一日目
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フィリエという人物に連れられて来たのは宿らしき所。建物の中に入ると受付の人らしい人物がフィリエに声をかけた。
『やあ、騎士様。いらっしゃいませ。いつものお部屋でいいですか?』
『いや、今日はダブルの部屋で頼む。この子がいるのでね。』
フィリエの背に隠れていた加代をすいと、前に出す。
突然、視界がひらけた加代は視界に入った人物に目を見張った。見た目は普通のおばあさんだが、1つだけ加代に馴染みのないものがあった。耳だ。ウサギのような耳がおばあさんの頭から生えている。
『まあまあ』
『どこかの国から流れてきたらしい。西の街外れの荒野に一人で立ちすくんでいた。』
『それじゃあ、温かいご飯もご用意しますね。』
『頼む。』
和やかに何かを会話しているようだが元々、加代にここの人間が話す言葉はわからない上に、おばあさんの耳が衝撃過ぎて更に上の空になってしまった。
『大丈夫だ、心配いらない。部屋に行こう。』
怯えているように見えたのか背中をさすられ、歩くように促された。
これは、本当にどうしてしまったの。
加代は回らない頭でぐるぐると考えた。これはもう間違いなく、加代が住んでいた世界とは異なる。テレビやネットでさえも獣の耳が生えた人種など見たこともない。
あの津波で私は死んでしまったのだろうか?でも、お腹は空いている…歩いて足も疲れた…ということは一応、生きている、と考えて大丈夫なのだと思う…
このフィリエという人間にも獣の耳がついているのだろうか?ローブで隠れて確認することができない。もし、この世界の人間には獣の耳がついていることが普通だったとしたら?私はどうなるのだろう。
逃げた方がいいのかな…
ふと、かすめた案を加代は急いで打ち消す。今、ここで逃げ出したとしても言葉もわからないこの世界ではすぐにどうしようもない事態になるのが想像できた。今はまだ、すぐに殺されるということはなさそうな雰囲気でもある。
「わぶっ」
悶々と考えていたらフィリエが立ち止まったことに気が付かなかったらしく、彼の背中に突撃してしまった。
「ごめんなさい…」
『今日はここに泊まる。』
ぶつかったことを特に気にする風でもなく、フィリエは何かを言って部屋の中に入った。部屋は二つのベッドと小さなテーブルと椅子が二つあるだけのシンプルなものだった。
フィリエに続いて部屋の中に入り、フィリエが手前のベッドに荷物を置いたので加代は奥のベッドの傍らに進んでローブを脱いだフィリエを観察した。やはり、耳がある。先程のおばあさんとは違い犬のような尖った黒い耳が着いていた。
『娘、お前もローブを脱ぐといい』
「?」
言葉が解らないことがこんなに不便だとは。何を言われたかわからず、動かずにいると、フィリエが加代の方に近付いてきた。
『このままでは寛げまい?ローブを脱いで楽にすると…』
フィリエの右手が伸びてきてとっさにローブを取られると悟った私は部屋の角へと後ずさった。獣の耳が無いことを今知られるのはまだ恐ろしかった。
『…うーん、警戒されてるなぁ』
フィリエはそれ以上、近寄ろうとせず、両手を挙げて加代から離れた。
『それにしても、言葉がこうも通じないと困ったなぁ…』
『あら、それでしたら翻訳の指輪を使われたらどうです?』
フィリエがほとほと困っていると後ろから食事を持ってきた宿のおばあさんが声をかけた。
『翻訳の指輪!そういえばそんな魔道具もあったな!!』
『ええ。簡単な会話でしたらその指輪があれば困らないと思いますよ。確か、噴水通りの道具屋に売ってたと思いますよ。』
『これは、有難い情報だ!明日早速買いに行こう。やはり、言葉がわからないのはお互いに大変だ。』
『そうですねぇ。それはさておき、先ずはごはんですよ!お腹が空いてはできることもできなくなってしまいます。』
『それもそうだな、カヨ。ご飯にしよう。』
テーブルの上に並べられた食べ物はどれも美味しそうで、手招きをされた加代はローブを被ったままそろりとフィリエの方へ近づいた。
『それでは、お食事が終わる頃にまた伺いますね。』
おばあさんは加代が席に着くのを見守ると食事を乗せてきたトレーを持って部屋を後にした。
『さあ、冷める前にいただこう。』
フィリエは両手を胸の前で組み、無言で祈りを捧げてからフォークやナイフを使ってご飯を食べ始めた。
加代はフィリエの動きを見よう見まねで真似をしながら、続けて食事に手を伸ばす。温かい食事を口の中に頬張ると、空腹が一層強く感じられ、そう言えば津波で流されたのは昼前で昼食を食べ損ねていたな、と少し前の自分に思いを馳せた。
食事を済ませ、おばあさんが食器を片付けてくれたあと、シャワールームに案内された加代は悩んでいた。
シャワーを浴びた後にローブを身に付けるのはとても違和感がある。しかし、何も被らないと獣の耳が無いことがばれてしまう。案外、無いことがバレても大丈夫かもしれないが、言葉も通じず、現状把握が何もできていない以上、自分の情報をむやみやたらと周知させるのは憚られた。あまり、長くシャワールームに籠っているのも怪しまれるかと考え、とりあえずシャワーを浴びる。
そう言えば、津波で流されたわりに体も服も塩水でベタベタしていな。
体を洗いながら今日おこったことを反芻する。思い返したところで今の状況を解決に繋がる情報にはいきあたらないのだけど。ここがどこかはわからないけれどとにかく、日本に帰る方法を探したい。今何ができるか…
『おい、大丈夫か?』
外から声をかけられはっと我にかえる。いけない、日本に帰る方法云々の前に、頭をどうやって隠すかが先決だった。着替えとして渡された服に袖を通して、仕方なくタオルを頭にぐるぐると巻いてシャワールームを出ることにした。
『…大分大きいな。明日は服も買いにいく必要がありそうだな。』
シャワーを浴びて出てきた加代の姿をじっと観察したフィリエはぶつぶつと明日の予定を立てる。
そんな彼の言葉を理解しない加代は服の着方が間違えていただろうかと検討違いなことを考えていた。
フィリエが次にシャワールームに行った後、加代は猛スピードでタオルで髪を拭いて乾かし、あれやこれやと話しかけられる前に寝てしまおうと布団の中に潜りこんだ。
自覚している以上に疲れていたのか、加代は吸い込まれるように眠りの世界に落ちていった。
『…寝てるのか』
シャワーから戻ってきたフィリエは奥のベッドにこんもりと小山ができているのに気がついた。顔も出さず布団にくるまる辺り、やはり、かなり警戒されているようだ。
変わった少女を拾ってしまったと思う。彼女は隠しているようだから敢えて触れていないが、加代の頭には獣の耳がないことをフィリエは気づいていた。この世界で獣の耳を持たない者はごくわずかだ。何者か問いただそうにも先ずもってフィリエの言葉が彼女に通じない。難民なら迷わず領主のところへ連れていき保護施設への手配をするところだったが、それをするのは早計過ぎる気がした。
『先ずは明日、通訳の指輪を手に入れてからだな…』
ランプの灯りを消してフィリエも布団に潜り込んだ。