166.「裏切りと十字架」
【セイラム・スキーム】
──まず足の骨を折った。動き回られると厄介だし、万が一まだ魔法を使えたら噛み付かれるかもしれないから。
あとは特に考えなく、芋虫みたいに転がった身体を蹴ったり踏んだり、たまに剣で斬りつけたり……腕だけは傷つけないようにした。
骨が折れる感触がブーツから伝わるたびに酷く不快な気分になる。彼女は悲鳴をあげないように必死に歯を食いしばっていたけど、口の端から漏れ出る呻き声は地下空洞に大きく反響していた。
苦悶に歪む表情、呻き声……見たくないし、聴きたくない。キャシーもこんな顔をしたのかとか、こんな声をあげたのかとか、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「……まだ生きてる?」
血塗れのズタボロになったレイチェル・ポーカーに声を掛けると、微かに指先が動いた。
「……そっか、悪いけど死ぬまでやめないから」
「…………ア、アイ……ビス……」
仰向けになったレイチェルの口が小さく動いた。魔女ってこんなになってもまだ口が聞けるんだ。
「アイビスはまだ出てこないね。自分の仲間が手の届くところでこんな目にあってるのに、ひどいやつだよ」
「……バン……ル……ビ…」
「彼女もまだ瓦礫のベッドで眠ってるよ。あの子はヒルダの命を取らなかったから生かして返してもいい。君はダメだけどね」
「……なん、で……こ、なこと」
「……君たちのボスが、僕の仲間を殺したからだよ……こんなふうにね」
「……ッああぁ!!?」
僕は彼女の腹に魔剣を突き刺した。急所は外してあるけど、じきに死ぬだろう。この傷ではもう助からない。アイビスが回復魔法をかけない限りは。
「アイ、ビスは……誰も、殺して……ない、よ」
「……は? そんな事なんで君が知ってるのさ。あのクソ女は僕の仲間を殺したんだよ。拷問してなぶり殺しにしたんだ!!」
「アイビスは……わたしの家族は……そんなこと、しない」
レイチェルが腕を持ち上げて僕の足を掴んだ。
「……ふん、哀れだねレイチェル・ポーカー。随分と鴉に心酔してるみたいだけど現実は非情だよ。君のボスは共生主義だとか綺麗事を並べておきながらその実ただの外道だし、君が言う家族とやらの中には君たちの情報を僕に売った裏切り者だって潜んでるんだよ」
「……」
裏切り者、ゴーベルナンテの存在に言葉が出ないのか、それとももう気を失ってしまったのか、理由は分からないけどレイチェルは何も言わなかった。
「正直言って、僕は鴉に恨みなんてなかった。けど共生主義を謳うアイビスを野放しにしておけば僕を含む大勢の魔女が死ぬか監獄送りになることは遠からず起きただろうさ……君は知ってたかい? 魔女狩りが殺した魔女の数よりも、アイビスが殺した魔女の方がずっと多いんだよ」
レイチェルは僕の足に手をかけたまま、ピクリとも反応しない。ああ、死んじゃったんだな。
──ボゴオォンッ!!
不意に右斜め後方から凄まじい音が聞こえた。振り向くとアイビスがものすごい勢いで僕へ迫っていて、右手に持った十字架を振りかぶっている。
「……ッちぃ、遅いんだよ!!」
アイビスの身体強化魔法は特級、魔眼と掛け合わせて一級の中くらいの僕では到底太刀打ちなんて出来ない──けど、さっきの戦闘で魔力が枯渇しているんだろう、とても特級本来の動きじゃなかった。
僕は魔剣カタストロフを構えてアイビスを迎撃しようと剣を振りかぶった……その時。
「──レイチェル! 懐に魔石だ!!」
「……ッな!?」
足元から怒鳴るような声、と共にとてつもない力で足首を引っ張られた。レイチェル・ポーカーは既にこんな力を出せるほど魔力が残っていたはずは……いや、ていうか今何て言った!?
お前がレイチェルじゃないのか!?
飛びかかって来ていた奴が目前に来たところで、ようやくそいつの正体がアイビスではなかった事に気がついた。
レイチェルだった。視力が弱まっているうえに咄嗟のことで、しかも十字架なんて持ってるから完全にアイビスだと思っていた……けど今目の前にいるのは完全にレイチェルだ! 桜色の髪に、よく見れば十字架もボロボロの黒羽で作ったハリボテだ!
