189.「ファーストキスとラストクリスマス③」
【レイチェル・ポーカー】
12月24日 22時20分
17時から始まったクリスマスパーティーは大いに賑わっていたが、それもついに終わりを迎えた。プレゼント交換の後、酔っ払っていたカノンは水を飲みまくったおかげか殆ど正常に戻り、エミリア、カルタと一緒に後片付けを手伝ってくれた。
ヒカリはプリティーチェリーの服を渋々着てからは、ヤケになったのか、それとも恥ずかしさを誤魔化したいからなのか、あるいは両方か……しこたまお酒を飲みまくった結果、今は眠ってしまっている。
そして現在、わたしが事務所の窓際にいるのは、一足先に帰るみんなを見送るためだ。
「じゃあ皆、気をつけて帰ってね。わたしはヒカリをもう少しだけ寝かせてあげてから帰るから」ソファを一つ占領して眠っているヒカリはまだまだ起きる気配はない。無理やり起こすのも可哀想だし、一時間くらいは寝かせてあげようと思ったのだ。
「ええ、ヒカリの事は頼みましたの。そちらも帰りはお気を付けて」ヒカリとは真逆にお酒の抜けたカノンがそう言った。友人としてはお酒を控えるように助言するべきだけど、個人的にはそのままでいて欲しい。おもしろいから。
「櫻子さん、ヒカリさんのこともですけど、もし何かあったら直ぐに連絡して下さいね? 電話気づけるようにしておきますから」
「うん、ありがとうねエミリア」
徹頭徹尾気の利くいい子だ。明日の告白、みんなの手前口には出せないけどちゃんと応援してるからね。
「寝てる間に変なことしちゃダメだかんね〜ダメだかんね〜」
「しないし、何で二回言うの」フリなの? しないからね。ヴィヴィアンじゃあるまいし。ていうか本当にこんなカルタでいいのかエミリアよ……。
「じゃあ皆、明日はいいクリスマスを」
一人、また一人と、窓から降り去ってゆく友人達を見送って私はソファに腰掛けた。隣のソファには泥酔して眠る魔法少女……これはこれで趣があるよね。うん。ないか。
「──アイツら、返ったのか……」
「うわ、びっくりしたぁ……」
不意に聞こえた声の出処は、驚いたことにしばらく意識を取り戻さないと踏んでいたヒカリからだった。
「うん、みんな帰ったよ……ていうか大丈夫?」のそのそと身体を起こすヒカリ、酔いが酷いのかただ眠たいのか……細まった深緑の双眸からは、今ひとつ感情が読み取れない。
「……ああ、大丈夫…………いや……嘘。ちょっと気持ち悪いかも……水、飲みたい」本当に気分が悪そうだから、服装の事とかは茶化したりせずに水をあげよう……と思ったのだけど──
「……あ、ごめんヒカリ。水さ、カノンが全部飲んじゃったみたい」
「………………まじか」
酔いを覚ますためにこれでもかってくらい飲んでたもんね。どうしよう、ちょっと心配になるくらいしんどそうだ。
「ちょっとだけ待っててよ。わたしひとっ走りして水買ってくるからさ」
「………………うん」
これは重症だ。前回の飲み会の時の記憶は無いけど、記録では吐いたらしいし……早いとこ水を買って帰らないと、事務所で惨事が起きかねない──
* * *
「……さっむ」
2Lのペットボル2本が入った袋をぶら下げて、わたしは事務所への道を歩いていた。行き道同様、魔力始動して一足飛びに帰ってもよかったのだけど、コンビニから出たあたりから妙に気持ち悪くなってしまったので今は少し様子を見ている。飲んだ後に激しい運動はするものではないな。
「……………………?」
ふと感じた違和感に足を止めた……けど、違和感の正体が分からない。なんだろう……何か気持ち悪い…………きっとお酒のせいでしょ……いや、やっぱりおかしくないか?
