231.「鴉と魔女狩り②」
【平田 正樹】
「──全く、こんなにか弱い絶世の美少女に手をあげるなんて信じられません! もしかしてこれ夢ですか!?」
「……痛いからこんなとこまで来たんだろ。夢じゃねぇよバカ」
「ば、バカ!? 性懲りも無くあなたという人は……好きな人に意地悪するタイプなんですね!!」
「なんだこいつ」
俺は指が痛いと大騒ぎする女を、大学の保健室に連れて来たところだった。無論こいつの怪我は俺が手をあげた訳では無い。
というか、むしろ手をあげられたのは俺の方なのだ。
「……だいたい、人の顔面をグーパンしておいて指怪我するとか、迷惑過ぎるだろお前」
「あなたの顔が硬いのがいけないんです! 皮膚の下に骨でも入ってるんですか!?」
「入ってるに決まってんだろ」
「あと、私の名前は桐崎です! 桐崎 こころ!! くれぐれもお前などと呼ばないように。傷つきますので」
「アグレッシブな性格と心身のディフェンス力が釣り合って無さすぎるだろ」
まったく、何だってんだこのイカレ女は。急に現れて次から次へと訳の分からんことを……。
「……そういえば、さっき彼氏がどうとか言ってたな。あれは何のつもりだ」
「はっ! そうでした! 私としたことが、すっかりうっかり本懐を忘れていました!」
桐崎は勝手に保健室の戸棚を漁って湿布を取り出した。勝手知ったるなんとやらだ。
「こほん、あなたを私の彼氏にしてさしあげます!!」
「……い……ったいぜんたい、なんの話しをしてんだ?」
危ねぇ……もう少しで『イカレ女が何ほざいてやがる』と言ってしまうところだった。グーパンループはもうごめんである。
「……おや、理由を知りたいんですか?」
「当たり前だろ。なんでそんな不思議そうな顔してんだよ」
「いえ、普通は私のような絶世の美少女と交際できるとなれば、思考を彼方へ放り捨ててウヒョヒョイ! と小躍りする場面だと思うのですが……」
俺は桐崎の手から湿布をひったくってビニールを剥がした。すると桐崎は何を思ったのか、ドヤ顔で拳を突き出した。
「言っとくが、普通の奴はお前みたいな危ない女に絡まれたら小躍りなんてせずに無言で逃げ出すんだよ。あとその手はどういうつもりだバカめ」
俺は湿布がシワにならないように、丁寧に広げながら自分の頬に貼り付けた。女だてらになかなかのパンチだったのだ。
「な、私の手に貼ってくれるんじゃなかったんですか!? なんという不埒者!!」
「……不埒者とか初めて言われたわ。戦国か」
どうやらふざけている訳ではなく、本当に湿布を貼ってもらえると思っていたらしい。真剣にショックな顔をしてやがる。
仕方がないので、新品の湿布を桐崎の手に貼ってやった。
「ふふ、ひんやりして気持ちいいです」
途端にご機嫌。なんなんだコイツ。
「で、私このとおり、絶世の美少女 故に男子諸君にもてはやされるじゃあありませんか?」
「急に再開すんな。一時停止してたビデオかお前は。あと普通にモテるって言え。そんで知らねぇよ」
くそ、誰とも話なんてしたくないのに……この女、妙に無視できないうえに、ツッコミが追いつかねぇ。
「大学に入ってからというもの、私の美貌に誘われた方々から、様々なサークル活動に勧誘されたりもしまして……」
どうやら言いたいことを言い切るまで俺のツッコミはスルーするらしい。この野郎。
「大抵掛け持ちも可能だというので、誘われれば入ってみるのです。私いい女ですからね。するとどうでしょう、サークルの男子諸君が片端から私の虜に……それも独り身の方からお相手がいる方まで関係なしです」
「……」
何を聞かされてるんだ俺は。
「まあ、私も好意を寄せてくる殿方にあまり無体な仕打ちはしたくないので、表面上は愛想よく振舞ったりするわけです」
「おい、口調が若干江戸時代なの何とかしろ。気になって話が入ってこねぇよ」
「しかし、そうなるといい顔をしない方々も出てくるわけです……そう、同じサークルの雌豚共です」
「急に口悪ッ!」
「雌豚共はやれ媚び売りがキツいだの彼氏を誘惑するなだのと喚き散らし、それを見た殿方達は私を守ろうとして結果、豚と戦争に……そしてサークルは崩壊……」
