165.「月の揺籃と伽藍の瞳」
【レイチェル・ポーカー】
──魔眼。わたし達魔女の中にはそう呼ばれる特殊な眼を持って生まれる者がいる。読んで字の如く魔法を秘めた眼のことで、両目に発現する者もいれば片目だけのものもいる。
わたしは見たことないけれど、探せば片目づつ別々の魔法を秘めた魔眼を持つ魔女も存在するかもしれない。
能力も魔眼によって様々で、怠惰の魔女みたいに眼を合わせた者の精神を支配したり、ウィスタリアのように山一つ消しとばせる破壊光線を発射するものだったりとか……。
魔眼同盟の盟主、セイラム・スキーム。魔眼同盟というくらいだから彼女が魔眼を使うことは分かっていた……けど、彼女の魔眼は規格外だった。
何が規格外って、レパートリーが規格外なのだ。だってわたし達魔女には目玉が二つしかないわけで、当然魔眼も二つしかもち得ないわけで……なのに、なのにセイラムは既に二種類以上の魔眼を操っている。これを規格外と言わずになんと言うのか──
「──死ねぇぇぇアイビスッ!!」
たった今、青色に発光する魔眼でアイビスの魔剣を粉々にしたセイラムが吠えた。右眼に収まった青い魔眼の色が一瞬で赤に変わり、赤雷を纏った大剣を振りかぶる。
「……月の揺籃、三日月!」
空間をえぐりとるような雷鳴を轟かせたセイラムの禍々しい魔剣は、しかしアイビスの出したガラスのような三日月型の壁に阻まれた。
「しゃらくさいんだよクソがぁぁああッ!!」
──!?
セイラムの右眼が赤から紫色に眩く発光した途端、三日月の壁が解けて消えた。
絶対防御を誇る魔法が突然破られ、アイビスの回避が一瞬遅れた。セイラムの大剣がアイビスの左肩を切り抜く。
……いや、どうやらアイビスは回避するつもりではなかったらしい……剣を振り抜いて前のめりになったセイラムにカウンターを入れるつもりだ! 既にアイビスの拳がセイラムの顔面に肉薄している──
「無駄だぁッ!!」
「……ッ!?」
肉を切らせて骨を断つ。防御も回避も絶対に間に合わない完璧なタイミングのカウンターだったにも関わらず、アイビスの拳がセイラムに当たることはなかった。それどころか、アイビスは物凄い勢いで吹き飛ばされ、広大な地下空洞の岩壁にぶち当たった。
「……ッア、アイビス!?」
大砲の玉みたいに吹っ飛んで行ったアイビスは、しかしわたしの心配をよそに崩れ落ちた岩を素手でひょいひょいよかして立ち上がった。
さすが特級の身体能力強化は冗談みたいな頑丈さだ。三級以下なら壁に卵を叩きつけたような悲惨な事になっていだろう。
「……いたた、大丈夫大丈夫。心配しないでーレイチェル! 全然大丈夫だからー」
どうやら肩の傷は既に完治しているらしい。思ったよりも大丈夫そうなのはいいけど、よそ見して手を振ってる場合じゃないんじゃない?
「アイビスの心配は別にしてないけど、わたし達の方に被害が出ないように戦ってよねー!!」
「手が足りないなら言え、手伝わんが応援はしてやる」
「なんだか二人とも冷たくないかな!?」
別に冷たくしているつもりはないけど、実際わたしとバンブルビーはもうほとんど戦える状態じゃない。魔力さえ戻れば問題ないんだけど、マナが無いんじゃ自然回復も見込めない。
「──死ねえええええッッ!!!」
いじけたような顔でわたし達に抗議の視線を飛ばしていたアイビスに、セイラムの赤雷が直撃した。言わんこっちゃない、よそ見なんてしてるから……。
「……ふう、やるねセイラム。色んな意味で思った以上の魔女だよ」
「黙れ!! 僕はお前みたいな外道と話す口は持ち合わせてないッ!!」
アイビスは赤雷の直撃を月の揺籃で防いでいたらしい。当然のように無傷だ。そしてセイラムもそれが分かっていたかのようで、別段驚いている様子もない。
「──自前の魔法は身体強化の赤魔法が二級、雷の青魔法も二級ってところかな? これだけならそこそこの魔女なんだけど、問題は魔眼だよね。それ、他人の魔眼を模倣出来るんでしょ」
「……」
アイビスはセイラムの方へ悠然と足を進めながらそう言った。模倣、つまりはコピーってことだ。そんな反則みたいな魔法があってたまるか……と言いたいところだけど、残念ながら実例を知っている。というかわたしだ。
