100.「魔女と結婚」
【辰守晴人】
「──私の声をよく聞いて、君の名前は?」
約二週間前、この城で目覚めた時に聞いたのと同じ声、同じ質問だった。
「辰守晴人だ」
「好きな動物は?」
「猫だ」
ただ、以前と違うのは俺に抵抗する気が無いため、言葉がすらすら出てくることか。それと、アゴも痛くない。
「好きな料理は?」
「スカーレットが作ったシチュー」
あまりに言葉がすらすら出てくるもんだから、ブラッシュの魔法が実は効いていなくて、俺がただ単に質問に任意に答えているだけなのかとさえ思い始めた頃、異変が起こった。
『俺の好きな料理』は二週間前まで三龍軒の店長が作った炒飯だった筈なのだ。だがいま俺の口からでた回答はスカーレットのシチュー……無意識的にそう答えていた。つまり、良いか悪いかは置いておいて、しっかりブラッシュの魔法は発動していて、ばっちり俺に効いていたのだ。
エントランスに会した一同の視線が、スカーレットに集まる。無論俺もスカーレットの方を見る。
「べ、別にあのシチュー、晴人君のために作ったわけじゃないんだからね!」
スカーレットは顔を赤くして照れているが、どこか嬉しそうに見えなくもない。そしてスカーレットは獄中飯の当番なのだから、俺のために作ってくれたんじゃなかったらあのシチューはなんだというのか。
「──胸は大きいのと小さいの、どっちが好き?」
エントランスに会した一同の視線が、再び一点に移動した。今度はブラッシュに。
このやろう、なんの思惑があってこんな質問を、魔法が効いているのは確認できたのだから、さっさと本題に移ればいいだろうに──
「……ど、どちらかといえば、大きい胸」
俺を囲んだ円陣がざわめきだした。とても嫌なざわめきだ。
「へぇ、そうなんだ……へぇ」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたバンブルビーが、わざとらしく自分の胸を隻腕で隠しながら俺の方を見た。完全におちょくっている。
「ふん、まぁ男なんてそんなもんだろうな」
イースは急に姿勢を正して、というか、胸をやけに強調するような姿勢になってそう言った。どこか勝ち誇った顔をしている。
「……」
スカーレットは無言で胸の形を整えるように、寄せたり上げたりし始めた。そしてスカーレットのたわむ胸を見てご満悦のブラッシュ。
「むはぁ、私ちゃん着痩せするタイプだし? つーかでかけりゃいいってもんじゃねーし、な! ライラック!」
「だ、大事なのは……じ、実用性、なの」
バブルガムとライラックはやや不満そうな顔をしている。バブルガムも身長の割にはかなり大きかった気がするけど……というか実用性ってなに。
「背は高い方が好き? それとも低い方が好き?」
火種を撒き続けるブラッシュ。
「……どちらかと言えば、低い方が好きだ」
そうなのか、自分でもよく考えた事は無かったけど、俺は背が低い方が好きなのか。
「むははぁ、まあ男はなんだかんだ言っても可愛らしい小動物系女子が好きってことじゃんねー!」
「わ、わたしも……低い、ほうなの」
先ほどまでと打って変わって、バブルガムとライラックが得意げな顔をした。いや、ライラックの顔は見えんけどな。
「けっ、『どちらかと言えば』って言ってただろ、つーか大は小を兼ねるんだよ!」
イースは途端に機嫌が悪くなったのか、尻尾をブンブン振っている。ほんと分かりやすいな。
「……」
そしてスカーレットは、履いていたピンヒールの靴をおもむろに脱いだかと思うと、素手でヒールをへし折った。なにもそこまでしなくても……。
「──ブラッシュ、いい加減に無駄な質問はやめてもらえる?」
ここで、痺れを切らしたマリアが怒気のこもった声を漏らした。
「つれないわねスノウ。じゃ、あと一つだけ……この中で一番付き合いたくないのは誰?」
やりやがった……二週間に俺が『スノウ』だと答えた質問だ。そのまま大人しく本題に入ればいいものを、ただでさえ機嫌が悪いマリアをこれ以上怒らせる気かコイツ。
「……一番付き合いたくないのは、ブラッシュ・ファンタドミノだ」
「……おやおや、これは」
視界の端でバンブルビーがニヤリと笑うのが見えた。
……意外なことに、俺は自分で思っているほどマリアの事は嫌いでは無くなったらしい。少なくとも、このブラッシュよりは。
「ふふ、辰守君もつれないのね」
