148.「百人一首と停戦協定」
【辰守晴人】
「──それにしても、一月以上前の会話よく覚えてたよな。正直伝わんねえと思ってたわ」
「ふん、龍奈様の記憶力舐めんじゃないわよ! 百人一首とか空で言えるんだから!」
まるで手品のように手の平からジャラジャラと鎖を生成する龍奈はドヤ顔で胸を張った。記憶力云々の話で百人一首を引き合いに出すのは正直微妙な気もするが、ドヤ顔に免じて一つ検証しようではないか。
「…… 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ?」
「わが衣手に雪は降りつつ、でしょ!!」
「微妙に間違ってんじゃねえかよ」
ある意味期待を裏切らない奴である。やはりあの日の会話を覚えていたのは奇跡だったんだな……。
そう、俺がフーに服を貸してやったあの日、新品の服を大量にストックしている事を知った龍奈が言ったセリフ……『石橋を叩いて回るアンタらしいわね──』
正しくは『石橋を叩いて渡る』だしちゃんと訂正もしたのだが、龍奈バージョンが今回の作戦と妙に意味合いが重なっていたのだ。
マリアを川に落とすのは容易な事ではない……というのは分かりきっていた。そこで咄嗟に思いついたのが橋ごと落とすという作戦だった。
巨大な鉄道橋だが半壊してから既に二十年、ろくな補修もされず橋脚は遠目から見てもボロボロ。その橋脚を破壊すれば橋はあっという間に崩れ落ちるだろうと踏んだわけだ。
当初の予定では橋脚を破壊した後二人がかりでマリアを川へ道連れにするつもりだったが、いざ破壊して橋に戻るとなんと龍奈がマリアを身動きが取れないところまで追い込んでくれていた。
おかげで俺と龍奈は川に落ちずに済んだわけだが、決して水に濡れなかったわけではない。川に落ちたマリアを大急ぎで救出しなければならなかったからだ。
必死になって川に落とし、落としたら落としたで今度は救出……自分でも何がしたいんだか分からなくなりそうだが、俺はとにかくマリアを殺さずに無力化したかったのだ。
幸いマリアは崩落した橋の瓦礫に引っかかっていてすぐに見つかった。水を吐かせて脚の傷も治療したが、マリアは気を失ったままだった。まあ起きられても困るんだが。
そして現在、マリアが目を覚ましても大丈夫なように龍奈が魔力で鎖を編んでいる訳である。
「ふぅ、出来たわよ。鎖巻きつけるからその女起こして」
龍奈の前には鎖が渦を巻いて山になっていた。多すぎじゃないかこれ、何メートル分作ったんだよ。
「……こいつ、身体持ち上げた瞬間襲いかかってきたりしないよな?」
「ぶ、物騒な事言ってんじゃないわよバカ! そうならないために鎖を巻くんでしょうが!」
確かにその通りである。さっさと鎖を巻いてしまわないとマリアが起きたら大変だ。既に戦える状態ではないかもしれないが、万が一カラスになって逃げられでもすれば……あれ?
「……てか、よく考えたら鎖巻いてもカラスになられたら意味ないんじゃないか?」
「……アンタもう殺したから」
「マジでごめん」
完全に失念していた。なんかあれだ、マリアを川に落とすという大仕事を乗り切った途端に脳みそが回転数を大幅に減らしている。二人もいて何故今の今まで気がつかなかったのか──
「──ハッハッハ、決めるとこ決めるけど抜けてるとこは抜けてるってのが君の愛らしい所だよね」
「ほんとよ、ハレってやる時はやるんだけどたまに……って、誰よアンタ!!?」
──突然だった。
さも初めからここに居ましたと言わんばかりに会話に入ってきたのは鴉の魔女、バンブルビー・セブンブリッジだった。
「……な、バンブルビー、なんでここに……」
「ハッハッハ、やだなぁ辰守君を連れ戻しに来たに決まってるだろ? ああ、あとついでにスノウもね」
バンブルビーは片手で器用にマリアを抱き抱えてそう言った。そりゃそうだ、俺が居なくなって探しに来たのがマリアだけって事はないだろう。さっさと場所を移動しておくべきだった。
「……バンブルビー、その、これには色々と訳があってですね……」
「これっていうのは脱走した事? それともマリアをこんな目に遭わせたことかな?」
「両方です、どっちも謝って済む事じゃないのは分かってますけど……それでも俺にはまだやらなければならない事があるんです! だから、俺はまだ城には帰りません!」
「そっか、じゃあ仕方ないね……」
バンブルビーはマリアを肩に担いでニコリと笑った。だがやはり目は全然笑っていない、強気に出たものの逃げ切れる自信なんて全く無いし、戦うなんてもってのほかだ。
けど、こっちの都合なんてバンブルビーには知った事ではないだろう。きっとバンブルビーが次に発した言葉が、戦闘開始の合図になる──
「俺も用事に付き合うよ」
「……はい?」
聞き間違えか、今なんて言った? 少なくとも『ならば戦争だ』とは言ってなかった気がする……『オレモヨウジニツキアウヨ』って聞こえた気がするけど、何語だ?
