222.「頭痛と拳骨」
【馬場 櫻子】12月27日 夜
──わたしが今いるここは、どうやら島らしい。半分だけ開け放った窓からは、風に乗って微かな潮の香りを感じる。カルタちゃんに連れられて訪れたゲームセンター。あそこも海が近くてこんな香りがしたな、なんて思い出す。
部屋の壁に掛けられた鳩時計は、おそらくずっと前から仕事を放棄していて、今が何時なのかはさっぱり分からない。ただ、夕食を食べてバンブルビーさんの部屋でシャワーを借りて、それからわたしはずっとこの部屋にいる。
とにかく今日はもう眠ってしまいたくて、ベッドの上で目を瞑ってみたものの全然眠れなかった。空気を入れ替えてみたら少しは気持ちが落ち着くかと窓を開け放ったりもしたけれど、みんなの事を思い出してしまって余計にわたしの目は冴える一方だった。
(……ちょっと、外に出て風に当たろうかな)
わたしは部屋を出て、まだうろ覚えな鴉城の廊下を進んだ。廊下の節々にある絵画や照明、調度品はどれも高級感の漂うものだった。この城自体もとてつもなく立派だし、こんな気分じゃなければきっとうきうきしたりしたのかな。
エントランスホールに辿り着いたわたしは、そのまま玄関から外へ出た。城内は暖房が効いていたのか、外に出ると身を切るような寒さが肌を刺した。
吐いた息は真っ白になって、ふわりと空気にとけていく。わたしはしばらくそれを見ながら、玄関の前で立ち尽くした。
5分か10分か……わたしは当てがあるわけでもなく、何となく城の外壁に沿って歩き始めた。
外から見たお城は、やっぱり立派で……どこか懐かしさのようなものを感じた。ここにくるのは初めてのはずなのに、なんだかそんな気がしない。
(……このまま進むと裏庭があって……そこでよくルクラブ達がホアンにしごかれてたんだよね)
不意に頭に浮かんだ思考。自分で考えておいて、すぐになんの事だか分からなくなった。
「──ッつぅ……」
今日目覚めた時のように、頭の内側にえぐるような痛みを感じた。外壁にもたれかかって、手で頭を押さえる。荒い息が、白い煙となってせわしなく口から漏れては消えていく。
(……そういえば、最近見ていた白昼夢……よく思い出せないけど……このお城に似てる気がするな)
脈を打つ激痛に苛まれながら、わたしの足はゆっくりと外壁沿いを進んだ。しばらく歩くと、潮が引くように頭痛は治まった。
そして、ようやく城の裏側まで辿り着くと、そこには石畳で舗装された広場があった。周りには何機かベンチが設置されていて、そのうちの一つに人影があった。
「──こんな時間に何してるの。ハレ君」
「櫻子こそ、おしるこでも買いに来たのか?」
初めてハレ君と話した時の事を思い出して、わたしは思わずくすりと笑った。同じクラスの高橋さんにお金を全部貸しちゃって、日課のおしるこを買えなかったあの日……ハレ君がおしるこをプレゼントしくれたのだ。
「懐かしいね。つい最近のことの筈なのに」
「ああ、そうだな。色んなことがありすぎたからな」
わたしはハレ君の隣に腰掛けて、寒さで真っ赤になった指先に息を吹きかけた。
「ハレ君、今5股してるんだってね。わたしもうびっくりしちゃった」
「ぐっ……い、色々と事情があったんだよ。話せば長くなるけどな」
「だろうね。けど何となくさもありなんって思う気持ちもあるよ。ハレ君って天然タラシっぽいし」
「……その評価については否定したいところだが……最近バンブルビーにも似たようなこと言われちまったよ。そんなつもりないんだけどなぁ」
ハレ君は結構真剣そうな顔でため息をついた。本人に自覚がないから天然なんだよ。もう。
「なぁ、櫻子……聞いてもいいか?」
「ん、なぁに?」
ハレ君が自分の外套をわたしの膝にかけながらそう言った。そういうところじゃないの? と言いたいけれど、茶化していい雰囲気じゃなさそうだから言わない。
「櫻子さ、記憶……ないんだってな。バンブルビーから聞いた」
「ああ、うん。実はそうなんだ。まいったよね……伊里江温泉に合宿に行った日からの記憶がごっそりなくてさ」
「俺とフーが温泉に行ってた日だったか。魔女狩りの奴らが襲撃してきて……お互い大変な目に遭っちまったな」
「……ハレ君も、あの日温泉街にいたの?」
「やっぱその話も覚えてねぇよな……実は、櫻子が記憶を失ってるって期間に、俺は一度櫻子と合ってるんだよ。その時に、俺が婚約した事とか、温泉街の事とか話したんだけどな」
にわかには信じ難い話だった。ハレ君が婚約してるのは今日知った事だし、あの日温泉街にいた事もたった今初めて聞いたのだ。なのに、わたしはこの話を以前に聞いたことがある?