確かにお酒は飲んだけど、あのくらいでは気持ち悪くなんてならないし、そもそも気持ち悪さの種類も違う。思わず口をついたこの寒けにしてもそうだ……単純にただ寒いのではなくて、これは例えるならばそう……何か致命的な状況に陥った時、それに気づいてしまった時に感じる悪寒。そんな類いのものだ。
ドサリ…………と、前方数メートル先で何かが落下したような物音が聞こえた。止まっていた足が自然に動き出す。
「…………なによこれ」
見下ろす先には、血溜まりを広げながらこと切れた一羽のカラスがいた。
漆黒の亡骸から止めどなく流れる血で、血溜まりは見る見るうちに広がった。そして、ありえないくらいに広がり続けて、とうとうカラスの身体は溶けるように血の平面に沈んでいってしまった。
このカラス、まともなカラスではない。わたしはコレを知っている。500年前にも見た記憶がある。コレは………ヴィヴィアンがクロバネで作った贋物だ。それがどうしてこんなところで──
ただ唖然と足元の血溜まりを眺めていると、ふと気づいてしまった。先程からわたしにまとわりつく、不快で、しかしどこか懐かしいこの悪寒。その正体が何なのか──
これは…………『殺意』だ。
私がそう気づいたのと、背後からの攻撃を察知したのはほとんど同時だった。
「〜〜〜〜〜ッッ!!??」殆ど反射で魔力始動して、身体を翻すように不意打ちを転がり避けた。すぐ後方ではコンクリートが粉砕する重厚で乾いた音が響く。
「────あーあ、避けられちまったのだ。美味しいお店を教えてくれた礼に、お前様は苦しまないように殺してやろうと思ってたのに。残念なのだ」
視線の先、背中から赤黒い触腕を生やした女が、まるで買ったばかりのアイスを落っことしてしまったような顔でそう言った。
「…………ヒナヒメ」
目の前にいるのは……たった今わたしを殺そうとしたのは、先日私が通う高校に転入して来たヒナヒメだった。痛みで痺れる脳ミソでも瞬時に理解した。こいつ魔女だ。それに多分……魔女狩り。
「櫻子ちゃん、中途半端な事して悪かったのだ。でもヒメは箸をつけたご飯は残さねー主義だから安心してほしいのだ」
ヒナヒメが、私の右腕を食いちぎった触腕をうねらせながら近づいてくる……それも二本。触腕の先端には剥き出しの牙が乱立していて、その中央には深い闇を孕んだ穴。まるで臓物の先端に禍々しい口が付いているみたいだ。どことなくクロバネに似ている。
「……な、何で……こんなこと……」左腕でちぎれた右腕を庇いながら、意識を集中する。痛覚遮断……痛みを消して、ヒナヒメを迎え撃つ。いや、先に右腕を再生するべきか──
「………………んー、なんかおかしいのだ」眩しいくらいの笑顔で詰め寄って来ていたヒナヒメが、急に足を止めた。
「大抵の奴は急に手足ちぎれたらもっと泣き喚いたり吐いたりみっともねー無様を晒すのだ。お前様……さては回復魔法とかつかえるのだ?」
こいつ…………ふざけた態度だけど、相当場数を踏んでる魔女だ。不意打ちで相手にここまでの重症を負わせたら、それこそ大抵の奴は慢心して隙を晒す。
そういう油断した相手を楽に倒せるのが不死身体質の本領なのだ。
目の前にいる魔女、ヒナヒメは一筋縄じゃいかない相手かもしれない……けど、そんなこと言ってられる状況でもない。これが魔女狩りの襲撃なら、皆のところにも魔の手が迫っている可能性が高いからだ。
「……悪いけど、おしゃべりしてる時間ないから──」
速攻でケリをつける。出し惜しみ無し、身体強化の魔法を全開で使って切り伏せる。
跳躍と殆ど同時、既に左手に生成された魔剣をヒナヒメに向かって振り下ろした。どれだけの実力があるかは定かでは無いけど、一級の身体強化魔法持ちの本気の一撃……簡単に防げるものではない──
「……ッ!!?」気味の悪いヒナヒメの笑顔が、驚愕に染まった。目を丸くし、呆気に取られた様な一瞬の表情。情けなく、ぽかんと空いた口が…………裂けるような笑みに変わった。
ヒナヒメ胴体を狙った私の横薙ぎの一線は、呆気なく空を切っていた。
狙いがズレたわけではない、ズレたのはヒナヒメ本体だ。跳躍した訳でもないのに上にズレやがったのだ!
「……っなんて動きを!!」ヒナヒメは触腕の片方を地面に固定し、触腕に自らが振り回されるようにして私の剣を避けた。予備動作もクソもないとんでもない回避行動……そうだった、魔女との戦闘って予想外の連続だったよね!
「上ばっか見てちゃダメなの……だァっ!!」
「……しまっ!?」身体を半分こしてやるつもりだったヒナヒメの回避行動にほんの一瞬面食らった。その一瞬の隙に、ヒナヒメの触腕が私の左脚に食らいついていた。
地面に突き刺すようにしていた触腕が、地下を掘り進んで私の足元から飛び出ていたのだ。
っとに、使い方までクロバネに似てるっ……。
「──悪いけどおしゃべりしてる時間はねーのだ」
触腕に固定されてしまった左脚を自ら切り落とそうとした刹那、もう片方の触腕が猛スピードで私の身体に直撃した──