「むはぁ、よかったなスノウ、ランキングが更新されたみてーじゃん!」
「……別に、どうだっていいですから」
マリアはそっぽを向いて、心底どうでもよさそうにそうに言った。複雑な心境だが、まあ、怒り出す事態は避けられて何よりだ。
「それじゃあそろそろ本題に入りましょうか……辰守晴人君、君はこの中の誰と結婚したい?」
──きた。満を辞して、ついにこの質問が来てしまった。俺は何て答えるんだ? いったい誰を選ぶんだ……。
「……俺は、スカーレットと、結婚したい」
──時間が止まったのかと思うほど、長い静寂がエントランスを包んだ。いや、実際にはたいして長い時間では無かったのかもしれないけれど。とにかくそう感じたのだ。
俺は、ゆっくりとスカーレットの方を見た……スカーレットは泣いていた。驚いたような顔で、目からぽろぽろと宝石のような涙が溢れ落ちていた。
「……えーと、じゃあ花婿を勝ち取ったのは、スカーレットって事で……いいのかしら?」
久しぶりに司会の仕事をしたラテも、空気に飲まれたのか、どこかぎこちない。
けど、そうか……そうなのか、俺はスカーレットのことが……好きなんだ。
「……むはぁ、ちょっと待て!! 何で私ちゃんじゃねーんだ!? 晴人は私ちゃんのこと嫌いなのか!?」
他のメンバー同様ずっと押し黙っていたバブルガムが、急に怒鳴った。
「おいバブルガム、テメェ女々しいこと言ってんじゃねぇよ。晴人はスカーレットを選んだんだ、とやかく言うならぶっ飛ばすぞ」
俺が口を開く間も無く、今度はイースがバブルガムを怒鳴りつけた。こんな気持ちになる権利は無いのかもしれないけど、バブルガムとイースを選ばなかった俺としては胸が痛む状況だ。
「むふぅ、イース……お前こそ本当に納得してんのか? スカーレットに横取りされたんだぞ」
スカーレットの肩がピクリと震えた。酷い言い方かもしれないけど、確かに最初に俺と結婚すると言い出したのはイースなのだ。その時点では俺の意思は伴っていなかったわけだけども。
「何度も言わせんじゃねぇよ、晴人が選んだんだ。俺様は晴人が幸せになるならそれでいい……隣にいるのが俺様じゃなくてもな」
あの暴虐無人のイースがこんな事を言うなんて、俄には信じられなかっただろう……さっき俺のことを本気で好きだと告白されていなければ。
イースは潔く身を引くばかりか、スカーレットと俺の結婚を後押しさえしようとしてくれている。
口が裂けても言えないことだが、こんな気持ちになるならやはり誰も選びたくなんてなかった。
「……いいえ、バブルガムの言う通りよ」
バブルガム本人が既に、イースに嗜められて口をつぐんだというのにまだ納得していない人物がいた。
「……スカーレット?」
スカーレットは円から外れて真っ直ぐ中心へ歩み出した。即ち、俺の元へ……? 否、違った──
スカーレットは俺の隣にいるブラッシュの元へやってきた。そして、ブラッシュの耳元で何かを囁いた。
「……スカーレット、本当にいいの?」
「……ええ、お願い」
いったいスカーレットはブラッシュに何を言ったのか、エントランスの全員が困惑していた。しかし、全員を置き去りにしたままブラッシュは魔性の声を響かせた。
「──辰守晴人君、この中で君が恋愛感情を抱いているのは誰?」
意味が分からなかった。質問の意味というよりかは、その意図がだ。きっとスカーレットが耳打ちした内容こそがこの質問なのだろうが、スカーレットがこんな事をブラッシュに言わせる意味が……というか、俺に答えさせる意味が分からなかった。
だってそんなの、既に答えははっきり出た後じゃないか。俺はスカーレットが好きなのだ。こんなのただ単に聞き方が違うだけじゃ──
「……お、俺は、スカーレットと、バブルガムと、イースと、ライラックに、恋愛感情を、抱いている……」
違った、認識の違いだ。『結婚』というと相手は一人に限定される、少なくとも俺はそう認識している。だが恋愛感情を抱く相手と言われると、俺自身が悩んでいた通り複数人いて当然なのだ。でなきゃ悩んだりしてなかったわけだし。
そして、スカーレットがこんな事をわざわざ言わせた意味も何となくだが察しがついてしまった。
「……やっぱりね、晴人君は私だけを選んだわけじゃ無かったんだ」
「……スカーレット、その、俺は……」
俺は、なんだというのだ。確かに四人好きな人がいるけど、その中でもスカーレットが一番好きみたいです……とでも?
