112.「ジューダスと螺旋監獄」
【レイチェル・ポーカー】
「――レイはさ、誰か気になる人とかいないの?」
休憩と調査がてらに寄った廃村、そのボロボロの民家で紅茶用のお湯を沸かしていると、彼女が急にそんな事を言い出した。
「……唐突だね」
「人は皆、私の事を唐突の魔女って呼んでますから」
彼女はギリギリまだ使えそうなテーブルと椅子の埃を払いながらそう言った。
「いったい誰が呼んでるのそれ……ちなみに好きな人とかって意味の気になる人ならいないよ」
鴉にはいくつかルールがあるみたいだけど、恋愛は特に禁止されていない。だからメンバー同士の色恋沙汰もままある話だ。
かと言ってわたしに好きな人がいるかと言われるとノーだ。今のところ鴉の皆んなのことは家族だと思っているし、そもそも同性を好きになるというところにもしっくりきていない。まあ人間の男なんて論外だけども。
「……へえ、そうなの。てっきりバンブルビーあたりを狙ってるのかと思ってたわ」
沸騰したお湯が入ったポットを落とすところだった。本当に唐突だな……。
「いやいや、バンブルビーはそんなんじゃないから……確かにある種気にはなってるけど、恋愛感情とかじゃないよ」
よく一人で城を抜け出すバンブルビーのお迎え係に任命されたのが、彼女と関わるようになったきっかけだった。
いつも寂しそうな目をしているバンブルビーは口数も少ないし、顔は石にでもなったのかと言うほど表情筋が動かない。そんなだから誰もバンブルビーに深く関わろうとはしなかったし、彼女も彼女で他人を寄せ付ける事を拒んでいる節があった。
わたしはそんなバンブルビーを、なんだか放っておけなかったのだ。
無視されたり嫌がられたりしても、わたしがしつこくバンブルビーに付き纏ったのは、アイビスから任命されたお迎え係の責任だとかそんなだいそれた事ではない。
彼女の笑った顔が見てみたい、と……ただそう思っただけなのだ。
「そ、けどバンブルビー、最近笑うようになったわよね」
――そうなのだ、足掛け十五年。ようやくバンブルビーが笑うようになった。笑うと言ってもまだ微笑む程度だけど、出会った頃に比べると雲泥の差だ。きっといつかはお腹を抱えて笑えるようになる。
「だね、きっとバンブルビーはほんとならよく笑う人だったんだよ」
「あら、なんでそう思うの?」
「だって、笑った顔があんなに綺麗なんだもん。そうじゃなきゃもったいないじゃん」
「……フフ、やっぱりレイは変な子ね」
彼女はクスクス笑いながら椅子に腰掛けた。崩壊した窓枠から差し込む光が銀色の髪に反射してキラキラ輝いている。
「お姉様に変な子とか言われたくないんですけど……はい、紅茶」
「あらどうも……」
わたしが紅茶を差し出すと、彼女は銀髪を耳に掛けてカップを口に含んだ。たったそれだけの動作なのに、どこか気品のようなものが溢れて見えるから不思議だ。これがお姉様マジックなのだろうか……わたしも真似してみようかな。
「どう、美味しい?」
「うん、まだまだね」
「まだまだですか」
ぶっちゃけ紅茶はそこまで好きじゃない。ウィスタリアとかホアンは普段ガサツなくせに紅茶の事になるとやいやい騒ぎ出すけど、わたしはお湯の温度がどうとか蒸らす時間がどうとかはよく分からない。細かい事は気にしないタチなのだ。
「お城に帰ったら私が美味しい紅茶の淹れ方教えてあげるわ」
――だから、こんな事を言われても正直困ると言うか何というか……。
「あー、どうしよっかな。お姉様に貴重な時間を割いてもらうのもなんだし、遠慮しとくよ。わたしってほら、物覚え悪いし」
「あら、じゃあ尚更私が教えてあげなくちゃね」
「……え、なんで?」
面倒だから適当に躱そうと思ったのに、何故か余計に食いついてきた。
「なんでって、そりゃあ私がジューダス・メモリーだからよ」
紅茶を片手に持ったジューダスは、姿勢を正し、凛とした佇まいでそう言った。物凄いドヤ顔で。
――ジューダスのユーモアを理解するのに、数秒掛かった。その数秒間の沈黙は、残酷なほど長く感じられた。
「……ぷふ、やだ何それ、全然面白くないじゃん!」
