120.「モンブランと年の功」
【レイチェル・ポーカー】
──前回から数えてエミリアの家を訪れたのは五日ぶりだけれど、毎夜四、五年分の記憶旅行をしているわたしとしては数十年ぶりにも感じられるから不思議なものだ。
五日前は平日だった事もあって夜に訪れたけど、今日は休日。エミリアも一日中フリーだというので、昼間からお邪魔することにした。
「──いらっしゃいませレイチェルさん、お昼はもうヒカリさんと済ませたんですよね。前に買ってきてくれた駅前のショートケーキがありますよ」
「うそ、わたしも買ってきちゃったよ」
タダでお邪魔するわけにもいかないし、前回買って美味しかったお店に今日も寄ってきたのだ。エミリアが気を使うことなんてなかったのに。ほんといい子だなぁ。
「え、ほんとですか!?……じゃあ、レイチェルさんの分はひとまず冷蔵庫にいれておいて、帰ってからヒカリさんと食べて下さい」
「え、今二つとも食べたらいいじゃん」
「……レイチェルさん、さすがに食いしん坊過ぎません?」
エミリアは目をまん丸にした後、呆れたように笑った。勿論ヒカリには後でお土産を買って帰るつもりだ。
「じゃあエミリアはいらないの? 今日はモンブランとフルーツタルトなんだけどなぁ」
「ご一緒しましょう。コーヒーか紅茶どうします? ちなみに梅昆布茶は無いですけど」
変わり身と切り替えも素早い。まあケーキを出されると誰だってこうなるだろう。わたしだってこうなる。
「じゃあ紅茶でお願ーい」
「かしこまりました、レイチェルさん砂糖無しのミルク多めでしたよね」
「ふっふー苦しゅうなーい」
なんだろう、エミリアが異常に気が利くというのも勿論あるのだろうけど、自然にわたしの事をレイチェルと呼んでくれるのが凄く嬉しい。今朝からの不安が溶けていくように、心があったかくなる。
ほんとに、エミリアは将来いいお嫁さんになるだろうな。
* * *
「──なるほど。ざっと纏めるとレイチェルさんは鴉に入ってから既に約二十五年分の記憶を取り戻していて、今のところまだ何も問題は起きていないと。ジューダス……さんも聴いている限りではただの凄い魔女ですね。変な言い方ですけど」
わたしは五日分の記憶の話と、事務所でヴィヴィアンから聞いた分の話を、かなり掻い摘んでエミリアに説明した。一時間以上かかってしまったけど、わたしが二十二歳で鴉に加入してからの約二十五年分の話だから、それくらいかかってもまあ仕方ないだろう。
「なんだか朝目覚めるたびに変な気分になるよ、まるで今こうしてる方が夢だと思えてきちゃってさ……変だよね」
「そんな事ありませんよ、五年間の追体験に対して現実世界は十数時間しか無いんですから、そんな気持ちになるのも当然です」
「……そっか」
わたしが感じている不安やもどかしさは、きっとわたしにしか分からないし伝えようも無いと思っていた。けれどエミリアはアッサリとわたしの気持ちを汲み取って共感してくれる。その眼差しとか声色から、決して口先だけの共感でない事もよく伝わってくる。
「レイチェルさん、不安や辛い事も沢山あると思います。正直わたしにはそれは解決出来ないです。けど、寄り添うことくらいなら出来ますから……頼って下さいね?」
エミリアは一つ一つ丁寧に言葉を探すようにそう言ってくれた。わたしは恵まれている……記憶が無いなんて訳の分からない状況に陥ってしまったけれど、それでもエミリアという掛け替えの無い友人に出会えたことは本当に恵まれていると思った。
「……エミリア、ありがとね。頼りにしてるよ」
「あ、頼りまくられても困りますからね? レイチェルさんまでカルタみたいになったらさすがの私も手が足りませんから」
わたしに気を遣ってくれたのか、エミリアはおどけたようにそう言っていたずらっぽく笑った。
「もう、わたしがカルタみたいになると思ってるの? それはいくらなんでも失礼過ぎるよエミリア」
