183.「清算と保留」
【辰守晴人】
「──お、おはよう」我ながら、なんて間抜けなことを言ってるんだと思う。だがしかし、これ以外の言葉が何も出てこなかったのだ。
「………………」
目覚めたばかりで単に薄目なのか、それともいつものジトッとした目なのかイマイチ判別がつかないような顔でマリアは俺を見据えている。長い……沈黙が長いぞ。
「──人の部屋で何してんのよ、タツモリ」あまりにも普通にそう言ったマリアに、困惑が加速する。人間……じゃなくてタツモリって呼んでるあたり、もしかしてもう怒ってないのか? 口調もいつかのデートの時みたいにくだけてるし……とりあえず、何か返事をしないと。
「えっと、見舞いだよ。果物は持ってきてねぇけどな」
マリアはジトッとした目で俺を見つめたまま、「……そう」と短く返事をした。どういう感情なんだよそれ。
「アンタのこと殺すどころか、返り討ちにあうなんてね……今日は人生最悪の日よ」ようやく俺から目を逸らしたマリアは、淡々とした口調でそう言った。
「最悪もそこまで悪いもんじゃないだろ、これ以上悪くならないってことだからな」
「バカね、最悪は更新するものよ。明日はもっと悪い日になりそうだわ」目覚めて早々陰険な女である。
「悠長にこんなとこに居るってことは、脱走のお咎めも無かったんでしょ。完全にアンタを殺す気を逸したわ。ほんと最悪」
「だいたいお察しの通りだ。残念だろうが俺のことは諦めてくれ……それと、悪かったな」
「……は? なにが?」マリアの鋭い視線が再び俺を射抜いた。寝転んだままでこんなに怖いなんて勘弁してくれ。
「なにがって、色々だよ。その……デートの時騙した事とか、昨日も身を守るためとはいえ、ちょっとやり過ぎたかもしれん」起きてしまった事はもう仕方ない。それを踏まえた上でこいつとも付き合っていかなければならないんだから、いつになく無気力な今のうちに、清算できることはしておくのが吉だ。たぶん。
「ふん、呆れたお人好しね。こっちはアンタの事殺そうとしてるってのに……身体も、アンタが治したわけ?」マリアが自分の腕を確認しながらそう言った。これ、寝てる間に勝手に治療した事でセクハラ扱いするつもりじゃないだろうな……。
「治療したのは俺だが断じてセクハラではない。触ってないし。手かざしただけだし」
「誰もそんな事言ってないでしょ。気持ち悪い」
……こ、この野郎。
「あー、なんだ、喉とか乾いてないか? 水とか欲しいならバンブルビーに知らせに行くついでに持ってくるけど」さっさと退散したいが、あの大怪我で半日以上意識不明だったんだ。少しくらい気にしてやってもいいだろう。
「……喉は乾いてないけど、タツモリアンタ、ちょっと手貸しなさい」ベッドから身体を起こしたいのか、マリアが片手を差し出した。平気そうに振舞ってるけど、まだろくすっぽ身体を動かす元気もないらしい。
「ほら、捕まれ」仕方ないから、マリアの手を引きながら片手を肩に回して、ゆっくりと上体を起こしてやる。
「……誰が抱き起こせって言ったのよ。殺すわよ」
「はぁ? 何照れてんだよお前」
「手を貸せって言っただけでしょ!? いいから黙って回復魔法使いなさい」よろよろのマリアに怒鳴られ、わけも分からないまま取り敢えず手に魔力を込めた。マリアと繋いだ手から、暖かい光が漏れる。
「……これ、何してんだ?」
「……さっき謝ってたこと、全部許してあげるからしばらくこのままでいなさい。質問はしないで」有無を言わさぬ迫力に俺はというと「わかった」としか言えないのであった。
* * *
「──むはわわわわッ、なんだコレっ!!??」
ようやく部屋に新しい家具を配置し、作業中に出たゴミなんかも全部片づけてコーヒーブレイクに突入した頃……家出中のバブルガムが帰ってきた。部屋を開け放つなり、ほんの二秒でやかましい。流石である。
「あ、バブルガムおかえりなさい。ちゃんと帰ってきたら手洗いうがいして下さいね」
「おかえりなさい。バブルガムあなた、人様に迷惑とかかけてきてないでしょうね」
「おい紫雷の、暖房が逃げる。早くドアを閉めろ」
「あー! スペシャルバブルガムサンデーの人だ! おかえりなさーい!!」
「おいチビデコぉ、俺様の酒はぁ!?」
各々がバブルガムに言葉を投げかけると、彼女は困惑した様子で何度も部屋の中を見回した。
「むはぁ、なんでハレトが普通にくつろいでんだ!? ていうか金髪ちゃんなんでいんの!? ライラックと前髪はどこ行ったんだラミー!? そしてお前に買ってやる酒はねーぞイース!!」華麗なるコメント捌き! と言いたいところだが、スカーレットだけ無視されてる。やめてやれ。
