115.「レイチェルと怠惰の魔女③」
【バベリア・ビブリオ・ヴーヴリット・ヴェルボ・バーン】
〜五年前〜
「──わ、分かった! この街からは手を引く、捕らえた人間共も解放しよう……だから腕を離せ!」
「……これで貴女を懲らしめるのは二度目だけど、ほんとにもうこんな事しないって約束出来るかしら?」
「ああ、するとも……余の亡き両母に誓おう!」
「……いいわ、他の仲間にもよく言っておいてね。鴉は天秤を傾ける者を許さない」
* * *
──あれから五年、雪辱を果たすために余はあらゆる努力を惜しまなかった。
まず初めに自身の向上を図ったが、どれだけ鍛錬を積んでもあの怪物地味た強さのジューダスを打ち負かすイメージは一向に湧いてはこなかった。
そこで余は策を弄する事にした。長い時間を掛けた策だ。要となる魔法式を組むために、その道に精通している魔女、セイラムに母から受け継いだ屋敷を売り渡した。
強欲のグリンダには余が待つ内の八割の財産を払い、人目につかぬ森に街と城と塔を作らせた。そしてその塔に、セイラムから得た知識で編んだ魔法式を組み込んだ。目を合わせた者を支配できる余の魔眼の力を、何百倍にも高める魔法式だ。魔女には殆ど効果が無い余の魔眼も、何年間も魔力を注ぎ続けた魔法式で底上げすればジューダスにも効果が見込めると踏んだのだ。
極め付けにジューダスにとって最高のイレギュラーを作るために、余は一族の禁忌を冒した。人間に血を分けたのだ。余は屈強な傭兵を百人ほど雇い、片っ端から血を飲ませた。五十三人目でようやく眷属が出来た。残りの傭兵で生き残った者は魔眼で下僕にし、周囲の村を襲わせて人間狩りをした。
五年の月日が経ち、塔の魔法式には十分すぎる魔力が溜まった。眷属がそれなりの動きが出来る様に躾も終わっていた。
余はジューダスを誘き出すために、襲わずに残していた村も全て蹂躙した。鴉共が一刻も早く聴きつける事を願いながら。
──そしてとうとう今日、ジューダスが再び余の前に現れた。レイチェル・ポーカーという付き人がいるのは少々誤算だったが、作戦の決行に変更は無かった。ろくに名前も知れていない田舎魔女など取るに足りないと思ったし、今日を逃せば監獄に入れられる可能性が高かったからだ。
結果的に、レイチェル・ポーカーは嬉しい誤算になった。奴がいなければ余はジューダスに殺されていたかもしれない。
──作戦は言ってしまえばシンプルで、ジューダスが余を殺す前に、魔法式を発動してジューダスを支配下におくというものだった。
そのためには少しでも時間を稼ぐ必要があった。魔法式は魔眼と連動して発動するようになっている。そのため魔眼を発動してから魔法式が発動するまでの二秒足らずの時間、余はジューダスから命を守らなければならなかったのだ。
案の定、ジューダスは余が魔眼を発動させるとほぼ同時に魔剣を抜いた。奴なら一秒と掛からず首を刎ねることもできただろう。
そこで、魔眼発動と同時に奴隷と眷属も一緒に動かした。少しでも状況判断に時間を使わせるためだ。
──だが、ジューダスはそれをも読んでいたのか、周囲にも足下に現れた魔法式にも目もくれず、余の首元目掛けて剣を振るった。
あの時、咄嗟に眷属にジューダスではなく田舎娘を襲わせたのは一種の賭けだったが、確信めいたものもあった。それこそが最善であると……奴なら必ず娘を助ける筈だと──
そして、余は賭けに勝ったのだ。
【レイチェル・ポーカー】
──熱い、熱い熱い熱い……痛い。
から先が痺れるような、焼けるような、刺すような痛みに支配される。呼吸が止まるほどの激痛だ。
ヴィヴィアンの不死身体質をコピーしてから怪我をしたことは何度もあったけど、身体を切断されたのは初めての経験だ。
骨、筋肉、神経が……本来外気に触れる筈ではないモノが、肘の断面から露出している。とてつもない痛みと喪失感に、身体が震える。
「……ッ、ジューダス? なんで……」
わたしは既に出血が収まりつつある腕を庇いながら、背後のジューダスに振り返った。
「……レイ、逃……げて」
ジューダスは振り絞るように声を漏らした。鮮血の滴る魔剣を振り上げながら。
「……ッ!?……あぐぁッ!!」
今度はちゃんと躱した……筈だったのだけど、いつの間にか背中を斬りつけられた。焼けるような痛みが今度は背中を襲い、わたしはたまらず地面に倒れ込んだ。