「そ、その時のわたし……どんなだった!?」
「……なんか、俺が知ってる櫻子とは……雰囲気違ってたよ」
わたしの質問に、少し間を置いてからハレ君が答えた。
きっと、ハレ君はわたしにこの話をするか迷ったんだと思う。わたしが傷ついたり、怖くなってしまうと思って気を使ってくれたんだろう。
確かにゾッとしない話だし、正直凄く不安になったけど、それでも全く何もない“空白“に確かな情報が得られて、どこかで安堵しているわたしがいた。
「そっか、その時わたし……何してたの?」
「何でも屋をしてる魔女……鈴國って奴の店で、夕張先輩と一緒に調べ事をしてた」
「……ヒカリちゃんと?」
何でも屋も鈴國も、ましてやヒカリちゃんとそんな事をした記憶はやはり一切なかった。けど、確かにその期間“わたし”は存在していたんだ。
「話してくれてありがとうね。で、結局ハレ君はこんな時間に何してたの?」
とにかく、今考え込んでも解決しないことで思い悩むのはやめにする。もしかしたら、寝て起きたら記憶だって戻るかもしれないし。
「最近この時間はここで訓練してるんだ。まあ、訓練って言っても1人で魔剣振ってるだけだけどな」
「ええ、凄い。ハレ君魔剣出せるの?」
「少々 姑息だが出せるには出せる。ほら」
そう言ってハレ君が座ったまま右手を前に出すと、大きな剣がパッと現れてハレ君の手に握られた。凄いけど、なんだかデザインがダサ……厨2くさ……個性的だった。
「何か言いたげな顔だな。いいんだぜ、言いたいことがあるならよ」
「いや、別にないよ? ただちょっとその剣……個性的だなって」
「悪口じゃねぇか」
「悪口じゃないよ!? ほら、なんていうかその……男子中学生がお土産で買うよく分からない剣のキーホルダーみたいだなって」
「やっぱ悪口じゃねぇか!!」
ハレ君がそう言って剣を持ち上げた。もちろん本当に怒ってるわけじゃないのは分かってるから、わたしもクロバネを出して冗談混じりに牽制する。
「へ、櫻子も人のこといえねぇくらい厨2くさい魔法使ってんじゃねぇか」
「うわ、言ったね〜この魔法ちゃんと使えたらめちゃくちゃかっこいいんだから!」
「ほう、じゃあかっこいいところを今から見せてくれるのか?」
「ハレ君こそ、訓練の成果を見せてごらんよ」
わたし達はじゃれ合うように剣と翼を合わせた。最初はゆっくりと、お互いに当てるつもりが無い攻撃をし合って、それを受けたり躱したり。
だんだん楽しくなってくると、いつの間にかわたしもハレ君も身体強化の魔法まで使って攻防を繰り広げていた。
ハレ君と剣を合わせている間は、頭が空っぽになった。冷たい空気が肺を出入りする感覚すら清々しくて、ずっとこうしていたいとさえ思った。
けれど、蜜月は長くは続かなかった。
突如現れたバンブルビーさんの『今何時だと思ってんだ』というドスの効いた声と鉄のような拳骨で、わたしとハレ君が退散させられたからである。
さっきまでとは別の種類の頭痛に涙が出たけど、部屋に戻ってベッドに入ると、あっという間にわたしは眠りにつくことが出来た──




