192.「ファーストキスとラストクリスマス⑥」
【レイチェル・ポーカー】
──どうしてこうなった。どうしてこうなった。どうしてこうなった。どうしてこうなった。どうして、どうして、どうして…………。
わたしが現場に駆け付けたのは、ヴィヴィアンから連絡を受けてから数分後だった。復旧した電話で彼女の訃報を聞いてから、それが何かの間違いだと、きっと嘘に決まっていると否定するために私は走った。なりふり構わず、ケガしたヒカリを乱暴に抱えて。
「…………はぁ、はぁ……カルタ……嘘でしょ」
連絡を受けた新都の工場の倉庫へ着くと、ヴィヴィアンが私の姿を見て少し眉をひそめた。ヴィヴィアンのすぐ側には、地面にへたりこんで微動だにしないカルタの背中があった。
抱き抱えていたヒカリを下ろして、ゆっくりと、恐る恐るカルタに近づく。立ち込める冷気に身体が震える。一面が砕けた氷で埋め尽くされた倉庫を、おぼつかない足取りで進む。
「………………カルタ──」
カルタの肩に手を置いた。闘いの痕跡、破れた服の間から露出した肩は恐ろしいくらい冷たくて………………小刻みに震えていた。
「………………櫻子?」
私に気が付いたカルタがゆっくりと顔を私の方に向けた。放心半ばの表情で、カルタがぽつりとこぼした。
「……エミリアが────」
カルタの身体の正面、前方数メートル程の距離に彼女はいた。力尽き、地面に座り込むような体勢で氷漬けになった、エミリアだと思われる遺体があった。その遺体をエミリアだと思った理由は、単純につい一時間前まで彼女が着ていた服装だったからだ。寧ろ、それでしか判別する手段がなかった。
遺体には、首が無かった────
* * *
【レイチェル・ポーカー】
12月25日 午後8時 クリスマス
気が付けば夜になっていた。部屋の時計が1時間の区切りを小さな電子音で知らせる。ああ、もう8時なんだ。
昨晩、あの後すぐに魔女協会と軍警察が現場に入って、カルタと私とヒカリ、後から来たカノンの三人は八熊に連れられて見知らぬホテルへ足を運んだ。
そこで、ヴィヴィアンの監視の目を掻い潜って魔女狩りの同時襲撃があったこと、ヴィヴィアンと八熊はホテル近辺で発生した魔獣災害で僅かに助けに来るのが遅れたこと、エミリアが帰らぬ人となったことを聞かされた。
「──お前らがいながらっ、何でこんなことになってんだ……ッ!!!!」ヒカリはボロボロの状態で八熊を殴り倒して、八熊はされるがままだった。
「……おやめなさいヒカリ!!」それを止めたカノンも、ヒカリが泣き出すと一緒に泣き崩れた。
「………………」カルタは………………ただ静かに座っていた。
その後、どういう流れで解散したのか覚えていない。解散したと言っても、それぞれがヴィヴィアンと八熊が用意したホテルの部屋に移動しただけなんだけど。
それから時折軍警の人とか、魔女協会の人から事情聴取されたりして、ただ時間が流れていった。ヒカリもカノンもカルタも、誰も部屋を訪ねては来なかった。きっと全員、自分の部屋から動けなかったと思う。
「──馬場櫻子、話が聞ける状態なら部屋に来い」そして現在、午後8時……ノックの後、八熊の憔悴した声が聞こえた。
私はベッドから腰を上げて、握りしめていた物をポケットに押し込んだ。
* * *
「──うむ、全員集まったの」
ヴィヴィアンの部屋には私以外の全員が集まっていた。加えて、以外な顔も何人か。
「そなた達を呼んだのは、昨晩の件と今後の件で此方から出来る説明と提案をするためじゃ。知らぬ顔もおるじゃろうし、先に挨拶を済ませるとするかの」部屋の中央にある大きなテーブル。横一列に並んだ私とヒカリ、カノン、カルタの正面にはヴィヴィアン以外にも魔女が腰掛けていた。
