103.「焼肉とお寿司」
【轟龍奈】
「──ちょっと待っててね、今適当なもの作っちゃうから……て、これも腐ってるじゃない、最悪」
二人でわんわん泣いた後、ようやく玄関からリビングに移動した私達が最初にとった行動は、夕餉の支度だった。
ハレを助けるためにしなければならない事が山積みなのは分かっているけど、腹が鳴っては戦は出来ない、とかなんとか言うし、まずは腹ごしらえだ。
それに聞けばフーちゃんなんて温泉旅館以降ずっと意識が無かったらしく、ずっと絶食状態らしいのだ。流石に一週間以上となれば栄養剤くらい点滴で流されていたはずだけど、やはり食べ物が恋しいだろう。
こんな事なら冷蔵庫の中の傷んだ食材の処理をさっさとしておくんだった。
「ねえ龍奈、私にも何か手伝えることあるかな?」
一心不乱に冷蔵庫と格闘する私に、背後からフーちゃんがそう言った。
「んー、そうね……よし! まず着替えましょうか!」
「え、着替えるの?」
「なんか思ってたよりも使える食材無くてね、今から材料買いに行っても長くなっちゃうし今日は外食にしましょ!」
新都のスーパーまで材料を買いに行くのなら、新都でご飯を食べた方が手っ取り早いだろう。ついでに明日以降にいりようになる物も調達できるし。
「外食! 私焼肉の食べ放題がいいな! テレビでCMしてるやつ!」
「ほんとテレビ好きね、まあ龍奈も焼肉好きだけど……とにかくその服で外出は無理だし、龍奈の服で悪いんだけど着替えましょうか」
フーちゃんは初めて会った時に着ていたものと同じ服を着ていた。あの時は病院服か何かだと思っていたけど、まさか魔女狩りの被検体服だったなんて。
「ありがとう龍奈!……けど、サイズ大丈夫かなぁ」
「それなら大丈夫よ、龍奈大きめの服も持ってるから。じゃあ早速着替えに行くわよ!」
幸い前の私とフーちゃんの身長は殆ど同じくらいだ。今の私には大きくて着れない服も、きっとフーちゃんなら着れるだろう。
* * *
平日とはいえ夕方のご飯時、人気の焼肉店ともなれば席が埋まっているかもしれないと思ったけど、私の心配は杞憂に終わった。
店内は賑わっている様子だったけど、幸い満席ではなかったらしく個室を用意してもらうことが出来た。フーちゃんが掘り炬燵を見て感動しているのが少し可笑しい。
「──あのさ、龍奈ずっとフーちゃんに聞きたかった事があるんだけど……」
「……?」
網の上で白ネギをコロコロひっくり返しながら、私はずっと胸に秘めていた疑問を口にした。フーちゃんは口いっぱいにハラミが詰まっているから、返事の代わりに首を傾げて見せた。
「……あの時、なんで温泉にいたの?」
あの時というのは無論私達がフーちゃんを捕獲する作戦に打って出た日のことだ。ハレが失踪した日でもある。
「……えっとね、あの二日前にハレが商店街の福引を回しに行こうって言ってね、二人で商店街に行ったの」
「え、まさかそこでホントに……福引で温泉旅行当てちゃったの!?」
あのバイト漬け男のどこに旅行なんて行く金があるのかと思っていたけど、まさか福引で当てるとか……ていうか、外出るなってあれほど言ったのに呑気に福引してんじゃないわよ!
