156.「魔剣キティと花合流」
【バンブルビー・セブンブリッジ】
──地下は嫌いだ。
薄暗くてジメジメした空間に、冷たい石壁。松明の炎がユラユラと影を揺らす度に、胸の奥まで揺さぶられているような感覚に陥る。
かつて、今は魔獣の森と呼ばれている場所から南に数十キロほど歩くと、そこには魔女狩りが有する地下監獄があった。
そこには異端審問に屈しない魔女疑惑をかけられた女達が収監されていて、毎日のように拷問が行われていた。俺はそこで十年の時を過ごした。左腕が無くなったのもその時だ。
黒の同盟を率いていたアイビスによって地下監獄は完膚なきまでにぶち壊され、俺も囚人から黒の同盟のメンバーになった。魔法も自在に使えるようになって、人間なんてもう怖くない。
けど、それでも、どうしても、この薄暗い『地下』という空間にいると、たまらなく胸の奥が締め付けられる。骨の髄から震えがきて、叫び出したくなる。
「……くそ」
やっぱり、レイチェルと一緒にいればよかった。
* * *
【レイチェル・ポーカー】
傭兵稼業の奴や、山賊、海賊の類の連中は、何かと二つ名のような物を付けたがる。まあ、わたし達魔女も言えたような事じゃないんだけどね。
二つ名、というくらいだからそれはその人物を体現した物だったり、特徴だったり、あるいは象徴だったりする。
『鉤爪のライリー』も御多分に洩れず、まさしく彼を象徴した二つ名だった。
「……あぁー、クソ、魔女ってやつぁよぉ……人間様にゃあ出来ねぇような芸道を当たり前みてぇな顔してやりやがるよなぁ、マトモなやつならとっくにはらわた引き摺りだしてんのになぁー」
ライリーは柱の周りをユラユラと不気味なステップで回りながら左手の鉤爪をチラつかせた。
奴には左手が無いのだ。正確には左の手首から上が無い。その代わりに大きく湾曲したフック状の鉤爪が一本生えている。右手には反りの深い湾刀、左手は鉤爪。一度見ればなかなか忘れられない風体だ。
「さっきからちょろちょろ、鬱陶しいなぁッ!!」
「……うおっと、こえぇなぁオイ……」
当たり前だがライリーは人間だ。男だし、というかおっさんだし、魔女であるはずがない。なのに、ライリーはわたしの攻撃を全て躱し、あまつさえわたしに剣を、鉤爪を振りかざしてくる。
今もそうだ、わたしは黒羽を触手状に変形させて、鞭のように打ち付けた。しかしライリーはそれを躱す。まるでいつどんな攻撃か来るのか分かっているかのように、いや、たとえ分かっていたとしても躱せる事がそもそもおかしくない? こいつこそ人間離れしている。
「ああ、もう、キャンセレーション!!」
「はっはぁ、しってるぜぇ、それ……魔剣ってやつだろぉ、おっかねぇなぁおい」
正確には一般的な魔剣とは違う、わたしのは純粋な魔力を凝縮して結晶化させた魔剣ではなく、黒羽の形質と性質を変化させて作ったモノだ。言うなればわたしの身体の一部を使って作った剣。
人間相手に剣を抜くハメになるなんて信じられない。わたしにだってそれなりにプライドみたいなものはあるわけで、けどやっぱり今はそれよりも優先しなければいけない事があるのだって理解している。
だからもう手加減はしない、ライリーはこの手で斬り伏せる。そしてこの部屋の奥にある扉、あの扉の向こうへ進む!
