225.「喪失と秘め事」
【夕張 ヒカリ】
「──ジューダス・メモリーって……」
アタシはその名前を知っていた。以前、魔女協会のローズやこの事務所でヴィヴィアンの話に出てきた魔女だ。
四大魔女と呼ばれる最強の一角であり、自らと同じ四大魔女であるレイチェル・ポーカーを含む、12人の同胞を殺した“裏切りの魔女”。
結果的に、当時最強を誇っていた魔女組織“鴉“崩壊の原因を作った魔女でもある。
同胞殺しをした約400年前の事件以降、ジューダスの所在は誰も把握していないとローズは言ってたが、どうやらヴィヴィアンはその限りではないらしい。
「当時、身内殺しが起きた鴉を存続させることは不可能じゃった。4人のロードの内、1人が裏切り、1人がそれによって死に、1人は半狂乱に陥った……あ、ちなみに半狂乱になったのは此方ではないからの? 此方 至って冷静じゃったし」
ヴィヴィアンは無気力にタバコの煙を口から吐き出す八熊のジャケットのポケットに手を突っ込んで、紙パックのトマトジュースを引っ張り出した。
「頼れる此方は超絶しっかりしておったがのぅ、幹部の者たちが受けたダメージも酷かったのじゃ。無口じゃが皆に慕われておったエリス・シードラはレイチェル捜索に出てそのままジューダスの奴に惨殺され、カノンの母親であるウィスタリアは、ジューダスを殺すと飛び出して行きおるし、ホアンは酒蔵に籠って出てこんくなるし、バンブルビーは……うむ、あやつが一番酷い有様じゃったのぅ」
ヴィヴィアンはトマトジュースをストローでちびちび吸いながら、しみじみと語った。話の概要自体は知ってたけど、以前聞いた時とはまるで違って聞こえた。
それはきっと、アタシが仲間を喪った痛みを知ってしまったからだ。苦楽を共にした家族同然の仲間が突然12人も死ぬなんて、残された奴らはどれ程の苦痛を味わったのか……今のアタシには、カノンには、それが想像出来てしまう。
「基本的に寛大な此方も“裏切り”には不寛容じゃから、ジューダスのことはきっちり殺すつもりではあった……が、その前に唯一まともなロードとして、標を失った妹達を導いてやらねばならんかったからのぅ。そこで魔女協会を創った訳じゃ。強大な力を持った組織が進む道は、常に正道で在らねばならぬ。明確な目的もなく歩めば、知らぬ間に道を踏み外し、外道に落ちることもあろう」
「どうして鴉のままで持ち直すことは不可能だったんですの? ロードや幹部が酷い有様でも、社長が健在ならわざわざ新しい組織を創らなくてもよかったのではなくて?」
ずっと神妙な面持ちで話を聞いていたカノンがそう言った。
「新しい組織は必要じゃった。鴉は裏切りが起きた組織、仲間殺しが起きた組織という認識を、皆が意識的にしろ無意識的にしろ持っておったからのう。実際、当時の魔女協会は鴉とほぼ同じ役割の組織じゃったが、ほとんどのメンバーが鴉から魔女協会に移籍した。残ったのは、ジューダスへの復讐とレイチェルの死に囚われた者だけじゃ」
──アタシはどうなんだ。エミリアが殺されて、櫻子は復讐を、カノンは職責をはたそうしている。アタシが今ここにいるのは、本当はなんでなんだ。アタシはなんのために……。
「……月日が経ち、魔女協会は人間社会に受け入れられ、“人との共生“を成した。そこで此方は思ったのじゃ。もう此方が道を切り拓く役目は終わったとの。じゃから、後回しにしておった宿題をようやく片付けることにした訳じゃ」
「……だったら、魔獣駆除の会社なんて建てずに鴉に戻れば良かったんじゃねぇのかよ。なんだってこんなことしてんだ」
「魔女協会の元盟主が、ほぼテロリスト扱いの鴉に出戻りとかまずいじゃろ。共生は成ったとはいえ、やはり魔女弾圧派の人間は少なからず世におるからのう。可愛い妹達に迷惑はかけられぬ」
「では、民間の魔獣駆除の会社を建てた理由はなんなんですの?」
「戦闘スキルが高く、魔女協会に所属していない魔女を大々的に募集して部下にできるじゃろ。さっきも言うたが魔女協会に所属している魔女に物騒なことはさせられんからのぅ」
ヴィヴィアンは飲みきったトマトジュースを、ゴミ箱目掛けて放り投げた。盛大に外した上に、トマトジュースの残りカスが壁にアートを残して八熊に頭をしばかれる。
「……社長は、私達にジューダス殺害の片棒を担がせようとしていたということですの?」
今までの話を聞いてまとめると、つまりはそういうことだ。いったいこのバカはアタシたちに何をさせようとしていやがったんだ。だいたい、ジューダスは今──
「ジューダス殺害の片棒というか、ジューダスが現在所属しておる魔女狩りの調査やらに手を貸して欲しかったのじゃがの……どうやら向こうに先手を打たれてしもうたようじゃ」
そう。さっきサラっと言ってやがったが、ジューダスは今魔女狩りに身を寄せているらしいのだ。理由は知らないが、同胞を殺した上に魔女狩りに入るなんてとことん裏切りの魔女だ。
「じゃあアタシ達が魔女狩りに襲撃されたのは、お前の復讐に知らない間に参加させられてたからってことか?」
