113.「レイチェルと怠惰の魔女①」
【レイチェル・ポーカー】
「ねぇ、城を出てからもう三日も経つけど本当に怠惰の魔女のとこにたどり着くの?」
「結構飛ばしてきたからね、そろそろ着くはずよ」
廃村で紅茶を飲んでから数時間、深い森の中でわたしは訝しむような視線をジューダスに送った。
ジューダスは銀色の髪を風になびかせながら、和やかに微笑む。彼女は少し抜けてるというか、天然なところがあるからな。これでもし迷子になってたら怒るぞお姉様よ。
「……ジューダスはさ、その怠惰の魔女と戦ったことあるんだよね、強いの?」
ジューダスが本当に道に迷ったりしていなければ、もうすぐ怠惰の魔女とご対面する事になる。たったの七人でフランスを征服しようとするバカは、いったいどんな奴らなのだろうか。
「ふぅん、三日目にしてようやく聞いてきたわね、凄い余裕」
「ちゃかさないでよ、それにわたしが余裕そうに見えるのはジューダスがいるからだし」
実際ジューダスは単騎で何度も七罪原の魔女を退けているわけだし、そこまでの強敵というわけでもないだろう。ジューダス一人で事足りるところに、ヴィヴィアンとほぼ同スペックのわたしがいるんだから正直不安になる要素は全く無い。
「あら、私のことそんなに信頼してくれてるの? 姉冥利に尽きるわねー」
「はいはい信頼してますよ、だからさっさと教えてくれますお姉様ー?」
ジューダスはその強さ故に、よく一人で任務に着くことが多い。だから普段からあまり関わる機会が無かったのだけど、この三日で随分仲良くなったと思う。バンブルビーと十数年掛けて打ち解けたくらいには。
「まあ、からかい甲斐がないわねー。怠惰の魔女はね、名前は確かババリア……いや、バビリア? バブルガム……いやそれはうちの子か」
「真面目に」
「え、ごめんなさい。ふざけてるんじゃないのよ? ほんとに名前分からなくて、凄いややこしいのよねあの魔女の名前」
まったく、ジューダス・メモリーじゃ無かったのか。忘れてるじゃん。
「別に名前はどうでもいいよ、魔法はどんなのを使うの?」
「んー、身体強化の赤魔法、多分二級くらい。あと何かしらの魔眼を持ってるみたいね」
「へえ、二級なら結構強いね。魔眼の内容にもよるけど」
魔女の数だけ魔法があれば、おのずと等級というものも生まれるわけで、少なくとも鴉では魔法は六段階で分かられている。
上から、特級、一級、二級、三級、四級、五級……なぜ一級から六級ではなく、特級から五級なんて言い方をしているかと言うとだ、特級魔法を使える魔女なんて殆どいないからだ。一級品を超えた特別品だと言わざるを得ないくらい強い、それが特級魔法なのだ。
「……レイはさ、結局何の魔法が使えるの? 黒羽と身体強化が使えるのは知ってるけど、他にも使えるんでしょ?」
唐突だった。初日はもしかしたら聞かれるだろうかと警戒していたけど、まさか今聞いてくるなんて。
「えぇ、なんでそう思うの? 二つしか使えないよ」
わたしのコピー魔法の事は誰にも言っていない。他人の魔法をコピー出来るなんて一見便利そうに思えるけど、過ぎた力は争いや問題の種になりかねない。何よりコピーする条件を知られたくない。
「前にレイが火の青魔法を使ってたって言ってたよ、ルクラブが」
……あんのおたんこなすめ。というかいつ見られたんだ、火の魔法は自室の暖炉に火をつける時くらいしか使っていない筈なのに。
「見間違いじゃない? アイビスじゃないんだからぽんぽん何個も使えないよ」
「そ、じゃあそういう事にしておくわ」
ジューダスはあっけなく引き下がったけど、妙に含みのある言い方なのが気になる。もしかしてルクラブ以外からもタレ込みがあったとか?