「……男と女の扱いの違いに原因の一端を垣間見た気がするぞ」
男は殿方。かたや女は雌豚ときた……なんなら最後の方はシンプルに豚って言ってたしな。
「ああ、なんという悲劇……ほんの2年で崩壊したサークルは両の指でも数え切れません……私のような悲劇の美少女をなんというかご存知ですか?」
「サークルクラッシャーだろ」
「そう傾国の美女です!!」
「サークルクラッシャーだっつってんだろ!!」
「そして聡明かつ絶世の傾国の美女である私は妙案を思いついたのです!!」
「……形容詞が渋滞してるぞ」
「私に彼氏がいればさすがに殿方も声をかけずらかろうと……!」
「会話が一切噛み合ってねぇのに怒涛の勢いで話が進んでいきやがる! 気が狂いそうだ!」
しかし、ようやくこいつの言わんとしていることの要領を得た。
「という事で、手頃な殿方と交際してしまおうと思ったわけです。あ、もちろんフリですよ?本気にされても困りますから」
「……かなり言いたいことがあるが、とりあえず何で俺なんだよ」
手頃な殿方の定義を教えろ。物申してやる。
「凄く寂しそうな顔をしていましたので」
「……は?」
「ですから、私と交際出来るような幸運……どうせなら不幸な人に与えるのが義理人情というものではありませんか? 世界の終わりを味わったような顔でカレーライスを睨めつけているあなたが目に止まった……理由なんてそれだけです」
頭の中が疑問符でいっぱいになった。
いったいどうやって育てば、人はこんなイカれた成長を遂げられるというのか。兎にも角にもハッキリしているのは、こいつはただの危ない女であるということ……関わり合いにならないのが吉だ。
だが──
「……俺はそんなに酷い顔をしていたか?」
「ええ、それはもう……間違えて辛口を頼んだんですか?」
俺は少しの間考えて、目の前の女の子……桐崎 こころに向き直った。
「じゃあ今日からよろしくな桐崎。あのカレーは冷めてから食おうと思ってたんだ」
俺はそう言って手を差し出した。桐崎は合点がいったように手をパンと合わせた。
「なるほど、猫舌さんだったんですね。言われてみれば全体的に猫っぽいです……えーっと……」
「平田だ。平田 正樹」
「猫っぽいです平田さん! それではこちらこそよろしくお願いします」
偽りの交際関係……まともなやつならまず引き受けない話だが、こいつは俺が急に快諾してもなんの不思議もないらしい。これこそがさっき言ってた台詞が全部本気だったってことの裏打ちだ。
両親が事故にあった日から、ずっとぶつけようのない怒りと悲しみに苛まれていた。
神様はなんだって俺から色んなものを奪っていくんだろう。とりあげるなら、最初から与えて欲しくなんてなかった……と。
ここまで育ててくれた両親へ報いるためにも、立ち直らなければいけないという意思はあった。けど同時に、全てを投げ出して終わらせてしまいたいという葛藤もずっとあった。そんなことで頭がいっぱいの2週間だったんだ。
一時でもそれを忘れさせてくれたのは、俺の手を握って微笑む目の前の女だ。
こいつのイカれた提案も、だからこそ受けようと思った。
「あ、念を押しておきますけど、あくまでも交際しているフリですからね! 私のことを好きになるのは止めようがないとしても、絶対に情欲に駆られて迫ったりしないように!!」
それに、偽りの関係なら失って悲しいこともない。だって俺のものじゃないんだから、神様だって取りあげようがないはずだ──
* * *
【辰守 春人】
「──そのフロア、半径30メートル以内には誰も居ないわ。ただ真下には魔女狩りの反応あり。ただの人間だけどね」
「よし、ならば10メートル先のエレベーター。それを超えた先の分岐路を左に曲がって右手の階段を降りるぞ!!」
ブラッシュとラムのコンボは有り体に言って最強だった。施設に侵入してからまだほんの数分だが、誰とも遭遇することなく既に海中フロアまで到達しようという所まで来ていた。
「……ハレ、また人が……」
「フー、見るな。今は龍奈の事だけ考えろ」
