6話 ブサイク、突貫す
「辿り着いたぜぇ……」
流れゆく景色の中で羨望と憧憬と恋慕と崇拝と慈愛と嘲笑の視線を一身に受けながら、俺は田舎道を駆け抜けた。そして至ったのだ。夢にまで見たこの場所まで。
古ぼけたアポアートの一室の前。あの可憐な花蓮ちゅわんが住まうには些か以上にふさわしくない場所ではあったが、扉の横にはしっかりと「燕尾」の文字が掲げられていた。
勢いに任せてきてしまったが、今になってハチャメチャに緊張してきた。いくら周りからの評価が変わろうが、俺は姿かたちも中身さえ何も変わっていないのだ。これまで女子と関わることなんて無かったのだから、致し方ないことだろう。
だが、それは今さらどうしようもない。松岡修造ならきっとこの緊張も楽しめと言うはずだ。
「フゥーぅ、ふぃしゅぅーう」
高鳴る鼓動を抑え込み、俺は玄関チャイムに指を伸ばした。よし、いける。もうすぐベルが鳴るのだ。僕と彼女を結ぶ、運命のカンパネラが。
「……」
鳴らない。チャペルが鳴り響かない。これではいけない。どうすれば良い? アイホンに電話するか?
苦悩しながら鳴らないチャイム(見知らぬ天井みたいでかっこいい)を何度もスッ、スッ、としていたら、その気配に感づいたのか、玄関ドアがゆっくりとほんの僅かに開かれた。俺は1ミリの無駄も無い動作で、その隙間に足の爪先を捻じ込む。
「ひぃっ!」
チャーミングな嬌声を上げた麗しの君は、紛うことなき花蓮ちゅわん。パジャマ姿でノーメイクでも、相変わらずの淑やかさだ。思わず吐息が漏れてしまう。
「でゅふぅ……」
「あ、あの……だ、誰!?」
「はぁー……はぁあぁあああ!!」
「いやぁああああ!!」
恥ずかしいのだろうか。花蓮ちゅわんは即座に扉にチェーンを掛け、何度も扉で俺の爪先にガッツンガッツン「はさむ」を仕掛けてきた。
「どうしたんだい? そんなに興奮して」
「ふぅううん! ふぅん!」
花蓮ちゅわんは俺の爪先をドアで挟む遊びに夢中になっている。目も合わせず一心不乱に遊びにふけるその姿もとっても無邪気で可愛いな。あぁ、今すぐ抱きしめてあげたい。
「何で!? 何でなの!? やだぁあああ!!」
花蓮ちゅわんがあんまり激しくするものだから、俺の爪先はとんでもないことになっていた。ローファーが破壊され、白い靴下は真紅に染まり、その中にある肉と骨がグズグズになっているようだ。
そんな状況でも笑顔を絶やさない俺に、花蓮ちゅわんは少し焦っているように見えた。そんなに緊張しなくても大丈夫なのに。
「花蓮ちゅ……燕尾さん。燕尾さんったら!」
「このッ! この……って……え? か、架小川くん!?」
「突然で驚かせちゃったかな?」
「ど、どうしてこんなところに……いや、そ、それより私なんてことを! てっきりブス専の不審者が私を襲いに来たのかと……」
「あはは、ポジティブなのかネガティブなのかわかんないね」
「あ、あの、良かったら上がって。怪我の治療もしなくちゃいけないし……」
「そんなに気を使わなくても平気だよ。そもそも、素人の手に負えるレベルじゃなくなってるからね」
爪先は燃えるように熱を持ち、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。あぁ、これが恋の痛みと言うやつなんだな。前の世界では、自分を諦めるばかりでこんな感情は抱いたことが無かった。この熱さと痛みこそ、生きているということなのだ。なんて美しい!
それに気づかせてくれた花蓮ちゅわんは、やはり僕の天使。早くもっと可愛がってあげたい……
「ど、どうぞ。散らかってますけど」
「お邪魔しまっすぅ」
はやる気持ちを引っ込めて、俺は少し薄汚れた花園に足を踏み入れた。それにしても何かが引っ掛かる。燕尾さんの反応、淡白すぎやしないだろうか。
急な訪問で慌ててしまったのは仕方ないとしても、この世界で(評価だけは)超絶イケメンと化した俺を前にしてもテンションが上がる気配がない。
「今日はどうしてうちなんかに? 架小川くんみたいな人気者が私みたいな日陰者の家に来たりしたら、変な噂が立っちゃうよ」
「君となら……あふぅ……かまわなぃ」
「架小川くんってそんなキャラだっけ?」
おかしいな。今のは必殺の一撃だったはずなのに。もしかしたら彼女は耳が遠いのかもしれない。イジメられているという話もあるし、暴力を振るわれ鼓膜が破れてしまったとか……あぁ、なんて可哀そうな花蓮ちゅわん!
