202.「相談とSAGA」
【辰守春人】
スカーレットの部屋のクローゼットの中……俺とイースは息を潜めて、2人の会話に聞き耳を立てた。
いや、聞き耳どころか、横開きのクローゼットの扉をほんの少しばかりスライドして、部屋の様子もバッチリ盗み見ていた。
床に片膝をついて扉に張り付く俺。そしてその俺の肩に手をついて、のしかかるように扉に張り付くイース……不審者が2人である。
「──ふふ。じゃあ、改めて聞かせてくれるかしら。私にどうして欲しいのか」
ブラッシュとヘザー……2人はベッドに腰掛けて暫く黙り込んでいたが、ブラッシュの方から沈黙を破った。
「…………その前に、約束してくれ。この事はラテには……」
「もちろんラテには言わないわ。ラテにも、それに他の誰にもね」
なんだろう……既に怪しい雰囲気だけど、あのブラッシュが……口を開けば『喋るな妊娠する』と言われるあのブラッシュが、普通に会話しているのが妙に新鮮だった。
「おうハレト、こりゃきっと浮気だぜ……面白くなってきやがったなぁ」
「……あの真面目そうなヘザーに限ってそれはないと思いますけど……ていうか重たいですよイース」
とは言ったものの、ぶっちゃけ俺ももしかして浮気ではないのかと疑っている。だってもう会話の内容が既に怪しいし、相手もあのブラッシュだし──
「──実は、最近ラテと上手くいってなくてね……原因は、きっと僕だと思う……」
「……なぜそう思うの?」
「その、僕が……彼女との関係に臆病だからだよ……」
「……これは根の深い話になりそうね。紅茶でも淹れるから、少し待っていて。暖かいものを飲めばもう少し落ち着いて話せると思うわ」
これは、浮気とかではなく普通に恋愛相談ではなかろうか。しかも存外ブラッシュはまともに対応している。俺よりもよっぽど“カウンセラー”に向いているんじゃないのかこれ。
「……イース、どうやら浮気の線は消えましたよ」
「ちっ、つまんねぇなぁ……会計係の弱みを握るチャンスかと思ったのによぉ」
「もしかしてまだワインセラー諦めてなかったんですか」
「ったりめえだろ。俺様の座右の銘は有言実行だぞ」
「……それはまあ置いておくてして、勝手知ったるなんとやらですよね。ブラッシュ、なぜかスカーレットの部屋の紅茶の位置まで把握してますよあれ」
「ほんとだな……気味の悪い女だぜ。ベッドの下に隠してる高級茶葉の位置を知ってやがるなんてなぁ」
「……イースもなんで知ってるんですか」
以前スカーレットに聞いた話だが、彼女は大層な紅茶好きらしい。支給されたお小遣いとかはコツコツ貯めて、皆にバレないようにこっそり飲むんだとか。
実際、なぜか隠し場所を知っているイースやブラッシュ……それに悪いことはだいたいやってそうなバブルガムとかのことを考えると、隠したくなるのは必然だろう。
ちなみに俺が知っているのは、部屋の掃除をした時に“さすがに下着入れに隠すのはどうかと思いますよ。ベッドの下とかがいいんじゃないですかね”と言った張本人だからだ。
「さすが、スカーレットの紅茶は良い香りね……モノが違う」
「……ああ、そうだね。なんだかほのかに甘い香りがする。後でスカーレットに紅茶代を渡さなきゃね」
「ふふ、真面目ねブラッシュ……そういうところ嫌いじゃないわ。けど、そういうところが悩みの種になっているんじゃない?」
「…………ブラッシュには適わないね」
紅茶を作りながら、ブラッシュはヘザーに語りかける。自然な流れで、ヘザーの悩みにそっと触れる。勉強になるカウンセリング術である。
それにしてもクローゼットの中にまで届くこの香り……本当にいい匂いだ。すこし甘い……なんの葉っぱだろうか、絶対に匂ったことがあるんだけど、ダージリンでもアールグレイでもないし、はて──
「僕が鴉に入ってもう300年……ラテと付き合い出してからは30年だ。ずっとずっと彼女のことが大切だ。その気持ちに変わりはないよ……けど、関係も変わっていない」
「……つまり、進展がないということよね」
「…………」
「ちなみにだけれど、ラテとはどこまでしたの? ABCDで言うとどのくらい?」
「……な、そんな、急に言われても……というか、Dってなんだい」
なるほど。つまりヘザーの悩みというのは、ラテとの関係をステップアップさせるにあたってのこと。恋愛経験に疎い俺には解決しようもない悩みだな。
ようやくブラッシュに相談相手の白羽の矢が立った理由が分かって来たぞ……俺にもDが何か教えて下さいブラッシュ先生……!