「おい、スカーレット……わざわざこんな事してどういうつもりだ」
「むはぁ、何がしてーんだ?」
さっきようやく落ち着いたバブルガムとイースが、剣呑な雰囲気になってきた。
「──よし、スカーレットに言わせるのもなんだし、ここは一つ俺から言わせてもらおうかな」
悪い空気を察してか、それともこうなる事を見越していたのか、終始ニヤニヤすることに徹していたバンブルビーが、ここぞとばかりにそう言った。
「スカーレットが何を考えてるのかって? 簡単な事だよ。晴人君が四人を好きなら四人とも晴人君と結婚すればいいと思ってるのさ。だろ?」
「……ええ、鴉に重婚は禁止なんてルールが無いならだけどね」
とんでもない事を言ってくれる。たとえ鴉で重婚が禁止されていなくとも、少なくとも日本では犯罪だし、そもそも倫理にもとるのではないだろうか。
「……スカーレット、流石にそんな浮気みたいなことは」
「晴人君、さっき言った恋愛感情って本心よね。だったら私はそれを浮ついているなんて思わない。寧ろ、私の他にも真剣に好きな人がいるのに、それを押し込めてまで私と結婚するなて、そっちの方が不純だわ」
カルチャーショックという言葉が当てはまるのか、この感情を表す適切な言葉がうまく出てこないが、なんというか、価値観が違いすぎてそんな発想考えもしなかった。
よくない事だが、好きな相手が複数いても誰かと結婚を誓い合うなら、それ以外の相手はキッパリと諦めるべき、というのが少なくとも俺がこれまでの短い人生で培ってきた価値観だ。
もちろん、本気で好きな相手を諦めるのは苦しいことだ。一筋縄ではいかないかもしれない。だからこそ俺だって誰も選びたくないなんて卑怯な発想が頭を回っていたのだ。
「晴人君、皆んなが君を選んで、君も皆んなを選んだんだから、ちゃんと全員と向き合って。その上で、私にも愛を分けてほしいの」
スカーレットは俺と真逆だった。
俺の最善は誰も選ばないことだったけど、スカーレットの最善は全員を選ぶことだった。つまりは、全員を平等に傷つけるか、全員を平等に愛すか……なんて、都合のいい解釈だろうか──
「……皆んなはどう思ってるんですか」
この期に及んで踏ん切りのつかない俺は、情けなくも外堀を固めようとそんな事を言った。
「むはぁ、最初にスカーレットの名前を出したのは癪だけどー、私ちゃんの事本気で好きだってんなら結婚してあげよっかな」
バブルガムは悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言った。
「わ、私も……スカーレットとか、皆が、嫌じゃないなら……ハルと、結婚したい」
ライラックは顔は見えないけど、きっと真剣な面持ちでそう言った。
「んだよ、結局相思相愛なら最初から言えってんだ、嫌われたかと思っただろ……まあアレだ、そんなに好きなら俺様の嫁にしてやらんでもない」
イースは少し拗ねたようにそう言ったが、尻尾がピンと伸びてフリフリしている。
「だってさ晴人君、モテモテだねぇ。で、君はどうなの?」
バンブルビーに促され、俺は意を決して息を大きく吸い込んだ。皆んなにここまで言わせたんだ、俺も腹を括ろう。
「……俺、初めは処刑を免れるためだけに誰かと結婚するつもりでした。けど、皆んなと関わり合ううちに、自分の気持ちが分からなくなって、結局はどうすれば全員を傷つけないかってことばかり考えてました……それに、今この場にはいないですけど、俺にはもう一人大切にしたいと思っている女性がいます。それでも、それでも本当に皆んなを好きでいていいのなら……俺と結婚して下さい」
──結婚は人生においての一大イベントだと思っていた。
思ってはいたが、まさかこんな大イベントになるとまでは誰が予想できただろうか。
高校一年の冬、俺は四人の魔女と婚約した──




