164.「訃報と赤雷」
【セイラム・スキーム】
全てが上手くいっていた──
ジーナが数年がかりで立てた計画は概ね順調に進んでいたし、七罪原の連中もなんだかんだで最低限の仕事はこなしていた。
鴉に潜入していたゴーベルナンテのおかげで、奴らの手の内も事前に把握する事が出来た。
ヒルダとイー・ルーが負けた事、ブラッシュ・ファンタドミノが失踪した事、レヴィ・リベールが単騎で鴉に殴り込みに行った事、エキドナが両腕を落としてきたこと──予想外の事は確かにあった。多分にあった。
けれど、それでも僕の仲間は誰一人欠けたりなんてしなかった。負けてもいい、生きてさえいればそれでいい。そうすればまた一緒に世界征服の夢を追えるんだから。
──キャシーの訃報を聞いたのは寸刻前の事だった。
「──セイラム、お前のところの料理人が死んだぞ。アイビスの仕業だ」
「ヒメ達もグリンダから連絡受けて急いで向かったんだけどな? 間に合わなかったのだ。けど、なんとかこれだけは回収したのだ」
エキドナがそう言って僕に差し出したのは、腕だった。右腕だろうか、膝から先は無い。腕だけ。誰の?
──チリン。
震える手で腕を受け取ると、聞き慣れた鈴の音が耳に入った。僕がキャシーにあげた鈴の付いたブレスレット……それとまったく同じものが、腕の先……手首に巻きついていた。
「……そんな、嘘よ。なんで……いやよ、いや、いやああぁぁ!!」
隣でジーナが崩れ落ちた。目からボロボロと涙を流している。僕は、言葉が出なかった。言葉だけじゃない、涙もだ。だって……キャシーが死んだなんて、そんな、信じられるわけが──
「……グリンダの話によると、魔力不足に陥ったアイビスが、魔獣を殺してその血からマナを吸収していたらしい。キャットの死体は……凄惨だったよ。おそらくなぶり殺しにして、あわよくば魔獣化させるつもりだったんだろうな」
「いくら身体をバラバラに千切っても、マナのねーこの地下じゃ魔獣化なんてしねーのに……アイビスは鬼畜外道なのだ!」
ジーナが泣いている。ごめんね、ごめんねと、僕の手に抱えられたキャシーに縋りつきながら泣いている。
ここに来てようやく、理解した。納得した。死んだんだ。キャシーは死んだ。どうもアイビスに殺されたらしい。それも酷く残虐な方法で、苦しんで死んだらしい。どれほどの苦痛だっただろうか……どれほどの恐怖だっただろうか。
キャシーは戦えない魔女だった。不安定な未来視以外に魔法を持ち得ない、か弱い魔女だった。そのキャシーを、最強の魔女が殺した。殺す必要があったのか? あったらしい……凄惨に殺す必要があったらしい。
分かってるよ、そもそもこれは僕が仕掛けた戦争だ。今日付いてくるといったキャシーを、僕は無理にでも引き止めるべきだったんだ。身内からは絶対に死人は出ないなんて虫のいい話、あるわけが無いんだから……。
けどさ、キャシーは戦えなかったんだ!!
