153.「濡れガラスと招待状」
【レイチェル・ポーカー】
──鴉の羽のような漆黒の外套を纏った四つの影が、草葉の露を散らしながら風のように大地を駆け抜ける。
「──さっきの通り雨凄かったね、服びしょ濡れだよもう」
「ほんとだね、何処かで休憩して服を乾かそうか?」
「別にいいだろ、走ってれば乾く」
「……」
城を発ってから丸一日、かなりのハイペースで順調にセイラムの根城があると言う場所へ向かっていたのだけど、突然の豪雨で漏れなく全員が濡れガラスになってしまった。
アイビスの心遣いは嬉しいけど、乾かしたところでまた雨が降れば同じ事だし、さっさと用事を済ませて城に帰るのが一番だと思う。
「わたしはワイルドなバンブルビーに賛成。このまま進もうよ」
「そっか、まあそうだね。どうせあっちに着いたら返り血でびしょ濡れになるもんね」
「こっわ……」
先頭のアイビスはニコリと振り返ってそう言った。相変わらず冗談なのか本気なのか分からない顔だ。
「一応交渉はしてみるけどね、多分戦闘は避けられないよ。至高主義の連中相手に話し合いで解決した事なんて、一度だって無いからね」
怠惰の魔女、傲慢の魔女、それ以外にもこの数十年で退治してきた魔女達の顔が頭を過った。そもそも話し合いに持ち込める事すら少なかった気がする。
「……まあ、確かにね。わたしも悪戯に他人を傷つける奴は死んだ方がいいと思うけど、あんまりやり過ぎちゃだめなんだよ?」
「レイチェルがそう言うなら心掛けるよ。ヘリックスにも借りを作っとかないといけないし。けど難しいんだよね、アリを殺さないように踏むのって──おっと」
再び物騒な事を言いつつ前を走っていたアイビスが、突然外套を翻して左手を真横に突き出した。後ろに続いていたわたし達は急ブレーキを掛けつつ、アイビスの真横に並ぶ。
視線は自然とわたし達の前方にいる人影に集中する。二人だ。女が二人、こちらを待ち構えるように立っていた。
「──鴉の盟主、アイビス・オールドメイドね。私は魔眼同盟が盟主、セイラム・スキーム様の使者ジーナ・ペレストロイカよ」
白金の髪に赤と青のオッドアイ、腰に魔剣を下げた女がそう言った。『セイラムの使者』ということは、どうやらバンブルビーの懸念通り何かしらのおもてなしがあるらしい。厄介な事になってきた……というか、いったいどうしてわたし達がここにいる事が分かったのだろう。
「如何にも私がアイビス・オールドメイドだよ。わざわざお出迎えしてくれるなんて嬉しいな、もしかしてお茶のお誘いとか?」
アイビスは突然現れた敵の使者にも動揺する様子はなかった。いや、本当は動揺しているけどそれを表に出していないだけかもしれない。わたしの状況が今まさにそうだ。
「あら察しがいいこと、セイラム様はお前達のためにたくさんクッキーを用意して待ってるわ。せいぜい遅れずに来ることね」
ジーナと名乗った魔女はそう言って傍らで縛られている少女をこちらに突き飛ばした。朦朧とした表情の少女は受け身も取らずに地面に倒れ込む。
「……何のつもりかな、この人間の子はなに?」
「オールドメイド、私達が最近人間狩りをしているのは知っているわよね。今日はお茶会とは別にその人間達を使って楽しいパーティーもするの。その人間はそっちの招待状よ。もちろん興味無いなら捨て置いて構わないけれど」
もはや清々しい。清々しさを感じるほどのあけすけな罠だ。ペレストロイカは隠すつもりなど毛頭無いのだろう『貴方達をお引き寄せる為に人間狩りしてたんですよ。まんまとやってきてくれてどうも有難う御座います』というような事が顔に書いてある。物凄くイヤらしい笑顔だ。
「……お前、ペレストロイカとか言ったか。俺たちが人間のためにノコノコ罠にハマりにいくと思ってるのか?」
「あらあら強がっちゃって、貴女達はか弱い人間達を私達みたいな悪い魔女から守る共生主義……とやらを謳ってるんじゃなかったかしら? まあ、どっちでもいいし用も済んだしお腹空いたし、私はこれで……では後ほど」
ペレストロイカはそう言ってペコリとお辞儀をすると、腰に下げた魔剣をぷらぷら揺らしながら、さっさとその場を立ち去ってしまった。アイビスはそれを黙って見送る。だからわたしも、いや、わたしだけじゃなくバンブルビーとエリスも、小さくなっていくペレストロイカの背中をただただ睨んでいた。
「……行かせてよかったのか?」
「使者を殺すわけにはいかないでしょ、それに後ほどって言ってたし、どうせまたすぐに会う事になるよ」
別にバンブルビーは殺した方がよかったとか、そういう意味で言ったわけじゃないと思うけど……一々発想が怖いなアイビス。まあ、アイビスが物騒なのは今に始まったことでは無いし、それにしても問題は別にあるのだ。
「アイビス、この人間の子はどうするの? まさかほっとくなんて言わないよね」
ペレストロイカが置いていった招待状、もとい少女。縄で縛られているから起き上がる事も出来ずに地面に横たわっている。見た感じ怪我とかは無さそうだけど不安に満ちた表情で震えている。この状況なら無理もないけど。
「うん、どう考えてもセイラムの罠だよね。どうしてこっちの動きを事前に察知出来たのかは謎だけど、明らかにお出迎えの準備万端って感じだしね、ふふふ」
ふふふってあんた、何でちょっと楽しそうなんですか。
