116.「レイチェルと怠惰の魔女④」
【レイチェル・ポーカー】
──目を覚ますと森だった。森の中の河原に、わたしは裸で仰向けになっていた。
身体を起こして周囲を見渡すも、木、川、石──それ以外のものは見当たらない。さて、いったい何がどうなってこうなったんだっけ。
「……あ、ジューダスに斬られたんだ」
そう、確かジューダスがバベリアの魔法で操られて、わたしをバラバラに切り刻んだんだ。何度も何度も……治ったしりから切り刻まれて、わたしはとうとう意識を失ったのだ。
「……はは、ほんとに不死身なんだ」
右手をかざしてグーパーしてみる。何の異常もなく動く。自分の不死性を始めて実感して、魂が凍り付いたような気分になった。
「でもなんで森? ていうか裸だし」
暫く考え込んで出た結論は、おそらくわたしはジューダスにひき肉になるまで切り刻まれた。まあひき肉になろうが灰になろうが再生自体は出来るのだけど、それには魔力が必要だ。
きっと再生しすぎてわたしの魔力が底をついたのだろう。そして再生しなくなった肉片を見て、ジューダスやバベリアはわたしが死んだと判断した。その後はわたしの残骸を川に捨てたとかそんなところか……。
魔力というのは基本的に放っておいても大気中のマナを身体が勝手に取り込んでオドに変換、回復する。だからきっと再生に必要な魔力が肉片に溜まったのがちょうどこの河原辺りだったんだろう。
「さて、あれから何日経ったんだろ。魔力の回復量的にまだそんなに日は経って無いかな? いや、でもお腹はぺこぺこだ……」
おそらく肉片レベルまで刻まれたのだから胃の中が空っぽなのは当然だけど、お腹の好き具合が尋常じゃない。腹ペコだ、マジで。
「……ジューダスの事は心配だけど、まずは腹ごしらえかなぁ」
* * *
──極度の空腹により、極限まで研ぎ澄まされたわたしの五感はあっという間に一頭の鹿を見つけ出した。
今のわたしにしてみれば、鹿というか肉である。裸の女がよだれを垂らしながら鹿を襲い、丸焼きにして食べる絵は側からみれば恐ろしいものだったかもしれない。
それにしても自前の魔法が火属性でよかった、火なんて自力で起こせる気がしないし。まあ無理なら生でも食べるけどね。
「……ぷはぁ、食べた食べた。新鮮なお肉をどうもありがとう鹿さん!」
空腹が満たされた事により、脳みそが急激に冷静さを取り戻してきた。
「……ジューダスどうしよう、取り敢えずアイビスに報告するか……いや、そんな事してる間に移動されたりしたら厄介だし……ていうかまずは服だよ!!」
自分でもどうかと思うが全部独り言だ。しかし案外状況を言葉にしてみるというのは大切な事だ。頭で考えるより物事を整理しやすい。紙に書き出すと尚良いけど。
「服、服、大きめの葉っぱとか……ダメダメ、論外。都合よく布とか飛んできたりしないよね……するわけないか。あーあ、身体みたいに服も再生してくれればいいのに」
「……ん?」
口に出してみて、ふといつかのヴィヴィアンとの会話を思い出した。
〜回想〜
「ねぇ、ヴィヴィアンの服ってさ、いっつもウィスタリアに身体ごと千切られたりしてるのになんで元に戻ってるの?」
「む、この服かの? これはのうレイチェル、此方が黒羽で編んだ特別な服なのじゃ」
「黒羽で編んだって、それじゃあその服は身体の一部ってこと?」
「まあ言ってみればそうじゃな、服っぽく見えるが此方の身体の一部じゃ」
「そっか、だから破れたり穴が空いたりしてもすぐに戻るんだ。納得納得……あれ、でもそれ実質裸と一緒じゃない? 痴女じゃん」
「ふ、何とでもいうがよいわ。此方のこのすんばらしきボディーに恥じるところなど一つもないしのぅ! ウィスタリアの貧相な身体と違って……あ痛ぁッ!?」
〜回想終了〜
「……うん、前はああ言ったけど背に腹は変えられないよね。黒羽ッ!!」
わたしは大きな黒翼を広げて身体をすっぽりと包み込んだ。視界が真っ暗になる。大切なのはイメージだ……羽の材質を布や革へ、薄く広げて身体を包み込むように──
「……お、おおお? で、出来たー!!」
翼を広げてみると、わたしの身体はしっかりと衣服を纏っていた。正確には衣服のようなモノだから裸のままと言えばそうなのだけど、誰がどう見ても服にしか見えないだろうし問題ないだろう。断じてわたしは痴女ではない。
「それにしてもほんとに便利な魔法だな……確かに考え方次第ではジューダス相手に一本取るのも夢じゃないかも」
* * *
【バベリア・ビブリオ・ヴーヴリット・ヴェルボ・バーン】
