第92話 何もしない
ザハルはミルからの攻撃を間一髪で躱し、自身の影へと潜り込んでいた。移動手段として使用する事もあるが、本来は戦闘時にその特性が発揮される物だった。
影渡、過去にジンを連れて故郷を往復する際に使用した技だった。一度訪れた事のある場所、則ち記憶に残る場所であれば影の中へ潜り伝い、瞬時に移動できるものでもある。
「チッ! 危うく首を刎ねられるとこだった。だが、色力の相性としてはこっちが有利」
「おーい! ザハルくーん! 何処行ったー? あ、黒軍の人だ」
ディスガストが遠くで地響きを鳴らし、一般兵では戦々恐々としてしまう中でもミルは気にする様子を見せる事無く、崩壊寸前の家屋や瓦礫の下を覗いては歩き回っていた。時折見つける負傷し気絶した黒軍兵を押し潰されない様にと、瓦礫から引き摺り出す。
上空には依然として八基感情の上位体、ヘイトがいるのだがザハル然りミルも全く気にしていない。ヘイト自身も自分がこの世界ではどの様な立ち位置なのかは理解している筈なのだが、脅威というモノの認識の相違に困惑していた。
「なんで私を見ない……私は八基感情、上位体……アナタ達に怖い物は無いの……」
「えー、なんか言ったー? 今それどころじゃないのー! ザハルを見つけないといけないのー! 手伝ってくれるー? そしたら話聞いてあげるよー!」
「……」
なんとも能天気である。しかし、本人の言う通り今はそれどころではないのだ。世界の脅威の一つである八基感情よりも、故郷の、家族の仇敵との戦いは、彼女の中では世界と比較する物では無かった。
「アナタも憎しみを抱えている……」
「そっ! だから邪魔はしないでねっ♪ 遊んでほしかったらタータが相手になるよ♪」
気が付けばドラドラの背に乗ったタータが、上空に漂っていたヘイトのすぐ近くまで迫ってきていたのだった。ドラゴンに跨る色操士、それだけでサマになる。
ドラドラから吐かれた炎が次々にヘイトへと迫るが、やはり一向に当たる気配は無い。
「アナタは西の……どこでそのドラゴンを……」
「んー? なんの事か分かんないけど、とりあえず邪魔するならちょっと離れてもらうよ?」
「邪魔はしない。ただ……少し、少しだけ分からない」
「……んん? ならタータも分かんない♪」
「ご主人様、あまり感情に触れない方がいいわヨ」
「うん、分かってる♪ でも、ディスガストもどっか行っちゃったしタータ暇なの」
ディスガストはドラドラからの攻撃を嫌がり、その場を離れる様に西へと移動を始めていた。感情乖離したばかりの嫌悪の感情は、未だ不安定。標的である筈のザハルの存在が一時的に消えた事もあり、右往左往している状態だった。
「私はまだ戦わない……」
「戦わないって言ったって。じゃあ何の為に来たのヨ」
「感情昇華した中位体を迎えに来ただけ……今は様子を見てる……」
「よっく分からないなぁ。あのバケモノの仲間なら止めてよー」
「そうヨ。アタシだって相手するのは面倒なんだから」
「そう……仲間、ね。私より下位の存在を仲間と呼ぶ事には無理がある……」
タータもドラドラも意図が分からない発言にチンプンカンプンである。
「止める必要も無い……感情のままに動く。それが彼女にとってのこれからが決まる……」
「彼女? あー中にいる女の子の事かー」
「私は見届けて連れ帰るだけ……」
「じゃあもう連れて帰ってよー!」
「今はまだ時間じゃない……」
「あーもう! 訳分かんない!!」
八基感情の目的は未だハッキリしない。ドラドラの背でジタバタするタータはヤケクソに杖を振り回す。
しかし、ヘイトには当たらない。当たらないと言うべきか、当てられないと言った方が正しいだろう。ヘイトはその場を動いていないのだ。確かにヘイトの身体に届く位置にまで迫った筈の杖が空を切るのだ。まるで無意識にヘイトを避ける様に杖が横切っていく。
「アナタはまだ憎悪を知らない……だから私には当たらない……」
「もー何なのよー!」
「ご主人様、離れるわヨ」
ドラドラが距離を取り、改めて口腔より湧き上がる炎を、先程とは違い広範囲に吐き出した。これは流石に届くだろう。ドラドラは放った炎の帯がヘイトを包み込む様子を見届ける。
「何ヨ。大した事無いじゃない」
「グェ……」
「……ぐえ?」
炎に包まれたヘイトから謎の声が聞こえてくる。勿論ヘイトの声では無い。
徐々に炎が消え、いや炎が食べられている。炎を消した正体は、ヘイトが座っていたクッションだった。ヘイトと同じ感情紋様が刻印されたクッションは、その口の様な模様を大きく開き、炎にかぶりつく様に食べていた。
「グェ……」
「ダルク……雑食は良くない。違う物を食べるとルーンが暴走する……」
「た、食べたぁああ!?」
ドラドラは目を丸くしている。本来、食べるという行為は物理的な物を体内に入れる事。がしかし、ダルクと呼ばれたクッションは形を成さない炎を、まるで物の様にかぶりつき咀嚼したのだ。
「後でお仕置き……」
ヘイトはダルクと呼んだクッションに座り込むと、それに反応するかの様に鳴き声を上げた。
「グェ……」
「うるさい……」
未だ得体の知れない存在に変わりは無い八基感情。当人が事を荒立てる様子が無いのであれば、今はそっとしておいた方がいいだろう。
「さ、流石に上位体は何でもありなのかしら。ご主人様、警戒した方が良さそうヨ。あのクッションみたいなモノ、嫌な雰囲気だワ」
「分かった、ドラドラが言うならちょっと様子を見よ♪」
二人は警戒しつつ距離を取り、ミルの元へと遠退いて行く。ヘイトは追う仕草すらせずに、只々その場に漂ったままだった。
「私は何もしない……」




