118.「レイチェルと怠惰の魔女⑥」
【レイチェル・ポーカー】
──拳を振り抜いた瞬間、わたしは自分の魔力をほんの少しだけジューダスに流し込んだ。
もしジューダスが殴り飛ばしたくらいで元に戻らなかった場合、頭を支配しているバベリアの魔力を少しでも掻き乱すことが出来るかもしれないと思ったからだ。
自分の魔力を他人に注ぎ込むというのは、結構繊細な技術がいる。けど十五年もバンブルビーが森でそれをしているのを見ていた甲斐あってか、わたしにも何とか出来た。真似は得意なのだ。
そして──
「──痛たぁ……あら、私今まで何してたんだったかしら?」
ジューダスは目を覚ました。殴ったのが効いたのか、魔力を流し込んだのが効いたのかは分からないけど、とにかく正気を取り戻したのだ。
左の頬にアザを作った彼女はキョロキョロと周りを視線で見回して、惚けたような顔でめり込んだ柱から身体を起こした。
「おはようジューダス。先に言っとくけど殴ったのは不可抗力だからね」
「……殴ったって……あらレイ、その服どうしたの? なんかヴィヴィアンっぽいセンスだけど、趣味変わった?」
ジューダスは服についた埃や石片を手で払いながらわたしの服を興味深そうにジロジロ見た。
「ちょっと待って……質問を質問で返すようで悪いんだけどさ、服の他に何か聞きたいことなかったわけ?」
「え? ああ、ごめんなさい……髪下ろしてるのも珍しいわよね。イメチェン?」
やれやれ、お姉様よ。まだ頭がしっかり回っていないのか、天然が過ぎるぞ。
「服も髪留めも誰かさんにバラバラにされたもんでね。ちなみに忘れてるなんて事はないだろうけど今は怠惰の魔女を捕まえに来てるんだよ」
わたしはため息をついて、階段の上で冷や汗を垂らしながら固まっているバベリアを顎で指した。
「……あ、そういえば……レイ、大丈夫だったの!? 私ったらつい突き飛ばしちゃって、怪我とかしなかった!?」
「……見ての通り怪我は無いよ。でも魔力がもう殆ど残ってないから、よかったらバベリアはジューダスが捕まえてくれるかな」
「ええ、勿論よ。どうやら詳しい話を聞かなきゃならないみたいだしね……」
力が抜けたようにわたしが地面にへたり込むと、ジューダスは落ちていた魔剣を拾い上げてバベリアを睨みつけた。
こうしてようやく怠惰の魔女討伐が終わったのだった。
* * *
「──おいジューダス、考え直せ! 今からでも遅くは無い、鴉など抜けて七罪原につけ!」
「なるほど、その服って黒羽で作った服なのね。道理でヴィヴィアンのやつと雰囲気似てる筈だわ」
「んー、似せてるつもりは無いんだけどね。どうしても無意識にイメージしちゃうのかな」
「……ていうか、黒羽って身体の一部なわけよね。それって実質裸なんじゃ……」
「わたしは痴女じゃないからッ!!」
「……そこまでは言ってないわよ」
──バベリアの話によると、ジューダスにバラバラにされたわたしは丸二日意識を失っていた事になる。
昨日は魔力回復とバベリアへのお仕置きタイムも兼ねて彼女の城で夜を明かしたから、この森を通るのは来た時から数えて実に三日振りとなる。
現在バベリアは裸に剥いてわたしが黒羽で作った拘束衣を着せている。それをジューダスが後ろ手にぶら下げながら移動しているという状況だ。
「──おい、聞いているのかジューダス!?」
「あーもううるさい荷物ね、捨てていったらダメかしらこれ」
「気持ちは分かるけどダメだよ、なんなら目だけじゃなくて口も塞いどく?」
使う事は無いとは思うけど、念のためバベリアの眼には魔眼対策で布を巻いている。さっきから何やらやかましいし、口にもきつめに巻いておこうか、黒羽で作った特製の拘束布を。
「ま、まて小娘! そうだ、交渉しようではないか!」
「はぁ? 自分の状況分かってる? 交渉なんて出来る立場じゃないよね」
「まあまあ、なんか必死で可哀想だし話くらい聞いてあげてもいいんじゃない?」
まったく、ジューダスのお人好しは一種の病気だな。わたしとしてはこいつのせいで酷い目にあったから、もっとボコボコにしてやりたいくらいなんだけど。
「よし、よく言ったジューダス! 確かに今の余には大した財産は残っていないが、お前が余につくのなら、お前と結婚してやろうではないか! どうだ、悪い話ではないだろう!?」
「……うわ、呆れるとか通り越してドン引きだわ」
この状況でジョークもないだろうし、本気で言ってるんだろう。ある意味とんでもない奴だ。
「ごめんなさいタイプじゃないからお断りするわね」
あ、タイプとかそういう問題なんだ。もっと前提的な問題があるんではなかろうか。
「な、なんだと!? 余だぞ!? どこに不満があるのだ貴様!!」
不満だらけだよバカタレめ。むしろ不満じゃない所を探す方が難しいっての。
「んー、確かに貴女可愛いっちゃ可愛いと思うわよ? けど私ってほら、自分より強い人じゃないと好きになれないからね」
「……く、いっそ殺せ」
バベリアはがくりと項垂れた。項垂れるも何も、拘束衣で芋虫みたいになってるから見た目は余り変わっていないけど。それにしても──
「……ジューダス、もしかしてアイビスの事好きなの?」
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
「や、だってほら、自分より強い人が好きなんでしょ? ジューダスより強いのなんてアイビスくらいしかいないじゃん」
ジューダスは城にいる時、いっつも剣を降っているイメージだからてっきり色恋沙汰には興味がないものかと勝手に思っていた。
けどさっきの会話を聞く限りでは、もしかしてアイビスのことを──
「ああ、そういうこと……でも残念、アイビスはそんなんじゃないわよ。それにアイビス以外にも私より強い魔女はいるしね」
「……そう、なんだ。けどそんな魔女いるかなぁ」
どうやらわたしの勘は外れたみたいだ。アイビスとジューダス、凄くお似合いだと思ったんだけどな。
「ふふ、ちゃんといるわよ。まだまだだけどねー」
ジューダスはそう言って笑うと、少しアザになった左の頬を指でつついた。