──本当に、ここまで誰とも遭遇しなかった。生きている人間とは……だが。
通路には、おびただしい数の死体が転がっていた。
軍服のような装いの死体の傍らにはデカイ銃も無数に転がっている。まるで映画……否、全然違う。
死体の生々しさも、凄惨さも、鼻を着く血と臓物の匂いも……足が震えるほど怖かった。
フーと櫻子も覚悟はしていただろうが、やはりかなり衝撃を受けたようで……さっきから顔色が悪い。それでも俺たちは先頭を走るラムに置いていかれないように、薬莢と死体が転がる通路を駆け抜けた。
階段を駆け下りる。ついに海上フロアから海中フロア……外海と面する壁に穴でも開けようものなら、この施設はあっという間に浸水してしまう。肝に銘じて行動しなければ。
「……10メートル以内に人間の反応よ」
耳に付けたピアスから、ブラッシュの声が聞こえる。おそらくさっき言ってた奴。とうとう生きてる人間と遭遇する事になる。
「その角を左……任せたぞ憤怒の!!」
「よしきた、久々にやってやるぜ!!」
ラムの言った通り、左に曲がった途端に人影があった。そいつは俺たちを見て驚愕したように目を見開いたが、声を上げるまもなくルーに殴り飛ばされた。
「……ルー!」
「わかってるよ。手加減はした」
殴り飛ばされた構成員に近づく。男だ、それも恐らく日本人……ごろごろ転がってる死体と違って、この男は白衣を身にまとっている。
「起きろ」
ルーが男の前にしゃがみこんでそう言うと。男の身体がビクンと震えて、おもむろに起き上がった。
「よし、情報を教えろ。最近極東で仕事をした奴はここに居るか? 何人かで組んで返り討ちになったマヌケ共だ」
櫻子との約束。施設に侵入して、生きている構成員が居ればそいつから櫻子の仇の情報を引き出す。その情報次第で、櫻子は俺たちに着いてくるのか、別行動をとるのか、撤退するのかが決まる。
「……あ、う、心当たりがある……噂だけど、枢機卿の勅令で、異端審問官 第9席の平田 正樹が任務について、失敗したって……」
「……ッ! そいつは今どこにいるの!?」
櫻子が声を荒らげて男に詰め寄った。ルーは櫻子の肩を軽く叩いて、櫻子と同じことを男にきいた。
殴った相手を服従させるルーの魔法だが、本人にしか服従しないのだ。
「……平田9席は、任務失敗の責を問われて……最下層の懲罰房に監禁……されているって、聞いた」
「……ブラッシュ」
俺は耳のピアスにそっと触れて魔力を流した。この男の言っていることは嘘ではないはずだが、確認は必要だ。
「ええ、今最下層には誰もいないわ。というか、さっきからずっと龍奈ちゃんの近くにある反応が眷属っぽいから、多分それじゃあないかしら?」
「……な、さっきからっていつからですか!?」
「ふふ、初めに探知した時からだけど?」
「そういうことは初めに言ってください!!」
そうか、龍奈とそいつはいわば同僚……どっちも脱走してるってことは、一時的に手を結んでるのか?
「えっと、じゃあ櫻子は私たちと一緒に行くってことでいいんだよね!?」
「うん、そうだねフーちゃん。下まで一緒に行くね」
「よし、とにかく先を急ごう。ルー、その人間解放してやってください」
「……ちっ、わかったよ。おら、てめーこらもう家に帰れぼけ」
「……わかった。家にかえる……」
男はフラフラと俺たちの脇を通り過ぎて行った。あいつが脱出できるかどうかは分からないし、責任も持てない。けど、非情になるくらいの事も出来ないなら、俺はただの足でまといだ。
「ふふ、気をつけてね。その下のフロアにアビスとスノウが居るわ。その位置から北西に50メートルってところかしら」
「はは、いきなりかよ。けどかなり距離があるな……ラム、いけるか!?」
「……ああ、問題ない。北西50メートル地点には寄らずに迂回可能な邪悪なるルートがある。鉢合わせはまず無い」
よし、目下一番の問題はスルー出来そうだ。周りを見ると、皆ホッとした顔を浮かべている。無論俺も。
「よし、では我に続け!!」
サイレンの音とスプリンクラーの水がひっきりなしに渦をまく通路。俺は震える脚で、ラムの後ろに続いた──




