212.「催淫効果と協力」
【辰守春人】
ブラッシュの部屋は城の3階……スカーレットの部屋のちょうど真下に位置している。俺は魔力を始動してから、意を決して扉をノックした。
「すみませんブラッシュ、辰守ですけど少しお話したいことが」
少しして、扉の奥から返事があった。
「──あら、珍しいお客さまね。話っていうのはなにかエロい事かしら?」
「全然違います」
「ふふ、じゃあ入れてあげない」
「……」
それっきり返事はなかった。俺はもう一度ノックして声をかけた。
「すみません。ほんとはエロい話しに来ました」
「歓迎するわ。中へどうぞ」
恐る恐る扉を開けると、途端に鼻腔に“甘い香り”が滑り込んでくる。魔力始動していれば大した問題はないはずだけど、一応気を引き締めておかねばなるまい。
「……失礼します」
ブラッシュの部屋は、他の皆んなの部屋とは少々趣が違っていた。だだっ広いのは同じだが、ワンルームの中にキッチンや猫足のバスタブがあったりと、まるで螺旋監獄を彷彿とさせるような光景だった。
「ふふ、監獄での生活も悪くはなかったから、バンブルビーに頼んで改装してもらったの。素敵でしょう?」
「ええ、オシャレな部屋ですね」
まるで俺の考えを見透かしたように、ソファに腰掛けていたブラッシュはそう言った。
「で、わざわざ魔力始動して押しかけてくるなんて、私今から襲われてしまうのかしら?」
「……そんな事しませんよ。少し話をしたいだけです。そのうえでお願いを1つ聞いてくれないかなと……」
「あら、悪いのだけれど私女の子にしか興味無いの。エロいことを期待しているなら……」
「全然違います」
まったく、ふざけてるのか真剣なのかイマイチ掴みどころのないやつだ。けど、このペースに乗せられるとブラッシュの思うつぼだ。さっさと本題に入ってしまおう。
「これは偶然にも知ってしまった事なんですが、ブラッシュは今ラテと浮気してますよね。なんならヘザーにもちょっかいをかけていましたし」
「……へぇ」
普段からあまり表情の動かないブラッシュが、目を細めて不気味に微笑んだ。
「ラテとヘザー、彼女達はお互いにブラッシュと関係を持ったことを知りません。もし彼女達が全てを知ったらどうなるでしょうか」
「ふふ、どうなるのかしら?」
「ラテと浮気していながら、ヘザーにはその事を隠して無理やり関係を迫ったりしてるんですから、バレたら大目玉ですよ」
カップルの両方とそれぞれ浮気しようなんて、とんでもないやつである。彼女の評判の悪さの真髄を垣間見た気分だ。
「つまり、この事を黙っている代わりに私に何か要求したいことがあるのね。それは何かしら?」
「……話が早くて助かります。今度の魔女狩りの拠点襲撃……俺は戦闘班とは別で潜入するつもりです。そこでブラッシュの力を貸して欲しいんです」
「断るわ」
「……え」
即答だった。正直少しはごねたりするんじゃないかとは思っていたが、ここまでキッパリ断られるのは想定外だった。
「……ラテとヘザーに、全部バレてもいいんですか?」
「構わないわ。だって2人とも自ら望んで私に抱かれているのよ? お互いがその事を知っても、私が批難される謂れはないもの」
「自ら望んでって、ラテの時は酔いにかこつけて部屋に連れ込んで、ヘザーの時は悩みに漬け込んで無理やりだったじゃないですか」
「詳しいのね。けどそれも最初だけよ。ラテもヘザーも、今は自分の意思で私と関係を持っているわ。彼女たちはお互いを裏切っているかもしれないけど、私は誰も裏切ってはいないわ。これって何か悪いことしてるのかしら?」
やぶ蛇というか、どうやら俺が知らないだけでヘザーもちょっかいどころか、すっかりブラッシュに籠絡されてしまっていたらしい。なんとなんとである。
いや、これは他人事ではない。俺とて事前にあの“からくり”に気がついていなければ、目の前で開き直っているこのブラッシュに、いいように丸め込まれるところだったに違いない。
「“自分の意思“でブラッシュと関係を持っている。確かにそれが本当ならブラッシュの言い分も通るかもしれません。けど、もしそれが“自分の意思”なんかじゃなく、仕組まれたものだったらどうでしょうか」
「……なんの事だか分からないわね」
「実は、ヘザーがスカーレットの部屋に連れ込まれたあの日……俺もあの部屋に居たんですよ。ですからあの時の事はよく知っています」
「まあ、覗きの趣味があったなんて……気が合いそうね」
ブラッシュはソファで足を組み直してそう言った。やかましいわ!