「悪いけど、遊びはここまでだよ!!」
「……ッとぉ」
黒羽は一旦解除、代わりに身体強化の魔法と二振りの魔剣キャンセレーションで一気に畳みかける。
……はずだったのだけど、ライリーは尚も躱す。流石に反撃まではしてこなくなったけれど、わたしの剣撃を紙一重のところで避け続けている。
半身で躱し、上体を倒し、転がり、次こそはと思うとちょうど柱の裏に回り込む。わたしが剣を柱に叩きつければ、おそらくいとも簡単に柱は崩壊するだろう。そうなれば天井が崩れかねない。
こんな地下深くで生き埋めにされたらたまったもんじゃない。死にはしないけど死ぬほど苦しいだろう。ライリーもわたしが柱を壊さないように立ち回っている事を理解している。というか、最初からそのつもりで柱の周りをちょろちょろしながら戦っているんだろう。小賢しい男だ。
「おいおいどうしたぁ、おれぁこっちだぞ嬢ちゃんー?」
「……魔剣、キティ」
ライリーは短時間でキャンセレーションの間合いを見切りつつあった。剣を躱す動作にも段々と無駄が無くなっており、切先が肌に触れるギリギリのところに来るように調整しているようにも思えた。
だからわたしは回し蹴りを放ってライリーに背を向けた瞬間、双刀キャンセレーションを長刀の魔剣キティに変形して振り向きざまに首を斬り飛ばした。
「……っぶねぇッー!?」
──少なくとも、そうなる予定だった。
悪運が強いのか、それとも天性の勘が良いのか、ライリーは今回に限ってギリギリで避けずに大きくしゃがみ込むようにして躱した。おかげでキティは空を斬り、しゃがみ込んだライリーから逆に後ろ回し蹴りをくらう羽目になった。
魔力始動している上に身体強化までしているからまったくのノーダメージだが、えらく腹がたつ。
「ふぅ、やるねライリー。次は殺す」
わたしはキティを腰に挿し直すようにして、ライリーを鋭く睨んだ。数年前まで長物の扱いはそれほど得意ではなかったけど、火花から花合流の手解きを受けてからはそうでもない、というか、寧ろこっちの方が強い。
花合流・灼火牡丹……スピードと破壊力に重点を置いた抜刀術だ。ライリーはわたしの腹を蹴り飛ばした反動で再び柱の側で剣を垂らしている。
わたしが斬りかかり、容易く避ける事が出来ないと察した奴は十中八九柱の裏に回るだろう。
だからわたしは柱を斬る。
奴は絶対にわたしが柱を斬る事は無いとたかを括っているはずだ。しかし、わたしが柱を斬れない理由は壊れたら困るからであって、つまりは壊れなければ斬れるのだ。
わたしは軽く握ったキティに少し意識を傾ける。刃の厚みをギリギリまで薄くした。もちろん普通の魔剣なら出来ない外套だが、この剣はあくまで身体の一部。厚みを変えるくらい造作もない。
そして後は剣撃の軌道だ、少しのブレもなく水平方向に超高速の一閃。柱ごとライリーの胴体を切り抜く。これならば柱は斬れても崩れはしない。まあ、上手くいけばだけどね。
──スゥ……息を静かに吸い込んで、止める。視線はライリーを睨めつけたまま、深く腰を落とした。ライリーは依然剣を垂らしたままユラユラと揺れている。
ライリーが柱に隠れようが、さっきのようにその場でしゃがみこもうが、キティの間合いなら横薙ぎの一線でかたがつく。柱に隠れたら腰を、しゃがんたら首が飛ぶ。どっちにせよわたしの勝ちだ──
「──あぁー、やめだやめだぁ……マジでしんどかったぜぇ、クソッタレがぁ」
「………………は?」
唐突だった。
ユラユラ揺れていたライリーが突然すっと姿勢を正すと、右手の剣を鞘に収めてプラプラと歩き始めた。
そのあまりにも無防備な姿に、わたしの身体は固まってしまい。ただただ眺める事しかできなかった。
「……よっこいしょぅっとぉ、魔女狩りでもねぇのに化け物の相手とか……寿命が縮んじまったぜぇ、ったくよぉ」
ライリーは隣の柱まで移動して、柱の前に置いてあった木樽にドサッと腰掛けたかと思うと、パイプに火をつけて煙を蒸し始めた。
「……なにやってるの?」
「あぁ? 見てわかんねぇかぁ? 仕事終わりの一服だよ、酒飲んでるように見えるかぁ?」
「いやいや、そういう事じゃなくて、そういう事じゃなくて!!」
「先に進みてぇならあっちの扉だぁ、おれぁもう疲れたからなぁ、一服ついたら帰るぜぇ」
「……まさか疲れたから戦うのやめたワケ? プロじゃなかったの!?」
せっかくわたしも久々に本気になりかけていたのに、肩透かしを喰らったなんてもんじゃない。なんかもう、ごっそり闘志を削がれた気分だ。そのせいか、妙に身体が疲れてるし。
「人聞き悪いこというんじゃぁねぇよ嬢ちゃん……おれぁプロとしてしっかり仕事をこなしたぜぇ、カチッとなぁ……だからもう嬢ちゃんには用はねぇ、進みたきゃぁ勝手に行けよ」
ライリーは鉤爪の付いた左手をプラプラと振ってそう言った。訳が分からないけど、まあ邪魔する気が無いなら別に戦う事もないわけで……でもさぁ、なんかさぁ、ねぇ?
色々と思うところはある、ありまくるけど、今はとにかく進もう。遮二無二進んでセイラムを倒す。その事に集中しよう。
わたしは先へ進むための扉に手を掛けて、チラッと背後を振り返った。ライリーの蒸した煙がモクモクと天井へ向かって広がっていた。
「……ライリー」
「なんだぁ、嬢ちゃん」
ライリーは振り返らずに応えた。
「強敵だったよ、またね」
「……あぁー、俺ぁもう会いたくねぇがなぁ……あばよぉ、嬢ちゃん」
ライリーが背後にいたけど、わたしはキティを体内に格納してから石造りの扉を押しあけた。よし、進もう──