「狙いは俺たちの分断か、問題はセイラムはどこに居るかだな」
「まあ馬鹿正直に根城に留まってるとは限らないもんね、人質の方に居る可能性もあるし、最悪どっちにも居ないかも……」
「……」
考えを巡らせていると、エリスが徐に少女の縄を解き始めた。たしかにさっさと起こしてあげた方がよかったか。
「君、大丈夫? 怖い目にあったね。どこか怪我はしていないかな?」
アイビスは地面にうずくまる少女の目線に合わせて、自分もしゃがみ込んでそう言った。昨日に比べると随分と真面目な態度である。
「……せ、背中」
怯えた少女はぽつり、と──たった一言そう言った。
「背中……ああ、背中を怪我してるの? ちょっと見てもいいかな、私が治してあげるよ」
アイビスは回復魔法が使える。それも大抵の傷ならば跡形もなく治してしまえるレベルの。
少女の肩を支えていたエリスが、ゆっくりと少女の服のボタンを外して服を脱がせた。少女の背中には──
「──ひどい」
ペレストロイカは言っていた。この少女は招待状だと。たしかに彼女の背中には文字が刻まれていた。おそらくナイフか何かで皮膚を斬りつけて書かれた文字が……いや、文字だけではない。服をさらにずらすと地図らしき物もあった。
『親愛なるアイビス・オールドメイド。日暮れと共に夜会と儀式を始める。人間共を助けたくば地図の場所へ向かうがいい。ただし、私の夜会へ遅れてくるならお前のクッキーは残らない』
「──やれやれ、やる事がいちいち大袈裟だね」
アイビスがそう言って少女の背中に手をかざすと白い光が淡く輝き、あっという間に背中の傷は消えてしまった。
「他に痛いところはないかな?」
背中の傷が癒えた事に驚いた様子の少女は、怯えつつも、しかし何か意を決したように拳を握りしめてこう言った。
「……ま、魔女様、どうか私の家族を助けて下さい! 私なんでもしますから……どうか、どうか──」
少女は細い腕を合わせてアイビスに祈るように懇願した。アイビスはそれを無表情で見つめ、そしてゆっくりと立ち上がる。
「うん、二手に別れようか。人質救出組とセイラム討伐組、私はもちろんセイラムを担当するね」
「いいの? 私達を分断するのが目的ならセイラムの思う壺なんじゃ……」
「そうだね、けど裏を返せば思惑通りにさえしてやればセイラムは私を殺せると思って出て来るでしょ?」
なるほど、確かに一番最悪なのはセイラムを取り逃す事だし一理あるか。それにしてもこの状況でこの言いよう、ほんとうに凄い自信だと思う。たとえどんな罠や敵が待ち構えていようと、姿さえ見せるなら絶対に勝てるということなのだろうけど。
「あえて誘いに乗るか、どちらにせよ俺はレイチェルに着いていくからな」
「えぇぇ、じゃあ私どうしよっかな……エリスは?」
「……」
わたしが優柔不断に決めあぐねていると、エリスは少女をひょいと抱き抱えて少し微笑んだ。つまり、エリスは人質救出を担当すると。
「レイチェル、迷ってるなら着いておいで。エリスは一人で平気だよ……というか、一人の方が多分戦いやすいんじゃないかな」
「……むぅ、分かった。じゃあわたしはアイビスと一緒にセイラム討伐組ね」
日没まで時間はそうない。迷っている暇があるならさっさと動いた方がいい状況だ。エリスは単騎で十三夜会とかいう魔女組織を壊滅させるレベルで強いみたいだし、アイビスの口ぶりからしてきっと魔法も連携に向かないんだろう。ここはボスの判断を信じよう。
「よし、じゃあそっちは任せたよエリス。分かってると思うけどいざとなったら自分を優先してね」
「……」
エリスはこくりと頷くと、少女を抱えて風のように走り出した。
「よし、じゃあ私達も行こうか……ところでバンブルビーは何で当然のようにレイチェルとニコイチなのかな?」
「は? そんなの俺がレイチェルの補佐官だからに決まってるだろ」
「へえ、じゃあ他意はないんだ?」
「ねえよ」
何故だか分からないけど急にアイビスとバンブルビー、二人の間に剣呑な空気が立ち込める。この二人ってこんな仲悪かったっけ!?
「……そ、そうだ! 誰がセイラムをやっつけれるか勝負しようよ! ちなみにわたしが勝ったらディナーのお肉全部貰うからね!」
とにかく今から戦争しようって時にこの雰囲気は良くない。非常に良くない。何が良くないって、一緒にいるわたしが気まずいじゃないか。
正直アイビスとバンブルビーなら仲良くしていようがケンカしてようがそこらの魔女に遅れをとる事はないだろう。ただわたしが気になってしまうのだ。そのせいでウッカリ二人の前でケガでもしようものなら不死身体質の事がバレかねない。それが良くないのだ。
とにかくここは空気を変える為にあえて道化を演じるとしよう。こんなバカな事を正気で提案するのはバブルガムくらいのものだけど、この険悪な雰囲気を変えられるなら何だっていい──
「──いいねそれ、じゃあ私が勝ったらレイチェルは私の一日補佐官ね。命令には絶対服従で」
「……んん?」
なんか思ってたのと違う展開になってない? ていうか一日中補佐官ってなに。
「──言ってろ、俺が勝ったらお前を俺の一日補佐官にして足を舐めさせてやる……レイチェルのな」
「いや、それただただわたしが迷惑なんですけどー?」
ダメだ、コレ何とかしてわたしがセイラムやっつけないととんでもない事になる……主にわたしが!




