174.「カノンとデート②」
【安藤テン】
すっかり日が落ちた午後18時。温かいバスから下りると冷たい空気が肺の中をぐるりと回り、白い煙となって口から漏れる。気温は5℃くらいだろうか。12月も中旬、いよいよ本格的に寒くなってきた中で、しかし新都東区の時計台前は賑わっていた。
ざっと見る限り時計台前にいる人々は、おそらく俺と同じで待ち合わせをしているんだろう。慌ただしく通り過ぎるでもなく、駅や商業施設がある方へ向かうでもなく、ただ時計台を背に時計やスマホを気にしながらそっと佇んでいる。そして、待ち人を見つけ、もしくは見つけられると、寒風で赤く染った頬を緩ませながら時計台を後にするのだ──そんな光景を何となく眺めつつ、俺の待ち合わせ相手がまだ到着していないことを確認して、俺もまた時計台の赤レンガを背に彼女を待つのだった。
「──こんばんは。おまたせしましたの……テン」その声にハッと顔を上げてから、自分がいつの間にか俯いていた事に気がついた。
「……」
「……? あの、テン?」彼女が不思議そうな顔で、俺の顔を下から覗きこむ。
「……え、ああ! カノン、だよな? 全然待ってないぞ、今来たとこだからな」俺は慌てて時計台から背中を離してそう言った。
「あの、どうかしまして? なんだか様子がおかしい気がしますの」心配そうなカノンの顔を見て、俺の狼狽に拍車がかかる。「いや、悪い! なんていうか……あまりにカノンが、その……綺麗だから、一瞬脳みそが固まってた……」とんでもなく情けない事を白状してしまったと気づいても、時すでに遅し。女っけがなかった人生を初めて恨んだかもしれない。
「ふふ、テンったらお上手ですのね。昨晩今日着ていく御洋服をうんと考えた甲斐がありましたの」俺の狼狽や後悔を尻目に、カノンは屈託なく笑った。「服……すげぇ似合ってる。激マブ」語彙がない。
「激……マブ?」「ああ、え─とつまり、『凄い良い』……みたいな意味かな」本当は『クソ可愛い』という意味だが、これ以上恥ずかしい事は言えん。
「激マブ……ふふ。テンといると新しい発見があって楽しいですの。ちなみに、テンも激マブですわよ」「あ、ありがとな」どうしたものか、下手なオブラ─トに包んだせいで若干ズレたニュアンスで言葉を覚えさせてしまった気がする。カノンが普段使いするボキャブラリ─に『激マブ』が追加されないことを祈ろう。
「さて、寒い中立ち話もなんですし、早速お店に案内しますの」カノンが駅がある方とは反対側に目をやってそう言った。
「なんて言う店だっけ、中華楽しみだな」「崑崙宮というお店ですの。お母様に連れられて何度かお食事に言ったことがありますけれど、激マブですのよ?」
やばい、流行りだしたかもしれない──
* * *
「着きましたの」カノンに導かれて東区の商業施設が立ち並ぶ大通りを進み、脇道に逸れて少し奥まった所に、この店『崑崙宮』はあった。
「こりゃあなんつ─か、激マブだな」深紅の染料で塗られた壁、柱に巻き付く龍の彫刻、出入口……というか『門』といった方がしっくりくる大きな扉の脇には、よく分からん動物の石像が飾られている。店の外観からして既に、普段からあまり馴染みのない高級感がひしひし伝わってくる。
ちなみにここまでの道中でもう3回もカノンの口から激マブを聴いたから、俺も開き直って濫用している。
「このお店、御料理の味もさることながら外観や内装も激マブですのよ。いつ来てもわくわくしてしまいますわね」言いながらカノンは門の脇に備え付けられた丸い玉みたいな物に手を当てる。すると直ぐに『歓迎光臨。熱川様アルネ』とどこかに設置されたスピ─カ─から声が聞こえて門が自動で開いた。指紋認証か? 最新式のインタ─ホンなんだろうか、すげぇ店だな。
「この店ってもしかして一見さんお断りみたいな店なのか? やけに仰々しいというか……」「ええ、一見さんというか一般人のみの入店をお断りしている店ですの。テンは私の紹介ですから心配いりませんことよ」一般人お断り……つまり会員制レストランってやつか? 東区は高級な店が多いけどその中でも珍しい部類だな。
門を抜けると崑崙宮の本当の出入口の傍にチャイナドレスを着た若い女の子が立っていた。
「お久しぶりネお嬢様。少し見ない間にますます母君に似てきたアルネ〜」「ごきげんようフ─ロン。お元気そうで何よりですの。こちら私の連れの安藤テンですわ」カノンに紹介されてフ─ロンと呼ばれた女に会釈する。妙に訛りの強い奴である。
