1.コーヒーとお汁粉
旧都の外れにぽつんと明かりを灯す店がある。外観、内装共にかなり年季を感じさせてくれる小さな中華料理屋だ。
店内はいつも調子の悪い換気扇がカタカタと小さな音を立てていて、店に一台だけあるテレビが始終かけ流されている。
まあ、俺のバイト先なわけなんだけども。
「…はぁ、今日も今日とて──」
──暇だ。
ため息混じりにぽつりと呟いた。
いや、呟いたといっても言い切る前に最後の「暇だ」は何とかくい止めた。
でなければキッチンの奥からテレビを睨んでいる店長が「…おい、今なんか言ったか」と、額に青筋を立ててこっちに詰め寄ってきていたことだろう。
きっとそうだ。間違いない。昨日はそうだった。言い止まった自分を褒めてやりたい。
しかし──
「……おい、今日も今日とてなんだ」
既に額に浮かんだ青筋をピクピクさせた店長が、仁王立ちで身体をこちらに向けていた。
「え、いやぁ、ほらあれっすよ。あれ──」
「……どれだ」
まずい、何か適当なことを言って誤魔化さないとまた頭にタンコブを作ることになる。
ほら早くなんか言え俺!
「きょ、今日も今日とて店長の作る料理は美味そうだなぁ、と」
「……ほう、そうか。美味そうか俺の料理は」
「そ、そうっすよ。いい匂いですぐお腹減っちゃって、もう困っちゃうなぁ、はは」
俺は努めて平静を装おうとしたが、狼狽を隠しきれていない気がする。というか、全然隠しきれていない。さっきからどもりすぎだ。
「……ふふ、ふははは。そうかそうか、俺の飯はそんなに美味そうか、まったくこいつめ」
しかし、意外にも店長は拳骨をくれるでもなく、ニコニコ微笑んでいる。子供が見たら泣き出しそうな、なんとも凶悪な笑顔だが。
「で、まだお前が来てから一度も料理してないんだがな」
店長は笑顔のままで言った。よく見ると目は笑っていなかった。
「よ、呼び込みしてきま─す」
逃げるように店を飛び出し、“命を懸けて営業中 ”と書かれた案内板の掛かるドアをピシャリと閉めた。
「……ったく、客が来ねえのは別に俺のせいじゃねえだろ」
ドアを閉めるなりぼやいた。ぼやきたくもなる。なにせ出勤してからかれこれ一時間半、一度も客が入っていないのだ。
「これじゃ“三龍軒”てか“三流軒”だよなぁ」
俺は大きく伸びをして、店の看板を見上げた。
“三龍軒”俺のバイト先だ。
旧都の外れにぽつんと佇む中華料理屋で、従業員は俺と店長、それと店長の一人娘の龍奈の三人だけ。小さな店だ。
料理の味は美味いと思う。というか、絶品だ。
ここでバイトしているのもほとんど賄い目当てと言っても過言ではない。しかし店は大抵暇だ。なぜか?
やはり立地の問題だろうか。そもそも旧都だし、しかもその外れだし、もちろん旧都にも住宅街はあるにはあるのだが、ちらほら空き家が目立つ。
それか店長の顔が怖いからか──うん、きっとそれも要因の一つだろう。
兎にも角にも客がいないと、することがない。
呼び込みすると言ってはみたものの、そもそも店の前を人が通ること自体が稀だし。
しかし、こうも暇だと眠くなってくる。
コ─ヒ─でも買おうかと、俺は店の前に設置されている自動販売機の方に振り返った。
店の前の道路を挟んで斜向かいにはバス停がある。そのすぐ隣に年季の入った自動販売機があるのだ。
振り返ってみて気づいたが、バス停のベンチに誰かが腰掛けていた。目線の端に捉えつつ、道路を横断して自動販売機へと向かう。
ベンチに座っている人物は、服装から察するにどうやら女子高生で、それも俺と同じ高校らしい。黒い髪を肩くらいまで伸ばしている。
彼女はこの自動販売機で買ったのであろう飲み物を飲んでいるみたいだ。時間帯から察するに、バスを待っている線はまずない。だったらただの休憩か?