「ふふ、恥ずかしがらなくていいわ。さすがにキスはしたわよね……最初は触れるだけだった? それともあの可愛らしい唇に優しく噛み付いたのかしら? あの華奢な身体を抱き寄せて、顎を持ち上げて、顔が蕩けるまで舌で口の中を蹂躙……」
「ちょ、ちょっと待って……ちょっと待ってくれブラッシュ!! そ、そそ、そんなこと僕がするわけないだろう!? き、君はなんて事を……」
クローゼットの隙間越しにも、ヘザーが酷く狼狽している様子が見て取れた。ブラッシュの言葉に照れているのか、耳まで真っ赤である。かく言う俺も、ブラッシュのセリフでほんの少しだけ変な気分になっている気がする。
なんか、いちいち喋り方というか、声がエロいんだよあの女……もしかして声の魔法のせいか?
「あら、まだキスもしていないの? それともキスだけ大切にとってあるのかしら?」
「……ま、まだラテとは……その、恋人繋ぎまでで……そういう、いやらしいことは…………」
なるほど。この前ラテが俺に聞いてきた言葉の意味がようやく分かったぞ。
以前ライラックと2人で新居の家具を引取りに行った時、ラテは俺に『まだライラックとは手を繋いでいないわよね?』みたいな事を聞いてきた。
俺がそうだと答えると、彼女は『やっぱりそういうものよね』と、妙に1人で納得していたが、まさにこの事で彼女も悩んでいたわけだ。
そして、そうした悩みを抱えるラテにヘザーが勘づいて、今ブラッシュに相談していると。
いやしかし、30年も付き合っていて恋人繋ぎとは、悪いとは言わないが奥手にも程があるだろう。時間に縛られない不老の魔女の中では別段珍しいことでもないのか?
「恋人繋ぎ……ね。ヘザー……」
「な、なんだいブラッシュ……?」
「貴女、最低よ」
「…………な、さ、さ、最低……? ぼ、僕が…………?」
「いい? まともな女の子なら、恋人とエロいことをしたいと思うのは当然のことよ。だって恋人じゃなくても可愛い子がいればエロいことしたいと思うのが女のSAGAなんだから」
「な、そ、そういうものなのか!?」
「そういうものよ。そういうSAGAよ」
(それはお前限定のSAGAだろうが!!)
喉まででかかったツッコミをなんとか飲み込み、2人を見守る。
「け、けど怖いんだ……ラテを愛しているから大事にしたいし、僕には彼女の他に恋人がいたこともないから……その、上手く出来なかったら、嫌われるかもしれないし……」
「なるほど。確かに付き合って行く上で最も大切なのは愛……とかではなく身体の相性だものね」
「な、そうなのか!? そういうものなのか!?」
「そういうものよ。そういうSAGAなのよ」
「…………なんということだ……」
おいおい、ダメだぞヘザー。その色魔の言うことを真に受けては。確かに奥手すぎるとは思うけど俺は断然貴女の味方ですよヘザー!!
「確かに、ラテは可愛いしきっとモテまくったでしょうから、今までいろいろ経験してきたでしょうね」
「…………そう、だろうな……」
「私なら、どんなに可愛い子と付き合っていてもエロいことに奥手すぎたり、ましてや下手な子とは関係性を改めるかもしれないわね」
「……そ、そういう、ものなのか……」
「そういうものよ。そういうSAGAだもの」
おい! 最初のベテランカウンセラーみたいな空気は何処へいったんだブラッシュ!! 今のところただの変態最低女の自語りだぞこれじゃあ!!
