133.「新居と旧居⑤」
【辰守晴人】
──家具のダンボールがあるのは一階、そしてイースの酒が置いてある食糧庫は地下一階。効率を考えた結果、俺はまず食料庫に行く事にした。
「──で、何してるんですかバブルガム」
「むふぁッ!?」
食料庫に着くと、消えた現場監督ことバブルガム・クロンダイクさんが、床に座り込んで口いっぱいにお菓子を頬張っていた。
「まさかとは思いますけど、一人だけサボってお菓子を盗み食いしてたなんて事はないですよね」
バブルガムは急に声をかけられてお菓子が喉に詰まったのか咳き込んで、けれど直ぐに何も無かったかの様に姿勢を正した。
「むはぁ、盗み食いか……確かに悪く捉えればそーいう見方もできるな」
「あの、ほかにどういう見方が?」
「むふぅ、なんか勘違いしてるよーだけど、私ちゃんはただ賞味期限が迫ってるお菓子を処理してただけだからな!?」
俺はバブルガムの周りに散乱しているお菓子のクズを拾い上げた。
「賞味期限はどれもまだまだ先みたいですけど」
「むはッ!?」
バブルガムはぎくりと身体を震わせると、露骨に俺から顔を逸らした。ほっぺにポテチのカスがついてやがる。
「さて、これはどうしたものでしょうか」
「……むふぅ、どうもこうもねー! 皆んなには内緒だぞ!?」
「いや、内緒も何も、そもそも部屋にいない時点でサボってるのはバレてますよ?」
俺の記憶が確かなら、バブルガムは食糧庫から勝手にアイビスのカップ麺を持ち出して戦闘班から外されたんじゃなかったか……全然懲りてないなこりゃ。
「むはああぁぁ、私ちゃんはただ……ちょっと小腹が空いたからキャンディを! たったの一つだけキャンディを食べに来ただけだったんだよー!!」
「へえ」
へぇ、としか言いようがないくらいしょうもない弁明だ。いや、弁明ですらないか。
「そ、それが中途半端に食べたら余計にお腹が空いて来てな? 気がつけばこんな事にぃ!!」
「はあ」
はあ、としか言いようがないくらいしょうもない以下略……。
「むふぅ、晴人なんとかしてぇ」
バブルガムは床に散らばったお菓子のクズを踏みながら俺にすがり寄ってきた。全然キャンディ一個の被害ではない。
「無理です、この事はきっちり報告します」
「わ、私ちゃんを売るのか? 自分のお嫁さんが怒られちゃうんだぞ!?」
「まあ、別に俺が怒られるわけじゃないんで」
イースの件といい、食糧庫荒らしはすぐにバレるだろう。その時になって知っていたのに黙っていたなんて事が露呈すれば、俺まで罪を被る事になるかもしれん。それはごめんである。
「むはぁ……そうか、分かったよ。なら最後に当初の目的のキャンディだけ食べさせて」
「なんで当初の目的のキャンディまだ食べてないんですか」
それにしてもこの後怒られると分かって尚まだ罪を重ねるとは、ある意味芯が通っていると言えなくもない。
「……ん、ぁい痛だだただ!?」
バブルガムがオシャレな瓶から取り出した飴玉を口に放り込んで数秒後、急にほっぺを押さえて苦しみ始めた。
「え、急にどうしたんですか?」
「むふぅ、晴人ぉ、奥歯が急にじくじくするよー! なんだこれ!?」
ほっぺたに飴玉を押しやって、ポコリと膨らんだ顔でバブルガムがそう言った。何とも緊迫感の伝わってこない絵だ。
「……普通に虫歯じゃないですか?」
「虫歯!? 虫歯やだぁ! 確認してぇ!!」
バブルガムはギョッとして俺に抱きついてきた。正直悪い気はしない……どころか、ちょっと嬉しい。いや、かなり浮き足立っている自分がいる。
「もう、子供じゃないんですから……ほら、口開けて見せて下さい……」
不意の抱きつきについ絆された。
まあ、断ってもきっとごねるだけだろうし、そうなると時間がもったいない。しかし、虫歯って素人が見てわかるもんなのか?
