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22.「料理当番と自己紹介」


 【馬場櫻子】


──ギィ、ギィ、と金属が擦れる様な鈍い音が、静まりかえったエントランスに反響していた。


 さっきまでは騒がしくてこんな音は聞こえなかった。どうやら天井に吊るされた絢爛豪華な巨大シャンデリアが、風に吹かれてゆっくりと揺れている音らしい。


 粉々に破壊されたエントランスの入り口は、もはや吹き込む風を拒むすべを失っていた。


「むはぁ、なんだー? もしかして私ちゃんの自己紹介聞こえてなかったかー?」


 瓦礫を背後にして、キメポーズのまま佇む彼女はそう言って首を傾げた。


 エントランスに会した全員が、わたし達に向けられたのであろう唐突で珍妙な自己紹介を聞いていたし、見ていた。だからこそ、こんなにも静まり返っているわけだ。


「……き、聞こえてました」

「むはぁ、だったら次はおめーらが名乗る番だろー!」


 彼女は、鳳さんに寄り添うわたし達に向かって、指をビシッと突きつけてそう言った。

 名乗られた以上、こちらも名乗り返すのが人としての礼儀なのだろうけど、なんだろう、名前を教えたが最後厄介なことになりそうな気がしてならない。


 あと、むはぁってなんなんだろう。


「……バブルガム! この子達はうちのお客よ。関わらないで!」


 わたしが名乗るべきなのかどうなのかを逡巡している間に、マゼンタさんが横から割って入った。


 マゼンタさんは言葉や態度は毅然としているけど、よく見ると額に汗が浮かんでいる。


「むふぅ? おめーよく見たらマゼン()じゃーん! ちょー久しぶりー! 300年、いや400年ぶりくらいかー?」

「私の名前はマゼン()よ! アンタ、魔女協会セラフを襲撃するなんてどうかしてるんじゃないの!?」


 マゼンタさんが肩をぷるぷると震わせながら怒鳴った。

 どうやら二人は初対面ではなさそうだ。


 それにしても『襲撃』ということは、鳳さんをこんな風にしたのはあのバブルガムさん達ということなのだろうか。


「むは? 私ちゃんべつに襲撃なんてする気ねーけどー? てかその気だったらおめーら皆もう死んでるしー」


 バブルガムさんは『襲撃』こそ否定したけど、結局物騒なことを言っている。愛らしい見た目と物騒な言葉使いがいまいち噛み合わないけど、冗談を言っているようには聞こえなかった。


「馬鹿言わないで、こっちは三十人以上いるのよ。たった二人で勝てると思ってるの?」

「むはぁ、ラティがいなくても私ちゃん一人で鏖殺(おうさつ)出来ちゃうわ。人数揃えてもどうせおめーら戦えねー居残り組だろー? まともな魔女は弱っちい人間守るためにあっちこっち飛び回ってんもんなー」 

「……戦えないかどうか、身体に刻んであげましょうか」


 バブルガムさんは依然として物騒な事を言いつつ、踊るようにゆらゆらとわたしたちの方へ近づいてくる。


 呼応するようにマゼンタさんも綺麗な赤毛をなびかせながらバブルガムさんの方に歩み出て、とうとう二人はお互いに手を伸ばせば届く距離まで肉薄した。


 一触即発の剣呑な雰囲気の中、わたしは固唾を飲んでその光景を見守る。


「──喧嘩はそこまでにしましょう」


 不意に、穏やかなアルトが一陣の風と共にエントランスに吹き込んだ。

 音に慈愛が溶け込んだような心地いい声。ローズさんだ。


「バブルガム、久しぶりに会えて嬉しいけれど、今日はいきなり何の用なのかしら。扉を壊した理由と一緒に説明してくれる?」


 ローズさんは睨み合う二人に近づきながらそう言った。

 すでにさっきまでの剣呑な空気は薄れつつある。


「むふぅ、だからさっきも言ったじゃん! 久しぶりにおめーら妹分の顔が見たくなったから挨拶しに来たんだよー。なのに全然門を開いてくれねーから…………ちょっとノックしたら壊れちった! てへぺろー!」