「……魔女協会所属魔女、マゼンタ・スコパよ」赤いウェーブのかかった髪。初めて会うような口ぶりだが初めてでは無い。以前ヴィヴィアンと八熊がいない間にわたし達を魔女協会の本部に連れ去った件はまだ記憶に新しい。その事はヴィヴィアンには秘密にしているから、誰も何も言わない。まあ、そうじゃなくても口を開く気力なんて誰もないだろう。私も。
「ハイド所属の裁定人ヘリックス・ワーデンだ……今回の件は、お悔やみ申し上げる」そう言って悲痛な面持ちで頭を下げたのは、赤と黒の巻き毛をツインテールにしたヘリックスだ。こうして顔を合わせるのは500年ぶり近い……髪型以外はあまり変わらないな。
「むはぁ、鴉所属のバブルガム・クロンダイク……って、言わなくても知ってるよなー」そして当たり前みたいな顔で参加してるバブルガム。どうやら結構ピリついてる。
「うむ、挨拶は終わったの。それでは本題じゃが……昨晩、此方達は魔女狩りによって襲撃を受けた。温泉街での事件以降、監視ガラスをそなた達にも割り振っておったんじゃが……敵のゴーレム使いに全機同時撃破されてしまったようじゃ」
サラッと言ってくれるけど、監視されてるなんてこっちは聞いてない。温泉街以降の私達の行動はヴィヴィアンに筒抜けだったということになるわけだけど、プライバシーとか知らないのかこいつは。
「カラスが潰された時点で此方とバンビはそなた達の元へ駆けつけようとした訳じゃが、そこでまたもや同時多発魔獣災害じゃ。正確にはゴーレム使いが操る大型ゴーレムが暴れておったわけじゃが……まぁ細かいことはよい。ともかくその処理に足止めを食らっている間に、エミリアを喪った」
全員がその禁忌の言葉に肩をふるわせた。ポケットに入れた手をギュッと握りしめる。
「此方がついておりながら、このような事になってしまったことには弁明の余地もない。すまなかった」ヴィヴィアンがそう言って深く頭を下げた。あのヴィヴィアンが。
「若くして同胞を喪ったそなた達の心持ちを此方に理解できるとは言わん。この先のことはそなた達が己の意思に従って決めよ」
「……己の意思って」どうしろって言うのよ。そんなの、復讐したいと言えば放っておいてくれるのか。
「復讐したいと言うのならすればよい。此方に止める権利は無い。手段が欲しいなら鴉に入るのもよいじゃろう」
「むはぁ、私ちゃんも一緒に酒呑んだ仲だし……オメーら程ではねーにしても正直ブチ切れてるからな。ウチに来るなら協力は惜しまねーつもりだ」
まさか、本気で言ってるのかヴィヴィアンは。バブルガムを呼びつけている以上、冗談では無いのだろうけど、それにしてもだ。
「私は反対よ。あなた達はまだ若いわ。復讐したい気持ちももちろん分かるし、私だって妹分をやられて平静で居られるほどできた女じゃないけどね……それでも命には変えられないわ。エミリアだってきっとそんな事は望んでない。安全な場所は魔女協会が用意するから、暫くはウチに来なさい」
マゼンタの言い分は道理が通っていた。確かに今回の件、魔女狩りのわたし達への執着は異常だ。ヒナヒメの事にしても明らかに捕獲ではなく殺しに来ていた。ただ殺すだけならアイツらはなんの得もない。わたし達が死ぬことによって得られる何かがあるのだろう。殺害が手段なら目的はなんだって言うの?
それすら分からない状況……魔女協会に匿って貰うのがきっと最善なんだろう。でも──
「──わたしは、エミリアを殺した奴を許さない。あいつらを根絶やしにするまで絶対に許さない。だからごめんヴィヴィアン……VCUは今日で辞める」
どうしてこうなったんだろう。
昨晩から何度も何度もその言葉が、頭の中をぐるぐると回っている。あの時、わたしがクリスマスパーティーをしようなんて言わなければ、エミリアはまだ生きていたんだろうか。
それとも温泉街での最初の襲撃の時、バブルガム達に丸投げせずにわたしがきちんと皆殺しにしていれば?