「ワタシここでこき使われてるフ─ロンネ。今日気に入ってくれたら今後も贔屓にしてくれると嬉しいアル〜」艶のある黒髪を頭の両端でお団子にしたフ─ロンに店内へ促され、俺とカノンは崑崙宮へと足を踏み入れた。
「──すげぇ……!」圧巻だった。一般的な照明を極力排した店内は、高い天井に格子状に張られた梁から吊るされる無数の提灯に照らされていた。大小様々な美しい提灯につい見とれてしまう。
「どうですの? 激マブではありませんこと?」「これは激マブだな!」きっとこの光景は生涯忘れることはないだろう。カノンが勧める理由も分かるな。「首領のご意向でワタシとファミィが泣きながら二徹して作った提灯アルヨ。毎回火を入れるのクソめんどうネ」世知辛い補足説明やめろ。
「じゃあお二人さんはこちらのテ─ブルネ。上着は預かるからよこすヨロシ。コ─スは勝手に運んでくるアルから、飲み物だけ今聞いとくネ」店の奥側、中華風のパ─テ─ションで仕切られた所に設置されていたタ─ンテ─ブルはかなりおおきかった。置いてある椅子は俺とカノンの二脚だけだが、見るに6人掛けくらいはあるんじゃなかろうか。
「私はプ─アル茶を」「俺はとりあえず生で」ドリンクメニュ─はかなり豊富だったが、乾杯でもたつくのも何だしとりあえずビ─ルだな。紹興酒とか老酒とかは後でゆっくり選んで頼もう。
「あら、テンお酒いける口でして? でしたらフ─ロン、私にも何かアルコ─ルを」「そういえばお嬢様ももう成人してるアルネ〜ドラゴンハイボ─ルとかどうアルか? 老酒をソ─ダで割った飲み物ネ。最近若者の間で流行ってるアルヨ」「ではそれをお願いしますの」カノンがそう言うとフ─ロンが『かしこまりアル〜』と、俺達の上着を持ってパ─テ─ションの向こうへ消えていった。
「プ─アル茶じゃなくてよかったのか? もし俺に合わせようとしてるなら別に気使わなくても……」「ふふ、私がそうしたいだけですの。テンこそ私に気を使って頂かなくても結構ですのよ」朗らかに微笑むカノン。些細なことはどうでもよくなるな。
「テンは今日一日、いかがお過ごしでしたの? 私は平日ですからいつも通り同僚とお勉強したりランチをしたりしていましたの」お勉強……というのは仕事についてのことなんだろう。まだ正確な年齢は知らないけど多分社会人なりたてとかだろうし学ぶ事が沢山あるんだな。「そうだな、暇ってわけではないんだが今日は一日家で妹と一緒にいたかな。飯作ってやったりして」ヴィヴィアン・ハ─ツのカラスの解析やらで平田、レオナルド、エキドナ×3人達は今日も集まってる筈だが、昨日の時点でお呼びがかからなかった俺とオルカは一日フリ─だったのだ。だから今日ここにも来れたわけだが、それを説明する訳にはいかない。
「テンは本当に妹さんを大事にしてらっしゃるんですのね」「まあ、たった一人の家族だからな。俺が守ってやらないと」カノンの表情がほんの少し困ったように陰った。
「──ほら、俺ってミナトの出身だろ? 元々は俺も孤児だったんだが、気のいい人に拾われたんだ。後から拾われたやつらは皆俺の兄弟分で家族だった。けど数年前に前にミナトで魔獣災害があって皆死んじまってな、今は妹と2人きりってわけ。念を押すようだけど、べつに変な気を使わなくてもいいからな。そういうつもりで話したんじゃないから」これは本心だ。『たった一人の妹』って言葉から恐らく色々と読み取ってしまったカノンに気を使わなくていいって伝えたかったのもあるし、俺自身の身の上について話せる範囲のことは話しておこうと思ったのだ。
「そうでしたの。魔獣災害……酷い被害でしたのね。担当地区の魔女は?」「ちゃんと来たよ。ただ、かなり遅れてな。そのせいで妹は今どき珍しく魔女嫌いで、まあ俺も出来ることなら関わりたくはないけど……あ─、初デ─トで話すようなことじゃなかったよな、悪い」カノンは少し困ったような、寂しげな顔をしていた。どうしても俺の身の上話なんかすると暗い方に話が転んじまう。いかんな。
「カノンはどうなんだ? 兄弟姉妹とかいるのか?」「いえ、私はお父様とお母様と3人暮らしですの。それと……その、実は私……」
「おまたせしましたネ〜ドラゴンハイボ─ルと白老虎でございますアルヨ〜」フ─ロンが盆に、二杯の酒と何かよく分からんが洒落たツマミの盛られた皿を載せて現れた。バイラオフ─とやらは頼んでないぞ。と言う前にフ─ロンは忙しそうに去ってしまった。
「フ─ロン、テンが頼んだのは……」「別にいいよ、どうせ色々飲むつもりだったしな。とりあえず乾杯しよう」フ─ロンを呼び戻そうとしたカノンを制止して、俺はグラスを差し出した。「……そうですわね。それでは」
「「──乾杯」」