学校がある新都からここまでは、緩やかではあるがほとんどの道が登り坂だ。もし徒歩でここまで来たのなら、相当な労力になるだろう。
俺は缶コ─ヒ─を買い、その場で一気飲みして空き缶をゴミ箱に突っ込んだ。
「……寒いな」
季節は秋、十月も半ばとくれば夕方になると結構冷える。
三龍軒の制服のTシャツ一枚だと肌寒い。俺は道路を小走りで再び横断して、店に入った。
ドアを閉める時チラッとバス停のベンチに目をやると、座っていた女子高生が軽く会釈をしたように見えた。
* * *
──翌日も彼女は同じ時間になるとベンチに腰掛けていた。
その翌日も、そのまた翌日もである。
一週間ほどすると、彼女はだいたい十八時から十八時半の間にバス停のベンチに来ること、飲んでるのはどうやらお汁粉だということ、そして土、日曜日は来ないということがわかった。
おそらく学校の帰路にここで一休みしていくのが彼女の日課というか、ル─ティンになっているようだった。
そして、十月も終わりに差し掛かった今日──
いつものように機嫌の悪い店長から逃げてコ─ヒ─を買いに店の外に出ると、例の彼女もちょうど自動販売機の前に立っていた。
今日もお汁粉を買うんだろうなと、俺は自動販売機から数メ─トル右側で待っていた。
すると財布を取り出した彼女は何か思い出したようにハッとすると、おずおずと財布を鞄に引っ込めて、何も買わずにベンチに向かった。
不思議に思ったが、とりあえず自分のコ─ヒ─を買っていつものようにその場で飲み干した。
ゴミ箱に空き缶を捨ててベンチを見ると、やはり彼女はそこに腰掛けていた。
しかし彼女の手にはいつものお汁粉が無い。
彼女は新都の方を眺めているのか、こちら側からは表情が見えない。
だが、妙に哀愁が漂っているように思えた。
「──あのさ、これ」
俺は彼女に今買ったばかりのお汁粉を手渡した。
「……え、あの、なん……ですか?」
俺の声を聞いて振り返った彼女は、ひどく狼狽した様子でそう言った。
そりゃそうだろう。いきなり知らない男に“あのさ”とか言われてお汁粉を差し出されて困惑しない奴はいないだろう。俺のばかめ。
「ええっとさ、君いっつもここでお汁粉飲んでるじゃん、飲んでるよね? けど今日はなんか買えない? みたいな感じだったからよかったらどうかなって、さ」
なんか妙に早口になってしまった気がする。というか早口だったよな。ガラにもなく、こんな事するのやめとけばよかったか……。
「……え、あ! そんな、えと、お、お心遣い痛み入りますです!?」
しかし、目の前の彼女も彼女でやたらと早口にそう言って、顔の前で両手をぶんぶん振った。
「えっと、それでこれなんだけど、いる?」
「い、いただきます。ありがとうございます」
人間、自分より慌てている人を見ると何故だか冷静になれるようで、さっきよりも幾分か落ち着いてお汁粉をすすめると、彼女もいくらか落ち着いた様子で礼を言った。
「──あ、あの、わたし櫻子というものです。お名前……伺ってもよろしいでしょうか?」
お汁粉を一口飲んで、ほっ、と一息ついた彼女がこちらに向き直ってそう言った。
「俺は晴人。そこの店でバイトしてる」
俺は向かいの道路に寂しく佇む三龍軒を顎で指した。両手は寒いのでポケットに突っ込んだままだ。
「……晴人さんっていうんですね……って、もしかして、あの辰守晴人さんですか?」
櫻子は目を丸くして驚いた顔をした。
それにしてもあの辰守さんときたか。
まあ同じ高校だし、あのことを知っててもおかしくはないか。
「あぁ、まあ、その辰守晴人です」
俺はそのまま「じゃあ」とだけ言って道路を渡った。
きっと怖がらせてしまっただろう。やっぱり話しかけるんじゃなかったか。
「……あ、あの!」
意外にも櫻子に呼び止められた。
いったいなんの用だろう、お汁粉のお礼? それはさっき言われた。なら残る可能性は、経験上なにかしらの罵声を浴びせられるとか──
「晴人くん、また明日!」
また明日……これも意外だった。
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