じゃあ、今僕の足を掴んでいる奴が──
「──『変幻の骸布』」
足を掴んでいたレイチェルの姿が、アイビスに変わった……変身魔法ッ!!
「ッ斥滅の魔眼!!」
もうほとんど像を映さない僕の右眼が、眩く緑に発光した──
* * *
【レイチェル・ポーカー】
気がつくとセイラムがわたしをボコボコにしていた。
いや、正確にはわたしの姿をしたアイビスを、だ。
下半身が瓦礫に埋まっていて、意識がハッキリと覚醒するまで数秒かかったけど、すぐにあれが変身魔法でわたしに化けたアイビスだと分かった。
何のつもりであんなことをしているのかは分からないけれど、想像する事は出来る。セイラムが今警戒しているのはアイビスだけだ。わたしとバンブルビーは魔力が枯渇していてほぼ戦えない。
セイラムは未来視を持っているから奇襲も効果が薄いだろう。まともな奇襲ならだけど。
今はアイビスがわたしに成りすましている。つまり、わたしがアイビスに成りすまして奇襲を掛ければセイラムはほとんどの意識をこちらに向けるはず。
そのタイミングでアイビスがセイラムに攻撃する。よくすればわたしと挟み撃ちにも出来るかも……これしかない。ていうかこれしか思いつかない! あと一度の攻撃分くらいなら魔力を振り絞れる。いける! ていうかバンブルビーどこよ。
決心を固めている間にアイビスが魔剣で刺された……え、ちょ、刺されちゃったんですけど!?
大丈夫なのあれ、いや……でもよく聞こえないけどセイラムが何か喋ってるっぽいし、殺してはない、よね?
数秒ほどして、何やら話していたセイラムが口を閉じた。ええい、行こう!
身体中の魔力を振り絞り、瓦礫を吹き飛ばしてセイラムの元へ駆けた。黒羽でスカスカの十字架を作って手に持ってみた。酷い出来だけどないよりマシか──
セイラムがわたしの方へ振り返って、魔剣を構えた。早い……いや、わたしが遅いのか!
「──レイチェル! 懐に魔石だ!!」
けたたましいわたしの声が地下空洞に響いた。いや、わたしの声をしたアイビスの声なんだけど……まあ、とにかくアイビスが叫んだのだ。
アイビスの仕業だろうか、魔剣を振りかぶっていたセイラムが急に体勢を崩す。わたしは十字架型に変形させた黒羽をセイラムに向けて伸ばし──
「ッカースリジェクト!」
──緑の発光を目にした直後、再びわたしは吹き飛ばされた。
瓦礫の上を跳ねて、ゴロゴロと転がる。身体中酷い痛みだけど、さっきの攻撃に比べれば随分と控えめな威力に感じた。
……けど、おかげで落とさずに済んだ。
「……ええっと、わたしがセイラムを倒したら夕食のお肉総取りしていいんだったよね。こりゃあ気合入れないと」
「……はぁ、はぁ……お前、僕の魔石を……!!」
──吹き飛ばされる直前、わたしの黒羽はしっかりとセイラムの懐に届いていた。そして絡め取ったのだ、今わたしの手に握られているこの魔石を。
「なるほど、わたし達から吸い上げた魔力をどうしてるのかと思ったら、ご丁寧に再利用してたんだね。どうりで大技連発出来るわけだよ、もう」
掠め取った魔石は三つ、どうやら一つはもう魔力が空っぽみたいで、一つは半分くらい……もう一つは満タンだ。しかもどうやらこれがわたしの魔石らしく、手に持っているだけでグングン体内にオドが流れてくる。
「──今更魔力を取り戻したところで僕に勝てると思ってるのか? レイチェル・ポーカー」
「……質問を質問で返すようで悪いんだけどさ、そっちこそ魔力の戻ったわたしに勝てると思ってるの? セイラム・スキーム」
ライリーの時といい、イー・ルーの時といい、今回は今ひとつスッキリした勝ち方をしていなかったからちょうどいい。わたしの手でセイラムをコテンパンにして、螺旋監獄にぶち込んでやろうじゃない──




