114.「レイチェルと怠惰の魔女②」
【レイチェル・ポーカー】
怠惰の魔女の名前が言えるようになるまで散々怒鳴りつけられたわたしとジューダスは、バベリア城で一番高い塔のような建物の最上階に連れてこられた。
長い螺旋階段を登り切ると、三百六十度を見渡せる吹き抜けの屋上。どこまでも広がる果てのない夕焼け空に、城下は赤く染まり、街を囲むように森が広がっている。
円形の屋上にはこれといった柵もなく、足を踏み外せば真っ逆さまだ。だと言うのに、塔の縁には数メートルほどの間隔を空けて兵士のような装いの男達がズラリと並んでいた。突風とか吹いたらあぶないんじゃないかと見ててハラハラする。
「──ここは余のお気に入りの場所でな、ここから目の届く範囲は全て余の領地だ」
円形の屋上のちょうど中心辺りで、バベリアは両手を広げて踊るようにゆっくりと回転した。貴族なだけあって妙に気品を感じる。
「人間から勝手に奪った領地と領民でしょ。こんなことして魔女狩りが黙ってないわよ」
塔から見える風景に若干見惚れていたわたしと違って、ジューダスは不機嫌さを隠すつもりもないようにそう言った。普段はお人好しな彼女も、この手の事には不寛容だ。
「キヒヒ、黙っていないのは貴様らもそうであろうが。余の下を訪れたのもどうせまた人間と共生しろだのと世迷言を並べ立てるためだろう?」
バベリアはジューダスを見据えてそう言った。何回かボコられているだけあって察しはついているらしい。反省の色はこれっぽっちもみられなけど。
「半分正解、ただ今回に限っては説得に応じない場合それなりの対応をさせてもらうわよ」
「……ハっ、どうすると言うのだ。余を殺すか? そんな事をしてみろ、七罪原はもちろん貴族会や他の至高主義の連中が黙ってはおらんぞ」
バベリアはわたしとジューダスの周りをぐるりと回るように歩き始めた。背後に回った途端に襲いかかってきたりしないかと、わたしは気を張り巡らせた。
「殺しはしないわよ、貴女は監獄に入ってもらうわ」
「なに、監獄だと? 阿呆が、そんな所にこの余が大人しく入るとでも思っているのか」
ちょうどわたし達の正面でピタリと足を止めたバベリアが、不機嫌そうに眉を吊り上げてジューダスを睨みつけた。
「もちろん大人しくさせてからぶち込んでやるつもりよ? それにただの監獄じゃないわ。螺旋監獄よ」
「……螺旋監獄だと? 馬鹿な、隠匿主義の裁定者が貴様ら鴉に与するわけがないだろう。つくならもっとマシな嘘をつくんだな」
「──信じる信じないは貴女の勝手だけどさ、これ以上好き勝手するなら実力行使に移るまでだよ。螺旋監獄の件は実際にぶち込まれたら分かるんじゃない」
わたしは最後通告のつもりでそう言った。ここに辿り着くまでの三日間でいくつもの村が廃墟になっているのを見た。全てこのバベリアの仕業だ。村を襲っては自分の街の奴隷にしているのだろう。正直わたしとしては話し合いで解決するよりもボコボコにしてやりたい気分ではある。
「……やれやれ」
だがバベリアは剣呑な空気を気にも止めず、呆れたように大きなため息をつくと、わたし達に背中を向けて歩き始めた。
彼女は塔の縁まで行くとそこで足を止めた。ちょうど夕日がバベリアに重なり逆光になっている。
気味が悪いほど隙だらけだった。バビリアからは魔力を感じない。魔力始動すらしていない状態でわたし達に背を向けているのだ。
「──ジューダス、それに小娘よ。人間には二種類いる……他人に支配されることに疑問を抱かぬ愚か者と、他人を支配できると思っている愚か者だ」
バベリアはわたし達に背を向けたまま、ぽつりと語り始めた。
「だったら貴女はなんだって言うのかしら?」
「キヒヒ、知れたことを……人間の真の支配者に決まっているだろう」
「……またそれか、くだらない」
バベリアに限らず至高主義の連中は口を揃えてこう言うのだ。そしてわたしの両親も、おそらくこのバベリアのような魔女のせいで死んだのだ。
「キヒヒ……小娘。では聞くが貴様は何故人間共と共生しようなどと言うアイビスの妄言に付き合っているのだ? 本当にそんな事が出来ると思っているのか?」
「貴女は貴族だったから分からないかも知れないけど、人間は貴女が思うほど愚かでも単純でもないよ」
