201.「ブーツと侵入」
【辰守春人】
「──好きにしたらいいんじゃないかな」
バンブルビーにルーを引き取ることを打ち明けた際、彼女が言った言葉だ。たったそれだけ……引き止めることも、理由を聞くこともなくバンブルビーはそう言ったのだ。
もしかして、バンブルビーが俺を螺旋監獄に連れて来たのはこのためだったのだろうか?
俺とフーが城に連れ戻されたあの日、バンブルビーは龍奈を見逃した。ただの気まぐれだと思っていたし、ほんとうにただそれだけの理由なのかもしれない。
けれど、もしバンブルビーに”龍奈を見逃す理由”があったなら……転じてそれは、“龍奈を助けたい理由“にもなり得るのではないか?
結局、その事について深く追求は出来なかったのだが、なんにせよ、これで1歩……龍奈を助け出すための大きな1歩を、俺は踏み出せた気がした。
* * *
12月22日 鴉城──
ルーを引き取ると決めたのが昨日のこと……手続きはもちろん、こちら側の準備がまだ出来ていないので、ルーの件に関しては明日改めてハイドにお邪魔して話し合うことになっている。
今日はバンブルビーの補佐の仕事も早々にお役御免となり、今は自室で龍奈奪還に向けて物思いにふけっているところだった……いや、正確には、物思いにふけりたかったところだった。
「……おぉいハレトぉ!! ヤベェ、酒が切れたぞ!!」
「イース、まだ昼過ぎですよ? さすがに飲みすぎじゃあ……」
「ああ!? 酒飲むのに朝も夜も関係ねぇだろうがぁ!! いいから酒取ってこいよ!!」
「……はぁ、ライラックをパシリにするのやめてくださいとは言いましたけど、容赦なさすぎませんか?」
「仕方ねぇだろ、今は俺様とハレトしか居ねぇんだからなぁ!!」
そうなのである。俺に与えられた私室……混みあっている時は5人の魔女が暴れたり喧嘩したり罵りあったり掴み合いの喧嘩をしたりしているのだが、今は俺とイースの2人きりだった。
フーはラテに連れられて転移魔法部屋の案内をしてもらっていて、スカーレットは以前部屋の掃除の時に出た制服をせっせとまとめ洗いしている。
ライラックは日中はラミー様になっていて、バンブルビーとの新バディの連携訓練みたいな事を裏庭でしているし、バブルガムは『むはぁ! これは私ちゃんが身を切って稼いだ金だ!! 誰にも渡さねー!!』と、朝から金とスポーツ紙を握りしめてどこかへ行ってしまった。たぶんボートか馬だな。
イースと2人きりになっても特に変に意識したりとか、妙な空気にならないのはきっと俺たちが地下牢でずっと2人きりに慣れていたからだろう。
いくら婚約しているとはいえ、さすがにスカーレットと2人きりとか、ライラックやバブルガムとこういう状況になったら緊張したり、そういう雰囲気にもなるのかもしれない……少なくとも酔って暴れないからな。
「別にお酒はとってきますけど、どこのやつですか? 食料庫のお酒はあれ一応共用なんですよね?」
「ああ、だから俺様専用の隠し倉庫から取ってこい。とりあえず4本くらい」
「はいはい。わかりましたよー」
「…………んだよハレト、なんか文句でもあんのか?」
「……いや、だって…………」
おっと、つい面倒くささが態度に出てしまった。しかし、わざわざイースの部屋を経由してスカーレットの部屋のクローゼットまで酒を取りに行くの、本当に面倒くさいんだよな。
けど、こんなこと正直に白状したらあのブンブン動いている尻尾で締め上げられかねんからな。なんか適当に誤魔化さねば……。
「……せ、せっかくイースと2人きりになれたのに、パシリとかちょっと寂しいなー……なんて……」
(く……自分で言っといてなんだが、これは流石に無理があったか?)
イースは眉をしかめて、俺の方を凝視している。ダメだったか、これはたぶん『しょうもねぇ事言ってねぇでさっさと酒取って来やがれ!!』と怒鳴られるコース──
「──じゃあ、一緒に取りに行くか……酒」
「……え…………はい」
意外な反応に面食らっていると、イースはソファから起き上がってさっさと部屋から出ていってしまった。俺もその後に続いて部屋を出る。
「……行くぞ」
イースはそう言ってカツカツ歩き始めた。あんだけ朝から呑んで、普通にヒールブーツで歩けるの凄いよな……と思っていたら──
「──イース!!」
イースが床の小さな窪みに躓いてバランスを崩した。俺はイースが転ばないように腕を掴んで引き留める。なんとか転ばずに済んだ。
「大丈夫ですか? 足、捻ったりしてませんか?」
「ば、大丈夫だよ……ちょっとよろけただけだろ……」
イースはそう言って再び歩き始めた。ケガがないなら良かったけど、やっぱり呑みすぎなんじゃないのか?