「──おいジューダス、グラスが空いたぞ。ワインだ」
グラスを置いて指を鳴らすと、給仕服に身を包んだジューダスがボトルからワインを注いだ。
二日前までは躾もかねて身の回りのことは全て眷属にさせていたが、こんな風にグラスにワインが注がれるだけで満ち足りた気分になる事は無かった。
アイビス・オールドメイド、ヴィヴィアンハーツ、セイラム・スキーム、そしてジューダス・メモリー……世間で四大魔女と目される内の一人が、余の言いなりになっている。グラスを満たしていくワインのように、得もいえぬ高揚感が沸き上がってくる。
「よしよし、いい子だジューダス。お前の事を思えばセイラムとグリンダにくれてやった屋敷や財産も安いモノだ」
「……」
未だにジューダスは口を聞けない状態だったが、たいした問題ではない。おそらくまだ支配しきれていない自我が微かに残っているだけで、時間を掛けてやればいずれは他の奴隷共のように意のままに操れるようになるだろう。
「……ふぅ、我ながら浮き足立っているようだ。酒が進んでかなわん」
注がれたばかりのワインを、一口で胃に流し込んだ。五年間……悠久を生きる魔女にとってはほんの僅かな時間だが、屈辱と汚名を背負って過ごすには長過ぎる時間だった。
「ジューダス、お前を余のものにした暁にはどうしてやろうかと、そんな事ばかりを考えた五年だったぞ」
立ち上がり、虚な眼をして虚空を見つめているジューダスに歩み寄った。銀色の髪に透き通った肌、薄く色づいた頬、噛みちぎりたくなるような可愛らしい唇──
「……最初こそお前をあらゆる手段で凌辱し尽くしてやろうと考えていたが、不思議と今は──」
指がジューダスの唇に触れる。そのまま指を唇から顎へ、顎から首へ……肌を這わせるように動かした。
「キヒヒ、今夜は楽しい夜になりそうだなぁ……ッ!?」
突如現れた背後からの殺気に、反射的に魔剣を出して飛んできた何かを斬り払った。火花を散らしながら床や壁に突き刺さったソレは、硬質化した鳥の羽のような形状をしていた。
「──そうだね。ただし貴女じゃなくてわたしにとってだけど」
声の主は視線の先……部屋の扉の前に、いるはずの無い亡霊が立っていた。
「……レイチェル、貴様何故生きている……!?」
「そりゃあ貴女が殺し損ねたからでしょ。怠惰の魔女さん」
黒いローブに身を包み、両手に魔剣を持ったその女は見間違えようもなくレイチェル・ポーカーだった。だがこいつは二日前の晩にはぐずぐずの肉塊になっていて、そのまま奴隷共に森に捨てに行かせた筈なのだ。
信じ難い事だが、もしあの状態から回復したのだとすれば一級の回復魔法なんてものではない、間違いなく特級クラス……回復魔法の域を遥かに超える、もはやそれは──
「……キヒヒ、鴉にいる不死身の化け物はヴィヴィアン・ハーツだけではなかったという事か?……だが、まあいい。殺せないにしても封印する手立ては幾らでもあるからな」
「そう、覚悟しときなよ。わたしは貴女を殺す気でやらせてもらうから」
「キヒ、不死の余裕か? 覚悟するのは貴様の方だレイチェル・ポーカー。やれジューダス、バラバラにしろ!!」
言うや否や、ジューダスが魔剣を構えてレイチェルに飛び掛かった。
まったくもって馬鹿な奴だ。わざわざ戻って来ずにアイビスの元へ逃げ帰ればよかったものを。所詮は魔法に恵まれただけの小娘というわけだ。こいつの回復魔法は尋常では無いし、身体強化も翼の魔法も一級クラスだろう……だがジューダスが相手ではまともに剣を受けることさえ出来まい。
経験不足、これに尽きる。能力はあってもまともな判断を下せていないのだ。ジューダスがあの一刀目を振り下ろせばその時点で方はつく、ゲームセットだ。
「……なんだと?」
──しかし、余の目には不可解な映像が映っていた。小娘が、上段から振り下ろされたジューダスの一撃を受け止めているのだ。そしてあろう事か鍔迫り合っている。
「……ハァッ!!」
「……!」
小娘がジューダスの剣を受けたままいなし、脇を通り抜けざまに斬りかかった。ジューダスはもちろん反応して防いだが、明らかに異常事態だ。
「馬鹿な、何故受けれる……そんな筈は……」
「散々虐めてくれたおかげさまでね、ちょっとだけ強くなれたみたいなの。ありがとうとは言わないけどね」
ジューダスの方を警戒しつつも、レイチェルは余の方を見てニヤリとほくそ笑んだ。
二日前、こいつを初めて見た時は思いもしなかった。この小娘のせいで、五百年も悪夢を見る事になろうとは──




