160.「語彙力と実力」
【レイチェル・ポーカー】
──憤怒の魔女イー・ルーとの闘いは、思いのほかまともなものだった。
性格と語彙力に若干の難があるものの、七罪原の一角を担っているだけあって実力は確かなものだった。身体強化の魔法はおそらく一級、つまりわたしと互角のレベル。加えてもう一つの魔法も初めて見る珍しいものだった。
「止まれこの野郎ぉ!!」
「……ッまた!」
全身に電流が流れたような感覚と同時に身体が硬直する。その瞬間を狙ってルーが片刃の半曲刀で襲いかかってくる。それを何とか黒翼で防ぐと、身体の硬直が解けた。
「オイコラテメェこの野郎テメェ! その羽みてぇな奴ずりぃぞこらテメェ!!」
「そっちも十分反則で、、しょ!」
黒羽で跳ね飛ばしたルーに触手を鞭のようにして追い討ちをかける。ライリーがいたホールとは違って、ここには天井を支える柱が無いから黒羽の範囲攻撃が使いやすい。
「んなもん当たるかボケコラぁ!!」
高速移動する二本の触手を掻い潜りながら、ルーが稲妻のような速度で距離を詰めてくる。魔剣は鞘に納められていて、両手に魔力が集中している。またアレがくる。
「ああもう、こっち来ないでよ!!」
双刀キャンセレーションで迎え撃つも、ルーは巧みなフェイントを織り交ぜた動きで肉薄する。
左の拳が脇腹に迫った。すかさず剣で切り払おうとしたけど、一瞬動きを止めたルーが視界から消えた。
──違う、しゃがみ込んだんだ……。
そう思った時にはルーに左脚を蹴り抜かれていた。身体が宙に浮いた瞬間黒翼でルーを包み込もうとした……が、躱されてしまった。本当にすばしっこい、ていうか蹴りでもいいのか。
「へっ、この野郎、次ぁはずさねぇぞテメェコラ」
ルーはニヤリとして腰の魔剣に手をやった。
「それ、凄い魔法だね。どういう原理なわけ?」
「んん? なんだテメェコラ、このイー・ルー様の魔法が気になんのか? このアタシがテメェの手の内を簡単に晒すとでも思ってんのかこの野郎テメェ!?」
「まあ、普通は教えてくれないよね」
「いいか!? よく聞けコラこの野郎! アタシの魔法はなぁ、ぶん殴ったり蹴り飛ばした奴を強制的に服従させる事が出来んだよ!! 人間なら一発ぶん殴りゃあ生涯奴隷に出来るが、魔女だとそうはいかねぇ! 一発殴るごとに一つの命令ぐらいしか聞かせらんねぇんだよボケ! 分かったかこの野郎テメェ!!」
「凄い。超教えてくれるんですけどこの人」
「たりめぇだボケ! イー・ルー様はそんじょそこらの普通の魔女とは格が違ぇんだよカス! あえてハンデをくれてやる、それが強者のアレなんだよ! ええっと……なんだ」
「矜持?」
「それだボケェ!! 強者の矜持なんだよこの野郎!!」
どうしよう、憤怒の魔女さんちょっと面白い人なんですけど。倒しちゃっていいのかなこれ、いや倒さなきゃいけないんだけどね?