「ふふ、その言い方も結構カルタに失礼ですけどね」
* * *
「──提案なんですけど、一度鴉の事をよく知っている方に話を聞いてみないですか?」
しばらく二人で他愛もない話をしてケーキを食べた後、エミリアがそう切り出した。
「……よく知っている人って、ヴィヴィアンとかローズとか?」
「そうですね、確かにヴィヴィアンはなんでもペラペラ喋ってくれそうですけど正直あまり信用がなりません。ローズさんもなんだかんだで鴉に在籍していたのは数年だけだと聴きますし、やはりここは現役の魔女かそれに近しい方がいいんじゃないでしょうか」
エミリアはやはりヴィヴィアンのことを疑っているらしい。わたしもタイミングとかがあまりにも出来過ぎているとは思うけど……やっぱりヴィヴィアンが黒だとは思えない。思いたくない。少なくとも記憶の中のヴィヴィアンは嘘をついたり誰かを貶めたりするような奴ではないのだ。
「現役の魔女って、バブルガムとかって事だよね……どうなのかなぁそれ」
温泉街の喫茶店に行けば会えるんだろうけど、あの気まぐれなバブルガムが素直に昔話とかしてくれるだろうか。
「確かにレイチェルさんの記憶やヴィヴィアンの話と擦り合わせると、螺旋監獄に収監された筈の傲慢の魔女が鴉に入っていたり怪しい部分はありますけど、それも含めて確実な情報が得られるじゃないですか」
「エミリア結構大胆な事言うね、確かに上手くいけばかなり興味深い情報が手に入るかもだけど……でもわたし今の鴉の事殆ど知らないんだよね、人数も構成員も温泉街で会ったメンバーしか把握してないよ」
しかもあの時にいた魔女達は全員まだ記憶にも出てきていない。だからあのメンバーが今後新しくわたしに出来る妹達なのか、それとも鴉が分裂した後にアイビスが集めた魔女なのかすら分からない……いや、たしかラテ・ユーコンに限ってはローズが知らないと言っていたから分裂後に加入した魔女でいいのか。
「まあ確かに鴉に接触するのは色々と問題も多そうですし現実的ではないですね……なら近しい方はどうでしょう、理想としてはレイチェルさんのお姉さんにあたる方か、同期に近い人がいいですけど、古株の人ほど持ってる情報は多いですし」
「んー、ホアンとかバンブルビーはまだ鴉にいるのかなぁ。だいぶ魔女協会に流れたって聞くけど」
「……あの、ホアン・チョンジーさんなら魔女協会で上海支部の支部長をされてますよ、バンブルビーという方は知りませんけど」
エミリアがポロッと衝撃的な発言をした。
「え、ホアン支部長になってるの!? あのホアンが!?」
「はい、一度ミュンヘン支部に来ていた時に名前を窺ったことがあるので間違いないと思います。さっきレイチェルさんから聞いた容姿ともほぼ一致してましたし」
「そっか、あのホアンがねぇ……」
ホアンに限って何かあったとは考えていなかったけど、こうしてはっきり無事だと知るとやはりホッとする。
きっと上海支部の魔女達は毎朝ホアンに訓練と称してボコボコにされている事だろう。気の毒に。
「あと近しい方といえばカノンさんのお母様もそうですよね。レイチェルさんから聞いている情報とはかなりギャップがありますけど」
「ああ、ウィスタリアね……たしか今は熱川藤乃って名乗ってるんだっけ。そうだね、改めて会いたいし話も聞きたいけど、上手い口実がね……」
鴉時代、ウィスタリアとは結構仲良くしていた記憶がある。数回だけど一緒に仕事をした事もあるし、よくわたしの部屋に集まってお酒を呑んだりもした。ヴィヴィアンとの喧嘩の仲裁なんてしょっちゅうだったし、口癖みたいに毎日言ってた『今日も最悪の日だわ!』なんてセリフも耳にタコが出来るほど聞いた。
あのウィスタリアが人間と結婚して子供を産むなんて、何度考えても嘘じゃないかと疑ってしまうものだ。
「あの、よかったら私の方で分裂前の鴉の構成員の方がどうなったか調べておきましょうか? もしかしたら話を聞ける方も見つかるかも知れませんし……」