「……んー普通に綺麗な良い歯ですね、強いて何かコメントするならば八重歯が長いです」
バブルガムの歯は、見た感じ至って正常だった。歯並びもいいし白くてピッカピカだ。満点をあげたい。
「うふぅ、おっほあんおいへー」
むふぅ、もっとちゃんと見てー……か? 俺なりにしっかり見たつもりなんだが。まあ、本人の気が済まないならもう一度だけ……。
俺は再びバブルガムの口を覗き込んだ。しかしなんだな……上目遣いで口開けてるの、なんかちょっとエロいな。
「うん、やっぱりなにも……なんむッ!?」
──突然だった。
パッカリ開いた口を覗き込んでいたら、突然服の襟を引っ張られてバブルガムに口を食われた。キスなんて可愛いらしいもんじゃない、歯と歯がガチンとぶつかりそうな勢いで口に食いつかれたのだ……そして、抵抗する間も無く甘い違和感が侵入してくる──
「……んんん!? んんむ、んん!!」
とんでもない力で頭を押さえつけられて、逃げることもできないまま口内を蹂躙される。口の奥へぐいぐい押し込まれる飴玉を何とか押し返そうとするが、互いの舌と舌が絡まるばかりでどうにもならない。
どれくらいの間攻防を続けたのか、だんだんと息が辛くなってくる。キスしてる時って皆んなどうやって息してるんだ?
……とか何とか考えている間に、酸素を取り込もうとする本能がつい押し込まれた飴玉を飲み込んだ。
「……んく、んんむ……ぶはぁっ!?」
ようやくバブルガムから解放されると、俺は一にもニにも取り敢えず息を吸った。心臓が早鐘を打っているのは、少ない酸素を身体に巡らせようとするためか、それとも唐突なキスのせいなのか……。
「……はあ、はあ、な、何するんですか急に! 飴玉丸呑みしちゃいましたよ!!」
最低限の呼吸を整えて、ようやく俺はバブルガムに抗議した。気管に入ったら死ぬとこだぞ。
「むはぁ、呑んじゃったのかもったいねーなー、ちゃんと味わわないとダメだろぉ?」
どういう意味で言っているのか、バブルガムの笑みはやけに妖艶に見えた。普段の振る舞いのせいで忘れがちだが、そうだった……バブルガムはめちゃくちゃえっちだったんだ!
「……け、結局何がしたかったんですか」
この様子から察するに、歯が痛いのは完全に嘘、嘘までついてなんで無理矢理キスを……まじで何がしたかったんだ。
「むはぁ、晴人を共犯にしたかったんだけど?」
「……はい?」
「キャンディ食べたよな?」
「……食べましたね」
どっちかというと呑んだけどな。
「むはぁ、ようこそ背徳の園へ!」
バブルガムは両手を広げてドス黒い笑みを浮かべた。完全に悪の顔だ。
「いやいやいや!? 食べたっていうか、無理矢理喉の奥にねじ込まれたんですよ!!」
「むふふ、これ見てみー?」
バブルガムはそう言って舌をべぇっと出した。やけに、というか異常に赤い。もしかしてさっき食べていた飴玉のせいか?
「べろ赤くなってますよ」
「むふ、知ってるよー! てか晴人も今おそろだからなー」
やはり、さっきの飴玉が原因らしい。口の中に飴玉があったのは僅かな時間だが、舌と舌で押し付け合いをした結果かなり舐めてしまった気がする。まだ口の中が甘いし。
「……けど、俺の舌が赤いからなんだっていうんですか」
「むはぁ、晴人が私ちゃんのこと売るなら、私ちゃんも正直に言わねーとダメだよな。晴人もキャンディ食べて舌を赤くしてるってさ」
「……な!?」
こいつ、そんなしょうもない事のためにあんなディープなキスを!? 貞操観念が家出してるぞ!