「強者……か。実際物騒な魔法だもんね。普通の魔女相手なら初見殺しもいいとこだよ。まあ、わたしもそんじょそこらの魔女じゃないから、特別怖がる必要もないけどさ」
ルーの魔法は相手に触れて……というか、殴ったり蹴ったりして魔力を流し込む事で発動条件が整う。その後『止まれ』だのなんだの単純な命令を強制させるものだ。でもわたしの場合、身体は硬直しても黒羽は操れるし、そもそも不死身だ。
バベなんとかの魔眼みたいな精神支配魔法とか、ヘリックスみたいな封印魔法ではないなら正直恐るるに足りない。
「……はああぁぁぁん? てめ、今イー・ルー様の魔法を怖がる必要がねぇとかぬかしやがったのかボケコラはあああぁぁん!?」
ルーは額に青スジを立てて血走った目玉をひん剥いた。もっとも可愛らしい顔立ちのせいで今ひとつ怖くないというか、むしろ可愛くも見えてくる。
「うん、だって既に何回か魔法食らってるけどほら、わたしまだ無傷だし」
「バッカテメェ……んなもんアタシが今まで手加減してやってたからに決まりまくってんだろうがボケコラカステメェこの野郎ォ!!」
ルーは激昂したままやおら飛びかかってきた。右手は腰の魔剣に添えられている。
ルーの戦闘パターンは単純で、まずは素手あるいは脚で相手の身体に魔力を注入する。その後は『止まれ』で動きを封じ、速度重視の抜刀術で決めにかかる。シンプルだけど無駄が無く、実に合理的かつ凶悪な戦法だ。
わたしはさっき既に左脚を蹴られているから、ルーの強制操作の条件は満たされている。魔剣に手を掛けているし確実に『止まれ』がくる筈だ。硬直後、すぐさま防御態勢をとるために黒羽は使えない。というか、『止まれ』がくるまでは下手に動かない方がいいはず!
「レイチェルテメェこの野郎、止まれぇぇ!!」
ほら来た!
……ん? あれ? なんで──
「死ねボケマヌケぇ!!」
『止まれ』の瞬間、身体に走る電流のような感覚。それにしっかり身構えていたのに、電流なんて全く流れなかった。それどころか、たぶん普通に身体も動かせた。
つまり、今の『止まれ』はただ言っただけで、ハッタリだったんだ。意表を突かれて黒羽の操作が一瞬遅れた。ルーは魔剣の柄から手を離して黒羽の攻撃をスルスル掻い潜る。
「……しまっ」
しまったと思った時にはルーの拳が顔面目掛けて飛んできていた。左腕を上げてガードして、すぐさま距離を取ったけどこれはまずった。ルーの攻撃は避けなければ意味がないのだ。
「オラ詰みだレイチェルこの野郎!! 目ぇ閉じろぉ!!」
「……な、ちょっと!? これは……!」
電流が身体を迸った。直後、視界が漆黒に染まる。と言ってもただ瞼が降りてきただけなんだけど、戦闘中にこれはないだろう。
「止まれボケェ!!」
続け様に電流、目を閉じたまま全身が硬直する。ルーの声は後方斜め右辺りから聞こえた。回り込まれてる? とにかく防御を……!
黒羽を広げて自分自身をすっぽりと包み込もうとした瞬間、冷たい感触が胸を貫いた。
「……ぁ」
心臓に突き刺さった半曲刀がズルズルと引き抜かれたところでようやく瞼が上がり、身体の硬直が解けた。
「……ラミー、借りは返してやったぞ」
血を吐いて膝崩れになったわたしに背を向けて、ルーが歩き始めた。刀の血を振り払い出口へと向かっている。
もはや完全にわたしのことは眼中にないらしい。振り払った血が霧散してわたしの元へ帰ってきているのにも気がついていない。
まあ、誰でも魔剣で心臓を穿てば大抵こうなる。一級の回復魔法使いでも心臓を穿たれれば即死するのだ。つまり、油断して当然。
わたしはゆっくりと立ち上がった。息はしない。すれば口から血が吹きこぼれてうるさいかもしれない。気配を完全に殺して奴の息の根を止めてやる、なんて事も思わない。
変に気を入れると殺気が漏れるし、かえって身体が硬くなる。だから特に何も考えずに、バンブルビーと魔獣の森を散歩するような歩みでルーの背後まで近づいた。
ルーのうなじは薄暗い地下でもよく分かるほど白く、まるで陶器のようななめらかさだ。
わたしはその美しいうなじに、力一杯キャンセレーションを振り下ろした──