「……そう言うジューダスこそ、隠してる魔法とかあるんじゃないの?」
「ないない、私は才能に恵まれなかったから身体強化の赤魔法と申し訳程度の青魔法だけしか使えないわ。だから毎日剣ばっかり振ってるのよ」
ジューダスは大袈裟に肩を窄めて見せた。イタズラっぽく微笑む顔は、いつもの綺麗な印象とは違って幼子のような可愛らしさがあった。
「才能無いは謙遜し過ぎだよ、身体強化の魔法特級じゃん。鴉でまともにジューダスとケンカできるのアイビスかウィスタリアくらいじゃないの?」
選りすぐりの魔女が集う鴉でも特級魔法を使えるのは、わたしを除いてアイビス、ヴィヴィアン、ジューダス、ウィスタリアの四人のみ。その中でも特級の身体強化魔法を使えるのはジューダスとアイビスとウィスタリアだけだ。一応ウィスタリアは制限付きだけど、それでもとてつもなく強力だ。
「あら、どうしてヴィヴィアンとかホアンは入ってないの? それにレイも」
「だってわたし達は身体強化の魔法一級だし、特級のお姉様には敵わないよ」
「けど黒羽があるじゃない、あの魔法もある種の特級魔法って言っても過言では無いわ。使い方次第じゃわたしやアイビスにも勝てると思うけど」
「冗談言わないでよ、不死身のヴィヴィアンならまだしも、わたしがアイビスとかジューダスに勝てるわけないじゃん」
本当はわたしも不死身なんだけど、それを差し引いてもやっぱりアイビスやジューダスには敵わないだろう。アイビスの魔法をコピーでもしない限りは。
「まあまあ、そう下ばっかり見てないでもっと自信を持ちなさい。お姉さんレイには期待してるんだから」
下を向いていたのは嘘をついている後ろめたさからだったけど、ジューダスは何か勘違いしているようでわたしの肩をバンバン叩いてきた。
「えぇ、なんで?」
「んー、わたしよりも強くなれる余地がある人って、貴重だからかな」
そう言ったジューダスの表情は、今までに見たこともないものだった。笑っているけど、どこか寂しそうで──
「……それ、どういう……」
「──おい、何だお前たちは!! ここは怠惰の魔女様が治められる領地だぞ!!」
突如森に響いた野太い声に、わたしは反射的に振り向いて魔力を始動した。見るとそこには一人の男が立っていた。目一杯引き絞った弓矢をこちらに構えながら。
「どうも、私達は鴉の魔女よ。貴方のボスにジューダスが来たって伝えてくれるかしら?」
「……な、鴉だと!?……わ、分かった、ついて来い」
男は慌てた様子で弓を下ろすと、踵を返して足早に森の奥へ進んでいった。ジューダスと顔を見合わせると、彼女がにんまりと微笑んだ。
「レイ、さっきまで私が道に迷ってたと思ってたでしょ」
「……まあ、ちょっとだけね」
* * *
「──ふむ、久しいなジューダス・メモリー。こうして顔を突き合わせるのも何年振りだ?」
「んー、四年……いや六年ぶりくらいかしら? できれば私は会いたく無かったわ」
──弓矢の男に着いていくと、急に深い森が開けて街が現れた。村とかそういう規模ではない。完全に街。
その街の何処からでも見えるであろう巨大な城に、わたしとジューダスは招かれていた。
「さて、そこの小娘よ、貴様は初めて見る顔だな。面を上げて名を名乗れ」
そしてわたし達の眼前には、嫌味なほど豪華な玉座に腰掛けた一人の魔女──怠惰の魔女がいる。群青色の髪は貴族のように煌びやかに編み込まれて、これまた絢爛なティアラでそれを溜めている。なんか思ってたのと違うなぁ。
「初めまして。わたしはレイチェル・ポーカーよ。今日はジューダスのお付きできたわ」
「レイチェル? 農夫の娘のようにパッとせん名前だな」
怠惰の魔女は大層つまらなそうな顔でそう言った。失礼にも程があるわ。
「まあ実際農夫の娘だけどパッとしないは余計かな。で、そういう貴女は?」
「……なに? 小娘貴様、余の名前を知らんと申すか?」
玉座で頬杖をついていた怠惰の魔女は、眉間にシワを寄せながら脚を組み直した。残念ながら全く知らない。なんならジューダスですら曖昧だったしね。
「なにせ農夫の娘なもんで」
「ハッ、ジューダスめ。こんな田舎者を連れてきおって……いいか一度しか言わんからよく聞けよ小娘。余は高貴なるバーン家の正当なる嫡子、バベリア・ビブリオ・ヴーヴリット・ヴェルボ・バーンだ」
怠惰の魔女は玉座でふんぞり返ってそう言った。なるほど、こいつが七罪原にいる貴族の魔女だったか。
しかし困ったな、一度しか言わないからよく聞けと言われたのに、名前がややこしすぎてもう分からないんですけど。
「……あの、もう一回名前言ってもらってもいい?」
「一度しか言わんと言っただろうが田舎者め! もう余ではなくジューダスに聞け!」
バベなんとかはぷんぷんと怒りながらそう吐き捨てた。これ一回聞いただけで覚えれる人とかいるの?
「レイ、よく聞いて。一度しか言わないからね? 彼女の名前はババリアン・ババリラ・ビルルリー・ボボボ・バーンよ」
「バーンしか合っていないがッ!?」
ジューダスの天然にボボボ・バーンのツッコミが炸裂した。やっぱり覚えてなかったか。
結局わたしとジューダスがきちんと名前を言えるようになるまで、怠惰の魔女は数十回自分の名前を言うハメになった──