「……ん、ごめんねエミリア。気持ちは凄く嬉しいしありがたいんだけど、いいや。どうせあと二週間もすれば全部思い出すかもしれないし、まだ心の準備も出来てないから」
確かにエミリアなら魔女協会のつてを使ってそれくらい簡単に調べ上げてくれそうだけど、わたしはその結果を聞くのが怖い。鴉の誰かが死んだなんて聴きたくないのだ。
どうせ放っておいてもいつかは記憶が残酷な真実に追いついてしまうだろう、けど臆病なわたしは出来るだけそれを先延ばしにしたい、本当に情け無い理由だけど──
「あ、すみません……失言でした。ほんとうに、ごめんなさい」
エミリアはひどく申し訳なさそうな表情で何度も頭を下げた。エミリアが謝ることなんて無い、彼女はただわたしの身に起きている問題を全力で解決しようとしてくれているだけだ。
四百年以上前の、もう起こってしまった後の事件の事で気をつかって頭を下げることなんて一つもないのだ。
「もう、頭なんて下げないでよ。ほら顔上げて?……わあ、そんな顔しちゃダメだよ」
エミリアは少し目を赤くしていた。さっきの自分のセリフによほど責任感を感じたのかも知れない、ちょっと危なっかしいくらいいい子過ぎる。
「……私、ほんとごめんなさい」
「はいはい頼むから謝らないで、何も悪い事なんて言ってないんだから。それにエミリアがそんな顔してたらわたしが頼れないじゃん」
「……はい、すみませ……ありがとうございます」
エミリアは泣きそうな顔を無理やりくしゃくしゃにして微笑んだ。
「よろしい! じゃあ次はわたしの番ね!」
「レイチェルさんの番、ですか?」
「そうそう、今度はわたしがエミリアの悩みとか相談を聞く番。友達なんだから持ちつ持たれつでいこうよ」
本音半分、空気と気持ちの切り替え半分で言った。十代のエミリアに頼りっぱなしというのも情け無い話だしね。
「……えっと、急に言われてもそんな」
「悩みとか何もないの?」
「いや、まああるにはあるんですけど……その」
エミリアは少し言い淀んで、視線を泳がせた。何か言いづらい事なのだろうか。
「なになに、何でも言ってよ。きっと力になるからさ」
「……じゃあ、一つだけ。今月の二十五日なんですけど、その日はカルタの誕生日で……な、何をプレゼントしたらいいでしょうか!」
エミリアは顔を真っ赤にして思い切ったようにそう言った。カルタめ、エミリアにこんな顔をさせるなんてなかなかどうして隅に置けない奴だ。
しかしエミリアは真剣に悩んでいるみたいだし、ここは人生の先輩としてひとつ実のあるアドバイスをしなければ。
「……ゲームとか?」
「……まあ、ですよね」
露骨にガッカリした顔になった。『そんなの相談するまでもなく思いついてましたよ』と顔に書いてある。
「待って! ごめん今の無し! もう一回! もう一回チャンスを下さい!」
「いや、そんなに必死にならなくても何度でもどうぞ」
「……うーん」
考えろ、考えるのだ……カルタが好きなものといえば、ゲームとか、ゲームとか、可愛い女の子に、ゲーム……ダメだあの子人として終わってる!
「レイチェルさん?」
エミリアの視線が痛い!
「……よし、買い物行こう」
脳みそをフルに回転させた結果、わたしの口から出た答えは買い物行こうだった。
「え、プレゼントも決まっていないのに買い物に行くんですか?」
「違う違うエミリア、明日カルタ達を誘ってみんなで買い物に行くんだよ。そしたらカルタの趣味とか趣向が分かるかも知れないでしょ? みんなで行けばあれこれ聞いても怪しまれないし」
我ながらもっともらしい事を言うではないかレイチェル。断じて何も思いつかなかったわけではない、わけではない。
「なるほど、それは名案ですね! さすが年の功です!!」
「ふふ、エミリア。今のみたいなのを失言って言うんだよ?」
ともあれ、人知れずVCUメンバーの明日の予定が勝手に決まった──




