215.「親父とタワマン」
【辰守春人】
めちゃくちゃにしてしまった温泉街の裏山から逃げるように移動した俺達は、東区にやってきていた。スマホのナビを確認しながら進むバブルガムは、商業施設が建ち並ぶ大通りから脇道にそれ、どんどん奥まった場所へと足を進める。
「むはぁ、ここが魔女御用達の店かー。確かに雰囲気あるなー」
バブルガムは巨大な建物の敷地の前で立ち止まり、そう言った。
真紅の塗料で塗られた外壁に、巨大な門の柱には龍が巻きついている。門の傍らには白沢像、そして巨大な看板には『崑崙宮』とある。
「……中華料理屋ですか? 随分と“ハイソ”な店みたいですけど、こんな所で食事を振る舞える金、俺は持ってませんよ」
「むはは! 安心しろ私ちゃんも持ってねー!!」
どこに安心する要素があるんだとツッコむ間もなく、バブルガムは白沢像の傍にあった丸い水晶みたいなもんに手をかざして魔力を込めた。
『歓迎光臨。辰守様とそのお供様アルネ』
水晶から若い女の声が響いて、門が自動で開いた。間違いなく魔法だな。
さっきバブルガムが魔女御用達とか何とか言ってたし、ラムのやつも興味深さそうに『ほう、面白い……』とか言ってそわそわしてやがる。
門を抜けて石畳を進むと、建物の玄関先に黒髪をお団子にしたチャイナ服の女が立っていた。
「よくいらっしゃったネお客様。案内を努めさせていただくフーロンアル。当館は魔女専門の会員制中華料理屋ネ。手間をとらせて申し訳ないアルが、新規のお客様には名前をお伺いしてるアル」
フーロンと名乗る女はそう言ってバブルガムとラムの方を見た。会員制って事は俺達は誰かに“紹介”された立場ってことだ。さっきからバブルガムのやつがスマホでこそこそやり取りしてた相手が恐らくそうなんだろうが、一体俺は何に巻き込まれてんだか……。
「むはぁ、紫雷の魔女 バブルガム・クロンダイクだ。VIP待遇でよろしくなー」
「ふむふむ、紫雷の……て、ンン!? まさか鴉の……!!」
「我こそは魔眼の魔女 セイラム・スキーム。邪悪なる小間使いよ、この我を会員とする栄誉、しかと帳面につけておくがいい」
「え、え……魔眼のっテ、魔眼同盟!?……ひえぇ!!」
「あの、大丈夫です。心中お察ししますが、この2人は暴れないように俺が責任をもって見張っておくので」
2人の名前を聞いて顔が真っ青になったフーロンさん。かなり動揺しているようだから、落ち着かせようと俺はそう言った。
名前を聞いただけでこの反応……悪名高いなんてもんじゃないなこの2人。
「むはぁ、セイラムってどっかで聞いた気が……」
「ほ、ほらバブルガム、さっさと中に入れてもらいましょう! 誰だか知らないけど人を待たせてるんじゃないんですか!?」
「むはっ! そうだった! オラとっとと案内しろフーロン!! 私ちゃんを待たせてんじゃねー!!」
「わ、わかったアル〜着いてくるヨロシ!!」
なんとかバブルガムからラムの気を逸らして、店の中へ入ることに成功した。ラムのことがバレたら最悪の事態になりかねんからな。軽率に訳の分からん状況に飛び込んでいる自覚はあるが、バンブルビーと俺の作戦が破綻するよりはマシなはずだ。
「──お客様、お連れ様が到着しましたアルヨ〜!」