「ふふん、当てたのは私だけどね! ハレは……スポンジばっかり当ててたかな」
「ああ、あのバカくじ運とか無さそうだもんね」
程よい焼き色がついたネギを取り皿に回収しながら、私とフーちゃん二人でクスクス笑い出した。
「……龍奈、ごめんね」
「え?」
笑っていたフーちゃんが、風船が萎むように急に暗い顔になった。
「私、外に出ちゃダメって言われてたのに、温泉行きたいってハレを焚き付けたから……」
「フーちゃん……さっきも言ったけどフーちゃんもハレも悪くないの、龍奈が隠し事してたのが悪いんだから、気にしないで」
「……」
フーちゃんは口角を少しだけ上げて微笑んで見せたけど、無理やりなのがバレバレだ。目が悲しい色に染まったままなのだ。
「まあでも確かに? 龍奈抜きで温泉旅行なんて行ったのはちょっと傷ついたわね……」
「……ご、ごめんね、私……」
「……ということで、罰としてこの『王様カルビ一本焼き』は龍奈がもらったわ!!」
「あっ、それ私が育ててたお肉ッ!?」
私はさっきから網の上で大事そうに焼かれていた大きな肉を掠め取った。フーちゃんが咄嗟に箸で取り返そうとするが、時既にお寿司……もう私のお皿に入った。
「あらー綺麗な焼き色だわーフーちゃん将来いいお嫁さんになるわねー」
一本焼きをハサミでカットしてみると、断面は綺麗なピンク色。このくらいが一番美味しいのだ。
「ひどいよ龍奈! それずっと楽しみにしてた私のお肉なのに!」
「ふん、時既にお寿司! もう龍奈のお肉だもーん!」
私はお肉を口に放り込んで、わざとフーちゃんに見せつけるように食べた。フーちゃんは大層ショックを受けたような表情で箸をぽろりと落とす。
「もう、龍奈のいじわる……ていうか、『お寿司』じゃなくて『遅し』でしょ。焼肉食べてるのにお寿司屋さんに来たみたいになっちゃうよ」
「ふん、細かいことはいいのよ! っていうか、フーちゃんまでそんなこと言いだすなんて、きっとバカハレのせいね!」
「まあ、それは否めないかもね」
私達は再び二人で笑い出した。フーちゃんにはやっぱり笑顔の方が似合っている。
けど、この屈託の無い太陽みたいな笑顔が、私には少し眩しいのだ──
* * *
焼肉を食べた後フーちゃんと話し合った結果、自分の家に帰る前にハレの家に寄ってみようと言う事になった。
組織が行方をくらましたと言ってはいたけど、そもそもどの程度捜索したうえで言っているのかは明言していなかった。
おそらく組織の隠滅部隊が死体を回収しに行った時に死体が確認出来ず、代わりに逃亡の痕跡を発見した……というところまでは確実だろう。
その後どの程度足取りを追ったのかまでは妖怪ジジイからも、渡された資料からも分からなかった。存外ハレはうまく逃げているみたいだ。
ちなみにハレの家は、以前私が住んでいた家をお父さんが勝手に貸し出しているだけで名義はうちのものだ。ハレの本当の住所は新都のマンションにあるらしいし、組織の手はおそらくあの家までは回っていないだろう。手掛かりが残っていたりするかもしれない。
──しかし、旧都の荒れた道を進みいよいよハレの家が視界に入ってきたところで問題が起きた。
「……龍奈、あれ」
「まずいわね、まさかここにまで手が回ってるなんて……」
ハレの家の玄関先に、人影が見えたのだ。すぐ近くでは車がハザードランプをチカチカ光らせている。
おそらく組織の人間、この件は私に一任されたはずなのに一体どうして……もしかして裏切りがバレた? だとしたら──
「あ、あの人見たことある!」
「ちょ、フーちゃん静かに!」
崩れかけた建物の影で身を潜めていたのに、フーちゃんが急に声をあげた。慌ててフーちゃんの口を塞ぐ。
「……見たことあるって、組織の施設で見たってこと?」
私は小声でそう言って、フーちゃんの口から手を離した。
「ううん、旅館で見たの。あの人旅館の中居さんだよ」
「……中居さん? 旅館の?」
改めて目を凝らしてみると、確かに玄関先にいるのは女性だ。というか、車もよく見たら『伊里江温泉』と小さくステッカーが貼ってあった。
「……あ、もしかしてあれかな」
「あ、あれって何?」
「温泉でお土産をたくさん買ったんだけど、旅館の人が家まで届けてくれるって言ってたから……」
「なるほど、さすが外に聞こえし伊里江温泉ね。サービスの質が違うわ」
「外に聞こえしじゃなくて、音に聞こえしね。でも、ずっと留守にしてたのに──」
もしかしてあの中居さんは毎日お土産を届けにここを訪れているのだろうか。自分のことでも無いのに妙に申し訳ない気持ちになる。後で温泉旅館のレビューを書いておかないと。
「とにかく、組織の人間じゃないって分かったんだしさっさとお土産受け取っちゃいましょ」
「そうだね、ちなみに龍奈のお土産はいっぱいあるよ。ハレがこれでもかってくらい買い込んでたからね」
「ふぅん、それは中々殊勝な心掛けじゃない」
「なんか『お土産いっぱい買ってやりゃ、殴られずに済むかも』みたいな事言ってたかな」
「ふ、ふぅん……」
あのバカの中で私はどんな扱いになってんのよ。
無事に再開したら取り敢えず一発ぶん殴っておこう。