「あの日、ブラッシュはヘザーに紅茶を用意しましたよね。スカーレットがベッドの下に隠してある秘蔵の紅茶です。一見するとただの紅茶泥棒ですが、真意はベッドの下に入り込むことにあったのです」
「……」
「ベッドの下には隠し扉が設置されていました。それは階下の部屋……つまり“この部屋”と繋がる扉です。もちろん作ったのはブラッシュでしょう。スカーレットは最近部屋を空けがちでしたから、難しい作業ではなかったはずです。では、この扉は何のために作られたのか……それは今もこの部屋に充満している“甘い香り”……これをスカーレットの部屋でヘザーに吸い込ませる為です」
「この香りを吸ったからなんだっていうのかしら?……と、一応反論しておこうかしら」
「もちろん意味はあります。この香り、俺には覚えがありました。思い出したのはつい最近ですが、これは“ライラックの部屋”の香りです。聞くところによると、ライラック、もといラミー様やブラッシュがかつて所属していたという七罪源……その魔女達はそれぞれ他人を操る魔法を持っていたらしいですね。ブラッシュの“声”の魔法や、ラミー様の“香”の魔法なんかです」
「ええ、他にも殴った相手を操る魔法だったり、他人を支配する魔眼を持っていたりとか、思い返せば愉快な仲間達だったわね」
「俺も以前ライラックとデートした時に身をもって体験したのですが、ライラックの身体からは魔法の影響か常に甘い香りが漂っていて、彼女の部屋にはその香りが充満しています。そして困った事にこの香りには強い“催淫効果”があるんです」
そう。知らず知らずの間に吸い込むと、近所でも紳士だと評判な俺ですら、ノリノリでSMプレイを繰り広げてしまう程の恐ろしい作用があるのだ。
思い返せば、ヘザーがスカーレットの部屋を出たあと、換気をすると言って部屋の中に入ったイースは、あの香りに当てられて俺にキスを求めてきたのだろう。“無自覚”というところがこの“香り”の最も恐ろしい要素なのかもしれない。
「そして私はその催淫効果を利用して、まんまとラテとヘザーをモノにした……どうやら全部お見通しみたいね。まいったわ」
ブラッシュは観念したようで、ソファーに身体を投げ出していじけたような顔をした。見た目に似合わず子供っぽいところもあるようだ。
「この部屋のこの香りも、ライラックの部屋から?」
「ええ。ちょうどこの真下の部屋がライラックの部屋だから、ちょっと換気ダクトをいじって私の部屋の空調と繋げてみたの。部屋に女の子を連れ込んだ時に盛り上がると思って」
「ほんとにそういう事しか考えてないんですね……」
「けど私の部屋に呼んだところで皆警戒しているから、そもそも来てくれないし、あなたみたいに魔力始動されちゃったら意味無いでしょう?」
「それで真上のスカーレットの部屋に目をつけたわけですね。下の階と自分の部屋を繋げた要領で、上の階に隠し扉を作った。きっとその時にベッドの下の紅茶に気がついたんでしょう」
「ふふ、よく分かったわね。ちなみにスカーレットが部屋を空けがちなのは、私が言ったからなのよ。部屋は使わなければ汚れないってね」
「……とんでもない人ですね」
全貌が明らかになってみれば、何人もの魔女達がブラッシュによって踊らされていたわけだ。それも“エロいことをしたい”という純粋かつ下卑た目的のために。ひでぇな。
「さて、これで私は辰守君の言うことを聞かないと、ラテとヘザーとついでにスカーレットから、酷い目に合わされることになってしまったわね」
「出来れば俺もそういう未来は避けたいですけどね」
実際問題、ラテとヘザーはお互いの過ちの事を知らない方がいいと思う。知ってしまったらいくらブラッシュの策略にかかったせいだとはいえ、きっと2人の関係は破綻してしまう気がする。
俺としても、そうなる事は望んじゃいない。
「……いいわ。アビスにバレたら最悪殺されるかもしれないけれど、ここ最近は楽しかったものね。協力するわ」
「ありがとうございます。ブラッシュ」
一筋縄ではいかなかったが、俺はブラッシュの首を縦に振らせた。これでどうにか龍奈奪還への条件をクリアしたわけだ。
「ところで、魔女狩りの施設になんか潜入して何がしたいのかしら? 殺したい相手でもいるの?」
「いや、助け出したい奴がいて……そいつ人形なんですけど、俺の大切な友達なんです」
「ああ、そういうこと。私、捜索要員で声を掛けられたのね」
「はい。引き受けてくれたから言いますけど、潜入要員はラテ。戦闘要員はイー・ルーで考えています」
螺旋監獄での手続きも順調に進み、ルーはもういつでも出所出来る状態なのだ。住居さえ確保出来ればの話だが。
「あら、それじゃあルーも螺旋監獄から出てくるのね。久しぶりに会えるなんて嬉しいわ」
横になっていたブラッシュはソファに座り直してそう言った。どうやら本当に嬉しいらしい。けど──
「……ルーはブラッシュのこと殺してやりたいって言ってましたよ」
俺がそう言うと、ブラッシュは再びソファに倒れ込んだ。
「ふふ、つれないのね」




