101.「レイチェルとバンブルビー」
【レイチェル・ポーカー】
──わたしが聞き及んでいた限りでは、彼女は『魔獣の荒野』にいる筈だった。貰った地図を頼りに目的地に着くと、実際に彼女はいたのだがなんとも荒野と言うにはこの場所は些か新緑が眩しすぎる。
緑は彼女がいるすり鉢状の大きなクレーターを中心に広がっていて、中心に近いほど背の高い草木が生い茂っている。
わたしは朝露の着いた草をかき分けながらクレーターの中心へ向かった。
「──おはようバンブルビー、三日も帰ってこないから皆んな心配してるよ」
バンブルビーはクレーターの中心にある大きな岩に寄り添うように座っていた。わたしが近づいていた事には気づいていたんだろうけど、こっちを気にする様子はなかった。
「……俺のことは放っておいてくれ」
バンブルビーは掠れた声でそう言った。きっと久しぶりに声を出したんだろう。
「そうもいかないよ、迎えにこなきゃいつまでも帰ってこないんだから」
「……今日はアイビスじゃないのか」
「アイビスもああ見えて忙しいんだってさ……っていうか、わたしじゃ何か不満なの?」
いつもフラリと城を抜け出して、この場所で座り続けるバンブルビーを迎えに来るのは、本来アイビスの役目なのだ。今日はたまたまアイビスが忙しかったため、わたしに白羽の矢が立ったわけだけども。
「……別に、どうでもいい」
バンブルビーはフラフラと立ち上がると、わたしの横を通り過ぎてクレーターの坂を登り始めた。自由過ぎるだろ、お姉様よ。
「言っても無駄だろうけど、もう城を抜け出したりしないでよねー」
「……」
* * *
初めてバンブルビーを連れ戻しに行った日以来、アイビスはわたしをお迎え係に任命した。バンブルビーは結局あの後も三回城を抜け出して、三回ともわたしが迎えに行った。
──そして今日が四回目となる。
「……いっつもいっつもさぁ、ずっとそこで座ってるだけで楽しいの?」
「……俺は楽しむためにここにいるわけじゃない」
わたしが鴉に入ってから今まで、バンブルビーとは殆ど口を聞く事は無かった。けど、お迎え係になってからはこの場所で少し話すようになった。話すと言っても、『また抜け出したの?』とか『さっさと帰ろう』とか、その程度だけど。
「わたしが言ってるのは、バンブルビーじゃなくてそこの魔女さんが楽しいのかって聞いてるの」
「……なんだと」
バンブルビーがわたしの言葉に強く反応したのは、これが初めてだった。わたしの顔を見てくれたのも、今回が初めてだ。
「バンブルビーはその人に会いにいっつも城を抜け出してるんでしょ? けどせっかくここまで来ても、毎回そうやって座ってるだけだよね。きっとその人も退屈してるよ」
「……お前は、まだコレを人だと言うのか」
「……え? ああ、まあ人っていうか……魔女だね。違うの?」
アイビス曰く、バンブルビーは彼女に会うために通い詰めているらしい。バンブルビーのそばに佇む巨大な岩……いや、石化した魔獣に会いに。
「……俺の、命の恩人なんだ。まだ生きてる」
バンブルビーはそう言って石化した魔獣を、隻腕の指先で撫でた。単純な動作なのに驚くほど丁寧で、わたしはそれに慈しみのこもった何かを感じた。
「うん、アイビスから聞いた。その人がこれ以上マナを取り込んで崩壊しないように、バンブルビーが自分のオドを流してるんでしょ? だから定期的に来てる」
暴走した魔女の成れの果て、魔獣。わたし達魔女が本来扱える力であるオドとは別の、大気中に存在するマナを取り込み過ぎた結果生まれる怪物。身体は禍々しい異形へと成り果て、自我を失い、取り込んだマナに耐え切れず身体が崩壊するまで破壊の限りを尽くす。