煌びやかな店内を進み、フーロンに案内されたテーブル。そこには1人の男が俺を待っていた。
「──久しぶりだな。春人」
「……な、親父……!?」
* * *
新都の根幹を担う地下シェルター。その一切の建設を引き受けているのが辰守建設、つまりは俺の親父の会社だ。俺が今いるこの街を作った男、唸るほどの金を持ち、その影響力は多岐にわたる。
そして、俺はこの男が嫌いだ。魔獣災害で母さんが死んだ時も、その後も、こいつは何より仕事を優先した。葬式でも涙ひとつ見せなかった。だから俺はこいつと極力関わらないように生きてきたのだ。住む家も生活費も、宛てがわれたものは全部無視して出来るだけ自分の力で生きてきた。だってのに──
「──なんでお前がここに居るんだよ」
「父親に向かってお前とは随分だな。一人息子が行方不明になったと知れば、心配するのが親として普通の事だと思うが」
「……どの口が!!」
「とりあえず掛けなさい。お連れのお嬢さん2人も」
俺はバブルガムを睨み付けたが、バブルガムは露骨に目を逸らして椅子に腰掛けた。ラムは少し心配そうな顔をしているが、俺が椅子に座るとそれに追従した。
「春人。お前が私の用意したマンションも生活費も使っていない事は知っている。アルバイトで稼いだ金で生計を立てていた事もな」
「……なんか文句でもあるのかよ。別に迷惑はかけてないだろ」
「そのこと自体に文句はない。だが私は言ったはずだぞ。高校は出ろとな。ここ一月余りお前は学校にも行かずに何をしていた」
親父は俺の両脇に座るバブルガムとラムにゆっくりと視線を向けた。
「お前には関係ないだろ。だいたい、なんだってお前とバブルガムが連絡を取り合ってるんだよ」
「クロンダイク氏は情報提供者だ。お前の行方が分からないから、非公式に情報を募った。私の元へお前を連れてこれば懸賞金を払うと銘打ってな」
「な、懸賞金って……バブルガム……」
「むはは、これで1億は私ちゃんのもんだ! むふ、むふふふふ!!」
この、ばかやろうが!! 酷いやつなのは分かってたけど、金で俺を親父に売りやがったのか!!
「あ、あんたって人は! どこまで酷い事を重ねれば気が済むんですか!! この守銭奴!!」
「むはぁ!? 私ちゃんはただパピーの元にオメーを連れてきてやっただけだろーが!! だいたい婚約者に向かって守銭奴とは随分な言い草だなーコラ!!」
バブルガムが俺の胸ぐらを掴みあげる。コノヤロウ、いい度胸だ、めちゃくちゃ怖いじゃねぇかちくしょう!!
「おい、ちょっと待ちなさい。春人お前、婚約しているのか?」
「げっ……しまった……」
「むはぁ、そういやまだその辺の挨拶はしてなかったな。喜べ、オメーの息子は私ちゃんが貰ってやる。このバブルガム・クロンダイクちゃんがなー!! むはははは!!」
止める間もなくバブルガムがそう言った。このやろう、後で覚えとけよ!!
「ふむ、クロンダイク家なら家柄も申し分ないな。式はいつだ。向こうの家にも挨拶に行かねばな」
「お前はなんでそんなに順応性高いんだよ!!」
「むはぁ、ちなみにお宅の息子さん、私ちゃん以外にも何人かの魔女と婚約してるんだぞ?」
「バブルガムは頼むから黙って!!」
くそ、もう帰りたい!! なんて拷問だこれ!!
