173.「カノンとデート①」
【安藤テン】
人生に波乱はつきものだ──なんてよく言うが、俺の場合は人生は常に波乱と共にある……と言った方がしっくりくる。親の顔はおろか何処で産まれたのかも定かではなく、思い出せる限りの最初の記憶は人身売買組織の密輸船。その貨物室で他の商品達とすし詰めになりながら暑さと乾きに苛まれていた。
密輸船がミナトでいざこざに巻き込まれた時、漠然とここにいては行けないという思いだけで命からがら逃げ出して、そこからはゴミ漁りで飢えを凌ぐドブネズミのような日々。
数年が経ち、それなりに言葉と読み書きとついでに盗みを覚えて、ある日財布をスろうとしてバレて捕まって……なぶり殺しにされるかと思いきや、何故かその相手にいたく気に入られ、家族に迎え入れらた。
「いいか、強い奴が死なねぇんじゃねぇ。死なねぇ奴が強ぇんだ」とは、俺が問題を起こす度に叔父御がよく言っていた言葉だ。叔父御に拾われてからさらに数年……推定十歳くらいになる頃俺はもうミナトのゴロツキと喧嘩してもほとんど負けないくらいには強かった。けど、叔父御はナイフで切り付けられた俺の傷を縫いながら、いつも「もっと上手くやれ」だの「ケンカ売られたから買うなんてシャバのヤツらみたいな事すんじゃねぇ。ケンカ売ってきそうなやつらは見つけた時点で畳んじまえ」だのと小言を言った。
ようは不意打ちでも何でもいいから確実に無傷で勝て。そういう事らしかった。実際、叔父御の言う通りにしていたらいつの間にか俺に喧嘩を売ろうなんて輩は殆ど現れなくなった。その頃から叔父御はかつて俺を拾ったように、ミナトの浮浪児達を集め出した。当時読み書きはおろか言葉もまともに喋れなかったオルカや、いつも拾い食いして腹を壊していたフカ、双子なのにいつもそりが合わないアンとギラ……俺にできた初めての家族。叔父御に、妹と弟達。
さらに数年が経った頃にはもう、ミナトで『安藤一家』を知らない奴はいなかった。怪しい密輸業者、武器商人、ヤクザ、海外マフィア、ギャング、浮浪者にジャンキ─まで……血と泥をぶちまけたみたいな世界で俺たちは次第に勢力を伸ばしていった──
* * *
「じゃ、晩飯は冷蔵庫に入れとくから腹減ったら温めて食えよ。俺そろそろ行くから」俺はラップをかけた皿を冷蔵庫にしまいながら、オルカにそう言った。
「はいは─い。てか、ほんとにお兄一人で大丈夫なわけ? あのプッツン女も居るんでしょ?」オルカはベッドでシャチのぬいぐるみを枕代わりにしながら、何やらスマホで動画を見ている。態度はあれだが一応は兄を心配しているらしい。一応。
「まあ、簡単な打ち合わせみたいなもんだからお前は家でゆっくりしてろ。あと桐崎のことプッツン女とか言うのやめなさい」
「別に桐崎の事だとは言ってないけど?」
「……く! と、とにかくもう行くからな! 勝手に一人で出歩くなよ! スマホもマナ─モ─ド解除して、電話鳴ったらちゃんと……」
「あ─はいはい!! もういいからさっさと行ってらっしゃい!!」
半ば追い出されるような形で俺は家を後にした。これからヴィヴィアン・ハ─ツの組織、VCU壊滅作戦についての打ち合わせがある……という体で、実はカノンと食事に行くのだ。
オルカに嘘をつく形になったのは忍びないが、本当の事なんて言おうものなら200%一緒に行くと言い出すだろう。たとえダメだと言ってもこっそりつけてくる。オルカはそういう奴だ。
新都の東区へ行くためバス停に向かいながら、スマホを確認する。時刻は17時を少し過ぎた頃。待ち合わせまであと一時間弱あるし、余裕で間に合うだろう。
バス停についてベンチに腰掛ける。バスが来るまであと数分……俺はカノンとのメ─ルのやり取りを何となく見返した。
『こんばんわ。まだ起きてまして? 明日の夕方頃にデ─トしませんこと? 急な話ですので都合が悪ければ断ってくれても構いませんの』
『こんばんは。まだ起きてます。明日の夕方なら時間取れそうですので是非』
『都合が合って何よりですの。というか何故敬語?』
『敬語へんかな? なんかメ─ルの時って無意識に敬語になっちまうんだが』
『嫌ではありませんけれど気安い文面の方が好きですの。ちなみに明日ですけれど東区辺りでお食事でもと考えていますの。テンはいかがですの?』
『俺は全然オッケ─! なんかカノンに全部決めてもらって悪いな』
『わたくしからお誘いしたのですから当然ですの。何か食べたいものとかありまして?』
『東区なら何食べても美味いんだろうけど、中華とかどうかな?』
『中華いいですわね。何度か伺ったことのあるお店がありますから、こちらで予約しておきますの。18時半頃で構いませんこと?』
『へぇそりゃ楽しみだな。時間はそれで問題ない。合流地点はどうする?』
『煌坂通りの時計台前はどうですの? 地下鉄からもバス停からも近いですしお店からもそう離れていませんの』
『了解した。じゃあ18時頃に時計台前で落ち合おう』
『それにつけても、なんだかさっきから妙に可愛げのない言い回しですの』
『え─と、じゃあ18時に時計台前で待ち合わせな』