「で、何か用事があるんでしょ? 私も、家に男の子と二人きりってのは気まずいんだけど」
あれ?
「ん、あぁ。えっと、その……コレッス」
おかしい。
おかしいぞ。何で俺は気圧されて配布プリントを渡してるんだ? これでここに来た口実は完了してしまったではないか。この先どう理由をつけてここに居据わればいい? それに、なぜ超イケメン扱いの俺を前にして、この世界ではゲロブス扱いの燕尾さんが何の動揺も見せないんだ?
「あ、えっと、その……ダイジョブ?」
「え、何が?」
「いや、その、あの、えっと、何か、最近休みがちだから……」
何が? の言い方めっちゃ怖いんだけど何これ。何か怒ってる? だとしたらWHY?
「架小川くんには関係ないから、気にしなくて良いよ。学校、行きたくなったら行くし」
「でも……」
「架小川くんにはわかんないよ! 私の気持ちなんて……」
「ひぐぅ!」
燕尾さんは突然声を張り上げ、下を向いてしまった。俺にはわからないって、いったい何が?
「架小川くんみたいなイケメンには、私みたいなブスがどう見られてるかなんてわかんないでしょ? どれだけ馬鹿にされてるのか、わかんないでしょ? 外を歩いてるだけで、知らない人たちに笑われるの。すれ違いざまに酷いことを言われたことだって、一度や二度じゃない。何で……何で生まれつきの顔のことで、こんなに苦しまなきゃいけないの……」
「そんな……そんなこと、俺にだってわかるよ! いや、俺だからこそわかる!」
元いた世界で、俺だって酷い扱いを受けてきた。小さな子供にまで笑われるし、その親には「見ちゃいけません!」されるし、やたら職質されるし、学校から帰ってきただけで地域の不審者情報に載ったことだってある。
俺は男だから、それをネタにすることで何とか自尊心を保っていたけど、それでも進んでそれをしたいと思ったことは一度だって無い。しかも花蓮ちゅ……燕尾さんは女の子だ。ブスと罵られるダメージは、俺の比ではないのかもしれない。
でも、同じブサイク扱いをされた者同士だからこそ、分かり合えることがきっとあるはずだ。わからないなんてことは決して無い!
「適当なこと言わないでよ! 架小川くんに何がわかるって言うのよ!」
どうして、どうしてわかってくれないんだ!
「お、お、お、オデだって、化け物だの顔面お化けだの爛れ続ける者だの言われて……」
「そんなあからさまな嘘つかないでよ。って言うか、化け物とか顔面お化けって、イケメンすぎて化け物みたいって誉め言葉でしょ?」
「ち、ちが……」
違う! みんな純粋に俺のことを化け物扱いしていたんだ! 俺がドMじゃない以上、これが誉め言葉になるなんてことはあり得ない! 俺は本当にブサイクなんだ。イケメンなんかじゃない。なのに、どうして伝わらないのか……
「……ごめん。架小川くんにこんなこと言っても何にもならないのにね。八つ当たりして、私って本当に最低……」
「燕尾しゃん……」
俺の知っている燕尾さんは、前向きで堂々としていて、俺みたいなブサイクが落とした消しゴムを拾ってくれるくらい優しい天使のような女の子だった。
それなのに、今の彼女にその面影は見られない。もちろん顔は同じ。DNAも同じはず。それなのに、ブス扱いされていることでこんなにも卑屈になってしまうものなのか。
「もう帰って」
「……ウン」
目に染みるような真っ赤な夕焼けを背に、俺は燕尾さんの住むアパートを後にした。鉄製の階段を降りるカンカンという音が虚しく響く。俺は一体何をしにここに来たのか。どうしてこんなことになってしまったのか。
落ち着いて考えれば簡単なことだ。俺が自分のブサイク加減で悩んでいるところに、池照くんや藩寒くんたちが「俺たちにも気持ちはわかる」なんて声を掛けてきたとしたら、発狂しない自信が無い。
それに、俺は無意識のうちに燕尾さんを見下していたのだ。理由は簡単。ブスだから。ブスな燕尾さんは、イケメンの俺の言うことなら全て肯定するはずと、何の根拠も無くそう思っていた。そんな風に思われるのがどれだけ屈辱か、俺は知っていたはずなのに。
「俺は、馬鹿だ……」
もっと他にやりようがあったのではないか。何で焦ってしまったのか。茜色の帰り道には、後悔ばかりが転がっていた。