それ故に、一度魔獣になった魔女は二度と元には戻れず、待っているのは確実な死だけなのである……全部アイビスの受け売りだけど。
「……無駄な事だと、笑わないの?」
バンブルビーが自虐的にそう言った。この魔獣は身体が崩壊する寸前に、バンブルビーが魔法で生きたまま石化させたらしい。
しかし石化して尚、魔獣は緩やかではあるがマナを取り込み続けている。バンブルビーはこれ以上崩壊が進まないように、この魔獣の魔力の要領いっぱいに自身のオドを流し込み、常に満たしているのだ。
わたしが鴉に入った時には既に、バンブルビーはこの場所に足繁く通っていた。それが孤独な延命治療だと知ったのはつい最近だが、少なくともわたしが把握しているだけでも、もう今年で六年目になる。
「笑わないよ、真剣に頑張ってる人を笑ったりしない」
アイビスも言っていたけど、こんな事をしても魔獣が元の魔女に戻る保証なんて無いだろう。いっそ死なせてやった方がいいと言う人もいるし、その気持ちも分かる。
けど、バンブルビーはもうずっと長い間、この石化した魔獣が元に戻ると信じてこの場所に通い詰めているのだ。
無条件に何かを信じるということには、とてつもない胆力がいる。バンブルビーにとってこの人はそれほど大切な人なのだろう。きっと彼女自身が生きていくためにも、必要な行為なのだ。
「……」
「けど、バンブルビーはもっと笑った方がいいよ。その人に魔力を流すだけじゃなくて、楽しい話とか笑顔も見せてあげなよ」
「……無茶言うな」
珍しくバンブルビーは、わたしが催促する前に腰を上げた。帰るつもりになったらしい。わたしは彼女の横に並んで坂を登る。
「次ここに来る時はさ、わたしも誘ってよね。どうせ追いかけて来るんだから一緒でしょ?」
あまり返事は期待していなかったけど、しばらくしてからバンブルビーがボソッと呟いた。
「……変な奴」
* * *
バンブルビーと一緒に『魔獣の森』に通うようになって四年──
『魔獣の森』というのはわたしが勝手に言っているだけだが、そもそも『魔獣の荒野』という名前自体誰かが適当に言い出したのだろうし、じゃあ別に好きに呼んでもいいじゃない、といった具合だ。
出かける時に『これから荒野に行って来るね』なんて言いたくないしね。
「──それにしてもたったの四年で完全に森って感じだね。初めて来た時にまだ若木だったのがもう立派な大木だよ」
わたしは太陽の光を遮るほどに大きく育った木を見上げた。普通ここまで成長するのに何十年掛かるんだろう。
「……魔獣の遺骸は大地に豊穣をもたらすって伝説はあちこちにある。あながち伝説でもなかったのかもな」
「そうなの? わたしそんな話聞いたことないや」
「昔大きな魔獣が出た時に、その魔獣を砂漠まで追い詰めて殺したんだとさ。そしたらそこにオアシスが出来て、その後国が出来た。なんてのもあったな」
いかにもな御伽噺って感じだけど、この森の中で聞くと不思議と馬鹿には出来ない。実際四、五年で荒野が森になったのだ。
「ふぅん、バンブルビーは物知りだねぇ」
「お前がものを知らなさ過ぎるんじゃないか?」
「少なくともバンブルビーが四年前はもっと無口だったことは知ってるよ」
「……もうお前とは口聞かない」
「やだなぁ冗談だよ」
この四年で変わったのはこの森だけではない。バンブルビーとは冗談を言い合えるような仲になったし、トーラス達の後に続いて何人か新しい妹もできた。
家族の復讐のために入った鴉は、いつの間にかわたしの新しい家族になっていた。
百年先も、ずっとこのまま皆んな家族でいられるだろうか。その頃にはきっと、バンブルビーはもっと愛想のいいお姉さんになっている筈だ──