『ええ、待ち合わせですの』
昨晩それなりに頭を抱えながら考えて送信した文面。改めて見てみると妙に小っ恥ずかしいというか……今から本当に普通の女の子と、カノンとデ─トするって事の現実味がだんだん膨らんできて、不安と期待が入り交じったような妙な心持ちになる。
『今からバスに乗る。もう暗いから気をつけてな』カノンにメ─ルを送信して俺はベンチから立ち上がった──
* * *
「それでは、そろそろ行ってまいりますの。お父様、お母様」旅館の裏手にある実家。その玄関先で、私はお父様とお母様にお辞儀をする。これからカルタやエミリア、ヒカリや櫻子と食事会をしに行く……という設定だからですの。
「カノン、貴女ももう高校生とはいえ外は物騒ですから、くれぐれもお気をつけて下さいね。前回のような事もあったばかりですし、ヴィヴィアンのバ……こほん、ヴィヴィアンさんにも貴女達をきちんと守るようにとは言って起きましたが、それでもやはり……」
「まあまあ藤乃さん、そんなに心配しなくてもカノンなら大丈夫だよ」魔女である事が絡むと心配性なお母様をお父様がなだめる。熱川家ではよくある光景ですの。
「──ただ、カノンは藤乃さんに似て美人だから、悪い虫が寄ってこないか心配だよ。高校生になったとはいえ、というか高校生だからこそ悪い大人が目を付けるかも……」
「まあまあ深夜さん、その辺りは心配せずともカノンはどこぞの馬の骨とも分からないような男になびく女ではありませんことよ? 私に似ていますからね」
一般的な心配性のお父様をお母様がなだめる。これも熱川家ではよくある光景ですの。
「お父様もお母様も心配には及びませんの。この熱川カノン、魔女狩りにもナンパな男にも遅れを取る事はございませんの」
私がそう言うと二人は少しの間顔を見合せて、そして優しく微笑んだ。
「行ってらしゃいカノン」お父様とお母様の言葉は、これから友人との食事会へ向かう私を送り出す台詞に間違いないのですけれど、私は都合よく勝手に人生初デ─トの激励を込めた言葉として受け取ることにしますの。
「ええ、推して参りますの──」
* * *
【熱川 藤野 もといウィスタリア・クレイジ─エイト】
「──推して参りますの、か……なんだか随分気合い入ってたね。食事会、食べ放題とかなのかな」年中春の陽気みたいなオ─ラを放っている深夜が、カノンを送り出した後にそう呟いた。
「……はぁ、んなわけないでしょ。ほんと有り得ないくらい鈍感なんだから」私は呆れて大きなため息を漏らした。
「お、藤野さんが口調崩すの久しぶりだね。まぁ、確かに年頃の女の子が食べ放題なんて食べないか。色々と気にしすぎるもんね、あのぐらいの子達は」
「あのねぇ深夜、そもそも前提から噛み合ってないから! ボケにボケを重ねないでくれる!?」私は深夜の耳を引っ掴んでよく聞こえるように怒鳴りつけた。
「痛たた!? 痛いよ藤野さん!?」深夜は困惑したような顔でたじろいでいる。のんびりしてると言うか、鷹揚としてる所はまあ、嫌いじゃないというか、好きなんだけど……でもこの鈍感さはもはや悪だ。
「カノン、あの子友達と食事会なんて、あれ嘘よ」
「……え、そうなの?」
「あれは十中八九、男ね」
「……なんだって?」
ようやく春の陽気が突風でかき消された。カノンの事には普段から寛容だけど、男が絡むと内心穏やかでは居られないらしい。
「あの子最近急にヒ─ル履き始めたでしょ? 化粧も連日気合い入りまくってるし、ああ、あと私達の前でスマホ触らなくなったわね」最近の娘の違和感を、恐らく全く気づいていなかったであろう深夜に提示する。
「……ひゃ、100歩譲ってカノンがその、お、男と逢い引きしているとして、なんで僕たちに嘘をつくんだい?」
「そりゃ、言ったら深夜、あんた後尾けてくでしょ?」
「当たり前じゃないか」
「だからよバカね」ほんとにバカなんだから。なにいい顔で即答してんのよ。
「僕たちの可愛いカノンが、玉の娘が!! どこぞの馬の骨と会うなんて知ったら、親として監視するのは当然の義務だよ藤野さん!! いったい何がいけないんだい!?」普段は私にどんな酷い仕打ちを受けてもあっけらかんとしている深夜が声を荒らげている。そういうところよ。
「カノンとしては万が一何かあった時にでも、あんたが出てきて大惨事になるのを回避したかったんじゃない? 初デ─トに父親乱入なんて地獄よ地獄」
「く、確かに気安く手を繋いだりしてるのなんて見たら、相手の手を折りかねない自信がある……僕のせいか!!」
「あんたのせいよ」深夜は頭を抱えて膝から崩れ落ちた。春の陽気が夏と秋を吹っ飛ばして冬将軍到来って感じね。
「──初デ─トを邪魔されたくないカノンの気持ちも、娘に悪い虫が付かないか心配な深夜の気持ちも、どっちも分かるわ」私は深夜の肩に手を置いて続ける。
「だから、デ─トの邪魔はしないように私が直々に監視するわ」
これは親と子、お互いの気持ちを考慮した上での最良の判断である。断じて娘のデ─ト相手が気になるとかそういうアレではない。そういうアレではないんだから──




