128.「月と晩酌」
【ヴィヴィアン・ハーツ】
──レイチェルが城を飛び出し、それを追ったアイビスが消えた。暗澹とした空気が鴉を包み込み、まるで明けない夜が訪れたかのようであった。
初めこそ、誰もがアイビスとレイチェルの無事を信じて疑わなかったが、幾日か前から大規模捜索に打って出るべきだと言う者が出てきた。
傷を作って帰ってきたジューダスの件に加えて、先んじてレイチェルを探しに出たエリス達までもが帰って来なかったからである。
しかし、四人のロードの内二人が行方知れずという異常事態、軽はずみに決断を下す事は出来ず……さりとてこれといった妙案も無い。
結果的に妹分の勇足を止めるばかりで、他に此方がする事といえば毎夜城門を眺めながらの晩酌くらいのものだった。
──そして丸一月経った今日、闇夜に溶けそうな霞んだ月を眺めていると、誰かが部屋の扉を叩いた。
「──ヴィヴィアン、起きてるかしら?」
「……ああ、朧の月を肴に一杯やっているところじゃ」
声の主はジューダスであった。此奴は先日柄にもなく大怪我をして帰って来て以来、誰とも会わずに長らく部屋に篭っていた。
「……入ってもいいかしら」
「ふむ、今宵は十五夜じゃが……其方の美貌には月さえ霞む故、部屋に招けば月が拗ねて隠れるやもしれん。となれば酒の肴が無くなってしまうからのう」
「じゃあ私を酒の肴にしたらいいんじゃないかしら?」
「……クク、どうやら多少は爽やいだようじゃのう。では其方も一献付き合え、ならば部屋に入れやる。気の利いたものは無いが、此方を肴にするがよい」
「それはたいへんにお酒が進みそうね」
「ふん、世辞の下手なやつよ……」
ボロギレのように成り果てて帰って来た時はどうなる事かと案じたが、軽口を叩き合う程度には達者になったようだった。
部屋へ招き入れると、ジューダスは夜を駆る梟のように音もなく此方の向かいに腰掛けた。
ワインを注いでやると、ジューダスは黙ってグラスを傾けた。月光に照らされる銀髪の何と美しいことか、洒落ではなく、正に月も恥じらう魔性の乙女である……が──
「……少し痩せたか、ジューダスよ」
「そうかしら……いえ……そうね。少し痩せたかもしれない」
陶器のように美しく白い肌、桜が散ったように淡く染まっていた頬に、微かな影がさしていた。レイチェルの件が相当に応えているのであろう。
「──レイチェルとアイビスは帰ってくる。此方等が何年共に過ごして来たと思う、そう易々と壊れる間柄でもないじゃろう」
そうは言ったものの、実の所誰に対しての言葉なのか己自身も分かりかねていた。見るに耐えんほど傷心のジューダスへの言葉なのか、それとも此方自身に言い聞かせていたのか……。
「……私は、私ね……レイの事が好きだったの」
「これはまた、唐突じゃな」
「……私、唐突の魔女で通ってますから」
「どこで通っておるんじゃそれ……もしかして其方酔っておるのか?」
あまりにも唐突な告白。一瞬の混乱の末、ふとジューダスが下戸であった事を思い出した。
「酔ってないわよ、私は酔ってない」
「酔ってる奴は二回言うんじゃなこれが」
まさかたったの一口でこうなるとは、どのような傑物でも弱点を備えているといういい例である。
「もう、何でもいいけど話聞いてよ……」
「すまんすまん、もう茶化さん」
止めておけばいいものを、ジューダスはさらに一口ワインを口に含んでからゆっくりと語り始めた。
四百年前のあの時、ジューダスの話を聞いたあの時……此方がもし別の選択をしていたなら、何かが変わっていたのであろうか──
* * *
【レイチェル・ポーカー】
「──ヴィヴィアンはどうして、急にセラフを辞めたの?」
わたしの問いかけに、ヴィヴィアンはしばらくの間固まってしまった。嘘をつく訳でもなく、はぐらかす訳でもなく、ただ過去を振り返るように視線を隅へ伏せて黙り込んだのだ。そして──
「──此方が魔女協会を抜けたのは、過去を清算するためじゃ」
ヴィヴィアンが答えた。
「……過去を清算?」
「左様じゃ、四百年前の過ちを清算すべく此方は魔女協会を抜けた」
「四百年前、それってレイチェルがジューダスに殺された時のことを言ってるの? 過ちって何のことなの?」
いつになく真剣な表情のヴィヴィアンは、昔の彼女を連想させた。普段は飄々としたヴィヴィアンが仕事の時だけに見せる顔だ。
「櫻子よ、これ以上は此方の個人的な事情じゃ、悪いが話すわけにはゆかぬ」
「……分かった、けど一つだけ確認させて。わたし達を集めてるのは悪巧みのためじゃないんだよね?」
魔女協会を離れ、魔女協会に属していない若い魔女ばかりを仲間に集めている理由。その真意が善意に基づくものなのか、それも悪意に基づくものなのか、それだけははっきりさせておきたい。
「──無論違う、とも言い切れんが……心配せずともお主等が悪事に加担するような事はあり得ぬ。安心して仕事に励むがよい」
ヴィヴィアンの目は嘘を言っていなかった。どこか釈然としない回答ではあったけど、それでもやはりヴィヴィアンは昔のままだ。わたしが記憶を失っている事に関しては無関係だと思う事にする。
「うん、それだけ確認できたら満足かな。じゃあわたし達はそろそろ帰るから」
わたしとヒカリはソファから腰を上げて窓際に向かった。
「……櫻子よ」
ヒカリが窓から飛び出して、わたしもそれに続こうと窓枠に足を掛けたところで、不意にヴィヴィアンに呼び止められた。
「悩みがあるなら仲間に話しておけ。一人で抱え込んでもろくな事にはならんぞ」
ヴィヴィアンはたまにこういうところがあるから侮れない。興味なさそう見えて、その実他人の心の機微に目敏かったりするのだ。
「……考えとくよ」
わたしは再び窓枠に足を掛けた。階下を見下ろすとヒカリが不思議そうな顔でこちらを見上げていた。
「ああ、それと──」
「……まだ何かあるの?」
「ヒカリにも同じ事を言うておけ」
「……了解」
つまり、ヴィヴィアンの目にはヒカリが悩みを抱えているように映ったという事なんだろう。寝食を共にしているわたしにはそんな風には見えないけど、もしかしてヒカリにも何か抱えているものがあるのだろうか──




