159.「色欲と憤怒」
【アイビス・オールドメイド】
──地下ホールからどれくらい歩いただろうか、迷路みたいな道をひたすらに進むと、ようやく石造の扉が現れた。
扉を押し開けると、地下ホールの十倍はあろうかという広い空間に出た。天井を支えるための太い柱が何本か立っている以外は特に造形物は見当たらない。人は沢山いるけど。
「……セイラム、クッキー焼き過ぎじゃない?」
空間を埋め尽くすように人間がひしめいていた。昔、船で人間を売り捌く奴隷商の魔女を殺した事があったけれど、船内に詰められた奴隷達を彷彿とさせる光景だった。いったい何百人いるんだろうか。
「──お久しぶりね。アイビス・オールドメイド」
どこからか聴いた声が響いた。反響して位置は分からない。
「そう? さっき会ったばかりな気がするけど……ジーナ・ペレストロイカ、だっけ?」
「あら、覚えてくれていたなんて光栄だわ。ご褒美にいい事教えてあげる」
「ふーん、なになに?」
「ここに集まったクッキーちゃん達は貴女を攻撃するように命令されてるの。貴女が逃げれば自害するようにもね」
「分かりやすいクズだね」
「どういたしまして。でも対処法もあるのよ。死なない程度にちょっと衝撃を加えてあげれば目を覚ますわ。簡単でしょ?」
「死なない程度にってところが、私くらいの最強魔女になってくると逆に難しかったりするんだけどね」
「ふふふ、案外面白い奴だったのね。じゃあまた後で」
ジーナがそういうと奥の方で扉が開くような重い音がした。と、同時に項垂れていた人間達が一斉に顔を上げて私を見た。
「はぁ、こんなので私をどうにか出来ると思ってるなら、とんだ期待はずれだよ。セイラム」
* * *
【レイチェル・ポーカー】
ライリーがいるホールを抜けてからしばらく細い通路を進むと、十分ほどで再び扉が現れた。特に何も考えずに扉を開く。
「……あら、ごきげんよう」
「はあ、ごきげんよう?」
扉を開いてすぐ目の前に、青い髪を結い上げた女が立っていた。近い、近すぎる。もしかしてこの人も扉を開けようとしていたのだろうか。
「ふふ、こんな陰気な所で可愛らしいお嬢さんに逢えるなんて、迷うのも悪いものじゃないわね」
「……ええっと、どちらさまですか?」
女は私の頬を指でなぞって、何故か左手を腰に添えている。ほんとになんで?
「私はブラッシュ。ブラッシュ・ファンタドミノ。仲良くなれたら嬉しいわ、エロい意味でね」
「え、ちょ、触らないでください……なんか妊娠しそう」
私はブラッシュの手を振り解いて脇を通り抜けた。なんなんだこの変質者、ライリーといいおかしな奴ばっかりだ。
「ふふ、つれないのね。というかこの状況で私を無視していいの?」
「無視っていうか、正直関わりたくないだけなんだけど……まあ、そういうわけにもいかないよね。いいよ、相手してあげる」
わたしは黒羽を発動してブラッシュに向き直った。ライリーのせいでもやもやしてるし、気晴らしにボコボコにさせてもらおう。
「あらあら、血の気が多いのね。けど心配しなくても邪魔したりしないわ、進みたいなら進みなさい」
「……はぁ? 貴女、セイラムの仲間なんだよね? 止めないの?」
ライリーといいコイツらほんとに何がしたいんだか。
「本当ならそうするべきなんでしょうけれど……ちょっと私用が出来てしまって、すぐに愛人達の所へ帰らないといけなくなったの。だから別に好きにすればいいわ。闘いたいなら、受けて立つけれど?」
ブラッシュはいつの間にか持っていた魔剣をローブの隙間からチラつかせた。ほんの一瞬だけど鋭い殺気も感じた。
「……うん、まあ通してくれるなら闘う必要もないかな。わたしも急いでるし」
わたしは翼を身体に引っ込めてそう言った。ブラッシュもそれを見て魔剣を霧散させたようだ。少し微笑むと彼女は扉の奥へ消えていった。
「やだなぁ、思ってたより厄介かも」
ブラッシュを見送った後、わたしも奥へ通じる扉を開けた。態度も言動もふざけた奴だったけど、ブラッシュの実力はかなりのものだったと思う。
魔眼同盟がただの有象無象の集まりではないとして、彼女みたいな奴がわんさかいるのならちょっと厳しいかもしれない。アイビスはまあいいとしても、バンブルビーは大丈夫だろうか。
暗い廊下を進む脚を、少し速めた──
* * *
「──このアタシがぁ!! テメェを完膚なきまでにぶっ殺す女、人呼んで憤怒の魔女イー・ルー様だぁ!!」
「……温度差が凄い」
ブラッシュがいた部屋を素通りしてしばらく歩くと、三度扉が出現した。例によって中にはセイラムの刺客が待ち構えていた。やけにハツラツとした奴が。
「んん? テメェ、なんかやけに綺麗っつうか……無傷じゃねぇかよオイ!! 他のカス共は何してやがったんだぁ!?」
「ライリーって人間の男は途中で闘いを切り上げて、ブラッシュって人は何か用事があるからって帰ったよ?」
「ああ!? あんのクソエロ女、ふざけやがってぇ……真面目にやるっつうから相手してやったものをッ!!」
イー・ルーと名乗った魔女は脚を何度も地面に振り下ろしながら怒鳴った。振り下ろす度に地面に亀裂が入っていく。
「……あれ、ていうか憤怒の魔女って……もしかして七罪原の人?」
「今更何言ってんだテメェこの野郎!! 色欲のボケとも会ったんだろうが!!」
色欲のボケ……会話の流れから察するにブラッシュのことか。まさか七罪原の魔女だったとは、あれ? というか、つまりこれって魔眼同盟と七罪原が手を組んでるってことなのでは?
「なるほどね、ライラックとバベなんとかが螺旋監獄に入れられて弱腰になったの? セイラムの傘下に降ったなんて初耳だけど」
「オイコラテメェボケ! 勘違いすんなよ!? このイー・ルー様は誰の下にもついたりしねぇ!! 魔眼同盟と十三夜会はあくまで同盟なんだよ!! 分かったか……ええと、名前はぁ!?」
「レイチェルだけど」
ていうか、今さらっと十三夜会とか言わなかった? それってエリスが皆殺しにした筈じゃなかったっけ?
「レイチェルだぁ!? 農夫のガキみてぇにパッとしねぇ名前だなぁ!!」
「失礼な……あれ、なんかこのやり取り前にも──」
「レイチェルだぁ!? テメェ、それラミーのボケを監獄にぶち込んでくれた野郎じゃねぇかコラァ!!」
「ちょ、言いたい事があるならちゃんと一回でまとめてよ怖いなぁ」
ブラッシュも大概変な奴だったけど、コイツもコイツで忙しない。しかもブラッシュとは違ってやる気満々という感じだし。
「この野郎、ラミーのクソ野郎はアタシがぶっ殺す予定だったんだ!! それをテメェこの野郎マジムカつくぜこの野郎!!」
「語彙が貧困過ぎて頭変になりそうだね、もしかしてそういう魔法なの?」
「アホかぁ!! んな魔法があってたまるかボケ!! このイー・ルー様の魔法はもっとアレだ……こう、なんつーかだなぁ!……ええい、死に晒せバカ野郎この野郎!!」
「うわ、この流れで始まっちゃうんだ……」
ライリー、ブラッシュに次いで三人目の刺客。ようやくまともな闘いが始まるのか。
まともなのかなぁ。