「参加予定じゃろ。そこ重要じゃぞ? まだ表立った活動しかさせておらんかったからな?」
「……」
ヴィヴィアンの言葉にカノンは黙って頭を抱えている。気持ちは分かる。アタシだってあまりのことに言葉が出てこない。
「なんじゃそなたらその反応は。魔獣駆除に志願したのは人間を救いたいからであろう? 魔女狩りは世界征服とか真面目に考えておるヤバい奴らなんじゃから、あやつらを潰すのが人の世にとっての1番の救世であろうが」
「こっちが想定してた人助けと規模がかけ離れてるんだよボケ! なんでそんな大事な事を最初に言わなかったんだ!!」
「……ヒカリ、少し落ち着きなさい」
思わずソファから立ち上がったアタシを、カノンがそう言ってたしなめた。
「最初にそんなこと言うたら会社辞めるじゃろうが! もっとこう、関係を深めてできるだけ断れないような雰囲気になってからカミングアウトしたかったんじゃ!!」
「逆ギレしてんじゃねぇよバカ」
地団駄踏んで怒鳴ったヴィヴィアンに、八熊がやや本気のゲンコツをかました。正直アタシも殴りたい。
「……むぐぐ、とにかく! 事ここに至っては此方の思惑を隠しても意味は無い。だから今こうして打ち明けたのじゃ! 共に魔女狩りの野望をうち砕こうぞ!! 一刻も早く!!」
ヴィヴィアンの言い分は理解した。同調も共感も出来るかと言われれば話は別だけどな。
「……社長。他にまだ何か言っていないことはございませんの? 私もう秘密はこりごりですの。ですから、まだ何か秘密があるなら今全てお話しになってください」
カノンの言うことはもっともだ。自分で選んだつもりになっていた道だったのに、気がつけばを進む道も目的地さえ、まるで検討はずれだったんだから。
もう一度ヴィヴィアンと共に歩むなら、今度こそ全てを知った上で、自分で選んで道を進む。それが最低条件だ。
「……ふむ。無論秘め事などもう無い……と言いたいところじゃが、実は1つだけあるんじゃなこれが」
ヴィヴィアンはデスクの正面からアタシ達の方へ歩きながらそう言った。
そして、ソファに向かい合って腰掛けるアタシとカノンの、ちょうど真ん中……ローテブルの上を踏みつけて通り過ぎる。
事務所の窓際に向かうヴィヴィアンに、アタシとカノンの視線が吸い寄せられる。
「……兼ねてより此方はジューダスの所在を探るため、世界中に鴉を放っておった。そして、遂に魔女狩りにくみしている事まで突き止めた今……もはやその役目も終わりを告げたわけじゃ」
開け放たれたガラス窓。ヴィヴィアンはその正面に立つと、両手を広げた。まるで何かを迎え入れるように。
「……な、あれ……なんですの?」
カノンとアタシが見たものは、黒い影だった。新都の空を侵食するように、真っ黒な影が雲を、空を、太陽を覆い隠すように迫っていた。
それらが全て“鴉”なんだと気づいたんだろう、カノンは顔を引き攣らせてソファの上で後ずさるように身をこわばらせた。
「今こそ見せてやろう……此方の真の姿を……!!」
ヴィヴィアンがそう言った直後、空を覆っていた鴉達が一斉に急降下した。この事務所……いや、窓際に立つヴィヴィアンを目掛けて。
大量の鴉がはためく音は、まるで嵐に吹き荒れる暴風のようで、ひっきりなしにヴィヴィアンの周りに吹きすさんだ。
鴉はヴィヴィアンを中心に吸い寄せられ、黒い球体のような見た目になる。大量の鴉が直径2メートルほどの球体に物凄い勢いで加わっていくが、不思議と球体はそれ以上大きくはならなかった。
まるでブラックホールのように球体は全ての鴉を吸い付くし、そして最後には人の形に収束した。
「────ふぅ。久方ぶりの視点じゃな」
…………ヴィヴィアンがでかくなった。
間抜けな説明に聞こえるかもしれないが、アタシの頭に最初に浮かんだのがそれだったのだから仕方ない。
さっきまでの見た目は完全に幼女だったのに、今や20歳前後……つまり、魔女でいう“成熟”状態になっていた。
けど、本当にアタシとカノンが衝撃を受けているのは単に見た目がデカくなったからじゃない。見た目以上に何倍も膨れ上がった、ヴィヴィアンの魔力に対してだった。
元々強い奴だっていうのは漏れ出る魔力で何となく分かっていたし、四大魔女だって知ってからは当然だ、むしろそこまで大したこともない……と思っていた。けど、これがそうだったのか。これが本来の四大魔女レベルの魔力量……アタシ達とは、次元が違う。
「改めて、元 鴉のロードにして元 魔女協会の盟主、現 四大魔女でありVCUの社長を務める……此方がヴィヴィアン・ハーツである!」
莫大な魔力に圧倒されて、アタシもカノンも言葉を失っていた。そんなアタシ達を見て、ヴィヴィアンは一瞬不思議そうな顔をした後、直ぐに何か納得したような表情に変わった。
「あーつまりアレじゃ、秘め事とは! 此方は実は幼女ではなかったのじゃ〜っ!!」
最上級のドヤ顔でヴィヴィアンが謎の決めポーズをとった。
向かい合うカノンと目が合って、お互いにため息をつく。
「それは知ってた」
「それは知ってましたの」
しばらくの沈黙……ヴィヴィアンは決めポーズのまま固まっていた。