「俺が釘を刺したのに城を抜け出して、おまけにスノウまで倒して……そこまでしなきゃいけない用事が君にはあるんだよね。だったら今無理矢理連れて帰ってもまた同じ事繰り返すだけだろうし、俺もその用事に付き合うよ。もちろんその後は大人しく一緒に帰ってもらうけどね」
「……いいんですか?」
「いいよ。スノウには後で怒られるだろうけど」
まさかバンブルビーがこんなに良い人だとは、成り行き上仕方のない事だったけど黙って城を抜け出した事に今更ながら胸が痛んだ。こんな人を裏切る事になってたんだと。
「ちょっと、アンタ正気なの!? こんな奴の言うこと待ち受けてんじゃないわよ!!」
「おい龍奈、何言って……」
「コイツがただ単にアンタの脱走した目的を知りたいだけかもしれないじゃない! 龍奈は信用出来ない!!」
確かに、龍奈の言うことも一理ある。バンブルビーにフーを会わせるのはリスクが大きい。けど──
「心配しなくても俺は何もしないよ。事情を聞くだけならうちに高性能の自白装置がいるし……まあ、そっちがその気なら話は別だけどね、魔女狩りのお嬢ちゃん」
「りゅ、龍奈、とにかくここは俺を信じてくれ! バンブルビーを連れてフーの所へ戻ろう!」
剣呑な雰囲気を察して俺は二人の間に割って入った。バンブルビーが俺を殺さない理由は幾つかあるが、龍奈を殺さない理由なんて殆ど見当たらない。魔女狩りである龍奈が今殺されないのは単なるバンブルビーの気まぐれかもしれないのだ。
「ほら、彼もこう言ってる事だし殺気引っ込めなよ。そうだ、なんなら自己紹介でもする? 俺はバンブルビー・セブンブリッジ。黒鉄の魔女だよ」
「……轟龍奈よ、妙な真似したらタダじゃおかないからね」
鴉と魔女狩り、不倶戴天の仲の両者が握手を交わす様は、戦争中の停戦協定さながらだった。
「じゃあさっさと用事とやらを済ませちゃおうか、辰守君リードして」
「はい、実は俺の主人にあたる魔女が今魔力欠乏で危険な状態なんですけど、助けてくれそうな人に心当たりがあるのでそこへ向かいます」
「おやおや、思ったより切迫した用事だったんだね。そりゃ脱走もするか……じゃあ早速君のご主人様のとこへ案内してよ、スノウは俺が運ぶからさ」
怖いくらいに話がスムーズに進む。会話の流れを阻害するメンバーがいないとこうも違うのか。
「ハレ、先頭行って。龍奈は一番後ろからついて行くから」
「……了解」
流石に握手したくらいでは龍奈の警戒は解けないらしい。寧ろ当然の反応である。
「……それにしても、俺が連れ戻す側になるとはね」
「あの、どういう意味ですか?」
「ああ、気にしないで。こっちの話だよ」
そう言ってバンブルビーは僅かに微笑んだ。普段から快活に笑う人だと思っていたが、どうしてだろうかこの笑顔はいつもよりもちゃんと笑っているように見えた──




