第88話 若き黒牛
ジンの死を敵伝いに聞いたザハルは複雑だった。友人の最期を看取る事もできず、ましてや原因が自身の国の在り様が招いたもの。
「オレはこの国が嫌いだ。それと同時に好きでもある。民から慕われる父の背中に憧れも抱く。だがどうしてだ、理想の国とは名ばかりで汚い事ばかりがオレの周りで起こる。民を想い、食を分け与えてもそれを奪い合う者達。国を守る為に存在する筈の兵士達までもが国を盾にして疎外という風習まで作り上げてしまった。これが命を賭して守るに値するのか、そんな事ばかり考えながらも否応無しに迫る国の危機に対応しなければならない」
「……」
ディスガストへと変貌してしまったジンの娘を見つめながら、ザハルは歯を食いしばる。これ程までの考えを持ち、綺麗であろうと振る舞う若き黒牛。家族同然だった初代五黒星の壊滅、父ガメルの失踪や国に反旗を翻した者達。まだまだ若輩であるザハルの苦難は相当である。
「……だから何」
ミルの表情は怒りと悲しみとが混ざり、ザハルを睨みつけていた。
「何が理想よ……何が国の為よ。そういう欲望の所為でミル達は辛い思いをしてきた。ミル達が何をしたっていうの? 虹の聖石? 野望? そんな物の為にミル達家族は無意味に死んでいった。ただ平穏に暮らしていただけだった。そうやって自分達だけが辛いだなんて正当化して邪魔な者を排除する……やってる事なんて皆一緒じゃないのッ!!」
「フンッ! 霧の悪魔とまで言われ、数えきれない程の命を奪ってきて今更何を言う」
「違うッ! ミルはそんなつもりなんかじゃなかった!!」
ザハルの責めを振り払うかの様に腕を振ったミルだったが、その腕は脱力する。
「お前自身がどう思おうが周りは結果しか見ないんだよ。霧に恐怖する我が軍を見た事があるか? 戦場へ赴く時、何をしていると思う?」
「……」
「焚火に水をくべ、現れた煙をお前等に見立てて振り払う。今回も出くわさぬ様に、自身に悪魔が降り掛からない様にと願を掛けるんだ。そいつらは帰りを待つ家族の為に、命を落とさぬ様にと内心怯えながら戦地へと向かうんだ」
ミルは言葉を発せず俯いたままである。
「オレはそんな恐怖から解放させるべく戦ってきた。お前等に限らず今後も脅威となる存在は現れるだろう。それを取り除き、平穏を維持する為にオレは戦ってきた。自分の家族が死んだ? 故郷が焼かれた? オレにも家族同然の仲間が居たさ。だが戦争で死んだ……なんで死んだと思う? 国を守る為と言ってクソジジイに殺されたんだ。分かるかッッ!? オレは肉親に仲間を殺されたんだッッ! てめぇだけが辛いなんて言ってんじゃねえよッ!!」
怒りを露わにしたザハルは、両刃斧を地面へと叩き付けた。
誰もが何かしらの苦境を経て今に至る。それはザハルも同じ。
「お前と話をしていても埒があかねえ。オレはジンの娘を鎮める。邪魔ぁすんじゃねえぞ!」
「ミルは……」
ザハルとのやり取りで、ミルはここに来た目的を忘れかけていた。故郷の、家族の恨みを晴らす為に来た筈。しかし、誰もが苦しい現実の壁に立ち向かいながら生きている事を、仇である相手すら同じ状態であると改めて実感したミルの足は重く鈍く、まるで地面に張り付けられた様に動かなかった。
噛み締められた唇と強く握られた拳。ミルの身体は現実と言う重りに必死で耐えている様だった。
その時だった。咆哮と共にディスガストが残った左腕を頭上より振り下ろす。ミルは動かない、いや動けない。気付いてはいるも身体が動かない。
「クッ!」
「ミルっち達の邪魔しないでっ!」
凄まじい打撃を防いだのはタータだった。タータは杖を両手でしっかりと持ち、ディスガストの攻撃を一心に防いでいる。何処にこの巨体を防ぐ力があるのだろうか。単純な腕力だけでは無い事は確か。しかし、微動だにしないタータにディスガストは更に力を込める。
「クッ! ドラドラッ! もう大丈夫だよね!?」
「ええ勿論ヨ、ご主人様」
地面に形成された毒沼から色獣であるドラドラが勢い良く飛び出す。以前、元白軍騎士長のロンベルトに切断された翼はすっかり生え戻り、逆に一段と逞しくなっている様にも見える。ドラドラはそのまま上空へと上り、ディスガストを翻弄する様に火炎を吐き始めた。
「ご主人様やミルの邪魔をしないでもらえるかしら?」
「グォォォォォォオオオオオオ!!」
ディスガストは上空のドラドラへと振り返り、迫る火炎を振り払う。
「ミルっち、今だよ! 一旦退こう?」
「……」
身体に力の入らないままのミルは、タータに引き摺られる様にディスガストとの距離を取った。
「さてと、上空のコバエも邪魔だが……おい! ジンの娘! 聞こえてんだろ! お前の暴れている理由はなんとなく分かった! オレに、ブラキニアに恨みがあるんだろ!? 来いよ! お前のその恨み、オレにぶつけてみろよッ!!!」
ザハルは斧を勢い良く振り回しディスガストへと走って行く。斧を握り締めるザハルの手は、いつになく力が入っていた。




