を合わせていただきますをした。よっぽど腹が減ってたらしい。

 俺も手を合わせて、パスタをフォークに巻き付けた。


「……ダーリン、これ……すごく酸っぱいですぅ……」


「トマトパスタなんだから当たり前だろ。酸っぱいのが美味いんじゃないか」


(わたくし)酢の物とか酸っぱいものは普段あまり食べないんですよぅ」


「好き嫌いは良くないぞ。実を言うと俺も初めはそこまで好きじゃなかったんだが、不思議と食ってると病みつきになるんだ」


「……ダーリンがそう言うなら、信じますけど……うぅ、やっぱり酸っぱい!」


 この家で誰かと食事をしたのは一月ぶり以上の事だった。さっきの雨は凄ったとか、たわいのない話をして、こころのやつは酸っぱい酸っぱい言いながらもパスタを完食した。


 こころが荒らした調理場の後始末をしている時だった──


「……あの、ダーリン。お手洗いをお借りしてもよろしいですか?」


「ああ。廊下を進んで一番奥だ。ちょっと遠いぞ」


「ええ、大丈夫です」


 こころが居間から出ていって少ししてから、トイレットペーパーの残量が心もとなかった事を思い出した。俺は慌ててこころの後を追った。あいつがトイレまで全力疾走してない限り、多分まだ追いつける筈だ。


 実際、トイレに行く途中で俺はこころに追いついた。こころは廊下の途中、とある一室の前で立ち止まっていた。


 そこは、父と母が生前使っていた部屋だった。


「……あ、ダーリン……すみません、(ふすま)が少し空いていて……その……(わたくし)……」


 どうやらこころは部屋の中を覗いてしまったらしい。様子を見るに、変に気を使わせたみたいだ。


「別に気にするな。早くトイレ行かないと漏れちまうぞ……ああ、そういえばトイレットペーパーを補充しようと思って追いかけてきたんだよ。危なかったな……」


「……ごめんなさい」


 空が茜に染まる黄昏時、夏虫の鳴く声がころころ響く縁側。掠れるような声でこころが頭を下げた。


「おい、急に何だよ。雨女の件は……ありゃ冗談だぞ」


「……ご両親、ですよね。その……()()()()()()


 こころは見てしまったのだ。亡くなった父と母の部屋。部屋の壁際に置かれた仏壇と……その隣、中央に置かれた後飾り壇を。


 俺はこんな事になるまで知らなかったけど、故人の魂は亡くなってから四十九日までは、仏壇じゃなくて後飾り壇に入るのだ。

 つまり、それを知っている人が見れば、後飾り壇を見ただけで故人は二月以内に亡くなったと推察出来るわけである。


 こころの質問は、つまりそういう事だ。


「……明日でちょうど四十九日だ」


「……!! じゃあ、あの日は……本当にごめんなさい! (わたくし)、なんて無神経なこと……ごめんなさい、ごめんなさい……」


 あの日とは、きっと初めて俺達が出会った日の事だ。両親の死に絶望していた俺に、こころが声を掛けてきた日──


 こころはぽたぽたと縁側に涙を落として、華奢な身体を震わせていた。何度も何度も、「ごめんなさい」と繰り返しながら。


「……カレーを食ってなかったのは、猫舌だからじゃなかったんだ」


「………………?」


 俺は目の前で泣いてるこころをどうにか泣き止ませたくて、テンパる頭で言葉をつむいだ。


「あの日……ていうか、あの日まで……ずっと死のうかと思ってた。俺……養子でな、引き取ってくれた両親以外親戚も居ないから、俺が死んでも誰も悲しまないだろうって」


 こころは依然涙をぽろぽろ零しながら、黙って俺の話を聴いている。


「ちょうど二週間目だったんだ。あの頃はもう飯もろくすっぽ食えなくなってて、ただ日常が壊れたって認めるのが嫌で、ただいつも通りを装いたくて、形式的に頼んだカレーだったんだ」


 言葉にして、自分でもそうだったんだと納得した。ずっとどろどろとした真っ黒な感情に揉まれて、自分の事に気づけなかったんだと。それが今になって、こころのために必死に頭を回してようやく整理がついたんだ。