「……うぅ、もう終わりだ……きっと僕はラテに嫌われている。前までいつでも一緒だったのに……最近ちょくちょく避けられてる気がするし……」
「そう悲観的になってはダメよヘザー。大丈夫、まだ終わったわけではないわ。この私がついているもの」
「……ぶ、ブラッシュ……こんな僕の、味方を?」
「ええ、悩める女の子をほうっては置けない……SAGAだもの」
(……なんか、洗脳じみてきたぞこれ。大丈夫か?)
「……あ、ありがとうブラッシュ……で、僕はどうすればいい!? どうすればラテと……んっ……」
(……んっ……?)
「……ちょ!?」
「へへ、やりやがったぞあいつ」
必死に助けを懇願していたヘザーに、ブラッシュが不意打ちの口付けをかました。一切のぎこちなさや迷いの感じられない、洗練された流れるようなキスだった。
あまりのことにヘザーも放心している。俺もだ。
「……! よ、よせ!! 急に何を……ブラッシュ??」
「何って……これがキスよ。貴女が30年もラテに“お預け”してたキス……どうかしら、やってみれば大したことないし……すっごく気持ちいいでしょ?」
「……あ、ぼ、僕はなんて事を……ぼくにはラテが……ん、んんん!?!?」
「ガハハ、容赦ねぇなあの女狂い」
「……これもう犯罪では?」
眼に涙を溜めて狼狽するヘザーに、ブラッシュが追撃のキスをお見舞いした。しかも今度は突き飛ばされないように、しっかりと両腕を押さえ込んでのキスである。
女の人同士がキスしてるのなんて初めて見たけど、ちょっとえっちである……。
ブラッシュはヘザーの両腕を掴んだままベッドに押し倒して、馬乗りにキスした。逃げ場のない状態でかなりの長時間ジタバタもがくヘザーの足を見ていたが、力が抜けたようにおとなしくなったところで、ようやくブラッシュが唇を離した。
「…………ぷはぁッ、、はぁ、はぁ、はぁ……」
「ふふ、可愛い……上手に息が出来なかったの?」
「……………………お前……ひぐ、殺してやる……殺してやるからなぁ、ブラッシュ……」
「ふふ、貴女が怒ってるとこ初めて見たわ。でもどうしてそんなに怒ってるの? 気持ちよかったでしょう?」
「……そんなわけ、ないだろが……こんな……」
「ねぇ、気持ちよかった?」
「……あっ!?……くぁ、ふぅっ、き、気持ち……よかった……く、うぅう……」
こちらからはヘザーの脚とブラッシュの背中しか見えないが、どうやらヘザーは泣いているらしい。酷い光景である。
「えげつねぇ、魔法使いやがったぞあいつ」
「これ、もう止めてあげた方がいいんじゃないですか? いくらなんでも酷すぎますよ」
「バカ、こんなとこ見られてるって知ったらヘザーのやろう首吊っちまうぞ」
「……た、たしかに」
珍しくイースが理性的なことを仰っている。けど正直もう見てられないんだが……。
「ふふ、大丈夫よヘザー。泣かないで……貴女のキス、私も気持ちよかったわ」
「…………」
ヘザーは何も答えない。当然である。このサイコパスエロ女に襲われて感想なんて聞かされても、何も言うことなんてないだろう。
「これでひとまずラテとキスをしても安心ね。私がこれまでしてきたキスの中でもとびっきりのキスだったから、きっとラテも貴女にぞっこんよ?」
「……………………ラ、ラテが……?」
──おっと?