「そうか。お前も豪胆だな。思っていた以上に元気そうで安心した」
「く、許容量青天井かよ……もう帰っていいか!?」
「せっかく久しぶりに会ったんだ。食事くらい付き合いなさい。お前が私のことをどう思っていようが、筋は通すべきじゃないのか?」
「……くそ、わかったよ」
確かにこいつは今まで俺に色々譲歩してきたんだろう。俺もそれに甘んじて好き勝手に道を選んで生きてきた。やろうと思えば無理やり俺の進む道を強制することだって出来たはずだが、こいつはそれをしなかった。
飯くらい、付き合ってやってもバチは当たらんだろう。不本意だがな。
「ああ、あと今回お前を呼び付けたのは安否確認ともうひとつ、紹介したい人がいるからなんだ」
俺が席に座り直して、既に並べられていた料理に手をつけようとしたタイミングで親父がそう言った。
「君、こっちへ」
親父がそう言って隣の席に声を掛けると、パーテーションで遮られた隣の席から女が現れて、親父の隣へ並び立った。
「初めまして春人くん。グリンダ・トワルです」
黒い髪を腰まで伸ばした女が、そう言ってお辞儀した。俺もつられて座ったまま頭を下げる。
「春人。私はこの女性と再婚する事にした。私の妻で、お前の義母になる人だ。挨拶しなさい」
「……な、再婚って、そんな急に……」
「むはぁ、グリンダって強欲の魔女じゃねーか。オメーのパピーなかなかやるなーむはは!」
「久しいなグリンダ、三同盟以来か……ククク」
絶句した。なんとこのグリンダと名乗る女、魔女らしい。しかも強欲の魔女ってことは七罪源の構成員だ。ラミー様やイー・ルーと同じくヤバい女に違いない。
そんな女と親父が再婚!? 俺の義理の母親になるだって!? どうしてそうなった!!
「なんだグリンダ。この2人とは知り合いか?」
「ええ、優人さん。あちらの少しこじらせている方は昔の商売仲間です。放蕩貴族の方は商売敵ですが」
「なるほど。世間は狭いな」
「おいおいちょっと待て! さっきから何でもかんでも受け入れ早すぎだ!! 分かってるのか、そのグリンダって魔女は七罪源っていうヤバい組織の構成員なんだぞ!!」
クソ親父のこととはいえ、さすがにこれはほうっては置けない。仕事ばっかし過ぎて最悪レベルのやばい女に捕まったんじゃないのかこのバカ親父は。
「グリンダが過去に、世間一般で言われる“悪い魔女”だったのは知っている。だが今の彼女はもう過去に起こしたような真似はしない。私は彼女を信頼している」
「……優人さん」
グリンダは嬉しそうに、少し照れたようにして親父に微笑みかけた。親父もグリンダの手をそっと握ったりしてやがる。イチャイチャしてんじゃねぇ!!
「むはぁ、別にいいだろ春人〜オメーだって鴉の魔女と5股してんじゃんか。しかもライラックだって元 七罪源だし」
「……く、それを言われると何も言えない」
「ふふ、優人さんと晴人くん。女性の趣味も似ているのかしら。やっぱり親子なんですね」
「君の昔の同僚と息子が婚約しているとはな、ますます世間は狭い」
こいつ、動揺するとかいう概念がないのか。全然似てねぇよ俺と!
「春人。お前が何人と交際しようが私に口を出す権利はないが、一つだけ言っておくぞ」
「……なんだよ」
「お前が借りた家に6人は狭い。私が買ったマンションを使え。婚約祝いに権利書も全てお前に譲るから、どうしてもあのマンションが嫌なら売り払って別の家を探してもいい。とにかく、大切な人が出来たなら、それに見合った“家”を用意しろ。それが男の務めだ」
「……」
悔しいが、こいつの言うことは間違っていない。俺だって考えていなかったわけではないのだ。こいつが用意したマンションは新しい拠点になりうると。ただ、俺個人の意地でその選択肢から目を背けていた。龍奈のために、なりふり構わないって決めたはずなのに。
「わかった。マンションはありがたく使わせてもらう……それと、グリンダさん……親父を、その、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ不束者ですが」
「むふぁ、なげー話し合いは終わっファか? ふぁっふぁと食わねーと、むぐむぐ、料理が冷めちまうぞ〜」
「もう1人で食べてるじゃないですか。まったく」
「ではこの我が、此度のめでたき晩餐の乾杯の音頭を取ってやろうではないか!!」
「ああうん、もう好きにしてくれ」
かくして、俺の思い描いていた道からは大幅に逸れたが、ルーとラムを引き受けるための拠点は確保出来た。
* * *
「それにしても、俺を連れて来た奴に1億って、規模がでかい上に頭悪いんだよあのバカ親父」
「むはは、私ちゃん的には超ラッキー案件だったけどな!!