「私の十字架を砕いたのは『破剣の魔眼』たしか、昔戦ったルシア・モローって魔女が使ってたやつ。防御魔法を解いたのは『呪解の魔眼』これはペネロペ・ジラールだね……わたしを吹っ飛ばしてくれたのは最近螺旋監獄に送ったザラ・シュバリエの『斥滅の魔眼』当たってるかな?」
セイラムは答えずに大剣を構えてアイビスを睨みつけるだけだったけれど、アイビスは構わずに続けた。
「道中操られている人間がたくさんいたけど、大半は君の仕業なんでしょ? おそらくバベリア・ビブリオ・ヴーヴリット・ベルボ・バーンの『傀儡の魔眼』だ。コロコロ変わる右眼と違って固定で発動してる左眼の魔眼は、君のところのヒルダって魔女の未来視。私の動きが読まれているのはそのせいだね」
──すごい、この短期間でセイラムの能力にあたりをつけた洞察眼もそうだけど、何よりバベなんとかの名前をフルネームで覚えてるのがすごい。やるじゃんアイビス。
「……くだらない、僕の力が分かったところでお前の死は変わらないんだよ……楽には殺さないからな、苦しめて殺してやる!」
「やれやれ、初対面でここまで嫌われるとなんかへこむよね。私君に何かしたかな?」
「……何か、何かしたかだと?……ふざけるな……お前も、僕と同じ気持ちを味わってみろ!!」
直後、セイラムがわたし達の方を睨みつけた。右眼が紫色に発光している……たしかアレは──
「……っくそ、レイチェル逃げ……」
バンブルビーが言い切る前に、わたし達を覆っていた球状の月の揺籃が解けて消えた。そして直後に巨大な赤雷、これは流石にヤバい──
「──だああああああッ!!!!」
「……アイビス!?」
瞬間移動でもしたのかと思うほどの速度で駆け付けたアイビスが、新しく出した月の揺籃で赤雷を防いだ。間一髪だった!
「でかしたアイビス! 俺とレイチェルは一旦ここから離れ……」
「……死ねクソども」
──は?
わたしとバンブルビー、それに赤雷を防いでいたアイビスの間にセイラムが立っていた。本当に突然現れたのだ。瞬間移動並みに速いとかそんなレベルではない、多分ほんとに瞬間移動だ。
セイラムの瞳が緑色に発光するのが見えた。その途端、セイラムが物凄い勢いでわたしから遠ざかっていって……そこでわたしの意識が途切れた──
* * *
【セイラム・スキーム】
──僕の魔眼は単体では何の効力もない空っぽの魔眼『伽藍の瞳』だ……けど、他人の魔眼と三秒間目を合わせる事でその魔眼を写しとる事ができる。
焦点を合わせた地点に転移することが出来る魔眼『転現の魔眼』……それを使って奴らの中心に移動した僕は『斥滅の魔眼』をフルパワーで発動して周囲を吹き飛ばした。三人が反応出来ずに吹き飛ぶところは左眼の未来視で見えていたけど──
「……はぁ、はぁ……クソ、眼が……ッ」
僕を中心にひび割れて大きく陥没した地面に、ポタポタと血が落ちる。出血は右眼からだ。転眼を使い過ぎたうえに魔石で無理やり威力を底上げした反動がきている。
右眼の血を服で拭って、魔眼の発動を解いた。視界が悪い、右眼は霞んでもうほとんど見えない。ここまで負担がかかるなんて……けど、キャシーの苦しみを思えばこれくらいなんだっていうんだ、たとえ両眼が潰れてもアイビスは殺す。絶対に殺す。
「……どこだ……アイビス……」
さっきの攻撃で広大な地下空洞はめちゃくちゃになっていた。範囲を全方位に向けたせいで地面も天井もぐちゃぐちゃ……陥没した地面に崩れた天井の岩が降り積もって一面瓦礫まみれ。
大照明は遠くにあったのが幸いしたのか、なんとか持ち堪えたようで鎖を大きく揺らしながらも地下を青く照らしている。
──ガラッ……。
静まり帰った地下空洞に岩が転がる音が響いた。僕は音のした方に左眼を凝らす。
「……つぅ、何が……みんな、どこ?」
岩の間から這い出てきたのは、エキドナと同じく桜色の髪をした女だった。
鴉にいる四人のロードの内の一人、レイチェル・ポーカー……魔力さえ奪っていなければきっと強力な魔女だったんだろうね。
けど今は何の力もない無力な女だ。キャシーと同じ、戦えない魔女──
「……アイビス、僕と同じ気持ちを味合わせてやる」