「ええ、きっと貴女のことを見直すはず……これまで付き合ってきた女のこともみんな上書きされてしまうでしょうね」
「…………僕が、ラテの、一番……ってこと?」
「信じてくれていいわ。今夜にでも試してみる事ね……ふふ」
「………………」
「……あら、紅茶……冷めちゃったわ」
ブラッシュはベッドに押し倒したヘザーから離れると、紅茶を一口だけ飲んでさっさと部屋を出ていってしまった。
ヘザーはその後しばらくして、1人で紅茶を片付けた後にフラフラと部屋を出ていった。
「とんでもないものを見てしまいました」
「こりゃあ、お蔵入りだな……さすがによ」
言いながらイースは立ち上がって、クローゼットを開け放った。急に開けるもんだから張り付いてた俺は前のめりに転びそうになる。
「ちょっとイース、なんでクローゼット開けるんですか……さすがにもう帰りましょうよ」
「うるせぇなあ、いいからこっち来いよ」
「何する気ですかもう……」
「換気しとかねぇとスカーレットの奴が匂いで気づくかもしんねぇだろ……真っ先に疑われんの俺様だぞクソ」
「二重の意味でさすがですねイース」
なるほど、そこまで頭が回っていなかった。確かにクローゼットの中まで匂ってきていたんだ、もう慣れてしまってよく分からないが部屋の中にはあの甘い香りが充満しているはず。
妙なところで抜け目ないんだよな。イース。
「うし、五分くらい換気しときゃあ大丈夫だろ。つっ立ってねぇでこっち来いよハレト」
「いつスカーレットが戻ってくるか分からないのに、よくそんな余裕でいられますよね」
「バーカ、スカーレットが怖かったらクローゼットに穴開けたりしねぇよ」
「怖くなくてもやっちゃダメだと思いますけど」
2人でスカーレットのベッドに腰掛ける。さっきまでブラッシュとヘザーが濃厚なキスを交わしていたところだ。正直あれを見て変な気分になっていないかと言われると、NOと言わざるをえない。
そういえば、イースはあれを見てなんとも思わなかったんだろうか。終始楽しそうにはしていたけど……。
「おいハレト。誰のキスが一番よかったんだ?」
「…………はい?」
「とぼけてんじゃねぇよ……俺様以外ともしたんだろうがキス!!」
「し、しましたけど、なぜ急にそんなことを!?」
ほんとに急だぞ!! いや、そんなこともないか? さっきの2人に触発されてこうなってるのかイースは!?
「つべこべ言ってねぇで答えやがれボケ!!」
「そんなこと言われても、誰が良かったとか……思い出せませんよ……俺だって緊張してましたし……」
「……じゃあ、今からもう1回すんぞ」
「え、今からって、今からですか?」
「逆に今じゃなかったらいつすんだよ、せっかく2人きりなんだぞ今……」
イースが俺をベッドに押し倒した。さっきの2人のように、今俺とイースはベッドで重なり合っている。俺がヘザーで、イースがブラッシュのポジションにいるのは若干の不満というか、情けなさのようなものがあるが、そんなもの気にしていられないくらいにイースの顔が近くて、心臓がうるさい。
お互いに何も言わない。言えないまま、ただ見つめ合った。
酒を飲んで暴れて色んなものを燃やしたり壊したりと素行が悪いせいで、ついつい意識がそっち方面にばかり向きがちだがイースは超絶美人なのだ。女神がいるならきっとこんな顔だと思うほどに。
彼女の大きなブルーの瞳……ずっと見ていると吸い込まれそうになる。
「……ハレト」
ゆっくりとイースが瞳を狭めた。俺も意を決してゆっくりと目を閉じる。イースの髪が俺の頬に触れる。彼女の体温が唇のすぐ側まで近づいてきているのを感じる。
「……イース──」
────ガチャッ!!
「──あー疲れたー!! 一旦紅茶でも飲んで休憩しなきゃやってられないわーもう……ってなんで窓が開いてぎゃあああああああああああああ!!?!?!??!?」
タイミング良くというか悪くというか、部屋の主であるスカーレットが帰ってきた。部屋の主なのだから当然のことであった。
そしてこの後すぐに、俺とイースがスカーレットに正座させられるのもまた当然のことであった──