なんか探偵とかヤクザとか、色んなやつがオメーのこと探し回ってたけど、私ちゃんの一人勝ちだ!!」
「……そうか、じゃあ俺の家の前にいた黒服の連中、あれ魔女狩りとは関係なかったのかよ。くそ」
冷静に考えてみれば、いくらなんでも秘密組織があんな真昼間から堂々と聴き込み捜査とかするわけないもんな。全部賞金目当ての一般人だったのか。紛らわしい。
「ククク、我が盟友よ。我はこの新しき魔城を気に入ったぞ!! セイラムタワーと名付けよう!!」
「別に何でもいいけど、霧とか雷とか起こす魔法式は組み込むなよ。絶対」
今、俺達は親父から正式に譲り受けたマンションにいる。20階建ての高層タワーマンション。屋上にはスカイラウンジ、その下にはプールとフィットネスジム。大浴場やシアタールームと共用スペースにかなり力を入れているみたいだ。
こんなもん、どう考えてもただの高校生が一人で住むとこじゃないだろう。逆にくつろげねぇよ。
「むふふ、まさか春人がハイパー金持ちの息子だったとわな!! 私ちゃん玉の輿〜!!」
「……というか、バブルガムも貴族なんですよね。実家はお金持ちとかじゃないんですか?」
「むはぁ、500年も前に飛び出したから今どうなってるかとか知らねーもん。興味もねー」
「その割には貴族っていうことを度々押し出して来ますよね」
「むはは、使えるもんはなんだって使った方がいいだろ? 家の名前に傷ついて私ちゃんが困るわけでもねーしな!!」
たぶん、結婚式にバブルガムの親族が参列する事はなさそうだ。もし来るなら多分式をぶち壊しにとかそういうのだ。
「バブルガム、1つお願いがあるんですけど」
「むはぁ、なんだーダーリン?」
「このマンション、2階フロアはバブルガムの好きに使っていいですから、他の皆にはしばらく黙っていて欲しいんです」
「むふぇ、なんでだよ。春人オメー、このタワマン独り占めする気か?」
「考えてもみてください。俺たち6人の関係はまだ始まったばかりで安定していません。ほぼ毎日喧嘩が起きるような今の状態で、ここが皆のたまり場になったりしたら……」
「むはぁ……タワマン、一日で崩壊すんなぁ……」
マンションが蒼い炎に包まれ、赤い氷塊に押しつぶされるところまで想像したのか、バブルガムは大きなため息を吐いた。
「そうでしょう。ですから、この事は内密に。1億円の事も黙っておいてあげますから」
「むは? 1億は元から私ちゃんのだろ?」
「イースとバブルガムが言い出した財産共有の件……あれまだ有耶無耶のままですよ」
借金しかないバブルガムは財産共有案に賛成の筆頭人物だったが、今となっては話が違うだろう。逆に金を分配する側になってしまうわけだからな。
「むはぅ!! ぜぜぜ、絶対に誰にも言うなよ!! この金は私ちゃんのもんだぁ!!」
バブルガムは約10キロの札束が詰め込まれたアタッシュケースを抱きしめてそう言った。中華料理屋で受け取ってからずっと手に持ってるけど、これどうするつもりなんだろうか。ちょっときいてみるか。
「バブルガム、その1億はどうするんですか? やっぱり借金返済に当てるとか……」
「むっはぁ! 1億ぽっち返したところで焼けイースに水だろーが! この1億を元手に、私ちゃんはビッグドリームを掴むんだ!!」
「……借金の総額を聞くのが怖くなったという感想しかありませんね。この話はもうよしましょう」
俺はこの時改めて、バブルガムが抱える底知れぬ闇に、鳥肌がたったのだった──




