181.「太陽と眷属」
【辰守晴人】
──フーを連れて鴉城へ帰還した俺は、バンブルビーの計らいで早々に地下牢へ通された。何か適当な理由をつけて、イースやスカーレット達がここへは来れないようにしてくれたらしい。
勝手に島を抜け出して心配をかけたのだから、彼女たちに謝りたい気持ちはもちろんある。でも、意識の戻らないフーのこと、置いてきてしまった龍奈のことがずっと胸の中で黒い渦のようにぐるぐる回っていて、正直少し一人で考える時間が欲しかったから、ありがたい心遣いだった。
「──ん、ハレ……?」
そして、午前8時16分現在……フーが目を覚ました。
「フー!! よかった、分かるか!? 俺だ、晴人だ!!」夜通し傍で見守っていたから、目覚めた感動でつい肩を揺さぶってしまう。それに伴って、フーの意識が段々と鮮明になっていくのが見て取れた。
「……え、ハレ……? うそ、なんで……本物!?」ガバッと上体を起こしたフーが俺の顔をペタペタと手で触る。俺はその手を掴んで、握りしめた。
「本物だよ、本当に目が覚めてよかった」バンブルビーにも朝には目が覚めるとは言われていたものの、それでもどこかでこのままずっと目覚めないのでは無いかと思う気持ちがあった。底知れない不安が一気に解消されて、目頭が熱くなってくる。
「私も、ハレにもう一度会えてよかった。凄く嬉しいよ」太陽のような笑顔が、胸の中に溜まっていた不安とか恐怖とか痛みとか、悪いものを全部浄化してゆく。もう一度この笑顔を見るために、俺はイースとの辛い修行にも耐えてきたのだ。
「そういえば、ここはどこなの? 龍奈は?」フーが周りをきょろきょろ見回しながらそう言った。そうだ、その事も説明しないと。俺の口から、ちゃんと。
「フー、ここは鴉っていう魔女組織の拠点なんだ。俺達のことを悪い奴らから匿ってくれてる。それで、龍奈は……ここへは一緒に来られないから、置いてきたんだ」
フーはショックを受けたような顔をして、そのまま俯いてしまった。魔女狩りのことも、自分が組織の実験体だということも、龍奈から聞いて知っているはずだ。もちろん、鴉のことも。だからこそ、こんなにも傷ついているんだろう。
「──だったら、早く迎えに行ってあげなきゃね! それで、また皆で一緒に公園に行ったり、買い物したりしようよ!!」
……見当違いもいいところだった。そうだよな、この太陽みたいな明るさがフーだ。龍奈を迎えに行くって息巻いてた俺の方が、知らないうちに陰ってたのかもしれない。そう思えるくらい明るい言葉だった。
「そうだな、2人で迎えに行って今度は3人で温泉旅行だ!!」
「おー!!」
さて、まずは何から手をつけるべきか…………うん。まずは鴉の皆とフーの顔合わせだな。あと……結婚の話。
* * *
「皆様……ご心配、ご迷惑お掛けして本当にすみませんでした!!」
壁に塗った漆喰のせいなのか、昨晩まで大穴から海風が素通りしていたせいなのか、はたまた両方か、磯の香りが漂うこの部屋で、俺は全力の謝罪をしていた。
「ったく、あのバカデコなんぞにいいように使われやがってよぉ!! まぁ、今回はよしとしといてやる……俺様は1度目は許す寛大な女だからなぁ!!」さっきまで壁に漆喰を塗っていたせいか、顔や服をあちこち汚したイースがそう言った。よかった、まさか骨の1本も折られずに許して貰えるとは。
「なぁに偉そうなこと言ってんのよ。ハレ君も、別に謝らなくたっていいのよ? そもそも私達がこんなところに閉じ込めちゃってるわけだし……そりゃあまあ、凄く心配はしたけど……って、ちょっとイース!! 私の尻尾に何してんのよ!?」相変わらず優しさが留まるところを知らないスカーレットは、和やかに微笑んで見せたあと尻尾に漆喰を塗られてイースに激怒してる。
「す、スノウが追いかけて行った時は、き、肝が冷えたの……無事で、よかったの……ハル」ライラックも顔は見えないけど、微笑みかけてくれたような気がする。とにかく、3人とも許してくれたみたいで本当によかった……けど──
「……あの、バブルガムは?」恐らくかなりの折檻を食らったであろう筈のバブルガムの姿が見当たらなかった。地下牢に居ないことは分かっていたから、てっきり俺の部屋の修繕チームに加わっていると思っていたんだけど……まさかまたサボりか?