「……えっとですね、実は──」
──俺がざっくり昨日と今朝の出来事を説明すると、バブルガムはわなわなと震え出した。
「むふぅ、納得いかねー! なんで共犯のハレトが部屋でコーヒー飲んでんだ! 私ちゃんなんて一週間の牢屋行きとか言われてたんだぞ!!」
「ちなみに過去形じゃなくて現在進行形だし、一週間じゃなくて一ヶ月ね」ラミー様にコーヒーのおかわりを注ぎながら、スカーレットが冷静にツッコんだ。
「むふぅ、酷い……ハレトとなら一週間牢屋で二人きりでもいいんじゃねー? って思って帰ってきたのに……うぅ」
「……バブルガム」本人に一切反省の色は見られないけど、さすがにちょっと可哀想だ。
「確かに、俺だけなんのお咎めも無いなんておかしな話ですよね。俺もバブルガムと同じ罰を受けます」脱走の件では正直怒られなくてラッキーだなんて思っていたけど、それにしてもバブルガムだけ牢屋行きは可哀想だ。なんたってあのイースですら色々有耶無耶にして牢屋から出ているわけだし。
「そんな、何もハレ君まで牢屋に入る事ないじゃない。ハレ君を危ない目に合わせたから牢屋で反省してもらおうって話なのよ?」
「言いたいことはもちろん分かりますけど、俺だって本気で拒もうと思えば拒めました。結局は自分の意思で脱走したんです。だからバブルガムが牢屋に入るなら、俺も一緒に入ります」
スカーレットは複雑そうな表情でチラリと周りを見た。同室の彼女たちの意見はどうなのかと気になったんだろう。しかし、コーヒーをとっくに飲み干したイースは酒を飲むのに忙しそうで、ラミー様は手鏡で自分の前髪を確認している……全然こっちに興味無いな、この二人。
「ハレが牢屋に行くなら、私もついて行くね!」フーはいつも通りだ。まぁ、イースが使ってた方の地下牢は普通の部屋と遜色ないレベルで住み心地いいからな。風呂も冷蔵庫もあるし、別にそこまで敬遠する理由もない。
「むはぁ、ハレト……金髪ちゃん!! 信じてたぞー!!」バブルガムは感動したように瞳をうるませて、俺のそばに居たフーに抱きついた。調子のいいやつである。
「──その件なんだけどね、一旦忘れてくれないかな」
「……バンブルビー、いつの間に!?」相変わらず気がついたら居るこの感じ、心臓に悪いからやめて欲しい。それにしても、今のって──
「実は、予定よりも早くボスが帰ってくることになってね。牢屋行きは一旦保留ってことでお願い出来ないかな」
「ぼ、ボスっていうと……」
「うん、アビスだね」
アビス……最強の肩書きを意味する『四大魔女』の一人にして、鴉の創設者、そして現盟主を勤める人物。そのアビスが帰ってくる。それはつまり……どうなるんだ?
「まず、辰守君とフーちゃんの鴉加入を認めさせないといけないわけだけど、それについては九割九分大丈夫だと思うよ。ここにいる皆の旦那様になる予定だからね。それに回復魔法も優秀だ……うちはアビスしか回復魔法持ちが居ないから重宝されると思うよ」
俺の心境を察してか、聞くまでもなくバンブルビーがこれからの事について語り始めた。普段飄々としているけど、頼りになる人だ。
「で、問題はこっち。アビスが帰ってくるということは──」
「むはぁ、魔女狩りの奴らの拠点を見つけたんだなぁ」バブルガムが思わずゾッとするような笑みを浮かべた。いや、バブルガムだけではない。イース、スカーレット、ラミー様にいたるまで……皆から歓喜と剣呑がブレンドされたような気配が漂っている。
「そう、いつも通りの仕事だよ。戦闘班が総出で魔女狩り拠点の制圧……だからバブルガムの牢屋行きも一旦保留ってこと」
「ガハハ、久しぶりに暴れられるなぁ! そろそろ腕がなまっちまうとこだったぜぇ!!」口元から蒼い炎を漏らしながらイースが笑った。怖すぎる。絵面がラスボスだ。
「そうね、今後のためにも気合い入れて仕事しなきゃね!」スカーレットも尻尾をブンブン振って気合十分といった様子。
「ぷぷぷ、ゴミ掃除も数百年ぶりだと多少は胸が高鳴るのだなぁ。どうやって塵芥共を屠ってやろうか……」
──皆仕事に取り掛かる姿勢としては100点満点ではないだろうか。ただ、鴉の仕事……魔女狩りの拠点を制圧ってつまりは…………人を、殺しに行くってことなんだよな…………。
「……辰守君、俺達の仲間になるっていうことがどういうことか……君なら分かるよね?」
「…………はい」
それくらい、わざわざ確認してくれなくてももちろん分かる。きっとこれは彼女なりの優しさだ。事ここに及んでも、俺にその覚悟を無理強いしないために聞いてくれているのだ。『君に人殺しは出来るのか』と──




