リハビリ用短編小説『傘」
内容なんて特にないです。
内容はないよう……。
鬱屈とした空模様を眺め、思わず息を吐きだした。
梅雨時期の長雨は毎年の恒例行事だと言うのに、それを許容することのできない私は社会不適合者ならぬ、世界不適合者なのだろうか。
特に急ぐ用事もない私は、信号のない通りで鉢合わせた車に先へ行くように促してから空いた道に歩み出た。安物のビニール傘の柄を握る右手が少しだけ疲れてきていた。
スニーカーの中が湿気を帯び始めてきた頃、一軒の花屋を過ぎた。晴れた日には軒先に並んでいたのであろう色とりどりの花々を横目に、店の奥で談笑しているオバさま方の声を聞き流して歩いた。傘を持つ手を左手に変えた。
道端の側溝に溜まった雨水の、意外にも高い透過度に目を奪われる。さすがに飲もうという気にはなれないまでも、底に群生する苔や雑草を包み込むその様は、美しい芸術作品の域に達して見える。見惚れてしまうと、左手の疲労感が私の注意を喚起させる。
今日の雨音は不安定な音色を奏で続けていた。時折に激しさを増すと、その次には物静かに傘を打ち鳴らす。その気紛れさはすぐそこの車の下に潜んでいる猫にも、どこか私にも似ていると思えた。右手で掴んでいる傘が強い風を受けてどこかに飛んで行きそうになる。
鈍色の空が濃緑に隠れると、傘を鳴らす雨粒の気紛れさは癇癪持ちの子供のそれに変わり映える。静かに歩かせてもらっているかと思えば、突然に傘を強打してくる。それも、一度強くなるとしばらくその強さが続く。服が湿ってきた。左手で掴んでいる傘の柄に沿えるようにして右手も使う。
帰宅途中の男子小学生グループが傘も差さず楽しそうに駆けて行く。邪魔そうにその片手が掴んでいるのは傘に違いない。敢えてずぶ濡れになる事を楽しんでいるのだろうか。子供の考えていることは良くわからない。わからないのだけれど、少しだけ羨ましくも思える。私まで楽しくなって右手で傘をクルクル回した。
雨の日の住宅街では誰もが皆、大人しくなるように思う。家の前で井戸端会議を開くオバさまもいなければ、家と家との間に気持ち程度の遊具を携えてひょっこりと在る公園で遊ぶ子達の姿も見えない。雨音は心地よく、水たまりを踏んだ際の水が弾ける音も気持ちが良い。けれど、どこか寂しく思えるのは無いもねだりの悪癖だろうか。右手で掴んだ傘を外して空を覗った。
雲の切れ間に差し込んだのは、真っ赤な陽光。どんより色だった雲の暗さはコントラストとして今では映える。雨は、いつの間にか止んでいた。そっと傘を閉じた私の目線は、少しだけ上がっていた。