「あのチビデコは昨日出てったっきり帰ってきてねぇぞ! ほっとけあんなバカ!!」
「え? 出てったって、バブルガムどっかいっちゃったんですか?」なんでまた、まさか怒られるのが嫌で家出したとかだろうか。
「昨日、色々やらかしてくれた罰として一ヶ月の懲罰房行きになったんだけど、逆ギレして飛び出しちゃったの。家出よ家出」スカーレットは呆れたように言いながら、尻尾に着いた漆喰を拭った。
「そんなしょうもない理由で……」
「お、大泣きしながら……出ていったの……」ふむ、逆ギレして大泣きしながら家出とは、多分本当に本人にはそこまで悪気は無かったんだろう。そう思うと少し気の度というか、ちょっと心配だな。
「んな事よりハレト、お前も戻ってきたならさっさと手伝え!! 結局俺様が殆ど壁の穴直したんだからなぁ!!」
「穴を塞いだのはバンブルビーだし、アンタはペタペタ漆喰塗ってるだけでしょ……ちょ、やめ、さっきからやめなさいよアンタぁッ!?」イースが漆喰の付いたコテをスカーレットにビュンビュン降っている。5分でいいから仲良く出来ないのかこの二人。
「修繕任せっきりになってすみませんでした。もちろん俺も今から手伝いますけど、その前に紹介したい人が……」俺はそう言って部屋の扉を開けた。扉の前には、廊下で待機していたフーが立っている。
「初めまして! フーです!」バンブルビーに用意してもらった鴉の服に身を包んだフーは、屈託のない笑顔で挨拶した。とりあえずこちらサイドはオーケー。問題はイース達がどう反応するかだけど──
「ほぉ、お前がハレトの……よし、かかってこい!!」
「いやいや、なんでですか!?」この戦闘民族め!! 出会って数秒でどうしてそうなるの!?
「く………………可愛いわね」鴉の良心スカーレットさんも、いつもならイースを止めてくれそうなもんだが、何故か今は爪を噛んで何やら考え込んでいる様子だ。
「い、イース……その、ケンカはよくない……の」しかし、なんとここでまさかのライラックが酒乱暴虐戦闘民族のイースを諌めようとしてくれた。ナイス!!
「うるせぇドMは引っ込んでろ!!」
「あぁんッ♡」
……ものの1秒でライラックが張り倒された。やけにあっさりと。アレか、もしかしてワザとか。
「……おい駄犬共。今日という今日こそ、このラミー様が身の程というものをその身に刻んでくれるわ!!」
「げっ、ラミー様!?」イースめ!! 顔を殴るから前髪が……っ!! だめだ、既にもう収集がつけられる気がしないぞ!?
「ガッハッハッ!! まとめてぶった斬ってやるぜぇ!!」
「我が手に来たれ、イグラー!!」
「よーし! 私も負けないよー!!」
青く燃え盛る大刀を抜いたイースに呼応するように、ラミー様も魔剣を生み出した。そして何故かノリノリで臨戦態勢のフー。これ、もしかしなくても今からこの部屋消滅しないか?