 バブルガムさんはローズさんに向き直って、訪れた経緯を語り出した。

 思った以上に何の変哲も無さすぎる理由だった。


 そして魔女の世界ではノックと破壊がイコールで繋がっているのだろうか。


「そうだったのね。私も久しぶりにお姉様の顔を見れて嬉しいわ。でも今度からは事前に連絡を貰えるとありがたいわ。紅茶とクッキーくらいは用意しておきたいから」


 しゃべる破天荒みたいなバブルガムさんに対して、ローズさんは優しく微笑みながら対応している。


 見た目は二十代前半に見えるが、全身から母性が滲み出ている。


「むはぁ、やっぱりローズちんはいい子だなぁ! マゼンダ、おめーもこういうとこ見習えよー?」


 バブルガムさんが大袈裟に肩を竦めて見せたが、マゼンタさんはキッ、と睨み返すだけで返事はしなかった。相当仲が悪いらしい。


「バブルガム、さっきも言ったけど今は立て込んでるの。今日のところはとりあえずお引き取り願えるかしら?」

「むふぅ、ちょっとくらい世間話させろよー」


 どうやらやんわりと追い返そうとしているローズさんに、拗ねたような表情でバブルガムさんが纏わりついた。


「……いいわ、じゃあ30秒ね」


 ローズさん、終始微笑んでいて感情が読めないけど、やっぱり怒ってるみたいだ。

 よく見ると目が全然笑っていない。


「むっはぁ! まじでちょっとなんだけどー……まあいいや。おめーらさー、最近孕島とか行った?」

「……ハラミジマ? ごめんなさい、何のことだかよく分からないわ」

「……ふうん、知らねーならいいや。じゃあ今日のところは帰ろうかな、私ちゃんまだ朝ご飯食べてねーし」

「……一応言っとくけど、今日の料理当番バブルガムよ」

「むふぁっ!? まじか、スノウにまたネチネチ言われんじゃーん。てか早く言えよラティー!」 


 アッサリ30秒以内に終わった会話……『ハラミジマ』という謎のワードが少し気になるところだけど、それよりもレイヴンの食事は当番制だということにわたしは衝撃を受けた。

 

「悪いわね、追い返すみたいで。みんなによろしく言っておいて」


 ローズさんはにこやかに、けれどほんの少しだけバツが悪そうにそう言った。


「むはぁ、みたいじゃなくて追い返してんじゃん! あ、そうそう帰る前に──」


 レイヴンの魔女二人がようやく帰りそうな雰囲気になってきて、わたしは少し安堵して胸を撫で下ろした。その瞬間、視界からバブルガムさんが消えた──


「──おめーらの名前聞いとかねーとなー」

「……え」


 消えたと思った時には、バブルガムさんはしゃがみ込むわたしの肩に腕を回していた。


 あまりに突然の出来事だったからか、ヒカリちゃんや熱川さん、周りの魔女達も絶句している。


 言葉を失ったわたしに、バブルガムさんが耳元で『な、ま、え』と呟いた。

「……ば、馬場、櫻子です」


『さっさっと言わないと殺すぞ』まで聞こえたような気がして、わたしはつい名乗ってしまった。


「むはぁ、可愛い名前じゃーん。なんかおめーとはまた会える気がするなーサクラちん」


 バブルガムさんは私の肩をポンポン叩いて立ち上がると、今度はヒカリちゃんと熱川さんの方に目線を向けた。


「……夕張ヒカリだ、櫻子に触ってんじゃねーよ」


 ヒカリちゃんはへたり込むわたしを自分の方に引き寄せて、バブルガムさんを睨みつけた。


 しかしバブルガムさんは特に意に介する様子もなくニコニコ笑っている。


「熱川カノンですの。以後お見知り置きを」


 熱川さんはオフィスでわたしにしたのと同じように、スカートの裾を掴んでペコリとお辞儀をした。


「むはぁ、カノンね……強そーないい名前だな」


 なんだろう、独特な感想を言う人だな。バブルガムさん。


「スマホ、弁償、しろ、by、鳳カルタ……」


 未だに床でうつ伏せになっている鳳さんが、何とか頭だけ持ち上げてそう言った。


 ものすごい執念であるが、自己紹介は律儀にするのか。


「むはぁ、スマホってのは何のことか分かんねーけど、そういうのはマゼンダが全部やってくれんだろー知らんけど」


 バブルガムさんはあっけらかんとした表情でマゼンタさんを指差した。


 『だからマゼンタよ!!』と、隣で怒鳴り声が響く。


「むはぁ、あともう一つ。レイヴンに入りたかったらいつでも歓迎するぞ! メンバー絶賛募集中だからなー!」


 それだけ言うと、バブルガムさんはもう一人のレイヴン、ラテさんの元へ駆け寄り、パッと姿を消してしまった。


 アレがいわゆる転移魔法というやつなのだろうか。はたから見ると一瞬で姿が消えたように見える。


「──さ、部屋に戻りましょうか」


 ローズさんが仕切り直すように、掌をパンパンと鳴らしてそう言うと、周りにいた魔女達が安堵の表情でエントランスから散り散りになっていった。


 わたしも聞きたいことが沢山あったけど、ここで追求するのも野暮な気がして大人しくローズさん達と部屋に歩き出した。


 わたし達が倒れた鳳さんをエントランスに置き去りにした事に気づいたのは、部屋に着いて、しばらく後だった──

 


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