「……? ぅう……ぇっぐぅ、うっぅ、ラム、ちゃん……?」
僕はキャシーの腕からブレスレットを外して、自分の右手に付け直した。キャシーはべそべそになっているジーナに手渡した。
「……殺す。アイビス・オールドメイドは、僕が殺す」
僕は祭壇の魔法式から三人分の魔石を手に取って、足元の門を開いた。
眼下に、キャシーを殺した魔女アイビス・オールドメイドがいた。奴だけじゃない、バンブルビー・セブンブリッジとレイチェル・ポーカーもいる。
アイビスが、レイチェルに何か喋って、そして……微笑んだ。
──瞬間、僕はアイビスに向かって言葉にならない声を叫びながら飛びかかっていた。
* * *
【レイチェル・ポーカー】
──それは突然訪れた。
身体中に付いた血を落とし終わったアイビスと、くだらない会話をしていた時だった。
ジジジジジジジジジジジジッ!!!! という空間を引き裂いたような音が響いて、視界が赤い光に染まった……直後、爆発。
不死身のわたしだけど、あまりにも突然の事で不意に『死んだ』と思った。それほどの衝撃だったのだ。
「──レイチェル、ケガはない?」
「……うん、おかげさまで」
実際、アイビスが魔法で護ってくれなかったら確実に一回は死んでいた。それくらいの威力はあった。
「……今の赤雷、アイツが……」
地下空洞を一瞬真っ赤に染めた赤雷、出所は巨大な岩の上からわたし達を睨みつけている女だ。紅く染まる魔眼を光らせ、頭からは禍々しい角が二本生えている。噂通りの見た目だ。つまりアイツが──
「ふふ、セイラム・スキーム。ようやくおでましだね」
アイビスがニヤリと笑った。背筋が寒くなるような恐ろしい笑顔だった。
「アイビス・オールドメイド!! 僕はお前を許さないッ!! 粉になるまで刻んでやるッ!!」
絶叫するようにそう言ったセイラムは、わたし達の方に向かって手を翳した。見る見るうちに手の周りに赤黒い雷がバチバチと発生して、掌に収束していく。アレはマズい!
再び地下空洞が赤く染まり、ジジジジジジ!! という耳をつんざく轟音が響く。
「月の揺籃、萬月」
ドガアァァァァ……ンッ!!!
凄まじい爆音と共に周囲が吹き飛んだ。わたし達を中心とした僅かな円形の範囲のみが、セイラムの攻撃から逃れている。
「小賢しいッ!!」
セイラムは攻撃の手を休める事なく赤雷を放ち続けるが、球状に広がった薄いガラスのような壁がそれを阻む。
アイビスの白魔法『月の揺籃』だ。薄く張った魔力障壁を空間ごと複製し、同一領域に何重にも束ねる事でいかなる攻撃も通さない最強クラスの防御魔法……とか何とか言っていたけど、正直原理はよく分かっていない。
ただ実際にセイラムの攻撃を見事に防ぎきっているのだから、原理なんてもはやどうでもいいだろう。
「星の天蓋──」
防御魔法を展開しながら、アイビスはさらに別の魔法を展開した。最強の魔女、アイビス・オールドメイドの代名詞とも言われる強力無比の魔法……星の天蓋。
薄暗い地下空洞に夜の帳が下りる──
アイビスの頭上から背後にかけて、キラキラと無数の星々が煌めいた。一つ一つはとても小さい、豆粒程度の星だ。
「──天撃」
アイビスが呟くと、無数に煌めいていた星々の内の一つが、セイラムに向かって射出された……直後。
──ドガアァァァァ……ンッ!!!
セイラムが立っていた巨大な岩が粉々に吹き飛んだ。あんな豆粒みたいなのでこの威力である。だがこれでもいつもに比べればかなり手加減している方だと思う。おそらくここが地下だからとか?
「んん、やっぱりマナが無いと調子出ないね。技のキレがイマイチだよ」
「今のでイマイチなんだ、セイラムは倒せそう?」
「うん、とりあえずは問題なさそうかな。レイチェルとバンブルビーはここでじっとしてて。手っ取り早く詰めて殺すから」
「生捕りだろ」
「あ、そうだったね」
ふざけてるのか天然なのか、アイビスはいたずらっぽく微笑んで魔剣を抜いた。魔剣と言っても、アイビスの手に握られているのは、剣でもなく、槍でもなく、斧でもない。
アイビスが振るうのは十字架なのだ。
なんでも黒の同盟時代から愛用しているらしく、殺した魔女狩りに片っ端から十字架を突き立てていたらしい。それも逆さまに。
魔女狩りのシンボルマークである十字架を逆にする事で、魔女狩りの存在自体を否定しているという意図があるらしい。アイビスという魔女は笑ってしまうほど大胆で、そして震えるほど冷酷なのだ。
「──よし、さっさと倒して家に帰ろうか」
十字架を肩に掛けたアイビスが、粉々に吹き飛んだ大岩の残骸を見据えながらそう言った──