「……けど、俺はあの日カレーを食った」


「…………」


 ほんの少し、俯いていたこころの目が開いた気がした。


「急に出てきたヤバい女が、俺に言ったんだ。『幸運は脈絡もなく訪れるものです』ってな。そのうえそいつは急に偽装交際を持ち掛けてきた……嘘みたいな話だよな」


「……ダーリン……」


 こころが鼻をすすりながら、何か言おうとした。きっとまた謝ろうとしているんだと察した。


「……実際のところ、偽ってたのは俺だったんだ。両親の死を受け止めたフリをして、その実まだ逃げようとしてた。現実から目を逸らして、日常を利用してた……こころ、お前が前を向かせてくれたんだ」


「……わ、わたくしが……?」


「お前みたいな奴がそばに居たら、嫌でも顔がそっちに向いちまうんだよ」


 逆だったんだ。最初はこいつといる間は、両親のことや、暗い誘惑を忘れられると思った。現実逃避にちょうどいいと思っていた。


 けど、こころが現実に俺を(いざな)ってくれた。引き戻してくれた。本当の意味で両親を悼む気持ちを、両親の死を、呪いにしないで済むようにしてくれたんだ。


「俺はあの日、お前が声を掛けてくれて幸運だったんだ。だから泣くな」


「……ダーリン〜ッ!!」


 こころがやおら俺に抱きついてきた。胸に押し付けられた顔から、熱が伝わってくる。Tシャツも涙だか鼻水だかで湿っていくのを感じる。


「……おい、もう泣くなって言ってんだろ。涙腺がバカになっちまうぞ」


「……ぐすん、ダーリンこそ……泣きたい時は泣いてもいいんですよ。絶世の美少女の(わたくし)が、胸を貸して差し上げますから……」


 目を真っ赤にしながら、いつもの得意げな顔でこころがそう言った。不覚にも、可愛いと思ってしまった。


「……生意気言ってんじゃねぇ。さっさと便所に行ってこい!」


「ひゃあ! 漏れそうなんですからもっと繊細に扱ってください! というかトイレットペーパーは!?」





* * *




【辰守 春人】



 海中8階フロア……事件は起きた。


「──イースとスカーレットがやられたわ」


 ブラッシュの通信を聞いて、俺は拳を握りしめた。


 四大魔女 裂断卿 ジューダス・メモリーと思わしき反応と、イースとスカーレットの反応が遭遇したと聞いたのがつい数分前……ほんの数分で、2人が……助けに行くべきかどうか、決めかねていた間に起きた出来事だった。


「……ブラッシュ、二人は無事なんですか!?」


「ええ、どうやら死んではいないわね。今のところは」


 ブラッシュの言葉に胸を撫で下ろしたのも束の間……彼女の言うとおり()()()()()()なのだ。


 今すぐに二人の元へ駆けつけたい。さっき俺が通り過ぎた1つ上のフロアで、イースとスカーレットが死にかけているかもしれないというのに……俺は──


「……ラインハレト、もし相手がジューダス・メモリーなら僕達が総出でかかっても勝ち目はないよ。行けば無駄死にだ」


「……ハレ、イースとスカーレット……大丈夫なの? 助けに行けないの?」


 ラムの言うことは分かる。ここで上のフロアに行くのは愚行中の愚行だ。音や振動で戦闘の様子は伝わっていた、数分の激しい攻防の末、決着が着いた感じだった。

 つまり、イースとスカーレット相手に不意打ちでも何でもなく、まともにやり合って打ち勝ったのだ。そんな化け物相手に、犠牲が出ない訳が無い。自分の命なんて惜しくない……けど、フー達を巻き込む訳にはいかいない、絶対にだ。


 けど、みすみすイースとスカーレットを見殺しにする事だって絶対に出来ない!


「……ブラッシュ、居場所を教えて欲しいです」


「ふふ、誰の居場所を知りたいの?」


 俺は耳元のピアスに魔力を込めながら、その名前を口にした──






 



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