「──はい。そこまで」
ぴたりと、まるで急に時間が止まったかのかと錯覚するほどに、一触即発だった部屋に静寂が訪れた。扉から現れたのは、この場にいない盟主を除いておそらく鴉で最も権力を有している魔女……バンブルビー・セブンブリッジ様だった。
「バンブルビー……ナイスタイミングです!」
「はは、どうやらそのようだね」隻腕の彼女が、ゆったりとした足取りで部屋の中央へと進む。その様子を、魔剣を振りかぶった状態でフリーズしているイースが、ラミー様が、ついでにフーが、視線で追いかける。
ちなみに、ずっと何やら考え込んでいたスカーレットは、状況についていけてないのか、困惑した表情できょろきょろしている。
「うん。ちゃんと壁は塗り終えたんだね。イースのその炎はもしかして漆喰を早く乾かそうとしてるのかなぁ、まさかまたケンカとかする気じゃないよね」
優しげな顔と口調で話すバンブルビーに、恐らくこの場の全員が恐怖を感じていた。
目が笑ってないというのも大いにあるけど、彼女の手足にたった今生成、装着されたナックルガードとレッグガードがたてる重厚な金属音が、背骨の奥まで恐怖を響かせているのだ。
フーなんて素早く俺の傍に寄ってきて、腕を掴んで震えている。
「……け、ケンカじゃねぇよ……」絞り出すようにそう言ったイースは、親に怒られた子供のようにバツの悪そうな顔で剣を鞘に納めた。
「ラミーは何か用事があって出てきてるのかな……これ、ペンなんかで纏めたら、綺麗な髪が傷んじゃうんじゃない?」
バンブルビーがラミー様の顔を覗き込みながら、結い上げた前髪を根元からカチャリと鷲掴んだ。ラミー様は微動だにせず、視線を逸らしている。が、急に何か思い立ったように目を丸くして、ニタリと笑った。
「……ぷ、ぷぷぷ! 用事も何も、この身体はこの私の物だ。何か文句でもあるのか黒鉄ぇ!!」
「……なっ!?」
ラミー様が、自分の前髪を掴むバンブルビーの右腕目掛けて魔剣イグラーを振り抜いた。バンブルビーは髪留めに使っていたペンをしっかり引き抜きながら、素早く腕を引っ込めた。腕は無事だ、切れていない。
……でも、髪が切れた。
「ラミー、お前……」
「ぷぷぷ、なんだ? 前髪が伸びていたから整えただけだが?」ラミー様の前髪は綺麗なパッツンになっていた。顔もバッチリ見えている。見えてしまっている。これ、かなりまずいのでは……。
「俺がお前を螺旋監獄から出したのは、ライラックなら使えると思ったからだよ。ちゃんと言ったよね……反逆だと判断したら殺すって」バンブルビーから刺すような殺気が飛んだ。殺す気だ、そう思った瞬間……ラミー様が叫んだ。
「私を殺せば眷属も死ぬぞ!」
部屋にいた全員が、言葉の意味を、いや、真意を理解出来ず疑問符を頭に浮かべたはずだ。再び部屋に訪れた静寂。
「……眷属って、そんな奴いるの? いたとして、そいつが死のうが俺には関係ないけど」
その通りだ、知りもしない奴は人質にはなり得ないだろう。この鴉においては特に。
「おいおい関係あるだろう。鴉の掟では確か……仲間の身内には手を出してはいけないのではなかったか? たとえ人間でも、眷属でも」ラミー様の言わんとしていることが理解出来ない。一体全体どういう──
「──辰守君。君さ、ラミーの……ライラックの血を飲んだりとか、した?」バンブルビーの問いに、俺はすぐさま答える。血を飲んだかなんて、そんなの考えるまでもない。
「いや、そんなことする訳ないじゃ………………」
──いや、ちょっとまてよ。昨日……ライラックと二人で家具を取りに向かっている途中、鍵のかかったあの部屋で俺はライラックの首筋に噛み付いた。あの時……口の中に血の味が広がらなかったか!?
「ぷぷぷ、そうだ。そこの駄犬は私の眷属だ。不本意ながらな」
本日3度目。部屋の時間が止まった──