「あ、ちなみにこのキャンディなー、バンブルビーのお気にだよー」
最悪じゃねえか。
微笑むバンブルビーの顔が脳裏を過った。もちろん目は笑っていない。
「……く、分かりました。この事は二人だけの秘密にしておきましょう」
「むっはっはっはっは! そうだ秘密だ! 墓まで持ってけーい!」
バブルガムは勝ち誇ったように大笑いして、しばらくすると急に大人しくなった。
「……むはぁ、でもこれ結局怒られるじゃん」
「……まあ、俺が言わなくても時間の問題ですよね」
当たり前である。倉庫のお菓子が無くなれば犯人探しが始まり、そして鴉には高性欲……じゃなかった、高性能な自白強要マシーン、ブラッシュがいるのだ。バブルガムはすぐに炙り出されるに違いない。
「むはっ! 閃いたぞ晴人!」
「ろくでもない閃きに五百円」
「ようはお菓子が減ってなきゃバレねーんだろ? 食べた分のお菓子買いに行けばいいだけの話じゃーん!」
なるほど、思ったよりまともな案で逆にびっくりした。
「ちなみに俺の部屋作りはどこへ?」
「むはぁ、そういえばそんなんあったなぁ……」
「現場監督さん!?」
「まぁいいや、んなもんチャチャっと終わらせて、それからお菓子を調達しに行くぞ!」
「……行くぞって、まさか俺もついて行く流れになってます?」
「むはぁ、あたりめーだろ?」
なんでだよ!
「ここで見た事は黙っておきますけど、そこまでする義理はありませんよ」
今朝もバンブルビーにまだ島からは出せないと釘を刺されたばかりだ。脱走なんてしたのがバレたら、せっかく繋ぎ止めた命を無駄にしかねない。
「むふぅ、そういう事言うのかお前……ふーん」
「な、何ですか?」
バブルガムはじっとりとした目で俺を睨め付けながらにじり寄ってくる。そして俺のすぐ目の前で足を止めた。
「晴人、ライラックとキスしただろ」
変な汗が出た、何でその事を!? 観てたのか……? いやライラックといた部屋は密室だったし、そんな筈は……ていうかキスはしてないけどな! 噛みはしたけども!
「……んな、何を根拠にそんな……言いがかりです!」
「むはぁ、さっきキスした時に晴人の口からライラックの味がしたぞー? あの甘い独特の味は間違えようがねーからなー」
「……味って」
確かにライラックの身体は甘くていい香りがしたけど、そんなの分かるもんなのか? だいたい何でバブルガムがライラックの味とやらを知ってるんだ──
「むふふ、いいのかー? イースとスカーレットに言っても」
混乱する頭を整理する暇もなく、バブルガムは追い討ちをかけてくる。
家具を引き取りに行っている間に二人でイチャイチャしていたなんて知れたら、イースに消し炭にされかねない。流石にスカーレットも怒るかもしれないし……。
「……わ、分かりました。お菓子買うぐらいなら付き合いますよ」
ここはバブルガムの口車に乗っておこう。お菓子を買いに行くくらいすぐに済むだろう。
「むっはぁ! もち晴人の奢りな!」
「いや、金持ってませんよ俺!」
温泉街に行った時は普段使っていない予備の財布に最低限の金しか入れていなかった。しかも落としたみたいだし。
「むふぅ、そんなん取りに行けばいいじゃーん!」
「……え、行っていいんですか?」
サラッととんでもない事を言ってくれる。家に帰るのは俺が拉致されてから望んで止まなかった事だ。
「むはぁ、バレなきゃ何してもいーんだよぅ!」
「最低に最高じゃあないですか」
図らずも絶好のチャンスが巡って来た。今回ばかりは、バブルガムの奔放さに感謝しなければいけないかもしれない──