「──キヒヒ、まだ多少は意思が残っているみたいだが、時間の問題だな」
「……あ、貴女ジューダスに、何したの」
わたしは黒羽で身体を覆うように包んだ。バベリアには防御態勢に見えているだろうけど、これはわたしの背中と腕が再生するのを見られないようにしているだけだ。会話もその時間稼ぎ、ジューダスが操られているのなんて聞かなくても分かる。
「余の魔眼は支配の魔眼だ。まあ普通魔女には効かんのだが、そいつのために五年間練り上げた魔法式を用意してやった。効果はお前の腕と背中を見ればよく分かるだろう」
「……貴女を殺せば、ジューダスは元に戻るわけ?」
「キヒヒ、無論だ。だがもっと簡単な方法もあるぞ? ジューダスに一発お見舞いしてやれば魔法は解ける。どうだ、簡単だろう?」
この性悪女め、簡単なもんか。特級魔法を使えるジューダスに攻撃を当てれるわけがないだろう。それにもし攻撃出来たとしても、それで本当に魔法が解ける保証もない。やっぱりここはバベリアを殺すしかない、操られたジューダスがわたしを殺そうとしていて実質二対一だけど、それでもやるしかない。
「バベリア、今ジューダスの魔法を解かないなら螺旋監獄じゃなくて地獄に行く事になるけど、いいの?」
「田舎娘が、地獄へ行くのは貴様だけだ」
「あっそ……黒羽ッ!!」
わたしは剣を構えたまま静止していたジューダスに、地面を掘り進めていた黒羽を使って奇襲をかけた。突然地面から無数の触腕が襲いくれば、少しは隙が出来る筈だ。
その一瞬の隙にわたしがバベリアの首を刎ねる。急場の作戦だけど、バベリアはわたしの魔法を知らないし完全に油断している。今仕掛けないとダメだ。
「……ッな、んだと!?」
「死ね!!」
わたしは拵えたばかりの魔剣を振り抜いた。ヴィヴィアンがよく使っている五振りの魔剣の内の一振り、長刀の魔剣『キティ』のレプリカを。
バベリアは完全に油断していたのだろう、わたしの魔剣が喉元に迫ってもたじろぐだけだった。
──斬った。
飛び散る鮮血に、ごろごろと塔の屋上を転がっていく首。そしてわたしの心臓を貫くジューダスの魔剣。
「……がっ、は……そんな……!?」
「……キヒ、キヒヒヒヒ!! 今のは、今のは危ないところだったぞ小娘ぇ!!」
地面にへたり込むバベリアは、大笑いしながらそう言った。
「……いやはや、それにしてもまさかこんな所で眷属が役に立つとはな。躾はきちんとしておくものだ」
──バベリアの首を狙ったはずのわたしの剣は、突然起き上がって彼女を庇うように突き飛ばした眷属の首を刎ねた。
ジューダスは勿論魔法が解けるわけもなく、触腕をバラバラに斬り伏せて今はわたしの心臓を背中から差し貫いている。
「……ッぁがぁ!?」
起き上がったバベリアが手をかざすと、ジューダスがわたしの身体から剣を引き抜いた。死ぬほど痛い……死なないけど。
「さてさて、小娘お前……治癒魔法、いや再生魔法が使えるのか? 心臓はどうだ、治せるのか?」
「……げっほ、ごふ、殺して……やる!」
「おっと危ない」
うずくまるわたしに近づいてきたバベリアに、黒羽をお見舞いしてやろうとしたがあっさりと躱された。代わりにわたしの身体をジューダスの剣が横一文字に通り抜ける。
「……ッああああ!!!」
「キヒヒ、心臓を穿たれても死なんか……空恐ろしい魔法だなぁ。どうやらお前は思ったよりも厄介な魔女らしい。どれだけ刻めば死ぬかは知らんが、後はジューダスに任せるとしよう」
「……な、待て、どこに」
「余は腹が減ったのだ、ゆったりと食事をしながら考えるとするさ。新しい駒の良い使い方をな──」
バベリアは首の無くなった眷属の身体を踏みつけて塔の階段を降りて行った。追いかけようにもまだ上半身と下半身が繋がっていない。
「くそ、待……ッぅあぁ!?」
何とか伸ばした右手も、ジューダスに呆気なく切り落とされる。
それから左手、肩、背中、繋がった胴体をまた切断、首、顎、ジューダスは無言で剣を振り続けて、わたしも声が出なくなったから無言で斬られ続けた。
「………………」
真っ赤に染まった眼で太陽が完全に地平線に沈むの見送ると、空には星が瞬き始めた。塔の上には風の音と、一心不乱に剣を肉に振り下ろす音だけが響き続けた──