気まずさとかを通り越してなんだか面白くなってしまい、つい吹き出してしまった。ジューダスはわたしの反応に首を傾げている。
「あらほんと? アイビスとか爆笑してくれるのに」
「ア、アイビスが爆笑? うっそだぁ、そっちの方が想像したら笑えるよー!」
「なんでよー、アイビスよく笑うわよ?」
「ないない、笑ってもバンブルビーレベルだよ。わたし信じないもーん」
ボロボロの廃墟にわたし達の声だけが響く。我ながらよくこんな所で和気藹々と出来るものだと感心する。ジューダスもだけど。
「まあ、アイビスったらきっとレイの前ではクールな姉を演じたいのね。あれで結構可愛いとこあるみたい」
「なにそれ、何でアイビスがわたしにそんな気を使うことがあるの?」
クスクス笑うジューダスを見ていると、アイビスがわたしの前で猫を被っているという話があながち冗談でも無いのかもしれないと思えてきた。理由はさっぱりだけど。
「さあ、何でかしらねー」
ジューダスはイタズラっぽい顔で微笑むと、わたし特製の『まだまだの紅茶』を飲み干した。
「やっぱりジューダスの方が変だよ……」
* * *
〜三日前〜
「――七罪原がまた暴れてるみたいなんだ」
久しぶりにアイビスに呼びつけられたかと思うと、我らがボスは頭を抱えていた。
「七罪原って……確か何回かジューダスがやっつけた奴らじゃないの?」
わたしの記憶が正しければ、七罪原はたったの七人でフランスを征服しようとしている至高主義の魔女組織だ。
何度かジューダスがお灸を据えに出向いている筈だけど、どうやら懲りるということを知らないらしい。
「まあ、暴れてる魔女はだいたい固定メンバーらしいんだけどね……怠惰の魔女と傲慢の魔女がもうほんと酷くて」
アイビスは小さくため息をついてこめかみを手で押さえた。去年ヴィヴィアンに聞くまで全然知らなかったけど、頭痛持ちらしい。
「きっと舐められてるんだよ、ジューダスっていい意味でも悪い意味でもお人好し過ぎるから」
ジューダスは黒の同盟時代からアイビスの右腕だった魔女で、鴉の中でも指折りの強さだ。特に魔剣の扱いが上手くて、剣の勝負ならアイビスをも凌ぐなんて言われている。
ただ、ジューダスはいかんせん優しすぎる。どんな最低な奴の命乞いにも耳を傾けてしまうし、極力殺しはしたくないというのがポリシーらしい。こんな時代にどんな育ち方をすればああいう思考になるのか――
「そう、そこでレイチェルの出番というわけ。今回はジューダスと一緒に怠惰の魔女を懲らしめてきて欲しいんだ」
話の流れ的にこうなる事はだいたい予想出来ていたけど、それにしてもなんでわたし……。
「あの、なんでわたし? 鴉には荒事が好きなのがいっぱいいるじゃない」
誰とは言わないけどウィスタリアとかホアンとかね。
「荒事が好き過ぎる、ね。ウィスタリアもホアンも半殺しとか半端な事は出来ないよ。前も言ったと思うけど七罪原の奴らは出来るだけ殺したくないんだ」
確かメンバーに外様の魔女や貴族が紛れているとか言っていたっけ、厄介な事だ。
「……だからってわたしに回ってくる話でもないと思うんだけど」
「レイチェル、自覚ないかもしれないけど君はもう立派なお姉さんなんだから、たまには妹達にカッコいいところも見せておいた方がいいよ。それにレイチェルの魔法は殺さず無力化に最適だし」
……確かに、言われてみれば随分と妹が増えた。十数年前までは末の妹だったわたしにも、気がつけば二十人近い妹が出来たし。
もしかしてアイビスはパッとした活躍が無いわたしに箔をつけようとしてこんな事を言い出したのかもしれない。だとしたら余計なお節介だけど、気持ち自体はまあ嬉しいし、汲んであげたい。
「分かった、ちゃんと理由があってのご指名なら甘んじて受けるよ。で、今回はジューダスと二人でどの魔女をやっつけたらいいの?」
「怠惰の魔女と傲慢の魔女、両方ともお願い。捕まえたらちゃんと城へ連れ帰ってきてね」
なんと、件の魔女をちゃっかり二人共あてがわれるとは……それに城まで連れて帰らないといけないらしいし。
「ここに? 連れて帰ってどうするの?」
「……最近面白い話を聞いてね、レイチェルも聞いたことないかな『螺旋監獄』って」