「…………?」
不意に、横を歩くイースが俺の手を握った。どうしたんだろうと思って彼女の顔を見る。
「……しばらくこの廊下も補修してねぇからな、さっきみてぇに躓くかもしれねぇから、俺様が手繋いどいてやるよ……」
「……そ、それは、どうもありがとうございます……」
やっぱり酔ってるからなんだろうか……イースがこんな事言い出すのとか、顔が赤いのとか……。
それにしても、いつも殴られてる時は鉄のハンマーみたいな硬さに感じるのに、こうやって手を繋いでみるとイースの手は思っていたよりも小さくて、柔らかくて、なんというか……女の子の手だった──
* * *
住み慣れた日本家屋と違って、鴉城はいろいろとスケールがでかい。建物の大きさももちろんのこと、各部屋も日本の規格で言うところのワンルーム12畳以上はあると思う。
それに伴って、クローゼットもちょっとした部屋くらいの大きさがあるもんだから、スカーレットの部屋を掃除するのは本当に大変だった。実質二部屋分掃除したようなもんだからな。
「……というか、以前のスカーレットの部屋ならいざ知らず、さすがにもうお酒の隠し場所変えた方がいいんじゃないですか? スカーレットに見つかったらまた大騒ぎになりますよ」
「けっ、あの汚部屋女が未だに部屋を清潔に保ててる理由が分かんねーのか? 部屋を殆ど使ってねーからだよ」
「…………なるほど。使わなければ散らからないと……ある種片付けにおける真理な気がしますね」
「クローゼットの洋服ダンスに紛れて俺様の宝箱が混じってても、気が付きもしねぇよあのバカは」
散々な言いようのイースと共に、イースの部屋のクローゼットから、隣の部屋のスカーレットの部屋のクローゼットへの隠し通路を通る。
イースのポリシーである“バレなきゃ何してもいい”に、最近俺も随分ほだされ気味だと常々思う。本来なら止めなきゃいけないんだけどな。
「……おお、本当に大掃除の時から殆ど使われた形跡がありませんね。さすがに下着コーナーとかは触られた形跡がありますけど」
「…………お前、たまにそのナチュラルに変態なところ、ちょっと不気味だぜ」
「な、誰が変態ですか、失敬な……掃除の時に服とか下着とか、もう見慣れちゃって変な気も何も無いんですよ」
「だからって人の部屋に忍び入って下着のタンスを物色すんのは普通にキモいだろーがよ……ショーツ広げんのやめろ」
「まったく返す言葉もありませんね」
確かに客観的に見ると酷い絵面だ。
しかしだ、いやほんと、やましい気持ちとか一切なく、ただ単純に下着くらいはちゃんと変えてますよねスカーレット? という、純粋な興味というか、探究心に駆られて気がついたらタンスに手が伸びていただけなのだ。断じて俺は変態ではない。変態ではない断じて。
────ガチャ。
「…………!?」
「…………んぐっ!?」
不意に、クローゼットの外……つまりスカーレットの部屋の方から扉が開く音が聞こえた。思わず身体が跳ねそうになるのをなんとか抑えて、手に持っていたショーツを反射的にポケットにねじ込んだ。
イースは宝箱から出した酒を早速飲んでいたところだったので、驚いた拍子にむせそうになっている。
(……くそ、まずいな。スカーレットもう帰ってきたのか?)
盛大にむせそうになっているイースの口を手で塞いで、俺は息を殺した。隠し通路は通るだけならなんの問題もないが、出入口の取り外しの時はそれなりに大きな音が出てしまう。
ひとまずは様子を見てから行動した方がいいだろう。
「──分からないんだけどさ、どうしてよりにもよってスカーレットの部屋なんだい?」
「……理由はいろいろあるけれど、1番はまさかこんなところに……と誰もが思うからよ。ヘザー、貴女みたいにね」
「……確かにそうかもね、ブラッシュ」
(────な、なんでヘザーとブラッシュがこの部屋に!?)
予想だにしない展開に、俺は息をすることも忘れて硬直した。あの2人、勝手にスカーレットの部屋に入って何をしようというのだろうか……いや、俺も人のことは言えない立場ではあるのだが……。
「……むぐ、話せよボケ……息止まってんだよ!」
「……し、静かに! バレちゃいますよイース!」
口元を押さえていた俺の手を振り払ったイースが、小声で抗議した。クローゼットの外に聞こえてしまうのではないかと冷や汗をかいたが、どうやらバレてはいないようだ。
「おいハレト、なんだってあの色魔とヘザーが一緒に居やがんだ?」
「俺が知るわけないじゃないですか……ていうか、バレたらややこしいし今のうちにずらかりましょうよ。酒も手に入ったんだし……」
「バカ言ってんじゃねぇ、アイツら白昼堂々他人の部屋に侵入してんだぞ? しっかり弱み握って懲らしめてやらねぇとなぁ……ガハハ」
自分のことは綺麗さっぱり棚に上げて、なんたる言いよう……さすがイース。それでこそイース。今日一番目を輝かせているぞイース。
まぁしかし、実際のところ2人が気になっているのは俺も同じだ。ここはひとつ、イースの監視をするという大義名分の元、ここで様子を見させてもらおうではないか──