そもそも…………魔女狩りの襲撃の目的が、死んだはずの四大魔女、つまりわたしに関わることだったなら?──
『──レイチェルさん』
エミリアはもう戻らない。彼女の死をどれだけ悼もうが、どれだけ憤慨しようが、復讐しようが、向き合おうが、逃げ出そうが…………何をしても彼女は生き返ったりしない。
だからこうやって疑心暗鬼になって、自己嫌悪したところでなんの意味もない。もう、エミリアの為にしてやれることは何も無いんだ。
結局、残された者たちに出来ることは、残された者の為にしかならない。
わたしはエミリアの為に復讐するなんて、口が裂けても言わない。誰のためでもない、他ならないわたし自身のために、わたしは復讐する。
それでいいよね、許してくれるかな。エミリアはきっと復讐なんてめちゃめちゃに怒って反対するんだろうけど……。
わたしの言葉にヴィヴィアンは黙って頷いて、視線をカノンへと向けた。カノンもそれに視線で応えると「……私は、少し考えさせてほしいですの……」と、そう言ったっきり顔を伏せて押し黙った。
無理もない、きっとこれが普通なんだ。近しい者の唐突で理不尽な喪失……10代の少女が簡単に整理をつけれるような話じゃない。
カノンの言葉を聞いたヴィヴィアンは、何を言うでもなく次いでヒカリに返答を促した。わたしもヒカリの方に目を向けると一瞬目が合って…………直ぐに逸らされた。
「…………アタシは残る」
たった一言。ヒカリが静かにそう言った。
正直、ヒカリはわたしについてくると思っていたから、意外な言葉に少し心がザワついた。もしかしたら復讐の手助けを無意識の内にヒカリに期待していたのかもしれない……我ながら情けないと思うけど。
なんにせよ、昨日の今日で気持ちに整理がついていないのはきっと皆同じだ。その中でヒカリが出した答えに文句をつけるような真似はしない。できない。
「カルタ。そなたはどうするのじゃ? ヒカリのように此方の元で魔獣を狩るのか、それとも櫻子のように復讐の道をゆくのか……あるいは魔女協会で身を潜めるのか……どうしたいのじゃ?」
終始スマホを横向きにして沈黙を決め込んでいたカルタに、ヴィヴィアンが問いを投げつけた。こんな状態のカルタに身の振り方を考える余裕なんて無いってことは、ヴィヴィアンだって承知のうえだろう。
それでもわたし達全員を集めたのは、きっとこの件が時間が経てば経つほど膿む類いの話だからだ。
絶望して、進むべき道が分からなくなった時……短絡的で最も悲しい行為に走ってしまう可能性があることをわたしは身をもって知っているし、それをヴィヴィアンに助けられた事実もある。
ただ、本当にそういう意図のもと、今に至っていたとしてカルタ本人がどう感じるかなんて誰にも分からないんだけど。
「…………よく考えたらさ〜」
──と、カルタがスマホから目線を逸らすこともなく、ぽつりと話し始めた。いつもの眠たそうな声の続きに、わたしは耳を傾けた。
「今日、ゲーセン行く予定だったんだよね〜ストファイの新台お披露目の日でさ〜だからこんなとこ居る場合じゃないわけ〜」
「……………………お前、何言ってんだ」
ヒカリが絞り出すような低い声でそう言った。わたしもカノンも……おそらくこの場にいる全員が、おおよそ似たような気持ちになっていると思う。
「いやいや、だから〜今はどうでもいい話してる場合じゃなくて〜早くゲーセン行かないと……」
「……ッふざけんな!!!!」ヒカリがカルタのスマホを手で払いのけた。カルタの手から離れたスマホが、部屋の壁に激突して地面に転がる。空気が凍りついた。
「お前、どうでもいいってどういうことだよ…………こんな時までスマホばっかイジりやがって……一体全体何考えてんだ!? あぁ!?」ヒカリがカルタの胸ぐらを掴みあげて怒鳴りつける。あまりに咄嗟のことでわたしは動けなかった。
「……ったいなぁ。離せよ」カルタがヒカリの腕を強引に振り払う。物凄い力で振り払われたヒカリは、よろけて転びそうになった。その隙にカルタは踵を返して、わたし達に背を向けた。
「おい、どこ行くんだよテメェ!!!」
「──はぁ……………………だからゲーセンだって言ってんじゃん」最後にそう言い残して、カルタは部屋から出て行ってしまった。
気まずい空気の中、カノンが無言で地面に転がったスマホを回収して……ヒカリはというと、色んな感情でいっぱいいっぱいなのか立ち尽くしたまま肩を震わせている。
わたしはカルタのスマホを拾ったカノンの元へ行ってから、ヒカリに呼び掛けた。
「ヒカリ、追いかけなくていいの?」
「……なんでアタシが……あいつゲーセン行ったんだぞ、こんな時に……」今にも泣き出しそうな声だった。
「……たぶん、エミリアと約束してたんだよ。今日ほんとは、二人はデートする予定のはずだったから……」
わたしはカルタのスマホをヒカリに手渡した。
「………………っ」
ヒビの入ったスマホの画面には、ハイスコアを叩き出して無邪気に笑うカルタと、一緒に嬉しそうに微笑むエミリアの自撮りが映っていた。ヒカリが横向きの画面をスクロールすると、映っているのはほとんどカルタとエミリアのツーショットだった。
「……悪い、ちょっと行ってくる……」
ヒカリはボロボロ涙を零しながら部屋を出て行った。その後を、一人では心配だからとカノンが付いて行き。火のついていないタバコを加えていた八熊が、最後に部屋を出た。
わたしは、まだこの部屋を出るわけにはいかない──