「──単純だとも、単純で愚かだ人間は。奴らは我らとは違って時間という名の死神に常に付き纏われている。十年二十年先の未来は見据える事はできても百年二百年先のことは毛頭考えもせん。それ故に短絡的な思考しか持ち得ず、進化の歩みを見誤る」
バベリアは城下を見下ろしながら……いや見下しながそう言った。突き落としてやろうかこいつ、それくらいじゃ死なないだろうし。
「貴女が何を言いたいのかわたしには分からないけど、貴女がやっている事は結局人間の権力者と何が違うっていうの?」
つらつらと御託を並べても結局バベリアがしている事はただの侵略と支配ではないか。
「ハッ、いいか小娘、たかだか数十年しか生きていないであろう貴様に人間の歩んできた歴史を、その道のりを教えてやろう……人間の歴史はな、円だ。奴らは気の遠くなるような時間を掛け、同じ道をただぐるぐる回り続ける愚かな豚共だ。導く王が居なかった故にな」
「ようは歴史は繰り返すって事でしょ。ややこしい言い方しないでよね」
言葉に熱がこもってきたバベリアとは裏腹に、ジューダスの言葉は冷え切っていた。しかしバベリアは構わず続ける──
「家畜は家畜、主人が管理せねば狼に喰われ、疫病に罹ることもあろう。そも、これまで家畜が家畜を支配しようとしていた世界が狂っていたのだ。実際見れたものではなかっただろう?」
「……」
ジューダスは返事をしなかった。隣の彼女が何を考えているのかは正直分からないけど、段々と空気が張り詰めてきたのを感じる。
「ジューダス、貴様は先刻余を簒奪者呼ばわりにしたがな、それはあの家畜共だ。奴らは我らにのみ味わうことを許された筈の愉悦『傲慢』『強欲』『嫉妬』『憤怒』『色欲』『貪食』そして『怠惰』を罪だと語り、その実権力をもった一部の豚はそれを貪っているのだ」
「当然家畜風情が享受して良いものではない。家畜共が汗水を垂らし労働に励んでいる間、ワインを呑み、女を抱き、惰眠を貪っていいのは我らだけだ。この怠惰の魔女、バベリア・ビブリオ・ヴーヴリット・ヴェルボ・バーンだけなのだ!」
ずっと背を向けていたバベリアが振り返った……その刹那、夕日が彼女のシルエットから逸れてわたしの目をほんの一瞬閉じさせた。
──次に目を開いた時には全てが動き出していた。
バベリアは魔眼を発動させたのか両眼が怪しげに発光していて、塔の縁に並んでいた兵士達は中心部のわたし達目掛けて襲いかかって来ている。隣にいたジューダスはジューダスで、いつの間に出したのか魔剣を構えて既にバベリアに飛びかかっていた。
目を閉じてから状況把握まで一秒そこら……出遅れた、そう思った時には足下が発光し始めていた。
「……ッ!?」
「──レイ、逃げて!!」
──既にバベリアの喉元まで剣を突き付けていたジューダスが、物凄い勢いで踵を返してわたしを突き飛ばした。突き飛ばされてから気付いたけど、さっきまでわたしが立っていたすぐそばに剣を振りかざした男が立っていた。全然気が付かなかった、ていうか床光ってるし……いや、これ、落ちるッ──
凄い力で突き飛ばされたわたしは、塔から弾き出された。空、夕日、森、街、外壁、空……視界がぐるぐる回る。
「……ッ黒羽!!」
わたしはようやく黒羽を発動して、鉤爪状に変形させた翼で外壁を抉りながら塔にしがみついた。塔の頂上を見ると、大きな閃光が見えた。
「……ッジューダス!?」
外壁を黒羽で駆け上がったわたしはものの数秒で頂上へと舞い戻った。中心部分には二つの影。バベリアと、ジューダスだ。さらにそれを取り囲むように数十人の兵士達が倒れている。わたしを斬ろうとしていた男も、ジューダス達の足元で倒れていた。
「……キヒ、キヒヒヒヒ。感謝するぞレイチェル・ポーカー……貴様のお陰だ」
「……な、なにを、ジューダス! 大丈夫なの!?」
気味の悪い笑みを浮かべたバベリアはすぐそばにいるジューダスの方を見もせずにわたしにそう言った。ジューダスは魔剣を握りしめたまま、直立して動かない。
「キヒヒ、五年間この時を待ちわびた。ようやくジューダスが余のものになったのだ!」
「……ジューダスに何したの!?」
「キヒ、小娘よ……ジューダスが何をされたかよりも、ジューダスに何をされるかを気にした方がよいぞ」
「……なに訳わかんないこと言っ……て? え?」
──視界からジューダスが消えた。そう思った瞬間に右腕を引っ張られたような感覚がして、見ると、肘から先が斬り飛ばされていた──




